ふぶきの部屋

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池上彰の戦争を考えるSP

2010-08-16 12:42:56 | ドラマ・ワイドショー

 独居老人のあれこれが囁かれていますが、家族が遠くにいて

自分ひとりマンションの中に閉じこもっていると、他人事じゃないなあと

いう気がします。

ジュニア以外と口を聞いていないし そのジュニアも今日はいないし

老後、どうするかシュミレーションして考えるべきなんでしょうね。

という事で、本日は本棚の整理

宝塚のビデオみながらこれをやると「頑張ってる自分」を実感できるのね

 

 池上彰の戦争を考えるスペシャル 

 

 8月15日にまつわる「終戦記念日」について

 この番組、録画して全国の中学・高校で見せるべきですね。

これをしつこいくらい見たらどんなお馬鹿な人でもわかるもん

なんせ、8月15日が終戦記念日である事やどこと戦ったのかという

事すらしらない子が多いんだもの

かくいう私も、日本では8月15日が終戦だけどアメリカ等では9月2日が

そうだって知りませんでした。

戦艦ミズーリでの降伏調印式を「終戦記念日」と捉えていたんですね

 

 第二次世界大戦&太平洋戦争&大東亜戦争の違い

 これも若い頃は区別がつかなくて苦労しました。お年寄りは「大東亜」

っていうし、学校では「第二次世界大戦」っていうし。

でも正確にはドイツがポーランド侵攻して第2次世界大戦。日本が真珠湾を

攻撃して太平洋戦争。でもこれはアメリカ側の呼び方で日本からみると

「大東亜戦争」って事らしい・・今は「アジア・太平洋戦争」って呼ぼうという

動きもあるそうです (複雑すぎるからやめてっ

AKB48の大島さん。以外とよく知ってる。

ちゃんと「連合国」と「枢軸国」の違いをわかっていたし、ABCD包囲網も

D以外は言えたし・・・(Dがオランダなんてわかるわけないし)

でも、日本が中国に進出し色々な島を手に入れるにあたって、やってた事は

帝国主義の国々が植民地を獲得した事と変わりないんだって事、どれだけの

人がわかったかなあ。

 満州国ってどんな国?

 満州は日本の生命線」と呼ばれるのはなぜか。から始まって

  実際に旧満州に行き、今も使われている日本が作った建物などを

  見たのですが、レポーターの彼女がモロ「加害者意識」に苛まれてて

  「全てを日本風にしようという意図が見えて怖い」だの、中国人に

  インタビューする度に「ごめんなさい」って顔するのが妙に不愉快で

  確かに満州の土地を安く買い叩いてそれを買った日本人が入植し

  「中国人の土地を搾取した」って事になるんでしょうけど、満蒙開拓団の

  苦労を思うと、「日本は悪者」とばかり言い切れるのかな。

  搾取するなら中国人を働かせて自分達が楽をすればいいのに、何もない

  荒地を耕したという事実は消えないでしょう。

  新京に建てた今も残る建造物だって、何もない更地に建てたわけで。

  「偽満州国」と書かれたプレート見て、「ああ、私達って悪者」と認識

  してしまうメンタリティの方が怖いってば 

 玉砕って何?

 話の中に山本五十六が出てきて、彼は「半年なら暴れる」と言い切り

  真珠湾奇襲攻撃をする。その映像をパックンは今もまっすぐ見れない。

  おじいちゃんが空軍で小さい頃から聞かされてきたから

  でも日本人は原爆も沖縄も平気で見る事が出来るんだなあ・・・・・と。

  「玉砕」 = 玉のように美しく砕け散ること

  「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓を叩き込まれていた日本人は

  捕虜になるくらいなら自決せよと言われ、みんなで突っ込んだ。

  日本はミッドウエー海戦以後、南方諸島への補給を断念

  信じられないけど「自己責任」で何とかしろと言ったのよねーー

  アッツ島、ガダルカナル島、サイパン・・・サイパンのバンザイクリフは

  今は観光地で「日本軍の足跡をたどるツァー」なるものをやってるらしい。

 ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦について

 以前、サラエヴォ事件の事を調べていたのですが、その時、どうしても

  バルカン半島の情勢についてはいくらネットで調べても理解できず

  オーストリア・ハンガリー二重帝国時代の民族運動の事にしても

  複雑すぎてよくわからず・・・・断念してました

  でも、昨日、池上さんのお陰でよくわかりました。

  ユーゴスラヴィアというかなり複雑な民族事情が。

  第一次世界大戦の火種になったサラエヴォ事件から90年後に

  同じ場所から内戦勃発 ハセキョーの湿っぽいレポートはちょっと

  うざかった。そういえば「ER」のコバッチュ先生はクロアチア人であの内戦で

  奥さんと子供を失った役だったっけね。

 

 池上さんは非常に中立的に冷静に歴史を解説していたけど

番組の意図はやっぱり日本の「悪」を強調する事だったのかなと。

パックンが隣にいて、そこでルメイの東京大空襲だの原爆が落とされた

事実が淡々と語られているのに、誰もパックンを責めない。

これが韓国だったら大変だよねーー どこまでも加害者意識が

抜けない日本人であった。

池上さんが言いたかった事って、「戦争」が起きるきっかけというのは

わりとささいな事で、人類がこの世に生まれた時からずっと同じ事を

繰り返しているという事だったのでは

 他国から侵略されない為に領土を拡大して資源を得る。

 自分の民族が世界でもっとも有利に生きる事が出来る世界が欲しい。

すべてはこの二つでしょう。

日本だけじゃない、どこの国もそうやって数々の戦争をしてきたし、今だって

同じでしょう?日中戦争も韓国併合も日本「だけ」が悪いといえるのか。

そんな事を論じて罪悪感にかられてあるいは被害者だと周囲を責める事より

避けられなかった戦争の中で必死に国や家族の為に戦って死んだ人達に

祈りをささげましょうよ。

千鳥ヶ淵まで行って靖国神社にいかない閣僚達に言いたいです

A級戦犯って誰が決めたか知ってるの?

彼らが祀られているからって他の英霊に祈りをささげる事が出来ないなら

あなた達は何で今、生きてると思うのか 誰のおかげ?中国?韓国?

アメリカですか・・・・・?(菅さんの場合は韓国か)

本当の「戦犯」はアメリカと取引してまんまと罪を逃れた旧陸軍の人達。

731部隊の石原莞爾じゃないの・・・?

戦争を煽って煽り続けたマスコミじゃないの?

 

65年以上も前の事は、一つの歴史的事実でしかなくて、その時に生きた

人達の心情を慮る事は難しいと思います。

なぜあの時に戦争をやめなかったのか」

「なぜ抵抗しなかったのか」

って後から言うのはたやすいけど、当時はそうするしかなかった事情を

考えるべき

(そういえばイスラエルに帰ったユダヤ人達も同じように言われたんだって。

何でナチスに抵抗しなかったのかって)

戦没者に花を捧げるならやっぱり兵隊さん達にも。

「あなた方の犠牲の上に今の自分がいる」という事を認識したって

罪じゃない。

そうでしょう?

 

 

 

  

 

 

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「満州」に反応してしまいました。 (サザンベル)
2010-08-16 16:50:18
数年前に他界した母が、南満州看護婦養成所を卒業しています。
日本で女学校入学が決まっていたにもかかわらず、長野県で農学校の校長をしていた祖父が、生徒ばかりを次々開拓団に送るのは申し訳ないとの理由で、二度と日本に戻らない覚悟で一家で満州に渡ったそうです。
母の兄弟は女の子が多く、それを申し訳なく思った祖父がせめて負傷兵を助ける役に立てばと、母を看護婦にしたそうです。
(でも、その”南満看護婦養成所”を一生恥じて生きることになったのは皮肉です。
まあ、父が世間に対してそれを恥じていたせいかも知れませんし、私は満州という言葉を出さないよう口止めされていました)
最終的には祖父母と弟妹3人が満州で亡くなり、しかも3人の幼子が亡くなったのは両親の死後なので、母達姉妹が看取ったそうです。その後、母はチフスで髪が抜け落ち丸坊主、骨と皮になって、それでも看取った患者さんに託された子供を肩車して最後の船で帰国したとか…。
でも、満人の方に良くしていただいて(祖父が撃たれた時には匿って看病してくれたそうで)、苦労はしたけれど家族揃って幸せだったらしく、満州での出来事は泣きながらも懐かしそうに話していました。
長野や満州の頃に戻りたいくらいの勢いで泣かれたりして…
時々私に「クーニャン(だったかな?)みたい~」と言っていました。たぶん褒め言葉だと思いますが(汗)。
でも、やはり母の不幸は満州行きが決まった瞬間に始まったような気がします。
帰国後の親戚からの仕打ちも含めて、母からは「救いの無い人生が現実にあるんだ」という事を思いしらされました。
(本人が生涯「もういつ死んでもいい」と言って抜け出そうとしなかったのも事実ですが…。)
まさか、リベラルな印象を抱いていた祖父が「お国の為」だなんて驚きです。
お国の為=天皇陛下の為…、ですよね?
毎年この時期を迎える度ごとに天皇家(東宮家&少し両陛下)の現状に怒りが増します。
身内の事ばかりですみません。
石原莞爾は (ベッラ・カンタービレ )
2010-08-16 18:46:36
石原莞爾は関東軍の暴走を止めようとしていたのですが、東條に閑職に追いやられ、事実上何もできなくなってしまったのですよ。
満州は当時は正確に言うと「中国」ではない、むしろ「清」だった、清朝は女真族といって満州民族の政権。中国のファッションと思っている辮髪(頭のまわりを剃り、真中だけのばして編む)、チャイナドレスはズボンを必ず中に着用した乗馬服だった、漢民族の男は総髪で髪に布を巻き、男女とも着物のような前で合わせるものでした。女子は纏足でしたが満州族の女性は纏足をしません。礼の仕方も満州族は袖を振り、漢民族は拱手、・・・というように正確には満州は中国でなく「清」の延長だったのです。1949年に共産党が建国宣言するまでは。
文字も満州文字がありました。
中国へは不可侵の約束をしていたけれど関東軍の暴走は止められなかった石原莞爾はやがて日本は敗れるであろうと要職から身を引きます。
東京裁判の時は「私が戦犯だ、捕えよ」と自分を差し出したのですが、事実上、閑職で追いやられていたので審議の結果、そのまま、やがて病没です。また番組では関東軍が張作霖爆殺事件を起こしたと言っていますが、実際はユン・チアンの「マオ(毛沢東)」に暴露したように、ソ連のスターリンの命令により、張作霖の爆殺、となりの車両にはそれを撮影したソ連の工作員もいます。実際に手を下したソ連の工作員の名もあきらかにされ、ロシアはいまはそれを認めています。これは2006年の「正論」でも書かれています。池上彰さんがそれらを知らないはずはなく、「関東軍の謀略」と繰り返すのは、何か他に意図があるように思えます。
石原莞爾は「王道楽土」の理想を説き、中国、満州、モンゴル、朝鮮、日本の5つの民族が共に合衆国をつくるということだったのですが、東條とは徹底的に対立、英才の石原は実際に出来の悪い東條にプライド高く、いろんな原因があったそうです。「石原莞爾」は戦後、見直されており、私もDVD(NHK「その時世界は」)を購入しました。英才の石原莞爾への思慕は指揮者の小沢征爾の名前も彼の父が一字入れたと言うほどです。
Unknown (ふぶき)
2010-08-17 17:44:22
>サザンベルさま
私の母は台湾生まれの台湾育ちで、苦労知らず。自分の意思で帰国したけど戦後はずっと夫婦で「台湾に帰りたい」っていってました。辛くても何でも過去は美化されるんですね。

>ベッラ・カンタービレさま
そういう事でしたか。勉強不足で申し訳ありません。NHKの原爆関係番組では日本が積極的にアメリカに原爆の威力調査を差し出したのは731部隊を守る為であったというような発言がありましたが。
私、満州文化って好きです。満州族の衣装も清朝の暮らしぶりも。もし戦前だったら満州で暮らしたいとか思ったかも。
零下30度はちょっと怖いけど、大陸ってあこがれたかもしれませんね。
池上彰のそうなんだニッポン (suuuuuuhoi)
2010-11-21 19:23:48
11月16日のカスペ!では、日本とその周りの国々との国境について紹介していましたね。

テレビ局には、普段のニュース番組でこそ、事象を表面的に舐めるのではなくて、歴史的、立体的、俯瞰的に報じて欲しいですよね。
Unknown (ふぶき)
2010-11-22 16:08:26
>suuuuuuhoi様
おっしゃる通りですね。
この手の番組はよく見るようにしていますが、描き方一つという部分もありますので。

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