como siempre 遊人庵的日常

見たもの聞いたもの、日常の道楽などなどについて、思いつくままつらつら書いていくblogです。

坂の上の雲 第1-4話「日清開戦」

2009-12-20 23:57:58 | 「坂の上の雲」メモリーズ
 今週は…今週は、わたしは日本の中心で叫びたい。君は見たか!「坂の上の雲」第1-4話を見たか! イヤー、素晴らしかった。感動しましたマジで。なんかこう、わたくしの内なる日本人の魂が震えましたよ。震えるあまり、わたしは4回ほど落涙しました。その落涙ポイントについては追って書きます。
 良質なドラマだとは思ってましたが、もうひとつ、魂の震える次元までいくかどうかは、まだちょっと…と、先週までは確信持ってなかったのです(予感はありました)が、今週確信しましたよワタシは。これは、いま、すべての日本人が見るべき作品です。てか、見なくてどうするよ。映画館で1800円払わなくたって、テレビさえありゃ家のコタツででタダで見られるんだよ。難しい?これを難しいと思うんなら、日本人やめたほうがいいや。
…って極端なことをいうと、また怒りのメールやコメントが押し寄せるからこれ以上言わない。
 なんか感動のあまり取り乱し、過激な言動に走りそうですが、なんとか気分を落ち着けながら書いてみますね。「坂の上の雲」、第1-4話。第1部プレ最終回。みなさま、今宵の感動をご一緒に…。

○東郷の決断 山本権兵衛登場 小村寿太郎登場 

 先週のラストはイギリス国旗で偽装した艦が清国の兵隊を1200人も乗せし、どこかに輸送していくところを、巡洋艦「浪速」が撃沈、大問題になる…という話ですが、出会い頭にいきなり撃沈したのではなくて、浪速がこの艦・高陞号を撃沈するまでには、短いながらも緊迫したドラマがあったわけです。
 浪速艦長・東郷平八郎は、高陞号に士官を送り込み、ただちに艦を捨てて捕虜になるようにと警告。この状況で、イギリス人の船長が半分人質状態なのがわかってしまい、さらに浪速から警告。赤旗をあげて最後通告をし、しかるのち砲撃…という段取りを踏みます。こういう行為も段取りも、ぜんぶ国際法上正当だったんだそうです。先週、東郷が丁徐昌に「万国公法」をプレゼントしていたのには、こういう含みがあったんですね。
 東郷は高陞号を撃沈し、1200人の清国兵を見捨てましたが、紳士の国・英国では、完全に国際ルールにのっとってやった東郷への非難は、すぐに静まります。ただ、「イギリスの船になんちゅうことをやってくれた」とひとり狼狽したのは首相の伊藤博文、東郷はクビだクビ、と息巻きますが、海軍省官房主事の山本権兵衛は、国際法で認められた艦長の行為を断罪してはかえって欧米にバカにされます、と東郷を庇います。
 このあと、同じ薩摩男同士、山本と東郷のシビレル対話があるのですが…石坂浩二キター。ずいぶん恰幅よくおなりだわ。このダンディな二人のおじ様が、スッと背筋を伸ばし、「戊辰のいくさ以来、常に刀を抜くときは死を覚悟してきもした」みたいなことをいいあうのは、なんかもう、見てるだけで日本人でヨカッタ…って思う。

 この石坂さん、昔のNHKのドラマ「ポーツマスの旗」というので小村寿太郎を演じて以来、30年近くワタシの脳内小村寿太郎だったんで、この直後のシーンで登場する小村寿太郎に一瞬強烈な違和感を覚えるんですが…。竹中直人。この人はなんの役をやっても独特の空気にもっていってしまいますね。
 高陞号事件の後始末のために北京の宮廷へ、皇帝陛下のお誕生日に、呼ばれてもいねえのに現れる小村寿太郎。その風采のあがらなさを、居並ぶ紳士淑女が嘲笑するのですが、小村はぜんぜん動じません。背の低さをバカにされても、「日本では閣下のような方をウドの大木と申し、バカなので国家の大事は任せらないと言われてます」とか言って逆に挑発。このウドの大木が李鴻章であり、当時世界トップレベルの政治家と言われてたんですね。
 小村が李鴻章にケンカを売って帰ってきて、まもなく、日清戦争は正式に宣戦布告の段取りとなります。

○ 最後の古武士 子規の紅葉 

 好古あにさんは、第二軍騎兵隊長として遼東半島に上陸。旅順攻略を担当するのですが、ここからが…みなさん、痺れましたね。凍てつく大陸の戦場で、馬上杯ならぬ水筒にいれた酒をグビグビ飲みながら、威風堂々騎兵を指揮する秋山好古。か、格好ええーーーーーっっ!! 映像は、旅順ですから、海は死にますか~山は死にますか~~の世界で(あ、その本番はもっとあとですけども)、けっこう悲惨なんですが、あにさんのカッコよさに今宵、何人の日本人が胸を熱くしたことでしょうか。
「あしは旅順にいけと言われとるんじゃあ!」と咆哮、馬を駆って敵軍に突っ込んでいくあにさん。人馬入り乱れての肉弾戦。なにこれ、格好よすぎ。まんま水滸伝の世界じゃない。
 好古あにさんが帯びている指揮刀はきゃしゃなサーベルで、部下に「それでほんとにいいんですか?」と心配されたりするんですが、あにさん、「これでええんじゃあ」と磊落に笑います。「秋山好古は最後の古武士と賞賛されたが、そうだったのであろうか」という渡辺謙さんの詩的なナレーションが、戦場で戦うあにさんに被ります。この人は本質、温和で優しい人間で、ただたゆまぬ自己訓練によって武士的性格を身につけたんではないか…と。
 これ、東郷平八郎も共通なんですけど、カリスマ艦長とか隊長って、生まれつきの性格じゃなく、その精神を努力で「作って」きているわけなんですよね。持ち前の性格を封印して。地道な努力と鍛錬のたまものである人格が、戦場で多くの兵を導く。そういうことがよく見えた今週でした。
 清国軍はアバウトというかなにも考えてなく、寡兵の日本軍に、ドンと三千もの軍勢をぶつけてきたりするわけです。この状況に、さすがの好古あにさんも撤退を決めるのですが、ここで「あしが殿軍をつとめる!」と名乗りをあげて、威風堂々、敵に立ち向かっていき、その勇気で兵を奮い立たせていくわけです。どうですか。イヤでも思い出すよ、先だっての大河のシーンを。「わしが殿軍を…」って、同じセリフを言ってこの迫力、リアリティの違い。ほとんど嫌味みたいだった(笑)。

 そしてここで、司令艦大山巌(米倉斉加年)と、少将乃木稀典(柄本明)、参謀伊地知幸介(村田雄浩)など、渋い顔ぶれが登場するのですが、米倉さん、古写真の大山巌にソックリで、いるだけで素晴らしいし、乃木の、なにか思いつめたようなクラーい、陰気な風情にも惹かれました。これからの展開が楽しみですね。

 大陸で日本が快進撃を続けているニュースは、日本中をわかせます。新聞人として、じぶんも従軍してみたい!と無謀な望みを抱いた子規は、上司の陸羯南に、「従軍記者として戦場に派遣してください」の頼むのですが…そんなこと言ったって、肺病病みを戦場に出すわけにはいきません。羯南先生は、近代俳句に新しい写実を生み出そうとしている子規の仕事をほめます。「古い句を甦らせる作業は、土蔵を這いずり回ってるようなもんで…」、「それが君の戦いです」。
 ここの香川さんのリアクションが、よかったな~。自分のやろうとしていることをピタッと表現されて、激励された感激、でも納得いかない、男としてやりたいことかできない焦り、自嘲…ほかにもあると思うけど、複雑な感情が溢れて、だんだん眼に涙がたまっていって。なんかこっちもウルッときちゃう。
 で、家に帰った子規は、庭の紅葉が真っ赤なのに感動して、それをガーゼに「永遠に」移そうと思い、庭の石にむかってトントンとガーゼに挟んだ紅葉を石で叩き続けるわけです。それを見ている律さんが、なにもいわずにポトッと涙を落したりなんかして。紅葉の赤に、すごくたくさんの思いがこもってるようで、ほんとに詩的で素晴らしいシーンで、ここも泣いちゃったよね。ついでにさりげない紅葉の表現一つも、11月までのと比べると嫌味みたいにすばらしい(笑)。

○真之の危機 森鴎外登場

で、今週は半分をだいぶ回ってから、やっと真之の登場。軍艦「筑紫」に乗って、敵将・丁徐昌率いる清国艦隊の待ち受ける威海衛にすすんだ真之。いつものように豆をポリポリ食べながら、マイペースなんですが、艦砲射撃が始まると、豆どころではなくなっちゃいます。
 筑紫はガンガンに敵の砲撃を浴び、甲板は阿鼻叫喚の地獄。この描写が、なんつーか、かなりリアルに血みどろで、四肢が吹っ飛び、肉片が飛び交い、血を浴びる甲板の惨状に、すごいショックを受けるあまり、真剣に軍人を辞めようかと思った…という秋山真之の精神の危機が、しっかり正面から描写されるんですよね。
 しかも、自分が命令して「マストに登って旗を揚げてこい」といった部下が、倒れたマストに押しつぶされて死んじゃう。この描写も凄惨で、ここ2年かたくなに流血描写を避けてきた大河ドラマも、やればここまでやるんです、でも無駄にグロさを楽しんでなく、ほどよくて好感持てます。
 ショックで我をなくした真之は、「あしは軍人に向いてない…」と1年先輩の広瀬に弱音を吐きます。この精神の危機は、けっこう根が深いようで。

 子規は、念願かなって記者として従軍することになり、大陸に送られます。が、すでに戦争は終わりかけ、大陸で子規が見たのは、戦争で被害を受けた清国の庶民の、ものすごい怨嗟の視線だけだったりします。
 戦争っていったいなんなんだ…と、自分が覚えていた無邪気な高揚感とのギャップに戸惑う子規、そこで出あったのが、軍医として従軍していた森林太郎(鴎外)です。榎木孝明。鴎外に似てますし、格好いいね。
 わたしは俳句復興の松明になろうと思うんです…と鴎外に打ち明ける子規、鴎外先生はダンディに微笑んで、「君はこの戦場でなにを感じましたか。やみくもに戦意を煽る新聞は罪深い。正岡君の書く従軍記事なら写実でないと困るよ」と。
 真之の戦場トラウマもそうですけど、こういう視点の取り方って、すごくいいと思いますね。明治人が戦争に対して持ってた素直な高揚感を、それはそれで認めつつ、子規の戸惑いや、真之の生理的な嫌悪感とか、戦争に対する主観的な感情も見せるわけです。戦争はいけない、罪深い、と断じるのはカンタンですけど、そんなにイージーな厭戦論には転ばないのがいいですよね。
 さらに、戦場から帰国する子規は、甲板の上から海に向かって、バアーッと吐血するんですけど…この描写がまた不吉というかなんというかで。こういう詩的な暗喩が、このドラマすごくうまいと思う。

○ 東郷の背中!

 日清戦争が勝利におわり、凱旋帰国しても、真之の戦場トラウマはいえません。海軍省での祝勝パーティでも、気分が晴れず、椅子に座って頭を抱えてたりするわけです。
 そんなところで、偶然、ひとりビリヤード台に向かっていた東郷平八郎と出会ってしまいます。二度目の邂逅ですね。
 東郷は真之を覚えてなくて、「どこかで…?」とか言うんですが、真之は、清国の軍艦見学会で会ったことを話し、その後、威海衛の戦いで体験したことを打ち明けます。自分の決断で部下が死んだ、どうしていいかわからない…といって。
 東郷は、「オイは自分の決断で、清国兵1200人を殺しもした」とサラッと言います。指揮官たるもの、決断は一瞬。でも、その決断にいたるまで、それこそあらゆることを考えに考え抜き、正しい決断をしなきゃならない。その準備に、何年も何年も考え抜く。そのうえで
指揮官たるもの、自分の決断を神の如く信じなくては、兵はついてきもはん
…うううっ。ええセリフや。しかもまた素晴らしい「男の背中」なんだよ東郷が! ここも落涙しちゃいましたよね。ここで真之は「急がば回れ、短気は損気」という自分のお父さんの教えを思い出すのですが、東郷の背中って、まさしく「日本の父の背中」なんですよね。なんか、久しくわすれてたなあこういうの。ジーン…。

 で、真之はそれから9年後だったか? 軍艦「三笠」の艦上で、バルチック艦隊を真正面にスッと立つ東郷の背中を見つめて立つことになるのですが、それはまた、再来年…(泣)
ってことで、えーっ来週最終回じゃない!早っ!
また来週! 


15 コメント

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迫力ありました (東行)
2009-12-21 12:48:42
1番目のコメントのようですが、おじゃまします。
第4回日清戦争、おもしろかったですね。
私としては第1回に続いておもしろかった。日清戦争でここまでやってくれると、メインの日露戦争の時は、どこまで度迫力のシーンが観られるか、ものすごく期待してしまいます。
庵主様落涙されたとのよし、私はそこまでいきませんでした。
とはいうものの、実は私めも、第1回の時に悲しい場面でもなんでもないドラマの中途、多分好古が、風呂番をしている前後だったとおもいますが、突然涙が溢れてきました。それもポロリではなくボロボロと。すぐに止まりましたが自分でも仰天し、俺は異常か?と一瞬危ぶみました。
こういう体験はそうそうある訳ではないのであれはなんだったのか、今でも不思議です。単なるノスタルジアとも違う、多分、少し大げさに言えば、近代日本のあるいは近代日本人の原風景に触れた、とでもいいますか。他の人の言葉を借りれば、魂に触れたというか。
ところで今回、森本レオのあのシーン。議論百出するでしょうね。あのシーンで森本レオだったから幾分ソフトな感じになり、またそのソフトさを狙ったと思いますが。
しかし、ああいうシーンというものは、聞き飽きたというか、見飽きたというか。
またか、というアレルギー反応を感じます。思わず、なんとかネットワークに気をつかったな、と邪推します。
もうひとつ、派生してしまうようで気が引けますが、この番組に続いて放映したNHKスペシャル、マネー資本主義、がこの坂上と好対照でしたので、ひじょうにおもしろく感じました。
司馬遼太郎の描く明治という時代がなぜ眩しく感じるのか。
多分、それは個人の利害と国家の利害が直接的な関係で一致し、相似形をなしている、正比例の関係として描かれているせいではないだろうか。ところが、現代のマネーというモンスターは、個人の利害と国家の利害というものが遊離し、相似形をなさない。
マネーにおけるグローバリズムというものは、国家と個人という関係を分断してしまう、明治という時代からすれば、いわばねじれた変形社会を創出する、というふうに感じた次第です。
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見ごたえありました (SFurrow)
2009-12-21 20:49:29
なんか毎回同じタイトルのような気がしますが…
関わる人々の間ではまだ「いくさ」という意識が強かったものが、次第に「戦争」になっていく時代が重厚に描かれていたなぁと思いました。
実際の戦闘シーンに入る前の高陞号事件、これが庵主様もお書きになっているようにすごく緊迫感があって良かったです。さらには東郷が真之を諭す場面の伏線(これは脚色だと思うけど)にもなっている。
真之のトラウマとなる威海衛の砲撃シーンは多分正面からばっちりやるだろうなと思っていましたが、予想以上の迫力で、音が聞こえなくなる所など、真之の意識がそのまま映像になっているようで、大きなショックと心の傷が伝わります。軍人になっても真之はどこか少年時代のままのケンカに強いガキ大将ぽいものがあったと思うのですけど、それが徹底的に打ち破られるわけですね。
「天地人」でも兼続が初めて戦を体験してこのような形でショックを受けるという展開だったらとても共感できたのに…(あ~忘れたはずなのに、つい書いてしまった)

留守宅の女性たちが「支那と日本は昔から大事な相手だったのに」と話したり、原作にはなかった(ですよね)子規が従軍記者として中国の庶民が苦しめられる様子を見たりという「戦争肯定ではないぞ」キャンペーン(?)も随所に見られて、脚色なかなか苦心しているなと思いました。今のところ特に不自然ではないようですが、↑の方もおっしゃっているように、いろいろな意見の出るところでしょう。

久しぶりの学習会も嬉しいです!
今の出演者で「極道編」も見てみたい♪
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ド迫力! (Nancy)
2009-12-21 21:52:53
いや~阿部ちゃんが!!
好古の豪快さにしびれ、さらにそれに続く謙さんのナレーションにしびれました。

エキストラ何人!?っていう戦闘シーンは見ごたえありまくりで、久々にNHKでこういう迫力あるシーンをみたような。
苦肉の演出なのかもしれませんが、指揮官・兵士・従軍記者・家族・敗戦者側と重層的な視点で描かれているのは立体的でいいと思います。

海上でのシーンも圧倒されてしまい、ドラマが始まる直前に42型TVに替えていてほんと良かった!!

秋山兄弟がどんどん活躍していくなかで、結核が進行していく子規の対比がなんとも・・・。
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色々濃い回でした (みさき)
2009-12-22 00:12:19
こんばんわ。もうあと1回しかないなんて信じられない今日この頃です。
今回は戦闘シーンも気合入りまくりで、見ているこちらも思う壷のように、いちいち悲鳴を上げながら見てしまいました(恥)。
子規の従軍時の光景は、あれは日本軍を「悪」と描いたというより、戦争による弱者の現実を描いただけかとも思いました。戊辰戦争でも薩長軍が鬼のように描かれることが多いですし、勝利側はどうしてもああいう描写になるものかもしれませんね。そして、子規が固定観念に囚われず、自分の心のままに、写実的に物事を捉えていくことの伏線にしたかったのかもしれませんが・・・どっちかというと「森鴎外」を出したかっただけなんじゃ・・・とか思いました(笑)。日清戦争の時、結構「なんで清と戦争してるの?」って人も多かったそうですね。それを思うと子規母の台詞も不思議じゃあないんですよね。何にしても戦争描写は気を遣うんでしょうねえ。
ところで今回は真之の心理描写にやられちゃいました。今まで仲間達を自分の手で守ってきたのに、そんな個人の小さな力も及ばない「戦争」の大きな力に打ちのめされる若い真之には、無理なく感情移入できました。指揮官の心得を伝える東郷さんも良かったですね。こうやって一歩ずつ真之は成長していくんですね。
人間の成長を描くドラマってこういうのを言うんだよねえ、としみじみ思ってしまいました。
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座布団の下 (猫八百)
2009-12-23 11:16:26
司馬さんは、
「作家というものは、天の一角から空をつかんでくるようにしては話せない。すわっている座布団の下から話さねば落ちつかない。話していることも、自分の感覚でたしかに手ざわりがあることしか話せないし、話す気にもならないものです。」
というようなことを仰っていました。

これまで見てきて、この映像化では、「確かな手触り」を丹念に描こうとしていると思うし、話の展開は、「座っている座布団の下から」進めようとしているように思います。

今回の日清戦争の描写には、さまざまな「痛み」が描かれていたように思います。戦争というものを「座っている座布団の下から」眺めた時、人々が知覚する「確かな手触り」は、「痛み」なのかもしれません。その「痛み」の感じ方・受け止め方は、人それぞれでしたけれども。

真之は、人の上に立つ者としての判断の重み・痛みに懊悩して、その思いを東郷にぶつけます。おそらく東郷もまた、過去に同種の重み・痛みと対峙してきただろう。そしておそらく、その重み・痛みから逃げ出したり、ごまかしたり、美化したりせず、真正面からそれを自らの身に引き受けてきたのだろう。その果てにあるのが、真之にたいする東郷のあのセリフなのでしょうね。かっこよかったです。

子規の従軍のシーンについては、賛否いろいろあるのでしょうけれど、私が一番印象に残ったのは、戦場となった村々の住民の刺すような冷たい視線です。あれが、戦争に巻き込まれた人々の「確かな手触り」なのでしょうね。そしてその視線を浴びる子規の胸の内はおそらく、「痛み」だったのではないか。子規がその「痛み」にどう対峙していくのか。そのあたりが、このシーンに続く鴎外との対話のシーンへと繋がっていくのでしょうね。

美しいものは夢を見させてくれるけれども、痛みは現実を思い出させてくれる。痛みは明治のリアリズムなのかもしれない。
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森本レオの日本刀 (庵主)
2009-12-23 20:32:37
東行さん

日本人の原風景に触れたというお話、興味深く拝見しました。
なにげないシーンで涙してしまうというのは、やはりなにかドラマに魂が宿っているからではないでしょうか。

森本レオさんの曹長の場面は、おっしゃるように、見飽きた感じではありました…が、わかりやすいというか、まあ、必要であろうというシーンではあったと思います。
注目したのは、森本さんが背負っていた日本刀で、あの「虎の威を借る」というかんじの曹長が、大げさな日本刀をひけらかしているのと、その前の場面で好古が、騎兵隊長なのに貧弱な指揮刀しかもってなく、「これでエエんじゃ」というシーンとさりげなく対になってて、そこはちょっとグッときまして。森本曹長さんのベタなシーンも光ったと感じました。
平凡な手を使いつつ、そういうとこは上手いですよね。
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比べてしまうと… (庵主)
2009-12-23 20:41:29
SFurrowさん

>軍人になっても真之はどこか少年時代のままのケンカに強いガキ大将ぽいものがあったと思うのですけど、それが徹底的に打ち破られる

あの、水兵を集めて豆を振舞う場面なんかまさにそうだと思うんですが、打ち破られ方が尋常でなく、胸に迫ってしまいましたよね。
ガキ大将でやんちゃなようでいて、本当はとても繊細で脆いという、真之自身が自分の本質に気付く場面でもあったと思います。

>兼続が初めて戦を体験してこのような形でショックを受けるという展開だったらとても共感できたのに

いやーん、思い出しちゃった、くらやみスポットライト(笑)。
総集編やってますよ…。いまさら誰が見るんでしょうか(笑)。
ま、例の「いざ初陣」場面とくらべても、ホント嫌味みたいでしたよね。今週は、ほかにも2,3、天地人と比べさせてしまうような場面(紅葉とか)ありましたけど。
なにかNHKのなかでも派閥抗争みたいなのあるのかしら、なんて想像してしまったりなんかして(笑)
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贅沢~~ (庵主)
2009-12-23 20:48:17
Nancyさん

>好古の豪快さにしびれ、さらにそれに続く謙さんのナレーションにしびれました。

あそこはよかったですよね! なんか、渡辺謙さんが好古と一体化したような感じがしましたよ。
それにしても豪快で、これをテレビでみるなんて、ほんと贅沢~~、とか思ってしまって。映画館でお金払って見たっていいのに。
うちも「天地人」やってるときにテレビ替えたんですが、よかったと思います。
CGももちろん駆使しているんですが、さきのドラマのように「どうだCGすごいぞ」みたいな、ヘンな感じもしなくて。ほとんど気にならないのは、技術のせいというより、人間ドラマのほうに注目できるからなんだと思いますよね。

子規の描写も地味だけど素晴らしいですよね。今週は、あの紅葉の場面がすごく良くて、戦場場面だけじゃなくて、これもきれいな画面でみられてよかったと思いました、はい。
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反戦の視点から (庵主)
2009-12-23 20:57:47
みさきさん

>子規の従軍時の光景は、あれは日本軍を「悪」と描いたというより、戦争による弱者の現実を描いただけかとも思いました。

そうですね~、子規の従軍は、原作にたしかにあるんですけど、あんなコテコテの感じじゃなかったし…。
まあ、ああいうのは逆に、フラットな描き方で正解なんじゃないでしょうかね。あるていど反戦視点をいれておかないと、単純に翼賛だと誤解される部分もあると思いますし。長い目でみればそうじゃないですが、見る人がみんな長い目でドラマをみるとは限らないですから。
わたしはあの場面、一種の「免責用」だと割り切ってみましたけど、でも、森鴎外を出したかった、というのも確かに(笑)。
榎木さんの鴎外がカッコよかったので、単純に満足です。

>人間の成長を描くドラマってこういうのを言うんだよねえ

はい。
そして、大河ドラマというのは人間の成長を描くドラマなんでアル、というのもつくづく思いました。なんか、1年位ぶりに思い出した気がします(笑)
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痛みと説得力と (庵主)
2009-12-23 21:09:48
猫八百さん

座っている座布団、ね。興味深いです。
なんか、11ヶ月も、いいかげんなフカフカしたものを見せられてたせいで、なにかすごーくドッシリした、強力なものに足を掴まれているような感じがしてますが(笑)。

今週は開戦場面の凄惨さが強烈でしたけど、実際に甲板に落ちている骨片や肉片まで見せてましたけど、そういうのが無駄なグロ趣味にみえなかったのは、やはり見ているほうも痛みを共有してたからなんでしょうかしらね。
東郷のセリフも説得力を持つってもんだと思います。

結局のところ、大河ドラマにおける説得力やリアリティというのは、そういう触感やリアルな心の痛みみたいなものの、積み重ねの上に宿るんじゃないかな~、などと思ったりしました、はい。
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