甲州・旧「松里」村を辿って見ると、これほど郷愁を覚える
里山歩きは少ない!特に「武士原」の里は、車を置いて、
時間を掛けても”歩く”ことが”ポイント”です。
今号は、平安時代以降、立地的主要地となった三日市場
は、「仏師原」(現塩山・武士原)を紹介します・・・!
「三日市場」の「武士原」旧秩父往還古道沿いにある
「松尾山常泉寺」には、”聖徳太子”の立ち寄り伝説が。
甲斐国には、現甲州市、山梨市の”3寺”に伝わる!?
注)聖徳太子が立寄った伝説は、富士山頂飛来後、帰路、甲斐3寺に
立ち寄りが伝えられている。
富士山へ”甲斐の黒駒”で8合目に駆け上り、その後、飛び降りた処が、
①勝沼の杉之坊「等々力山万福寺」※境内に黒駒の蹄跡の大石がある。
②「松尾山常泉寺」境内には、太子橋、お休みになった腰掛石がある。
その後、③山梨市正徳にある「聖徳寺」(※現臨済宗)に立ち寄って、
三日間で、信州を経て「飛鳥の都」に戻ると言う話は有名である。
注)帰路の途中で亡くなって、”白鳥”に化身された話などもある。
聖徳寺の後の記述文献はないが、興味深くも解けない伝説であった。
注)前号で紹介した「縁瑞寺」や「正林寺」が創建年暦(縁瑞寺創建
は平安時代寿永年間、正林寺は建久年間(安田義定の時代)と古いが!
聖徳太子が立ち寄ったと伝わるのは、もしかしたら、
飛鳥時代に遡りその地に縁があったのかも知れない!?
仏師原(現甲州市塩山字武士原)の歴史上の要衝にあった「松尾山常泉寺」!
中門の扁額は「至徳風」。※細川行信大谷大学名誉教授筆。
扁額の「至徳風」は「至徳(しとく)の風 静かに衆渦(しゅか)の波転ず」
と云う親鸞聖人の主書「教行信証」(行巻)にあるお言葉です。
親鸞聖人は、皆が救われる境地を求めて修行されたが、29才の建仁
元年(1201)、法然上人が信じ説かれていた阿弥陀仏の本願の教え
を悟られ、自力往生の修行の道から、阿弥陀仏の大慈悲の本願に身
を任せる他力往生の道へ回心(えしん=心の変化)されたと云う。
「阿弥陀仏」を唱える他力往生への教えで、真宗の本願となるお言葉。
「至徳の風」は、この上ない優れた徳の風とも例えられ、「衆渦の波」は、
人間の煩悩生活から救い、静かに救いの世界へと至らせてくれると・・・、
述べられている。真宗の「心の教え」のお言葉である。※光華女子学園の言葉より。
中門を入ると「太子橋」、「腰掛石」の聖徳太子お立ち寄りの旧蹟がある・・・。
今は標識のみが目立つが、真宗大谷派「松尾山常泉寺」の寺伝や
ネット検索文献では、聖徳太子が愛馬「甲斐の黒駒」に乗り、調子麿
を従えて、富士山頂へ飛来した折り、帰路、当寺の地へ立ち寄られ、
お休みになられた二つの旧蹟として伝えられている。
注)時代考証は異なり、その地に常泉寺が創建されたと云う事になる!
「常泉寺」の創建は、寺伝によると、応安3年(1370)頃、了源法印が・・・、
「松尾山安平寺」として建立したことが始まりで、文明年中(1469~1487)
に火災被害にあったが、天文年中(1532~1555)に浄念法師が再興し、
真宗(=現大谷派)となり、寺号も「松尾山常泉寺」と改名になった。
また、文久2年(1862)~明治5年(1872)迄”寺子屋”が開かれていた。
現住により、常泉寺寺子屋「武士原塾」が復興され、地域の活性化を願って
仏師原(乙川戸)の古文献等図書を集め武士原の源点を学んでおられ、
必ずや活性化に生かして欲しいものと、地域の力を結集して続けて欲しい。
注)前号で紹介の「縁瑞寺」は同じ山号の「松尾山縁瑞寺」であったので、
不思議に思い「常泉寺」の現住に尋ねると「縁瑞寺」は、常泉寺高祖の
隠居寺であったと云う証しが出て来たと伺う。
なるほど・・・、その後慶長11年(1606)、乙川戸の地に「縁瑞寺」が移転して
来たのだ!同じ山号の寺院は珍しいことだが、それで納得しました。
「常泉寺」境内の「太子堂」には、「聖徳太子像」が安置されている。
常泉寺の「聖徳太子像」は、とても穏やかで美しい・・・!
「父、用明天皇の病気回復を祈願したお姿(像)・・・」が、心を打つ!
注)聖徳太子「富士山飛来伝説」は有名な話であるが、要約すると・・・、
推古天皇(推古2年頃)の御代、日本各地から名馬が集められ、それとは
別に「献上馬」として贈られた馬があった。全身真っ黒で、四つ足は真っ白
と云う際立つ馬”甲斐の黒駒”で、注目の馬であった。
太子(厩戸皇子)は、この馬を特に気に入り、自分の馬に選び、調子麿
(=調使麿とも書く)に命じて、調教させたと云う。※調子麿は万福寺の創建もあり。
太子自らも仏像を礼拝し、法華経を唱えて愛馬の調教を祈願した。
その甲斐あって「新しい国の礎は、仏教を以てす」と唱えるに至り、太子
は国見に出掛けることになった。黒駒の試乗の機会到来となって、太子
は「三日で日本の視察を済ます」と言って、黒駒に乗ると、白い四つ足の
元から雲が湧き、たちまち雲に浮かんで衆人皆驚く中を東方に向かって
空を駆け去ったとある。注)聖徳太子の富士登山|山梨デザインアーカイブ参照。
その後、富士山8合目辺り(現太子堂辺り)に降りて、こぶ山が「駒ヶ岳」
と呼ばれるようになったようです。
※現在は8合目にその伝説の名を継いで「太子堂」と呼ばれる「山小屋」
があり、特に冨士講の盛んな時代より、現在も栄えている。
※筆者も70才記念で富士登山の経験もあるが・・・、八合目の「太子堂」
は、富士山頂を目指すのに、丁度良い立地にあると思っている。
筆者は「聖徳太子伝暦」に基づいて、その富士山頂より帰路ルートを追跡
したことがあるが、驚いたのは甲州市勝沼に①杉之坊「等々力山万福寺」
があるが、その地にある大きな岩の上に蹄の跡が残ると伝わる「馬蹄石」
がある。これを推理すると「山頂から黒駒でここまで飛び降りた」と云うこと
だ。その後、②三日市場の現「常泉寺」の地へ飛び、立寄り休息したとなる。
その後は現山梨市になるが、正徳にある③「聖徳寺」に立ち寄った後は、
不明であったが、信濃を経て三日目に帰ったようです。
または途中で病死、白鳥に化身したと言う説もあり、聖徳太子伝説ロマンは
多彩にあって・・・素人では語れない。
注)往時の筆者考察では、浄土真宗や真宗の普及が盛んな頃、聖徳太子
の仏教思想による政治が根幹となり、特に「甲斐国の黒駒」が全国的に
評価され始めた時代の「黒駒」として、後世、仏教伝播に利用された物語!
往古、創建時には天台宗寺院で要衝立地として寺院(砦)配置された!?
41「仏師原塁址」はこの竹藪の中で発掘された!
注)現在はヤブの中にあるので、踏査は省略しています。
塩山市誌第5節近世の遺跡第1章考古資料41によると・・・、
所在地は、字仏師原の真宗大谷派松尾山常泉寺境内を中心に展開とある。
標高は420m~430m・・・、「甲斐国志」によれば、当初は天台宗の寺院として
応安中に創建され、松尾山安平寺と号したが、文禄年間に僧浄念によって再興
され、浄土真宗に改められたと云う。安平寺については、網野新右衛門にあてた
徳川家康の印判状の中に「安平寺五貫文」と見え、北隣の網野新右衛門宅と
の濃い関係が伺える。※塩山市史より。
注)前号で概要を紹介したが、網野新右衛門屋敷、網野家宅とともに、
「山梨の城郭址」に比定されていて、往時の”地域領主”の重要な役割分担
を担っていたようだ。
遺構は、幅1~2m、長さ61m程の土塁が南北に延びている。
往時はその土塁がさらに北へ延びていたと云われる。
常泉寺の北を画する東西方向の境域に接していた可能性もあると云う。
水路も網野家屋敷を経て、引き入れており、両者の関係が伺えると記す。
若く素敵でお洒落なお客には、立地、施設環境とも
高級で静かな旅館「別邸坐忘」の雰囲気は、抜群だ!
後期高齢の筆者には、縁がないが・・・!?
名前が気に入った「別邸坐忘」の全景の雰囲気!
「坐忘」とは、~静座し、現前の世界を忘れ、雑念を除くこと~。
臨済宗「乾徳山恵林寺」黒門の扁額「雑華世界=ざかせかい」の意に
似ている!「小道の先の庭園に佇む別邸・離れ・・・。」
HPのキャッチフレーズの通りの雰囲気である。
詳しくはhttp://www.fuefukigawaonsen.com/でご覧下さい。
塩山三日市場字武士原にあり、静かに一人でも休みたい高級温泉宿とし
て・・・、ここに紹介した。
筆者も移住10年を経て、「坐忘」が、三日市場域とは初めて知った次第。
三日市場の隠れ宿:「別邸坐忘」の雰囲気!眼前に「笛吹川の清流」が・・・!
四季の草花と自然が楽しめる!笛吹川温泉の露天風呂は素晴らしい。
移住して直ぐ、今はない”そば丸”が気に入って、家内としばしば通ったが、
その時、一度尋ねて温泉に入れて貰ったことがあるが、その後は、会席
に変わり、”そば丸”は、恵林寺の先藤木に移転したため、美味しい手打ち
ソバを食べに行ったことはあるも、この「別邸坐忘」には足が遠のている。
どうも、高級旅館は苦手になったこともあるが・・・!
三日市場にあるお洒落な「東亜利根ボーリング塩山工場」
三日市場にあるモダンな「(株)東亜利根ボーリング塩山工場」の社屋。
本社創業は1917年5月、神戸市で初代「塩田岩治」が「塩田商店」を
再開した年を創業としている。1937年高尾山麓に技工養成所を設立、
1989年、温泉発掘用リゾート21を開発、温泉ブームで大きくなり、
1993年塩山工場を竣工。ボーリングの新機材を次々に開発して成長。
2017年に至り「創業100周年展示会」を開催。2020年にはコロナ渦
の影響を受け、海外に広げた事業が衰退、現在、異業種と同様に苦戦
をされているようだが、是非、頑張って欲しいもの!
源泉掛け流しの「別邸坐忘」はこの右側崖の下にあり、ここにも温泉が湧く!
「東亜利根ボーリング塩山工場」のある三日市場は、働く人の環境は
抜群!また、この地には源泉が湧き出ている!
武士原地域のある有力者が中心になって、旧秩父往還を歩いて貰おう
と、「足湯ブーム」の頃、工場長に協力を申し出て了解を得、甲州市役所
に支援を申し出たが、支援・協力は得られず、念願叶わず頓挫している
と伺う。時代の進化と共にまた次のアイデアが生まれてくる可能性もあり。
散策路としては、恵まれた資源があるが、歩く人が居ないと実現は難しそう!
高齢の筆者は、軽スポーツ自転車に乗って尋ねるが、歩く人に出あったこと
がないが・・・。陣屋街道や旧秩父往還古道を先ず多くの地域の人が、健康を
兼ねて、楽しく歩くことが先決ではないだろうか!?
足湯だけでは説得力が足りないようです!頑張って欲しいです。
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