ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

毎日が美智子さま 16

2019-04-15 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

昭和42年9月、埼玉の川口鋳物工場を視察。いわゆるキューポラのある街ですね。

白に見えるけど本当は淡いブルー系だそうです。帽子のコサージュがそれに合わせているんですって。でも何だか変なところにブローチがついていませんか?


昭和39年3月、東京文化会館小ホールでハープのリサイタルを鑑賞

全身シルバーでネックレスが隠れています。ちょっと変わった形のドレスですよね。

昭和39年 全身ピンクです。ワンピースの上にコートを羽織るのが定番。

桜の花束にピンクのチュールの帽子。

何だかどこかの文化住宅でも訪れた感じですけど。ふくらんだ袖は庶民の憧れでしたよね。

昭和41年7〜8月、青森県を旅行 ペイズリー柄のスーツ。コサージュがPTAっぽい。

こんなレース、うちの母もよく着てたし私もワンピースを作って貰ったなあという懐かしい感じがします。

昭和45年6月、東京・東洋美術館にてスペイン美術展を鑑賞。

脚の皮膚の色が違って見えるんですけど、どういう脚の組み方しているの?

白ジャケットに水玉を合せるってこのころの流行なんでしょうかね。

昭和45年7月、大阪万博へ。この足の角度で撮って下さい的な写真。


昭和44年9月、長崎を訪問。ほら、こんなに同じ服を着ているのよって感じ。

45年3月、千葉の房総を訪問。同じように見えて微妙に違うインナーと帽子。

国民には着回ししているように見えたかも。

昭和41年12月、鎌倉でテニス。

昭和38年9月、福岡空港にて。二の腕が細いからノースリーブもお似合いですね。

まさしくオードリー風です。

帽子、手袋などを変えるだけで違う印象に。帽子はお気に入りの?

軽井沢ではカジュアル感がありました。


昭和39年8月、テニスコートにて。

まさに憂いをふくんだあたくしです。髪の盛りがすごい。





コメント (14)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 平成の宝塚作品の中で傑作を... | トップ | 君は「プリンセス美智子さま... »
最新の画像もっと見る

14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (べいびー)
2019-04-15 09:41:33
お美しいけれど、20代~アラフォーまでの美智子様ですね。
こんなに美しいお母様の記憶を持つ秋篠宮殿下なら、どんな仕打ちをうけても受け入れてしまう気持ちも解るような気がするなー。気がするだけですよ。気がするだけね。

御代代わりまであと半月、「毎日が美智子様」もこのまま、20代~アラフォーの美しかった頃の美智子様で終わってしまうの?
べいびーはどこが老婆の転換点かみたかったのになー。噂では、40代ともご即位のころとも言われているけれど。
返信する
Unknown (雪ぐにそだち)
2019-04-15 10:15:55
このシリーズ楽しみになってます。
子供の頃、皇室アルバム的な番組で女性皇族の方の衣装を見るのが好きでした。
田舎の子供には皇室の方のファッションは眩しいものでした。
こうして見ると改めて凄いなぁと思います。
贅沢ですよね…
でも、明るい希望が感じられる皇室だったと思います。
今じゃなんか庶民より品のない人もいて女性皇族のファッションを真似しようなんて思いませんよね。
ダンボールドレスと比喩されたドレスを着てたあの人がはと半月で皇后になるなんて…
ますます神様から見離されますね。
令和の時代にはどんな天災が起きるのでしょう…
サボってばかりいないで国民のために真摯に祷りをささげる事を学んで欲しいものです。
そして、あの時代遅れのパンタロンスーツは止めて欲しいものです。
本人はキャリアウーマン気取ってるつもりなのかもですけど、ハッキリ言ってダサイです。
返信する
Unknown (そば茶)
2019-04-15 12:52:03
「天皇陛下になったらあんな綺麗な人と結婚できるんやなぁ」と不謹慎極まりない言葉を聞いたことありましたね^^。

この前愛子様がケープをつけてらしてふぶきさんにケチョンケチョンに言われてましたが

あれって皇后さまへのオマージュだったのでしょうか?

返信する
ノースリーブはお似合い (いっちょかみ)
2019-04-15 13:52:01
美智子さんも、この頃のお召し物はまだ、見るに耐えられるもの(今があまりにキテレツなので・・・)だったのですね。
いずれにしても、上質の生地でお仕立てなさったものだということが、あらためて見るとわかります。

ひびきさんも、ワンピースを仕立てていらしたのですね!
私も母に便乗というかたちで、幼い頃は、母が何かを誂えるとなると、嬉しくて小躍りしたものです。
母もまた、「いっしょにお願いすると経済的よ」なんてニコニコして、進歩的なことを言っているつもりだったみたいです。
懐かしくなりました。

そんな明るい時代、内親王である清子さんが、いつもお母さまとはかけ離れた地味さだったのは、案外だなあと思ったものでした。
返信する
全国津々浦々 (きび)
2019-04-15 14:02:59
ふぶき様 こんにちは。

先日、田舎に帰ったら、故郷のキリスト教図書館に
美智子さまと徳仁親王殿下おなりと碑が建ってました。
何の特徴も無い田舎町なんですけど。

上等な生地の、庶民とはかけ離れた洋服に帽子にバッグ、ピンヒール。
このスタイルで全国津々浦々を、ご訪問なさってたんですね。
各地のキリスト教図書館に行かれたんだろうなと、思いを馳せました。

姑に虐められた皇太子妃を、各地の主婦は温かくお迎えしたと思います。
テニスは、憧れでもあったでしょう。

反対に、殆ど引きこもりの雅子妃。
静養だけは皆勤なのに、恥ずかしげでも無く堂々としてます。

二人に共通しているのは、すっごく神経が太くてらっしゃる?

そんなことを思いながら、毎回上げてくださる画像を楽しみにしています。

ありがとうございます。
返信する
Unknown (☆ロロノア☆)
2019-04-15 14:31:16
あたくし、ブローチを肩に付けますの、ほほほ。
なにかおかしいかしら?
カメラマンが、あたくしを綺麗に撮るのは、当たり前ですわよ、ほほほ。
今後も、忍びまくって、カメラマンに綺麗なあたくしを撮ってもらいますわ、ほほほ。


このシリーズ大好きです!
ふぶきさん、ありがとうございます。
返信する
Unknown (まきば)
2019-04-15 18:15:47
『プリンセス美智子さま物語・知られざる愛と苦悩の軌跡(仮題)』
美智子さまがこれまで歩んだ道のりを、お気持ちが記されたノートを元にドラマ化…
だそうです。

メディアを使って着々と、伝説の人となるように仕向けられているなぁと、上の宣伝文を読んで思わず笑ってしまいました。
返信する
Unknown (スキャット)
2019-04-15 18:33:14
ブログの運営、管理は本当に大変なのですね。
ルールや縛りを、一律にルーチィンで処理された方が楽かも知れないですね。
記事のお写真の方は、日本文化、伝統の破壊者と思い、ゲンナリです。
この方の意向の反対側に正義があるように思います。
愛子天皇×、女性宮家×です。
もう騙されまいぞ!です。
返信する
Unknown (あこ)
2019-04-15 21:33:18
ブローチを着ける位置は、鎖骨の延長線だそうですよ。
https://www.google.com/amp/s/gamp.ameblo.jp/lovejetmaximum/entry-12242046109.html
返信する
Unknown (パール)
2019-04-15 21:47:31
よくみると、滑稽な美智子様ですが、今の感覚で当時のファッションを語ることはできませんね。
大昔のことですが、アルバイトをした先で別の子が袖なしで来たことがありました。
店長から叱られていました。
私自身の感覚でも袖なしは公の場にふさわしくない、と思っています。

その点では美智子様は好き放題だったようですね。
いじめ抜かれていたはずですけど。

常に足をポーズ、角度を決め…
たしか美智子様はご自分の画像は検閲されていたとか。
「憂いのポーズ」がお気に入りなのですね。
じっくりみるとどれもあざとさがイッパイです。

美智子様が手術か何かされて退院の日、陛下の肩に顔を埋める瞬間を当時ニュースでみてうちのお茶の間が凍りました。
あまりにもみっともない、と親が。

そばにいた清子さんが、もごもごしていました。
この時は、眉はあがっておらず「眉薄」になっていたような記憶が。

眉があがっていく時期はいつなのでしょう。

返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日本人なら絶対に知っておきたい皇室」カテゴリの最新記事