湯原修一の歓喜悦慶と聊かの慷慨憂愁, etc.

いつとはなしに眠りにおち微風を禿頭に感じて目が覚める。
このような生活に変わったらブログが更新されないかもしれません。

◇ 聖母の慈愛に見守られて育った幼少の頃の私

2015年07月23日 23時22分37秒 | 昔々の思い出
今日7月23日は
「加藤清正」さんの菩提寺である肥後本妙寺(*)で「頓写会(トンシャエ)」ありました。
昔から続いている熊本市の夏の風物詩の一つでもあります。

    * : 本妙寺のことについては
       明日の拙ブログに載せる予定です。

本妙寺は家から直線距離で約1.2kmの近さです。
普段は通らない狭い曲がりくねった道を行くことになりますので、
道程は2km以上になるかもしれません。

その途中で懐かしい場所を通ります。
今から60年ほど前、私が幼児のときに通った「聖母愛児幼稚園」の辺りです。

  ハナタレ小便小僧の悪ゴロであった私には似合わない幼稚園名ですが、
  そこで、聖母の像や絵、青い瞳の園長先生(たぶん "ステラ" という名前ではなかった)、
  白いベール(という名称?)のシスターたちの慈愛に見守られながら育ちました。
 
   ※悪さばかりしていたと思いますので、
    "見守られながら" ではなく、"叱られながら" が正しいかもしれません。

幼稚園を囲むような形で、
「マリアの宣教者フランシスコ修道会」の教会や修道院、
同修道会が創設した病院「慈恵病院」などがありました。

今の教会です。


   私が園児だったころは
   このようなモダンなものでなく、オーソドックスな形をしていました。
   小さなバラ窓もあったと思います。

   木でつくられた玩具の箱車に乗って
   この坂(当時は舗装されていない)を下って遊んでいたことを憶えています。

  右奥の小高い丘の上に修道院の木造りの建物が何棟かあったはずですが、
  入ってはいけない禁制の場所でした。

教会に向かって右側に建っている「慈恵病院」にある聖母子像です。


  「赤ちゃんポスト」(**)という名でテレビで何度も取り上げられ
  論議を巻き起こしたこともあるのでご存じの方も多いかとおもいますが、
  この病院に「こうのとりの ゆりかご」があります。
  全国では唯一、この「慈恵病院」さんだけの取り組みです。

     ** : "ポスト" という呼び方は不適切ではないかと思っています。
   
「こうのとりの ゆりかご」は同病院の産科棟に設けられています。

   ※産科棟は「マリア館」という名称で、
      妊婦さんの気持ちを癒してくれそうな外観・内装です。

「マリア館」にも聖母子像があります。

   ※本館にあるものと同じポーズのようです。

「こうのとりの ゆりかご」の入り口です。


   博愛精神に富んだ「慈恵病院」さんでは
    望まない妊娠により悩みを抱えている人のための相談窓口も開設されています。
    電話・メールでの24時間受付で、相談は無料です。


「マリア館」の斜め向かいにある「聖母愛児幼稚園」です。

   ※昔あった場所から移動しています。
    私の頃は、現在の慈恵病院本館のところに幼稚園、
     幼稚園のところに病院があったはずです。


   ※ここにも聖母子像があります。
     病院にあるものとは少しポーズが違います。

   園児が数名、楽しそうに虫取りをしていました。
   子供は残酷な事をしかねません。(私も身に覚えがあります)
   そんなことをしそうなときは、
   どうかマリア様、優しく叱ってやってください。

別の場所から撮ったところです。

   園庭は広く、
   写っていないところに、フィールド・アスレチックのようなものや、
   狭いながらも屋外プールがあります。

私が通っていた頃にあった建物・施設は一つも残っていないようです。
私の時代の園舎は古い小学校のような木造2階建て(屋根裏部屋有(?))で
ガラス窓部分が広く、真っ白い板壁でした。

 この「聖母愛児幼稚園」は送迎バスがありません。
 自動車自体があまり走っていなかった私の頃も、もちろんそうでした。

 「毎日お母さん達の目で園の雰囲気や子ども達の様子を見てほしいから」
  という考え方からだそうです。
    幼子(オサナゴ)イエスを見守る聖母の目で ・・・、 ということでしょうか。

 
  顔に似合わない仁愛に満ちた私の心根は、
  このマリア様や優しい方々に囲まれた幼少の頃の環境で
  育まれたものかもしれません。

    - 最後の3行はジョークととっていただいて結構です -