新甲州人が探訪する山梨の魅力再発見!

東京から移住して”新甲州人”になった元観光のプロが探訪する”山梨の魅力再発見!”
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甲州市、旧「松里」村を辿る④美しい”藤木”の里と花の放光寺散策! 20-05

2020-05-01 | 山梨、里山の美しい四季!

「松里」は、現甲州市塩山小屋敷の「松尾神社」が「松里」の語源になって

いるようだと紹介しましたが、「松里」の中枢としてあの夢想国師が開山した

「乾徳山恵林寺」が、今に栄えて「松里」の名を守っている・・・!

その地続きに塩山藤木地域があり、そこにあの甲斐源氏安田義定が菩提寺

として開基した「高橋山放光寺」があるが、ブログバックナンバー「安田義定

ゆかりの””牧ノ庄”を辿る」で紹介をしているので、詳しくは省略します。

今号5月号④は、美しい花の里「藤木」をテーマにして紹介してみます!


恵林寺の裏道から放光寺への路は、まるで「京の哲学の道」のような長閑な道だ!

まさに「花の放光寺」に相応しい「高橋山放光寺」への道沿いの溝の流れには・・・、

まるで飲めそうな清流が豊富に流れている!車も殆どなく、考えながら歩ける道!


放光寺鐘楼堂の上から覗くと、”花の放光寺”と呼ばれる由縁がわかる!


橋山放光寺」は、毎春、花桃と山吹が満開の頃、多くの観光客が訪れる!


毎年、爛漫に咲く花桃と山吹の共演は、鐘楼堂に惹かれて荘厳の古刹へ誘う!


真言宗智山派「高橋山放光寺」の「総門」から「仁王門」迄の参道は美しい!

放光寺略縁起には、次のように解説されている!

平安時代末期元暦元年(1184)、甲斐源氏新羅三郎の孫、安田遠江守義定創立。

開山は賀賢上人である。初めは大菩薩峠の山麓一ノ瀬高橋に建立されたが、義定

この地に移し、安田一門の菩提寺とした。安田一門の悲劇を産んで以来、武田氏

護持を受け、特に武田信玄は祈願所に定め寺領を寄進した。

天正10年(1582)織田勢の兵火を被って一山悉く無に帰したが、徳川氏の保護を

受け寛文年間義定の直子孫保田若狭守宗雪が中興開基となり現在の基礎をなした。

往古は、塔頭12坊、末派多数を有し、真言宗の甲斐国談林七ケ寺に数えられ、

、また修験道の根本道場であった。

延宝年間山城国醍醐寺報恩院末になり、明治27年に現在の真言宗智山派総本山

智積院末となる。当山には、義定が京洛より将来した平安時代の仏像大日如来像、

天弓愛染明王像、不動明王像、鎌倉時代の金剛力士像など什宝を伝える。

平成10年12月吉日 高橋山放光寺 32世俊元謹書を参照して紹介した!


恵林寺山(別名、扇山)の山麓を通る”フルーツライン”は、風景を楽しめる道!

最近であるが、誰か専門家の発見で、この恵林寺山の頂上に武田家の砦があった

ではないかと話題になったが、何も残されていないと云うか、人々に忘れられた。

しかし、ありえる話だ!扇山(恵林寺山)は、面積は280町歩とか言われている。

南側から眺めた山の形が扇型をしているので「扇山」と言うのか、明治時代は、

松、杉、檜等の大樹が鬱蒼と茂っていて、この付近では富んだ美林の山であった。

明治38年2月11日、恵林寺の不慮の火災で、本堂、庫裏、仏殿等悉く焼失した際、

再建された現在の恵林寺の大伽藍の建築用材は全て扇山から切り出したものである。

・・・と「松里のむかしばなし」にも書かれている。機会あれば読んで見られるとベター。


八坂神社、(牛頭天王、通称お天王さん)は、恵林寺山の山麓に祀られる!

甲州市塩山藤木の恵林寺山山麓に八坂神社(牛頭天王、通称お天王さん)がある。

毎年、7月23日に祭典がある。※日の丸のある写真は、その祭典前の写真です。

※注)祭典は、平成5年より直前の日曜日に実施されていると云う。

神社のある藤木から、小屋敷を経て三日市場の天王宿まで神輿の渡御をした。

昔は三日市場上にあった真言宗放光寺末寺天王山竜海寺で休息した上、天王宿

まで渡御したものだが、竜海寺は火災で焼失したものだから、寺跡にある道祖神を

休息所にしている。

昔、ある夏、炎天が続き、疫病が流行し、死者も続出、農作物も被害を受けて、

難儀をしている時白衣の行者が竜海寺に住職を訪ねて、疫病のこと、農作物の

被害のことを聞き「それは、その山にいる疫病神の仕業に違いないと・・・」、一心

祈祷を始めるやすぐさま、疫病神は恵林寺山の麓に消えたと伝わる。

不思議にも、その異変が納まって間もなく、あれほど流行した疫病は治まり、

そして、農作物も蘇ったと云う。

「これは、あの行者さまのお陰」と村人達は、恵林寺山の麓に龍神さまを祀った。

これが”お天王さん”であると云う。

八坂神社の境内には、樹齢三百有余年以上の古木の”江戸彼岸桜”がある。

甲州市指定天然記念物となっていると云う。※参照「松里のむかしばなし」等。


国登録有形文化財「旧武藤酒造 母屋米蔵」、旧松里時代には全盛期!?

安政4年(1857)建築。

江戸後期から昭和16年まで酒造りを営む。中庭を囲むように「ロ」の字型に

並んでいた酒蔵や米蔵の多くは今は失われているが、現存する建物は当時の

面影をよく伝えている。桁行十二間半、梁行五間、大土間に一辺58cmの大黒柱

が大屋根の棟まで届く。平成16年文化庁の登録有形文化財に指定。

笛吹川芸術文庫と、解説はよく分かるように木版に手書き文字で書かれている。


恵林寺裏道から放光寺へ向かう散策路沿いに、現役の「西藤木の水車小屋」!

この「西藤木の水車」小屋は現役で今も”藤木”の里人が米の精米等に使っている!

とても・・・、絵になる”風情ある風景”である!


放光寺への道ばたに咲く”花ダイコン”!

この散策路には花ダイコンや野花が、農家の庭先や畑には、一杯咲いている!

花ダイコンは、諸葛采(しょかっさい)、紫花菜(むらさきはなな)、大紫羅欄花

(おおあらせいとう)とも言い、油菜(アブラナ)科、中国原産、江戸時代に渡来。

この風景は人工的な都会の町並みでは見ることができない癒やしの風景である!


何気なく、畑の隅に植えられたチューリップも開きぎみだが、余りに美しい色だ!


オシロイバナ」も、藤木の散策では畑のあちこちで楽しめる綺麗な雑草だ!

オシロイバナ(白粉花、白粧花、学名Mirabilis jalapa )とは、オシロイバナ科の

多年草または一年草である。南アメリカ産で江戸時代の始めに渡来と言われる。

都会では観賞用の野花でもあるが、ここ「松里」には広く野生化もしている。

農家によっては畑に生える雑草で、面倒な雑草かも知れないが綺麗ですね!


彼岸花」もあちこちに、美しく咲く「藤木の里」!

開花時期は異なるも・・・、この「彼岸花」も遊歩に飽きない松里「藤木の里」を歩くと、

あちこちに見られる!※藤木をカメラを持って歩いた時の写真の一枚を載せました。


藤木の里では、畑にこんな小さな花が咲いていた!何と、小豆の花だった!?

小豆(あずき)の花なんて筆者は初めて見た。可愛いですね!大好きな餡のもと

になる豆の花とは驚きです!豆腐を作る大豆(だいず)は、花が淡い紫色だと云う

ことも知りました。「松里」藤木の里を歩くと、春も秋の花もいろいろ教えてくれます!


松里」は銘品「枯露柿」の産地として有名だが、渋柿群の中で甘柿が育った!

果実は10年前になるが、この柿は、恵林寺・一休庵の女将が由縁の藤木の柿畑

なった突然変異の甘柿である!「名前はまだない」が、とても見事な柿実で・・・、

とても甘く、奈良の柿に詳しい機関にも調べてもらったが分からなかった。

新しい銘品の種果であると思われる・・・!?

②③で紹介した恵林寺・一休庵の女将由縁の畑でできた見事な柿は、枯露柿の

ために作られている甲州百目柿(渋柿)の畑の中にある柿樹の一本だけが、何らか

の突然変異でできた柿の品種と考えられ、多くの渋柿の中で唯一一本だけが・・・、

とても甘い柿”に育っている。また食べて見たいものです・・・!

実名は農家のベテランでも未知。筆者は運良く収穫された年に試食させてもらったが、

現在、改良の甘柿や有名な富有柿と比べても、形や味も劣らず、数個しか出来ない

年もあり、残念ながらまだ商品化には及ばない。

※秋には、恵林寺の一休庵で@300円~で、1個だけでも試食できるかもしれない!


「まだ名前の無い甘柿」は、一休庵の女将由縁の藤木の畑に突然変異で育った実!

大きさは、岐阜の富有柿に似ているが、形がいかにも「武田花菱」に似ているので

筆者は因縁を感じている。筆者は仮称「武田花菱」と呼んでいるが命名して欲しい

と願っています。もし専門家で造詣が深い方がおられたら、教えて下さい。

※この柿は、「恵林寺・一休庵」の女将由縁の藤木の畑で育ったものです。


藤木の町田家の「枯露柿」づくりの風景!農家の柿棚造りの特徴はあるが・・・、

注)この枯露柿造りの棚は、同じ藤木ですが別の町田某家の庭先で撮影したもの!

晩秋(11月中旬)になると松里の銘品「枯露柿」造りの風景があちこちで見られる!


藤木の里」の散策は柿畑の向こうに恵林寺の山号になった乾徳山が聳える!

恵林寺の駐車場裏側や、放光寺鐘楼堂の道を牧丘方面に下った道沿いには、

松里の誇る柿畑を前景に、尖鋭の乾徳山が背景に望める風景があった!


藤木の散策の途中で、こんな風景も楽しんだ!

今放映中のNHK朝ドラの「キリン」に、冠雪の富士山が乗っているような姿を想像!


美味しそうなもの、美しい花もの・・・、”探す楽しみ”のある「松里」の散策である。

新型コロナ問題が落ち着いたら、ぜひ歩く時間を取って”散策”を楽しんで見て下さい。


 



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