湯原修一の歓喜悦慶と聊かの慷慨憂愁, etc.

いつとはなしに眠りにおち微風を禿頭に感じて目が覚める。
このような生活に変わったらブログが更新されないかもしれません。

◇ 土佐藩出身と熊本藩出身の方々(銅像)

2016年02月02日 23時18分09秒 | 日常・その他
先日、美術館を出て携帯電話ショップへ向かっているとき、
通りすがりに自転車を降りて撮ったものです。

熊本城の東側、
道を挟んでお城に隣接した「高橋公園緑地」にある銅像です。

 

先月の拙ブログ記事(西南の役で籠城家族が避難した所_2016.1.18)の中に
名前がでてきた「谷干城(タニタテキ)」さんの銅像です。

説明文をドウゾう。(スミマセンね)


谷干城さんは
明治初期にあって "近代化" の意味を理解した数少ない日本人の一人で、
対外武力進出に頼らないで日本の近代化の道を追求しようとした人物であった、
といわれています。
 
 足尾鉱毒事件への対応をみても
 お上目線のクールな言動をした「福澤○吉」さんに対して、
 被害者の立場にたった徳政を訴えた谷干城さん。
 
 外征主義の「山縣○朋」さんに対して、
 専守防衛の陸軍にしようと考えていた谷干城さん。
  谷干城さんは軍閥のドンで暴力的支配者であった山縣○朋さんに
  退けられてしまいます。

 ちなみに、山縣○朋さんは○倍首相と同じく○州出身です。
 C○Aの手先であったことが暴露された(*)○元首相や
 おっしゃることは勇ましい安○首相 ・・・
  "誰か" のための富国強兵を進めた長○政治は
  亡霊になって時々蘇っているような気がします。

  ※決して長○藩(山口県)が嫌い、ということではありません。
    夏みかんの萩など、何度か訪れています。


   * : ニューヨーク・タイムズ紙のピュリッツアー賞受賞記者
      ティム・ワイナーさんの著書「灰の遺産 CI○の歴史」の中で


谷干城さんの銅像の直ぐ近くに
「維新の十傑」の一人といわれる「横井小楠(ヨコイショウナン)」さんたちの銅像もあります。

  ※中央が横井小楠さんで、レリーフの6名は横井小楠さんの弟子の方々です。
    (右端にある「山田武甫」さんのものは写っていません) 
  ※左端に立っているのが「坂本竜馬」さんです




土佐藩出身の谷干城さんは上士でしたが、
同じ土佐藩下士出身であった坂本竜馬さんを大変尊敬されていたそうです。

  谷干城さんは竜馬暗殺犯を生涯かけて追いかけられたそうです。
  新撰組局長「近藤勇」さん処刑の際に武士の名誉の "切腹" ではなく
  "斬首・さらし首" にしたのは、谷干城さんにとって敵討ちの意味が
  あったからと云われています。

  ※奇しくも異郷の地熊本の同じ公園内に
    二人の銅像が台座を別にして隣同士で建っていますが、
    因縁を感じさせてくれます。
    (尊敬されていた坂本竜馬さんのほうが見下ろされていますが ・・・)


「高橋公園緑地」の場所