スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

ムハンマド風刺画騒動、再び?

2008-02-14 07:10:04 | スウェーデン・その他の社会
デンマークのムハンマド風刺画が再び話題になっている。

2005年から2006年に掛けてヨーロッパと中東を騒がせた「ムハンマド風刺画」だが、これを書いた数人の作家のうちの一人の殺害計画がデンマーク警察によって暴かれたのだった。逮捕されたのはモロッコ出身のデンマーク人と、チュニジア人2人の合わせて3人。

この逮捕に呼応して、デンマークの17の新聞が「表現の自由」を擁護するマニフェストとして、再びムハンマド風刺画を掲載した(スウェーデン南部の1紙も)。場合によっては、再び騒動に発展する可能性もあるようだ。


風刺画騒動の発端となったJyllands-Postenの記事。特に右の風刺画が反感を買った。

この記事の全体:Jyllands-Posten(ユランズ・ポステン):「ムハンマドの顔(Muhammeds ansigt)」

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デンマーク発の「ムハンマド風刺画」騒動は以前ここでも触れた。また、昨年はスウェーデン発の「風刺画騒動」も起きたが、この時は騒動の拡大が幸いにも未然に防がれた。

<以前の書き込み>
2007-09-07:ムハンマド論争、今度はスウェーデンで・・・(1)
2007-09-09:ムハンマド論争、今度はスウェーデンで・・・(2)
2007-09-12:ムハンマド論争、今度はスウェーデンで・・・(3)
2007-09-17:風刺画の作者殺害に懸賞金

この問題は、欧米(そして日本も!)の民主主義が依拠している言論・表現の自由と、それが理解できないイスラム社会との“文明の対立”として解釈されることが多いようだが、私はむしろ ①言論・表現の自由②他文化に対する敬意や尊重、配慮 とのバランスの取り方、という実はもっと単純なことに着目すべきではないか、と思ってきた。

つまり、私は言論・表現の自由は、一人ひとりの個人が社会の中で自分の権利を守るために必要なものだと思うから、これはしっかり擁護すべきだということは認める。それに、デンマークやスウェーデンでの騒動の際に、イスラム教関係者がそれぞれの政府に抗議を行い、宗教の冒涜を公権力によって罰するよう要求したが、これは言論・表現の自由に基づく両国にとって到底受け入れられるものではない。

しかし、言論・表現の自由があるからといって、何を書いてもよい、芸術の名の下に何を表現してもよい、というわけではないと思う。他人を不愉快にしたり、傷つけたりするような配慮に欠けた発言・表現をしたところで、警察や公権力が介入して罰するわけでないが、様々な人との共生で成り立っているこの社会に生きていく上でのマナーや倫理には反している。他文化に対する配慮は、様々な民族や文化的・宗教的背景を持つ人々から成っている欧米社会では、特に気を付けなければならないことだ。相手がイスラム教徒であるから、何を言っても構わない、というのでは、理解想像力に欠けているのではないだろうか?

この騒動を果たして“文明の対立”という大袈裟な形で捉えるべきなのか疑問だ。むしろ、基本的な配慮が欠けていたことを問題視すべきではないかと思う。“文明の対立”という大きな捉え方をしようとする「急進派」は中東にもデンマークにもいる(つまり、イスラム過激派やデンマークの民族主義勢力など)が、この側面を必要以上に強調することで、政治的な人気を得ようとしている点も見逃してはならないと思う。

「これは人種差別。これは反ユダヤ的。これは表現の自由。」

写真の出展:Catholic Voice

P.S.
日本でも他者に対する配慮を欠いた発言は、人々の心を傷つけ、批判を受けることは、最近の例を見れば明らかだと思う。同様に、ネット上でも他人を嘲笑ったり、誹謗中傷するようなことを平気で書くのは御法度であるべきだ。

芸能人や有名人が軽はずみな発言をしたことに対し、本人のブログに批判が殺到することを「ネット炎上」と呼ぶらしいけど、批判を書く側も自分がネット上の様々な場所で同じように配慮を欠いた発言や人を不快にする中傷をしていないか、振り返ってしっかり考えてみる必要がある。芸能人や有名人がそういう事をするのは許せないけど、「無名」である自分がやるのは一向に構わない、というのであれば、おかしいと思う。

(日本のネット上のマナーが悪すぎるのではないか、と最近、特に感じています。)