・・・・という話を、昨日、突如聞いたので、ネットで調べてみたら本当だった
5月31日付けだそうです。
ネットで検索しつつ見てたら、意外と?児玉先生好きだったのにーーという人がいるので驚き。
あの「仮面の男」ですら「好きでした」とか「すごい才能」だとかいう人がいるんだと ネットで批判されない為の書き込み
なのかもしれないけど、宝塚のファンも変わったものだなあと。
なぜ退団に至ったか・・・それは本当の所誰も知らないみたい。辞めたのか辞めさせられたのか。
宝塚における演出家不足は非常に大きな問題で、その中で退団させてしまうという事は、それなりに理由があったのだろうと思います。
児玉明子プロフィール
簡単にプロフィールを言うと、慶應義塾大学法学部卒。
1997年 → 入団
1998年 → 「ENDLESS LOVE」(伊織直加主演・花組)でバウデビュー
1999年 → 「冬物語」(春野寿美礼主演・花組)
2000年 → 「月夜歌聲」(湖月わたる主演・雪組)
2002年 → 「聖なる星の奇蹟」(和央ようか主演・宙組)
2004年 → 「天の鼓」(春野寿美礼主演・花組)
2005年 →「龍星」(安蘭けい主演・星組)
2006年 → 「想夫恋」(北翔海莉主演・月組)
2007年 → 「シークレットハンター」(安蘭けい主演・星組)で大劇場デビュー
2009年 → 「忘れ雪」(音月桂主演・雪組)
2010年 → 文化庁文化部芸術文化課支援でカナダのモントリオールに留学
2011年 → 「メイちゃんの執事」(紅ゆずる主演・星組)
「仮面の男」(音月桂主演・雪組)
2013年 → 5月31日退団
児玉明子は男性ばかりの演出家の中で、植田景子と並ぶ「女性演出家」として、入団当時は期待の星だった筈です。
1998年に植田景子が一足早く入団し、「ICAROS」(安蘭けい主演・雪組)以後、数々の作品をてがけています。
このあたりとしては、荻田浩一、斉藤吉正、藤井大介、大野拓史、小柳奈緒子らがおり、ちょっと年上だけど木村信司が
「新人」の筆頭として君臨しておりました。
宝塚における演出家の劣化は1990年代から始まったと考えられております。
植田伸爾・柴田侑宏・鴨川清作ら、60年代から70年代を彩った演出家たちの高齢化が第一。
そしてもう一つは、昭和の「ベルばら」ブームに火がついたファン達の層が平成の「ベルばら」ブームで大きく変わったという事です。
それまで宝塚歌劇は「清く正しく美しく」の言葉通り、「少女歌劇」の王道を突き進んでおりました。
それが80年代に入り、小池修一郎や正塚晴彦らの登場により宝塚が女子供の見る大衆演劇から「日本の芸術文化」へと
段階が上がったわけです
ショー作家としても草野旦、・石田昌也・三木章雄、岡田敬二等、錚々たるメンバーが作品を送り出します。
一方で次第に「徒弟制度」が崩れてきたのも事実だったようです。
植田・柴田両人は思想の違いはあるものの、作品のパターンはいつも同じでした。常にそこに「純愛」「正義」があったわけですが
小池・正塚の時代には「何が愛か、何が正義か」という疑問形のストーリーを登場させ、観客を評論家にしてしまうという現象を
引き起こしました。
主役は常にかっこよく正義であったものが、その正反対のヒーローなりヒロインが登場する。
平和主義とか自然派思想とか・・・そういう個人の思想が舞台に色濃く反映し始め、「スター」を作り出すための宝塚が
いつの間にか「演出家の表現の場」でと変貌したのです
一方で、大御所達の高齢化に伴い、「宝塚」をリードしていく立場の谷正純・石田昌也という2大演出家が、これでもかと
観客の反感を買う作品ばかりを輩出していきます。
谷作品の代名詞は「皆殺し」で、石田作品の代名詞は「下品」。
両名とも、自己の主張を色濃く反映させタカラジェンヌをタカラジェンヌとして扱わないような無謀な事を散々やってしまったので
次第に観客が離れて行きます
ショーにおいても三木章雄・草野旦等、どれもこれもワンパターンで出来不出来が大きく、さらに先人達のコピーが多くなったりして
批判にさらされる事になります。
小池・正塚らに追従する中村一徳・中村暁等も、今一つ代表作を作る事が出来ないという現象の中、植田伸爾が理事長に就任すると
さかんに「宝塚らしさ」を連呼し始めます。
しかし、90年代に入って来ると「何が宝塚らしいのか」と・・・誰もわからなくなってしまったんですよね。
小池修一郎は「エリザベート」の潤色・演出で一躍有名になり、今や世界に誇る演出家ですが、オリジナル作品では
「PUCK」以外にいい作品を残しておりません。正塚は出来不出来というか、観客のマニア化を加速させただけですし。
そういう意味で、90年代中盤以降にデビューした演出家たちには「よき師」がいなかったわけです。
新人筆頭の木村信司は「扉のこちら」で名をはせましたが、留学し帰国後は自己主張が激しくなり宝塚のスター性を無視するような
作品を作るようになりました。また脚本家の命である国語力に重大な欠点を持っています。
斉藤吉正もまたにたようなはちゃめちゃな作品を作る演出家ですが、現在はかなり宝塚色に染まって来ています。
藤井大介は90年代組の筆頭であり、宝塚の救世主ともいえる存在になり、現在の宝塚がショーにおいて藤井頼みなのは明らか。
独特なスタイルと鮮やかさが際立った荻田浩一は退団し、その後継ぎともいえる大野拓史は干されているのではないか・・との
憶測を呼んでいます。
小柳奈緒子は、デビュー作の「SLAPSTICK」や「アメリカン・パイ」等では、宝塚に向かない作家ではないかと思ったのですが
「シルバーロズ・クロニクル」あたりから、宝塚の中のロリータ性に着目。大劇場デビュー作「めぐり合いは再び」の大成功で
続編が作られるという快挙を達成し、現在もっとも「宝塚らしさ」を表現する作家となっています。
しかし、小柳の先輩格であり、女性作家1号の植田景子は、女版木村信司とでもいいましょうか。
女性が女性を差別する・・・という作風で、今一つ盛り上がらず。
そして件の児玉明子になるのですが。
児玉明子は、デビュー当時から色々物議をかもす作家でありました。
バウ・デビューの「ENDLEES LOVE」からして酷評を受け「宝塚には向かない作家」と言われてしまいます。
「冬物語」などに至っては脚本家をやめるべきとまで言われていました。
児玉の第一の失敗は「月夜歌聲」です。これは湖月わたる・朝海ひかるの夢の共演で好評を博したのですが・・・
「覇王別記」とそっくりな点が指摘され、ファンから「盗作ではないか」という声が多く寄せられ、歌劇団は認めなかった代わりに
ビデオ化を見送りました
この時点で、脚本をチェックする機能がない事にファンは怒りを持っていたのですが。
「聖なる星の奇蹟」で、花總まりが「児玉せんせいの説明が何度聞いてもよくわからない。でも先生は先生なりの
思いがあるので自分達は何とかそれを読み取るしかない」というような事を言っていました。
児玉の文章を読んだり、あるいはスカイステージなどでの話を聞くと、非常にわかりにくい日本語を使う人である事がわかります。
一言でいうと「小和田雅子風」とでも言いましょうか。
で、一つの事に拘ると絶対に妥協しない。それはいい事ではあるのですが、路線がずれると大変な事になります。
ゆえに、出演者らとのコミュニケーションもきちんと図れなかったのではないかと思います。
比較的評がよかったといわれるものに「龍星」があり、それで大劇場デビューは安蘭けいだったのかなと思うんですが、
個人的にはこの作品もどこかで見たような・・・・?どうにも「真似っこ」が抜けない人だななと思った記憶があります。
じゃあ、原作付ならいいのかという話ですが、彼女の唯一のヒット作「メイちゃんの執事」はそもそも原作がありますし、原作
やドラマファンを取り込むことには成功したかもしれない。
でも、DVDを買ってまで見たい作品に仕上がっていたかというと嘘になります。
あれだけきっちりとした原作がありながらもこれか・・・と思った記憶も。
「忘れ雪」などは、「本当は書きたくなかったのに・・・」という恨み節が聞こえてきた作品でした。
そして「仮面の男」になるわけですが、これはその昔「ブルボンの封印」で雪組が演じた時も評判がよくなかった作品です。
今回の舞台化によって児玉が持っている性格的な欠点、技術的な欠点がもろに出てしまい、劇団を巻き込む形になって
しまったという事ですね。
留学経験によってシルク・ドソレイユに魅了されたので何が何でもそれ風にしたかった
ルイ14世が生きた時代をリアルに表現したかった。現在の観客の心情には配慮しない。
という事ですね。大河ドラマ「平清盛」で当時をリアルい表現したいと散々コーンスターチをたいて画面を見にくくした結果
視聴者にそっぽを向かれてしまった。さらに日本では暗黙の了解でタブーとされている天皇家を下世話に表現してしまった。
これが視聴率低下を招いたのと同じです。
観客というものは、ある意味予定調和を求めるもの。宝塚ならなおさらです。奇をてらったリアルな点と芝居のようなものを
見たければ日比谷じゃなくて下北沢に行くでしょう。
でも児玉はその「こだわり」を絶対的に正しいと思って妥協しなかったわけですね。見る側の視線に立たずに作品作りを
しまったがゆえに最終的に自分の首をしめてしまったのだと思います。
もっと早く退団すべきだったと思います。「仮面の男」さえなかったら、今も音月は宝塚にいたかもしれないし。
作家のよしあしがスターの寿命を長くもし短くもするという事を、歌劇団は知って欲しいのです。
個人的には木村信司も植田景子も同類だと思っていますけど。彼らがいる限り宝塚はオリジナルに自信が持てないまま
海外作品の垂れ流しをして四季化するんじゃないかと心配になりますしね。
児玉氏には自分の好みの範囲内で好きな事をやりになればいいと思います。第2の人生はこれからですしね。
おっしゃるように昔はヅカファンのために作っていれば良かったのでしょうが
今の時代は天下の宝塚になりましたので物凄くハードルが上がっていることは気の毒には思います
でもやはり宝塚はオリジナルの作品が魅力ですので、どこかの劇団みたいにコピーばかりしている所よりよほどましだと思っています。
良い演出家に恵まれますように祈っていますおります。
かくゆう私、榛名由梨の大ファンにて、
そうです、あの初演ベルサイユのばらをリアルタイムでみた年代でございます。
初演の二年程前に母に連れられ月組公演を見て 乙女な世界に魅せられ、
かのベルばらブームの真っ只中は、中学一年生でした。
当時鴨川清作さんと安奈淳さんが関係をもっていたことなど露知らず、だいぶ大人になってから知り、え!宝塚って清く正しく、美しく じゃないの?と
安奈さんを不潔な目で見てしまった 乙女時代(笑) あの四代スター 榛名 鳳 安奈 汀 リアルタイムで見た幸せと
あの時代の宝塚の演出は本当に素晴らしかったと、懐古する今の自分が、老眼鏡を通して世間を見る歳になってしまったのだなあと、雨の夜しみじみしているのでございます。(笑)
5月にバウでありました『月雲の皇子』演出の上田久美子先生、鮮烈過ぎるデビューでした。
(イケコデビュー時と同じか、それ以上のモノを感じます)
恐るべき才能です。
あとは劇団が彼女の才能を枯渇させない事を祈ります。。。アーメン
まあ失敗作と言われてしまえば雪の仮面の男ですが個人的にはいいい場面もあるので極端な批判はしません。
音月さんの退団とは関係ないですね。彼女は昔は許された行動が今はスポンサー的なビザカードのイメージキャラクターをされてましたが品位にかける行動を公の場でファンにも見られてしまいちょっとスクープ的なことに発展する前に劇団がもみ消しをしました。音月さんが解決金を支払ったとかのウワサも流れましたね。
ファン歴が長い私ですが演出家の先生については詳しくは知りません。最近ネットなどで色々と調べ始めたぐらいですね。
幸い、今期デビューの新人さん達はみな期待できそうですよ。奇をてらうよりオーソドックスが大事なんですよね。
>まほろばさま
ありがとうございます。私も滅多にそんな事は言わないのですよ。
>へなそうるさま
そうそう。宝塚の魅力ってそれですよね。
>ジュゴンさま
まあまあわかります。私は当時小5で、仙台にいたのでテレビでしか見る事が出来なかったですけど、榛名アンドレに魅せられた一人です。その後は鳳蘭が大好きになり・・とはいっても生で見たのは「風と共に去りぬ」地方公演。ベルばら花も地方公演でみました。今思えばそれも貴重な思い出ですよね。
安奈さんと鴨川さん、結婚の予定だった?
>遙奈まいさま
やっぱり・・誰でもそう思いますよね。
「月雲の皇子」みたかったーー上田久美子。期待してます。
>ポンタさま
何となくわかります。その話。
でもね・・・「仮面の男」がなかったらと思うんですよ。やっぱり。
今月末、息子の学校のお母さま方と宝塚を観に行くことになりました。ベルばらです。
初めての宝塚観劇にドキドキです。
真帆しぶきは身を引くかたちで、49年11月東京公演を最後に退団しております。奇しくもそのショーと同時に公演だったのが、ベルばらです。晩年宝塚OG公演で、榛名 瀬戸内 汀 安奈 真帆がリサイタルをしたのだが、(ある意味怖かった)ベルばらの話になると真帆しぶきさんが遮ったのが、彼女の最後の抵抗と、最後まで、安奈さんに話しかけなかったのが、女の意地かな?とおもいました。
ただ、当の安奈さんが、膠原を患い 死の境をさまよって、吹っ切れたのか、私はなーにも覚えておりません!とアッケラカンに言っていたのが印象的と同時に、この勝負安奈淳の勝ち!と思ったのでございます。(笑)
50才を過ぎて、女として、酸いも甘いも経験した今 、彼女の気持ちを思うとちょっと切ない(´・ω・`)((T_T))