ふぶきの部屋

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日本一運のいい女 雅子皇后の肖像102

2021-09-14 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 週刊新潮 2012年1月5日・12日号

雅子さまに御された東宮のラスプーチン

 雅子妃が療養に入られてから、すでに8年が過ぎ去った。ご病状は一進一退し、毎年お誕生日に発表される東宮職医師団の見解も「ご体調には依然波がある」と繰り返されるばかり。何より肝心の症状についていまだ具体的な説明がなされないまま、今日に至っているのだ。
 長引く治療の中心にいるのは、04年6月から雅子妃の「主治医」を務めている国立精神・神経医療研究センターの大野裕医師(61)である
「もともとは同センターの総長でもあった金澤一郎・皇室医務主管が、国内における『認知療法』の第一人者である大野先生を呼び寄せたのでした」
 とは、さる宮内庁関係者である。
大野先生は『適応障害』と診断された妃殿下の治療は、以降ひとえに先生の手に委ねられてきました。かねてより妃殿下が東宮侍医や宮内庁病院と折り合いがよくなかったこともあり、大野先生は“部外”にありながら唯一無二の精神的支柱となり、揺るぎない信頼を確立したのです」
 ごく初期においては、まだ打ち解けられないご様子だったが、大野医師が根気強くお気持ちを和らげ、ほどなく雅子妃は種々のお悩みを口にされ始めたという。
先生は、しばしば携帯電話で直接、妃殿下の相談を受けていました。こうして全幅のご信頼を得たことで、妃殿下の治療については以降、東宮侍医らは大野先生の指示を仰がねばならなくなり、ご公務の出欠可否の判断も、先生の裁量によるものとなりました」(同)


 大野医師はいわば“後ろ盾”として控え、雅子妃の強いご意向もあって、その治療やご病状に関する性格な情報は、完全にベールに覆われてしまった。

 通常であれば、医師が患者のプライバシーに配慮するのは当然である。が、「公人中の公人」ともいえる雅子妃の“カルテ”は、隠せばそれでよし、といった性質のものではなかろう。
 こうしたことから、皇室に取り入って権勢を振るい、ついにはロシア帝国を崩壊へと導くきっかけとなってしまった怪僧になぞらえ、大野医師を「東宮のラスプーチン」などと呼ぶ向きもあるのだ。
大野先生は、主治医でありながらこれまで一度も会見を開いたことがないほど、情報遮断を徹底して秘密主義を貫いてきました。これは何もメディアに対してだけではありません。当初から距離のあった東宮侍医はもちろん、金澤主管の耳にすら、妃殿下の直近のご病状は伝わってこなくなった。これは取りも直さず、小町恭士東宮大夫を筆頭とする東宮職幹部が、調整役として全く機能していないことを意味します。
 
 さる東宮職関係者によれば、
大野先生が診察を始めた当初は、妃殿下もことのほか不安定な状態にあり、ちょっとしたやり取りの際にも苛立ちやお怒りの気持ちを見せられることもあったといいます
 実際に、こんな出来事があった。診察が始まる直前の04年5月、皇太子さまが「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあったことも事実です」と、宮内庁との間に軋轢があることを窺わせる、いわゆる「人格否定発言」をされた時のことである。
 宮内庁側は発言のご真意について、皇太子さまに直接お伺いしようと試みたが、その際、雅子妃が当時の林田英樹東宮大夫に、
それなら、私は皇太子妃を辞めます
 と電話口で言い放たれた。この“事件”については、これまでも度々報じられているが、これには続きがあった。
「電話を終えられた妃殿下は、お傍にいらっしゃった皇太子殿下と言葉を交わされたのですが、その中で『はっきり申し上げておきましたよ』と、笑い声とともに仰ったのです」(同)
 意を決して発せられたお言葉だけあって、あるいはお気持ちがいつになく高揚されていたのかもしれない。いずれにせよ、「先生がそうした『波』を上手く受け止めたのは良かった。ところが、治療の方策として『お好きなことだけなさればよいのです』という趣旨のアドバイスをしてしまったのです」(同)
 
“分岐点”で主客転倒
 そのことで大野医師は次第に治療者としてのイニシアチブを失っていき、患者と一体化してしまったというのだ。いきおい、診療のスタイルも変わってしまい、
ご用事があるたび、妃殿下の側からお電話をされ、先生を呼び出すといったパターンが続き、医師が診察プランを立てる通常の形が成り立たなくなっていきました。お二人の関係が決定的に悪化したのは2009年。

医師団見解を出すにあたり、大野先生がご病状に踏み込んだ内容の発表を行おうとしたところ、妃殿下の激しいお怒りを買ってしまったことが“分岐点”でした。以来、先生の側からは妃殿下にあれこれ申し上げにくくなり、いわばご機嫌を伺うような間柄になってしまったのです」(同)
 換言すれば、医師が患者のコントロール下で振り回されている「主客転倒」の状態といえよう。ラスプーチンは、いつしかイエスマンに成り下がってしまったのだという。
 振り返れば、93年のご成婚から最初にご懐妊の兆候があった99年までの6年間、雅子妃にひとかたならぬ「ご期待」が掛けられていたことは想像に難くない。ある侍従職OBが、こう明かすのだ。
「その当時は、しばしば東宮側の医師をひそかに御所へとお招きし、妃殿下のご体調について説明を受けることがありました。幹部職も同席し、その内容はもちろん両陛下のお耳にも届いていました」
 御所が一丸となって、東宮家のお世継ぎを心待ちになさっていたことが窺えるエピソードだ。強い期待はともすれば受ける側にとって「プレッシャー」となり得るものの、雅子妃におかれてはそうした“ご事情”を十分に勘案なさった上で皇室に入る選択をされたはずだった。が、ご懐妊を経て、皇室のしきたりとご自分の思いとの“乖離”をますます強くお感じになった雅子妃は、徐々にご体調を崩されていった、とされている。

お付添いは「あてこすり」
 さきに本誌は、ご病状が「適応障害」には当たらず、他罰的感情をその特徴とする「ディスチミア症候群」ではないかと報じた。事実、そうしたお振る舞いは長期療養に入られる2003年以前、さらに言えばご成婚直後から見受けられたという。さる東宮職OBによれば、
ご懐妊の兆しが見える数年前、東宮ご夫妻が揃ってある地方都市を視察されたことがありました。土地の産業や地域の過疎化などについて、県や市の幹部と意見交換し、食事をともにされたのですが、後日、妃殿下は『ああいう集まりには、もう二度と出席したいとは思いません』と仰せになったのです」
 このOBが当時、耳を疑ったのは言うまでもない。
つまりは、現在のご自分とお暮らしとは直接に関係がないことだというようなご趣旨だったのですが、皇族のお立場というものについて、根本的にご理解が異なっているのではないか、という違和感を強く覚えたことを記憶しています」
 さらに現在、他罰的感情」の集大成ともいえるのは、晩秋まで断続的に続けられていた愛子さまへのお付添い登下校であるという。先の東宮職関係者によれば、ここには、学習院への痛烈な「あてこすり」が見て取れるという。
9月に行われた愛子さまの校外学習に妃殿下が同行された件は、世間でも物議を醸しました。そのため、妃殿下は徐々にお付添いを控えられるようになりましたが、これまでのお振る舞いには“娘にあれだけのこと(不登校の原因となった乱暴行為)をしておいてどうするのか”という抗議の意が込められています。妃殿下はその点、どうしても学習院に非を認めさせたいのでしょう」
 
「妃殿下は現在、御所への参内、つまりは両陛下にお会いすること自体がストレスであるというコンディションにあります。かといって、セカンドオピニオンなど得られる状況にもない。先に進まれようにも、八方塞がりなのです」(前出・東宮職関係者)
 大野医師が、ラスプーチンであればまだよかったのかもしれない。雅子妃に御されて追従者となった今、彼には「神通力」など望むべくもない。治療せぬご病気は、周囲をも飲み込んで悲劇を生みつつあるのだ。

 

 2012年1月1日 天皇一家

新年の挨拶の為に参内

 2012年1月2日 新年一般参賀

愛子内親王参内

 

 女性セブン2012年1月19・26日合併号

雅子さま側近不信で野村のおじちゃまに急きょのお願い

 雅子妃と小町東宮大夫の仲がぎくしゃく

 雅子妃の「付き添い」「山中湖事件について羽毛田宮内庁長官は「通常の形でないことを心配している」と発言

 小町大夫・・マスコミに「山中湖事件」を追求されて「今の状況が正常だとは思ってない」と発言

 これが雅子妃の怒りを買った。まさか自分の行動を否定されるなんて・・・

 野村元東宮大夫は御用掛けだが、その任期を延ばすことに。これは雅子妃の意向

 

 週刊新潮 2012年2月2日号

雅子妃のお仕事は家庭のマネジメントと東宮大夫が言っちゃった」

 小町東宮大夫の記者会見

 雅子妃は1月13日に発熱。37度台の熱をだし風邪の症状

 翌週の定例会見で「お熱も下がり日常の活動に戻られました」

記者 「日常の活動って何ですか?

小町 「殿下と宮様(愛子)のマネジメントです

記者達唖然。

一般人の専業主婦じゃあるまいし「家事」が仕事というのは違和感ありすぎ。

 小町東宮大夫は「正常な状態とは思ってない」発言を直接雅子妃から「お叱り」を受けた。ちょうど11月に愛子内親王が入院したあたりから途絶状態。

新年歌会始めでは、雅子妃は通常通り欠席。

問題になったのは皇太子夫妻が詠んだ歌で、両陛下や秋篠宮夫妻は「被災地」に心を寄せる歌を詠んだのに対し、皇太子夫妻は静養で遊んだことを歌にした。

また雅子妃と小町大夫の間がぎくしゃくし始めたことは、週刊誌の後追い記事で何度も触れられ、就任半年で小町大夫は口をきいて貰えない立場に。


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4 コメント

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愛子ちゃんの降嫁先? (猫カフェ)
2021-09-14 09:15:03
 悠仁さまの立ち姿はお可愛らしいですね。
のび太がW高校から東大行ってるらしいです。
Wって何処なのか気になリます。
昨年は新年の両陛下の友人が集まる会にのび太の
両親が来たそうです。
返信する
Unknown (はらちゃん)
2021-09-14 09:52:59
「適応障害」
2012年で「すでに8年」と載っていますが、それからも続き、通常半年で治癒といわれるのに、18年近くなろうとしていますが、未だに「ご体調の波」で…

陛下を含めご自分の周りをイエスマンだらけにし、皇后になった今、バッシングもすべて皇嗣家に行き、コロナを幸い公務もしなくて済み、我が世の春でしょうか。
「ディスチミア症候群」当てはまりますし、何らかの発達障害や、いつぞやの群衆の中でのバカ笑いなど躁鬱かしらと思ったり、、公表できなくて「適応障害」としたのかしらと。
今も続く「ご体調の波」は、雅子様ご自身の診断?
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Unknown (百合)
2021-09-14 11:28:43
大うつ病であれ、他の型のうつであれ、
想像しますと内服治療が続いているのではないでしょうか。
鬱による適応障害なら薬物治療(抗うつ剤、抗不安剤、睡眠薬)の内服が基本と思われます。
抗うつ剤は1ケ月以上内服してから中止しますと激しい離脱症状が出ると言われているようです。安定剤も長期間内服により身体依存と耐性がでて常用量依存になり断薬するには、やはり離脱症状により苦しみに襲われると言われています。抗精神薬は出口を見据えて処方しないと患者を薬浸けから救う事が中々難しいようです。
薬を服用していれば症状が安定するものの、段々と量を増やさないと効果がなくなり、中止すれば地獄の離脱症状となるのではないでしょうか?
そして頭はいつもボンヤリしていて新しい事が覚えられない状態なのかなあと。
公務の予定があると不安と緊張感が高まり寝込むと言った悪循環の中でお暮らしかと推測致します。
返信する
Unknown (電気うなぎ)
2021-09-14 17:12:51
ふぶきさま、皆さま方、ごきげんよう。

一般参賀のときのドレスは、オランダ国王の戴冠式(2013年5月)のときと同じでしょうか。
寿司職人と言われた帽子をかぶり、腹部のシワくっきりの画像には衝撃を受けました。
信者たちは、美智子さまか紀子妃がリモートで嫌がらせをしたと発狂しておりました。
しかし、プライベートでお出かけのときも、似たようなシワがよります。腹肉でプレスされたというのが一般的な見方です。斜めなので足でも組んでいらっしゃったのでしょう。
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