ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

1989年にタイムスリップ 礼宮殿下と紀子様の恋

2024-06-19 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

毎日毎日、愛子天皇派による「愛子様美しい。天皇にふさわしい」

「雅子さま、お綺麗」を見ていると、本当に心が折れそうになります。

皇位継承権のない人になぜ「即位」を求めるのか。

小和田恒の宿願だからでしょ?あのじーさま、やたら元気で目が光っていておかげで皇室も日本も左傾化するばかり。

浄化するものはやっぱり佳子様とか~~紀子様の可愛い映像かな。

そういえば、もうすぐ秋篠宮両殿下の結婚記念日ですね。

結婚34周年かな。

本当に変わらずお若く、仲睦まじく。

そこで一生懸命映像を探したけど、色々消されてここも雅子さん一色になってます。

それでも見つけた映像をご覧あれ。

まず、これはまだ日本のマスコミが正常だった時の映像であり、ナレーションであること。

変な思惑もなく、素直に皇室を敬い、礼宮殿下と紀子様の結婚を祝福していること。

当時、1989年の8月に突如、「礼宮さま、婚約」のニュースが飛び込んできたわけですがその時の庶民の驚きと喜びったらなかったんです。

 昭和天皇が亡くなるまでの3か月間の重苦しい雰囲気

これはみんな経験した事で、1月7日に昭和が終わり、2月に大葬の礼が行われいわゆる「喪」期間になったわけで、皇族方の活動も制限されていました。

しかし、喪というのは段階を踏んで明けていくもので、礼宮の婚約が報じられたのは、その第一段階が明けた時ですね。

 写真週刊誌に記事を書かれる

私はその頃は「へえ、そんな人いるのか。でも本当かな」くらいに思ってました。要するに礼宮殿下に彼女がいて、同じサークルに入り、学友たちが冷やかしてるみたいな記事だったので、一人や二人・・と思っていたら結婚という話が出て、びっくり。

しかも、川嶋紀子嬢は何と可愛らしく、控えめでお父さんはイケオジで。って感じ。

で、このビデオでは皇室ジャーナリストの川原敏明氏が「結婚は無理と思っていた」という風に言っています。

その理由は「身分がある」から。

つまり正田家のようなブルジョアじゃない、学習院の教授の娘だったと言う事が問題だと河原氏は言ってたんですが、小和田家との縁談の時には沈黙ですね。

川嶋家は清貧で知られていたのは事実。

教員官舎に住んでいるなんて、今まででは考えられませんので。

しかし、「学ぶ」事には贅沢で川嶋氏は妻子を連れてアメリカへ、そしてオーストリアへ留学。

紀子さんが学習院女子中等科に入った時は日本語よりドイツ語の方が得意だった「帰国子女」でした。

 沢山の学友の姿

もの番組には礼宮様と紀子さんの学友が出てきます。同じ学校ですからみんな良家の子女。

みんな言葉を選びつつも、同等に宮と会話している風がとてもいいし、紀子さんについても「上品な人」という事で好かれていたんだなとわかります。

そう、兄の浩宮と違って礼宮は交友関係が広いし、付き合いも深い。

学生時代はサークルなどを通して日本を歩いていた・・・悠仁さまが行っている「国見」をしていたわけですよね。

この中には後に紀宮のお相手となる黒田さんも入ってます。

取材する側としては非常に楽だったと思います。

 福祉に興味がある紀子さん・・・・

ここで、非常に興味深いナレーションが。「福祉に興味があった紀子さんは、施設を回って特に自閉症の教育に熱心だった」

え?そうなの?こりゃ初耳。

紀子様といえば手話というイメージですが、まさか自閉症児に関わっていたとは。

何だかここに運命的な出会いがあり、ゆえに眞子様も佳子様も自然に女一宮と接する事ができていたと言う事ですね。

 川原敏明氏「宮邸は100坪、200坪」発言

これまた、そうだったっけ?というような感じで。

つまりこの時代、皇室に関わってきた人の考え方としては

礼宮殿下は天皇の息子で内廷皇族。皇位継承権2位の男系男子。だから新居は三笠宮邸や高円宮邸よりも大きくなるのは当然。7LKくらいだろう」と言っていたわけです。

私も、新居は新しく建てるものだとばかり思っていたんです。

まさか、築40年の職員宿舎に住むなんて誰が考えたでしょう?

今、旧秩父宮家を改装し、やっと「皇嗣」としての役を果たせるようにそれなりに大きくなった邸を「贅沢」というマスコミの気が知れない。

では、なぜ高円宮邸はあんなに大きいのか、なぜ三笠宮邸は大きいのか。

週刊誌にはわざわざ職員宿舎を改造して宮邸にした理由を「兄より早く結婚し、しかも学生だから」と美智子さまがおっしゃった・・・と書かれていました。

婚約会見では「誰も反対はしなかった」と言っていた殿下ですが、本当の事を言えば皇后が「兄より早く結婚するとは何事か」と相当お怒りだったのではないかと。

息子の新居はボロでも、自分達の宮殿は全く新しく建てた事を思うと、本当に上皇后は自分達の事しか考えていなかったんだなと思います。

今もって「皇嗣」の住むべき東宮御所に居座っているんですからね。

 

でも、今考えるとあの時、結婚を強行してよかったんですよ。

その後の苦労を思うと胸が張り裂けそうですけど。いつか、きっと穏やかな日が来ると私は信じています。


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8 コメント

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紀子妃殿下のお母様 (ポメ母)
2024-06-19 09:22:56
 ふぶき様、おはようございます。
タカラヅカ・・・。
劇場に足を運ぶ時間がなかなか無いので、
『宝塚カフェブレイク』を観て、少しお勉強を
しているポメ母でございます。

 紀子さまのお母様は私と同じ静岡の御出身。
お母様のご実家は、確か鍼灸院?接骨院?
(だったかしら?)
を経営なさっていたと思います。
お母様の和代さんは静岡英和女学院・・・
中高一貫のプロテスタント系の女子校を経て、
昭和女子大の短期大学部をご卒業された方。
和代さんの御年齢でこうした学歴は静岡では
ごく少数で、経済的に豊かなお宅、もしくは
女の子でもきちんと学を付けたいという
高い意識を持った御家庭であると容易に
推測できます。
 当時の静岡は、女の子は県立の女子高を
卒業して、地元の銀行に勤めるのが花道だったと
聞いております。
(ポメ母の両親は県外出身者)

 紀子さまのお父様は大学教授。
でもお父様だけでなく、お母様も学のあるお方。
そのような御両親がお育てになった紀子さまも
学者肌ですよね。
大変可愛らしい外見(スタイルも抜群!)で、
そちらばかり報道されてましたけれど。

 こうしてみると、悠仁さまが興味を持たれた
ことを熱心に研究なさるのも、血かな~などと
微笑ましく思うのです。
なんか、いろいろ難癖をつける輩が異常に
多く、恐ろしささえ覚えますが。

 紀子さま・・・。
眞子さまのご結婚騒動から御心労続きで
大変心配しております。
笑顔も少し痛々しくて。
御結婚当時の曇りのない笑顔をまた拝見
できる日が来ることを、心から願っております。
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Unknown (ハナミズキ)
2024-06-19 09:47:05
誰がなんと言おうと紛れもなく紀子様フィーバーはおきていましたよね。豪邸に住んでいなくても清貧でもねじ伏せる魅力。昭和世代のうるさ型の我が母や叔母たちもなんて可愛らしい、と目尻を下げていました。その後今でも続く紀子様に関する嘘の噂話がささやかれ始めて……誹謗中傷の初期ですよね。たぶんあの頃から組織的にやっていましたよ。
雅子様は文春か新潮に才女現る、のグラビア記事が出て、その後皇太子妃候補へ。あの頃は本当に優秀な外交官だと思っていたし、ご自宅は立派なコンクリート御殿W。華やかな美人で可愛らしい紀子様とはタイプが違うから良いのでは。(浩宮様とは合わないけど)と思っていました。それがまぁ、色々残念なことに…
私もタイムスリップしてみました。雅子様紀子様とは同世代だしあの頃から今に至るまで鮮明に覚えていますよ。だからこそ今の秋篠宮家への誹謗中傷がどんなに常軌を逸しているかわかるしこの現代で(一方的な)跡目争い?びっくりしています。
秋篠宮家を本当に守りたいですね。Xでは吐き気を催すポストしているアカウントを報告することくらいしか今は出来ませんが。
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Unknown (HN)
2024-06-19 10:07:08
いつも記事更新ありがとうございます。
よく理解できていないのですが、愛子天皇派って何なんですかね。そんな派閥がいつの間に?
でも、愛子天皇派って、外国人集団(出自が日本人ではない)なのかと思います。つまり、日本の歴史教育をされてない、日本の学校で教育を受けても家庭教育が違う人たちの集まりなだけだと思います。
紀子さまは「身分が違う」とはいっても、お父様が大学教授で教職員住宅に住んでいただけのことで、川島家もお母様の杉本家も祖先を室町以前までたどれば、皇室に嫁いだ「お姫様方」にも匹敵するような家柄なんですよね。だから嫁いだ後は、華子さまをはじめ、多くの名家出身の妃殿下方が愛らしい紀子さまを可愛がられたのではないですか。
今になると、ぽっと出の美智子さまの入内に多くの反対があったことも納得できます。
やはり、清貧でも家柄を大切に過ごされた方と、お金の力をもって成り上がった者の違いかと思います。やっぱり美智子妃、雅子妃、信子妃は単なる平民にしか過ぎないってことですね。(久子妃はグレーソーン?)
秋篠宮家を素直に応援できる人たちに共通するのは、日本人としてインテリジェンスが高い人だと思います。
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Unknown (やうやう)
2024-06-19 13:09:46
天皇が次代を弟一家に託し、兄弟仲良い姿を国民に見せていたら、日本はどんな世の中だっただろうと夢想することがあります。
日本人の善良さからすると、中継ぎ天皇などと軽んずることはなく、むしろルール通りに皇統を繋ごうとする姿に、国民は安心して尊敬の念を示せたように思います。そして、それを手本に国民も家族仲良く、それぞれの責任を果たし合うことが普通にできていたのではと想像します。今のように自己主張、出し抜き合いのギスギスした世の中になっていなかったのでは…。
平成の頃は女優皇后といわれながらも、夫をたてたり、客人を丁寧にもてなしたりする姿にそれなりに手本となる価値観やマナーを示していました。
令和は、なんなん???
国民は価値観が揺らぐ世の中、皇室には継続と安心を求めてるんです。今となっては、世の道理を解く、口うるさい家長的存在が懐かしいです。それがあってこそ、そこから外れようとする時には、相当の覚悟が持てたものです。
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Unknown (chelsea)
2024-06-19 14:49:27
愛子サマが天皇でもいいんじゃない?と思っている日本人はいると思いますが、単純に皇室に興味がない、皇統を理解していない、そして何でもかんでも男女平等でないと気が済まない人たちだと思います。
一方「愛子サマを天皇に!」と爆上げして騒ぐ輩には明確な野望があります。
愛子サマをテンノーに→ソーカ信者と結婚させる→生まれた子をテンノーに→ソーカ国をつくる。
文字にするのもおぞましい皇統の乗っ取りです。
それ以外に愛子サンをテンノーにしたい理由が見つかりません。
次代、次々代は文仁殿下、悠仁殿下と決まっているのに、愛子サマを持ち上げ秋篠宮家を貶めればひっくり返るとでも思っているのでしょう。
嘘も100回言えば真実になるという、いかにもアチラの思想です。

私の義母は、雅子さんが皇太子妃と決まった時にテレビを観ながら
「この人は皇太子妃というより、大統領夫人の方が似合うんじゃない?」と言い、それを友人に話すと「うちの義母は、この人はフィリピーナ?と言ってたわ」
さすがあの年代、容赦ないね。とふたりで爆笑しました。
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Unknown (ラ・ボエーム)
2024-06-19 16:57:06
麗しく爽やかな礼宮様と川嶋紀子さん
……ふぶき様、発掘しご紹介下さいまして本当にありがとうございます!
懐かしさで胸がいっぱいになりました

礼宮様のカッコいいイケメンぶりは勿論ですが、紀子さんの恥じらいを浮かべた初々しさに私は強く惹かれました
。良家の子女という言葉は紀子様の為にある、と言っても過言ではない、と当時思ったものでした。

が、箱物で人の価値を決めるバカ者が当時皇族方にもいたようですね。

紀子様が職員アパート暮らしだったことで見下していた、末端宮家の三男坊
…彼が結婚してT宮邸を建築する際には莫大な国民の血税が投入されたと思いますが、~浪費だ!贅沢だ!たかが末端宮家なのに!!~という声は上がらなかったのでしょうか?

今上の次男坊~しかも実子~には木造職員住宅をあてがった上后の陰湿さには怒りしかありません!!
そして、彼女を信奉していた嘗ての自分が可哀想でなりません!!

下天の女一宮に自然に接する術を身につけた眞子様佳子様のお母様……私はポメ母様や皆様やふぶき様とご一緒に紀子様の心からの笑顔を拝見出来る日到来を確信しています!
これからも応援していきます!!!!

長々と失礼致しました。
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Unknown (柑子)
2024-06-19 18:40:22
昔々女性週刊誌の話題といったらお妃候補でした。
二十人近い令嬢の名前があがっていませんでしたっけ。それが他の方との婚約やら留学などで逃げられ続けましたよね。
私は違いますからと記者から逃げる写真もありました。
三島由紀夫氏が美智子との見合いをあの母親だからと断られたのを記事にし、歴史は繰り返すとあてこすったのもありました。
底意地の悪さが当時すでに顔に張り付いてました。
野心家の末端宮家の邸宅は42億円以上だったと記憶しています。
天井も高く、調度品も超一流だと写真からわかりました。
継母のいじめじゃないかと思う根拠のひとつです。

今は公園になった正田邸は敷地が小さいそうですね。戦後に儲けても、資金の使いどころは家ではなかったのでしょう。
正田邸を保存し、見学できるようにと希望を断ったのはなぜでしょうね。
十字架があったのかなと当時は思ってました。
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Unknown (きゅうりもみ)
2024-06-19 22:57:34
紀子さまの入内のときは「今の日本にも、こんなに
優雅なお嬢さまがいらっしゃったのか」と、感動しました。
小和田雅子さんの時は「うへっ」と思いました。そこへ、口うるさいお隣りさんが駆け込んで来て「ね、どう思う?」と、わたしの感想を聞きたがりました。うかつなことを言うと、どんなふうに拡散するか危険だったので「あらあ、雅子様も素敵ですわねえ。紀子さまのときは、こんなに素晴らしい方は、二人といらっしゃるまいと思ったのでしたが」と調子のいい返事をしました。
お隣りさんは何か言いたそうでしたが、あきらめて「ふん」と言い捨てて帰って行きました。きっと一緒に雅子さんを罵倒したかったのでしょう。片田舎でしたが、少なくとも二人、小和田雅子のダメさ加減を見抜いて居た者が居たこと、その一員だったことは、ささやかながら自慢です。
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