今朝、ロシアの陰謀か、寒気団が南下し北海道に霰アラレを落としていった。
冬近しの札幌です。
量子力学が世に出て100年以上が過ぎている。その間に人間社会には、世界大戦が数回ありました。また、原爆使用で日本人の数十万人が瞬間に消滅してしまった。量子論の善用より悪用が優先してしまった。
東洋版の色即是空、空即是色という情緒的説明を、西洋人のプランクという科学者が「物質の根源は粒子性と波動生の0と1の両面をもつ」と言ういい方で、物理学的に解明した。そのお陰で、現在、世の中には、0と1の応用グッズが氾濫するようになった。もっぱら、「商品」の部分に応用、発展が偏っている。それらを生活にうまく活用する制御の方には、量子論はうまく機能していないようである。機能しないどころか、平和な暮らし向きとは逆行するような応用の殺人兵器開発などが優勢になってしまっている。
当然のことで、理論であったり、技術であったりの、それらには「善悪の価値観」はないのでした。要は、人間社会の、良いか悪いかの価値観は人間の心の如何によるということで、その心が「成熟」しなくては、成熟した社会は経営できない。成熟とは、「集団暴力、インチキ戦争に荷担しない勇気ある状態」である。個人的には若年、後輩、無明を有明に導くことである。つまり「情報公開」。知らぬが仏ではなく、知って放っとけの寛容こそ真の大人の仏心だろう。集団暴力とは兵器による戦闘ばかりでなく、経済活動における巨大資本の無制限な商売活動の社会的暴走を含む。人面猿の早々の成熟を願いたい。
原爆は、試験レベルは許容するのが披露聡秘である。殺戮兵器として開発することは反対する。食品添加物の非常用適用は容認するが、一般食材に大量に使用するのは否定する。流通の便宜のための通貨は認めるが、投機転がしの数字だけの貨幣は否定する。
ましてや、「お金」は人間を動かし、自然を変革する一つのエネルギーであり、ある特定の場所に遍在し、滞留し過ぎては、自然循環のシステムを狂わしてしまう。自由社会はよいが、お金は「エネルギー」の変形したものであれば、如何に人間社会のルールで稼ぎ集めたとしても、それは、適宜、自然に還元されなければならないのが、自然のルールである。自然のルールに沿うことが「真の自由」である。
現在の自由は「一部の有力者のみの自由」に偏っていると思う。少なくとも「各民族の食糧自給」は自由であるべきで、自給の極端に条件の悪い地域に対しては、おなじ人間としての共済があっていい。
現在の自由思想の一般的雰囲気としては、弱肉強食の競争原理のみの自由思想に偏りすぎているように思える。いわゆる、他の不幸を自分の幸の具にするような思想は人間の文化とは思えない。現在の経済システムは限られたエネルギーの奪い合いで成り立っているようなところがあるが、野生の動物でもその点については、縄張り争いはあるにしても「一定の節度」を守っている。人間は賢くなった分だけ逆に強欲になってしまって節操がなくなってしまった。動物よりも劣るところである。
名実ともに万物の霊長、真の人間になるには、
エネルギーの足ことを知り、ほとんど無駄な戦争(集団的)を否定し、喰うことに困窮しているものには支援し、人生、健康に関する智恵、知識は教育しあう関係をつくり上げることであろう。
命がけを求める冒険の士は、大いに命を賭けて、外には、天地宇宙の解明に挑戦するのがよい。内には自らの芸才をとことん追求し磨けばよいのである。
命がけでインチキ商売の代理戦争するくらいなら、真の敵を見つけて、尊い命を燃やせば良いのだ。
真の敵は自分の中にいる。
Dasoku:
敵の分析:60%自分の中 25%身の回りの人 15%その他の他人
(アバウトな数字であるが真理である。参考になるでしょう)
真の敵を特定する事が大事である。疑わず、妄信せず、確かめよ、である。9/11のツインタワーの爆破の真犯人を自分の目で確かめないうちに、付和雷同する民衆は「大バカ」または「愚衆」である。アメリカ人月面着陸も自分で確かめましたか? 何事も確かめないでの言動は「嘘」「無明」になりかねません。無明でいると自由にこころ豊かに生きる保証は得られません。
冬近しの札幌です。
量子力学が世に出て100年以上が過ぎている。その間に人間社会には、世界大戦が数回ありました。また、原爆使用で日本人の数十万人が瞬間に消滅してしまった。量子論の善用より悪用が優先してしまった。
東洋版の色即是空、空即是色という情緒的説明を、西洋人のプランクという科学者が「物質の根源は粒子性と波動生の0と1の両面をもつ」と言ういい方で、物理学的に解明した。そのお陰で、現在、世の中には、0と1の応用グッズが氾濫するようになった。もっぱら、「商品」の部分に応用、発展が偏っている。それらを生活にうまく活用する制御の方には、量子論はうまく機能していないようである。機能しないどころか、平和な暮らし向きとは逆行するような応用の殺人兵器開発などが優勢になってしまっている。
当然のことで、理論であったり、技術であったりの、それらには「善悪の価値観」はないのでした。要は、人間社会の、良いか悪いかの価値観は人間の心の如何によるということで、その心が「成熟」しなくては、成熟した社会は経営できない。成熟とは、「集団暴力、インチキ戦争に荷担しない勇気ある状態」である。個人的には若年、後輩、無明を有明に導くことである。つまり「情報公開」。知らぬが仏ではなく、知って放っとけの寛容こそ真の大人の仏心だろう。集団暴力とは兵器による戦闘ばかりでなく、経済活動における巨大資本の無制限な商売活動の社会的暴走を含む。人面猿の早々の成熟を願いたい。
原爆は、試験レベルは許容するのが披露聡秘である。殺戮兵器として開発することは反対する。食品添加物の非常用適用は容認するが、一般食材に大量に使用するのは否定する。流通の便宜のための通貨は認めるが、投機転がしの数字だけの貨幣は否定する。
ましてや、「お金」は人間を動かし、自然を変革する一つのエネルギーであり、ある特定の場所に遍在し、滞留し過ぎては、自然循環のシステムを狂わしてしまう。自由社会はよいが、お金は「エネルギー」の変形したものであれば、如何に人間社会のルールで稼ぎ集めたとしても、それは、適宜、自然に還元されなければならないのが、自然のルールである。自然のルールに沿うことが「真の自由」である。
現在の自由は「一部の有力者のみの自由」に偏っていると思う。少なくとも「各民族の食糧自給」は自由であるべきで、自給の極端に条件の悪い地域に対しては、おなじ人間としての共済があっていい。
現在の自由思想の一般的雰囲気としては、弱肉強食の競争原理のみの自由思想に偏りすぎているように思える。いわゆる、他の不幸を自分の幸の具にするような思想は人間の文化とは思えない。現在の経済システムは限られたエネルギーの奪い合いで成り立っているようなところがあるが、野生の動物でもその点については、縄張り争いはあるにしても「一定の節度」を守っている。人間は賢くなった分だけ逆に強欲になってしまって節操がなくなってしまった。動物よりも劣るところである。
名実ともに万物の霊長、真の人間になるには、
エネルギーの足ことを知り、ほとんど無駄な戦争(集団的)を否定し、喰うことに困窮しているものには支援し、人生、健康に関する智恵、知識は教育しあう関係をつくり上げることであろう。
命がけを求める冒険の士は、大いに命を賭けて、外には、天地宇宙の解明に挑戦するのがよい。内には自らの芸才をとことん追求し磨けばよいのである。
命がけでインチキ商売の代理戦争するくらいなら、真の敵を見つけて、尊い命を燃やせば良いのだ。
真の敵は自分の中にいる。
Dasoku:
敵の分析:60%自分の中 25%身の回りの人 15%その他の他人
(アバウトな数字であるが真理である。参考になるでしょう)
真の敵を特定する事が大事である。疑わず、妄信せず、確かめよ、である。9/11のツインタワーの爆破の真犯人を自分の目で確かめないうちに、付和雷同する民衆は「大バカ」または「愚衆」である。アメリカ人月面着陸も自分で確かめましたか? 何事も確かめないでの言動は「嘘」「無明」になりかねません。無明でいると自由にこころ豊かに生きる保証は得られません。