湯原修一の歓喜悦慶と聊かの慷慨憂愁, etc.

いつとはなしに眠りにおち微風を禿頭に感じて目が覚める。
このような生活に変わったらブログが更新されないかもしれません。

◇ マラソン五輪代表になれなかった松野明美さんが

2016年02月21日 23時46分53秒 | 日常・その他
熊本市中心部の一般道がコースの大部分となる
「熊本城マラソン2016」が開催されました。
フルマラソンに約12,000人、4kmに約1,500人が参加されたそうです。

   ※昨年は沿道で応援した私ですが、
     このところジョギングをトントさぼっており、
     TVでの観戦もしませんでした ・・・。


先ほど、大会事務局のWebサイトをみてみると
女子フルマラソンの結果(速報)が載っており、
「松野明美」さんの名前がありました。

  3時間8分6秒で第6位(入賞)となっていました。

   ※ちなみに、前回大会では3時間を切る第3位だったそうです。


松野明美さんの名前を憶えておいででしょうか?
バルセロナオリンピック(1992年)の女子マラソン代表選考にあたり、
地元熊本で記者会見を開き「私を選んでください」と訴えた方です。
結果、落選され(有森さんが選出され、松野さんは補欠にも選ばれず)、
以後、精神的にもダメージを受けられたのか(?)、
代表選考レースのときの記録を上回ることはなく、
目標であり念願であったマラソン五輪代表に一度も選ばれることなく、
失意にまま引退されています。


人生、悲喜交交、紆余曲折。

現在、松野明美さんは熊本県会議員になられています。

タラ・レバのことを言っても詮無いことではありますが、
もしあのときオリンピック代表に選ばれていたら
現在どのような人生を歩まれていたのでしょうか?

選ばれていたら
オリンピックのメダルを獲得されていたかもしれません。
しかし
 同郷の優しい夫と結婚されることは無かったでしょう。
 障害をもった次男(健太郎さん)が産まれることも無かったでしょうし、
 「いちばんじゃなくて、いいんだね」という本を出版されることも、
 県会議員になられることも無かったでしょう。 

 現在は県会議員としての活動はもとより、
 マラソンや子育ての経験をもとに、
 講演、タレント、ゲストランナーなど幅広く活動されているそうです。
 
 "一番ではなかった" 今日の完走後の笑顔を見ても、
 あの騒動後の頃よりも元気に前を向いて進んでおられるようです。

   私には窺い知れないご苦労が沢山おありかと思いますが、
   これからも持ち前の明るさで(早口でなくてもいいですが)、
   親子4人で仲良く楽しく暮らしていただきたいと思います。


  「人間万事塞翁が馬」
  「禍福は糾える縄の如し」 
                 (少し違うかも)