(宇宙が右肩上がりに変化している場合)
無限有限の考察
時間と時とを区別します。
当然、空間と空とも区別します。
時は絞まる働き
空は広がる働き
間は長さ、広さ、大きさであるから、計れる端と端があり、
端と端(つまり限り)が有ることから「間が存在すると有限の原因となる」
故に、時間、空間は有限。
時、空は有限無限の判断出来る対象ではない。しいていえば有限概念であろう。
宇宙は、時と空が入れ替わり循環している脈動存在。その脈動が無限に繰り返す。
宇宙を感じているときそれは有限である。
抽象的思考によって、「無限に繰り返す」と感じるとき
無限の概念が発生する。宇宙そのものが無限回、循環しているので、宇宙そのもの全体では無限な存在といっても間違いではないが、この仕組みを知った上で云うならば、という条件がある。
物理的思考、真の哲学的思考によれば、単純な「1」の存在は現実にはあり得ない。数学的偏執思考では「純粋な1」は妄想としてあり得る。
自然、命、宇宙を思考する際に気をつけるべきは、
単純化分析と、総合組み立ての両方に気配りすることでしょう。
宇宙そのものが循環であり、バランスであることがその理由です。
宇宙のことを、感じ、理解するための、唯一の条件は
「共鳴」することでしょうから、宇宙のあり方を否定するような思考や、
感覚では宇宙と共鳴できず、当然理解など出来るわけがありません。
無限有限の[個と場]の理解がまず第一歩です。
過去→→→→空間→→→→→→→未来=不確定要素=拡散的=陰性
未来→→→→→時間→→→→→→→過去=確定要素=凝縮的=陽性
陰陽ウラオモテの複数の要素がヒトツになっている現象を象徴しているのが「1」という表現になっているのであって、「1」には複数の要素が含まれているのである。だから、1は1ではないのである。
1とは「ひとまとまりの全体概念」というのが、真の哲学的理解である。
無限有限の考察
時間と時とを区別します。
当然、空間と空とも区別します。
時は絞まる働き
空は広がる働き
間は長さ、広さ、大きさであるから、計れる端と端があり、
端と端(つまり限り)が有ることから「間が存在すると有限の原因となる」
故に、時間、空間は有限。
時、空は有限無限の判断出来る対象ではない。しいていえば有限概念であろう。
宇宙は、時と空が入れ替わり循環している脈動存在。その脈動が無限に繰り返す。
宇宙を感じているときそれは有限である。
抽象的思考によって、「無限に繰り返す」と感じるとき
無限の概念が発生する。宇宙そのものが無限回、循環しているので、宇宙そのもの全体では無限な存在といっても間違いではないが、この仕組みを知った上で云うならば、という条件がある。
物理的思考、真の哲学的思考によれば、単純な「1」の存在は現実にはあり得ない。数学的偏執思考では「純粋な1」は妄想としてあり得る。
自然、命、宇宙を思考する際に気をつけるべきは、
単純化分析と、総合組み立ての両方に気配りすることでしょう。
宇宙そのものが循環であり、バランスであることがその理由です。
宇宙のことを、感じ、理解するための、唯一の条件は
「共鳴」することでしょうから、宇宙のあり方を否定するような思考や、
感覚では宇宙と共鳴できず、当然理解など出来るわけがありません。
無限有限の[個と場]の理解がまず第一歩です。
過去→→→→空間→→→→→→→未来=不確定要素=拡散的=陰性
未来→→→→→時間→→→→→→→過去=確定要素=凝縮的=陽性
陰陽ウラオモテの複数の要素がヒトツになっている現象を象徴しているのが「1」という表現になっているのであって、「1」には複数の要素が含まれているのである。だから、1は1ではないのである。
1とは「ひとまとまりの全体概念」というのが、真の哲学的理解である。