世なおし倶楽部

①ことば遊びから哲学へ②安全な国産の農産物等の生産、流通③人に健康社会に平和④地球環境とエネルギー⑤矛盾の活用

世なおし急展開

2009-01-09 12:57:45 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
あらぬところから世界平和、世なおしの動きが急展開しそうな気配がします。

湖面に氷が張るときは、条件が整うと一気に湖面いっぱいに結氷するそうです。日本全国つつうらうらに、非ゆだきん(否定抹殺排他主義に非ず!)賛同者のネットを、根回し展開することが得策かと、常々思っています。(ゆだきんとはカネ亡者)

切り口は
①医療の自己管理
②真実の学習・教育
③安心農業の再興
④無限エネルギー自給
⑤全肯定でしょうか。

非ゆだきん批判と暴露だけでは、未来は暗い。建設的な学習も必要と思います。自分の得意分野は①です。②~⑤に関しては仲間がいます。蛇足ですが、60才すぎの団塊世代がカギとなると考えています。60過ぎの人生管理の要点は「粗食」につきます。運動はそこそこで間に合います。兎に角60過ぎの健康管理は食い物、喰い方です。

健康自衛の簡単さによって、非ゆだきんのトップ「毒太」の横暴を阻止できます。奴隷的労働から解放された定年退職者の固まり集団「団塊世代」の目覚めを促すのが、一つの方策かと思っています。団塊世代の老後の健康管理がリーズナブルに合理的に実践できれば、地球の未来は明るいということです。

日本独立世界平和のカギは「団塊世代の経済的な健康自衛による人生謳歌」にあと考えますがいかがでしょう。

仮説

2009-01-07 23:42:57 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
時空解明の世界~究極の哲学~は危ない世界です。ほとんど奇病を併発します。唯一耐えられる心身を作り維持させられるのがヨガであると気づいてかなりの時間が経ちますが、その最後のよりどころのヨガの真偽をどうやって確かめるのか、確かめられるのかが解らないと、堂々巡りのラビリンス入りということになります。釈迦以後にヨガを正しく理解して啓蒙出来た人はほとんど見あたらない。「ヨガはむすびだ」と簡潔に解説した悟人は沖正弘師以外に見あたらない。私の見識の狭さにも問題はありましょうが。ところで、時空の解説ですが、仮説であることを踏まえて読み、聴いて下さいね。
「中庸が縮む方向の流れの感触が時間の流れで、拡大の方向の感触、見えが空間の広がり」と考えて観ましょう。矛盾が起きなければ正解に成長します。皆さんも育成にご協力下さい。

・・・
物の発明、工夫もなかなかゴールに辿り着くのは難しく、チャレンジの対象として不足はないようですが、性格、体質によって気になる分野、方向が違ってきます。自分は、宇宙の果ての具合はどうなっているかとか、時間の最小単位はどれくらいの「大きさ」なのか、物質の究極の小ささはいかほどなのかなどが気になって、頭から離れない。奇病たる所以でしょう。ふつうの感覚であれば、目先の優先すべき問題に心は占領されて「出口の見つからない哲学病」には罹らない。

達成感がタイムリーに得られないと、満足感の得られず、チャレンジ意欲は持続しないものだ。肉体派陽性人は目先の達成感をもとめる傾向が強く、精神派陰性人は非現実的な遠い目標にこころを向ける傾向が強い。
ヨガのトレーニングの目標であり、結果は「心身つまり、肉体と精神のバランス強化鍛錬法」の体得であった。

仮説は別名方程式ともいう。未知数が解って、導入し、式をほどいていければ解答に辿り着きます。未知数を既知数にするにはどうしたらよいか。常識にとらわれず心を広く持ち、目先の肉体的欲望に引きずられないようにするため、心身食のバランスと環境への配慮の実践をする、つまり真のヨガ的生活の実践が有効と思われる。時空の実感を得る、命の実体と同調して生きるためには、必ずしも特殊能力や怪力の体得を必要としない。それよりも何よりも「バランス」が必要条件だろう。


カネは環境疲弊・エネルギー消費の代償

2009-01-06 00:17:50 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
20090105
夜のTV番組で、海外の現地の子供達に日本を紹介する番組をやっていた。さすがに日本のわびさびの精神世界の紹介では無かったが、寿司と一緒にわさびは紹介されていた。他にはハイテクの産業技術が中心に紹介されていた。ユニークなロボットもあって外国の子供ばかりでなく日本人自身にも、自国の再認識になった。

技術とその結果事実には「オセンチな人道的、任侠、法律的責任」を問うことはできない。技術を無心に開発し無心に実行する職人は純粋なお人好しが多いように思う。平和的活用を前提にする技術はそれだけなら、中立のものであるが、悪いヤツ、敵対するヤツを処分するのは正当な行為と考える「者」の手でその技術が行使されると、中立ではなくなる。特殊な武器に限らず、その気になればどんなものでも非人道的武器になり得る。

つくづく思うのは、「使い方」である

目先の現象の世界についての価値判断や評論は「現実的ルール」を適用しよう。
深く原理的宇宙規模、環境問題についての善し悪し価値判断や評論は、真の哲学判断が必要。
時代によってもものごとの価値基準は違う。どういうふうに判断すれば合理的な判断ができるのか。

どんな場合でも、いつの時代にも通用する普遍的な方策はあるのか・・・
あるあるある

その原理とは

① すべてオーケーということ
② 他人・環境に迷惑かけないように努力すること(謙虚さ)
③ 自分に都合のよいこと。気分のよいこと
以上の条件を総合するなら、間違った判断は生じない、はずだ・・・と思う

突然、景気の話だが、地球規模の天変地異で、すべての生き物が生きることが大変だというので無い限り、まじめに大騒ぎするのはどこか嘘くさい。
最低限の寝食で納得するなら、不景気の基準はぐっと下がって、現在の不景気などまだまだ余裕だろう。
寝食に困っているひとは、堂々と「生存権」を行使しよう。
海・川で魚を漁り、山野で草、木の実を採り、獣を獲って喰って生きよう。
採集、狩猟の技術の無いものは「みんなの力」を借りてとりあえず生きるのだ

金融経済、マネーゲームで金銭的財を成した人、マスビジネスで雪だるま式財テクを成した人を世間一般では「成功者」と呼ぶ。確かに一面では成し遂げた事実は事実である。しかし、人が「マスプロダクション」で財を成したそのウラには、野生自然の営みに対してアンバランスな「環境破壊」「エネルギーの消耗」があることを忘れてはならない。

財=金額数字は「エネルギーの変形」である。

このことを考えると、財を成し、蓄えていることは決して安寧な状態ではないのである
得たものを「失う 盗まれる」恐怖などという低レベルの話ではない! 環境哲学の問題だ

数兆円、数兆ドルの資産を作った天才的ビジネスマンが地球上に何人かいるようだが
その金額の分だけ「環境負荷」「エネルギーの消耗」を背負っていることを忘れているようだ。
にわか小金持ちのお笑いタレントが、焼き肉を旨そうに食べている姿は憎めないが、何とも寂しい

庶民一人一人の責任は軽い

しかし、それ相応にツケ、責任は負わねばならない

責任を果たすというのは「命がけ」ということ。庶民にも「一人一つの命」の責任は果たせる

人間なら、一つの命にプラス「社会的責任」を自覚したい。

地球、宇宙は丸い。裏表がある。遊びの余裕がある。
ぎちぎちの状態で生きているわけではないという直感がある。

いろいろな生活スタイルがあってもよいと思う。
しかし、地球・自然のキャパシティを越えてはならない
原発やハイテク、コンピュータ時代の到来は、バーチャル金融システムとの共犯でエネルギーのアンバランス
を生じさせ急速に快適環境を破壊しつつある。

一生懸命働いて稼いだカネは「自然環境の傷」の代償であることに気づかない人間は
「人面猿」にも劣る。猿に申し訳ない。

稼いだカネが「個人のもの」と勝手に思い込んでいる成功者はほんとうに成功者なのだろうか

少なくとも哲学の視点からはそうは思えない。

大いに稼いで後、自然・社会・環境に還元してはじめて、成功物語は完結するのに・・・

この理に合わないことが続くなら、世界は早晩崩れるだろう

このようなことにさっさと気づいて、大きな声でアピールし世の立て直しを実行するのが
政治家と思って悶々いらいらする今日この頃

因みに、悶々いらいらは哲学者の領分だ

有象無象の庶民は不景気不景気といいながら肉を食う

哲学的庶民は農的生活の尊さに目覚める

妄信せず疑わず自分の判断力で





三日坊主 つづき

2009-01-04 23:59:58 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
20090104
つづき
時間と空間の共通性に気づくひとがどれだけいることか。
常識では「違い」が強調される
時間と空間は違うと。

ヨガの極意、心経の真意に拠れば、違うと云えば違うし、同じと云えば同じとも云える、となる

時空に限らず、万物は「原始物質」のバリエーションであることが解ってきた。近代科学で。
原始人はとうの昔に直感していることであるが。

そもそも解らないことを解るには「直感」しかない。
科学的方法では、科学自身の論理性の狭さによって、未知なるものの定義が出来ない!

直感的手法には「限界」がない。好き勝手に想像すればよい。
しかし、その想像に限界をつくってしまうのが「常識」という化けものである。

せっかくの創造力の無限なる可能性を締め付ける事は「愚か」の始まりだ
はじめと終わりが同じであることの直感から始めてみよう

面白いように疑問が解けてゆく
ここでいう疑問とは「宇宙自然の疑問」である。
人間社会のいろいろな矛盾の疑問のほうがむづかしく、解きにくい。

さて、時間と空間が相互に入れ替わる「場」はどんな場であろうか
場と云ってもよいが、境目と云う方がより確芯に近いだろう

一つの考え方の応用で、陰陽の応用がある
空間は陰で、時間は陽という分け方がある

大いに参考になる

ムカイ披露聡秘の直感に拠れば、
時間と時は違うし、空間と空もちがう

丁寧に正確に、陰陽と時空のすりあわせをしないと、宇宙自然の内緒話は解けない

ではその究極のすりあわせ、定義をしよう
時が陽で、空が陰であるとする。勝手に定義すればよいのだ。誰に気兼ねもいらない。
皆さんは気兼ねして定義しないのでは無く、思いつきそのものが無いのでしょうが・・・
時が陽で空が陰と定義するが、証明する必要はない。というか出来ない!現物を見せる事が出来ないからだ。
陽も陰も「極」であって、実体はない。

ないけどある、のだ

広がりの究極世界が「陰 空」で、縮まりの究極世界が「陽 時」である、ということがお分かり頂けますか

次なる思考段階は、

広がって行く「方向の長さ」を「空間」とし、縮まって行く方向の長さを時間とする。
ここで、お気づきのことと思うが、「間」は「長さ」である。
現実的に物事を認知出来るのは「間 長さ 大きさ」が計れるからである。時間、空間の認知がそれである。

時と時間は別物である。空と空間もそうだ。
ムカイ披露聡秘の定義では、
時間も、空間もそれぞれ「三次元」の広がり、方向をもっているとする。
空間と時間との仲をとりもつ「界面活性作用」は「時空が逆さまにセット」されている。

小生の粗造力では、数学的思考が追いつかないので、詳しいヒトのご意見を頂きたい。

陰陽の原理、物の存在のための条件は最低四次元必要という原理、そもそも一次元は
4次元で組成されている理屈など総合すると・・・

電気現象(光現象はその一部)こそ見えない世界と見える世界との橋渡し=むすび作用と思える。
霊 光 火風水世草虫魚矢獣人 0 ☯ 12345678910

「ヒフミヨイムナヤコト」は古神道の祝詞の一節であるが、ヘブライ語として読むと
「女神を闇から誘い出す際に、かける誘いの言葉はいかなる言葉か」という意味になるらしい

また、霊~光~草・虫~人 の変化は、進化=人間への生物変化の過程を表している。
つまり、「エネルギーのなんたるか」を問題にしているものであり、答えを暗示している
「方程式」とも云える。解けば答えが得られるのである。

この辺の消息は30年前におよそわかっている。

未来は莫として不確定要素が多いので陰性
過去は確定したものが一点凝固したもの

故に、時間は陰の未来から、陽の過去に向かって流れている、とする。

身の回りでは、エネルギーが減ったり増えたり、無くなったりするが、
宇宙全体では、エネルギーは増えも減りもしていない。
このあたりのもやもや感をエネルギーにして、訳のわからない宇宙神秘の謎を解くのである。

dasoku:
宇宙の果てを突き抜けると、そこは雪国ではなく
地球の中心であった、というようなSF映画があったような気がするが・・・
ムカイ披露聡秘によれば、地球の中心ではなく
地球の表面で、あらゆる自然現象が総合する場であるところの「磯辺」との直感がある。
原始天然作用としてはであるが。
人工的には、「子宮」である。
一般的には、生物の「生殖」の場が「生死 宇宙の境目である」

生物と生命は分けて考えよう。当然のことであるが。



三日坊主

2009-01-04 04:58:24 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済

今日の話は昨日の続き、今日の続きはまた明日・・・
知るヒトぞ知るラジオ番組。たしか・・21:55pm~から五分間の月金番組だったと思う

大橋巨泉、前田武彦、富田恵子がレギュラーの大人っぽいテーマの番組だった
皆三〇代そこそこだっただろうか。それにしてはしっかりした内容のある話をしていたように思う

昔、30才は年寄りであったから、一丁目前の話ができて当たり前田のクラッカーなのである

ところで、正月も三日目が終わった。時間の経つのが早いと感じるのは、それぞれ勝手ではあるが、時間の経過を早く感じ、世間が狭く感じるのは、老化現象の一つらしい。
究極の哲学「般若心経」の真意を会得して心身統一し、迷いを超越したかに思ったのは幻で、現実の生の感覚は、時間空間の変化の波にもまれている。

歩くスピードでの生活感覚と車で動く生活感では、時間空間の感じ方は違ってくるだろう
車やジェット機のなかった時代でも、馬や馬車があった。多少の時間の感覚の違いは感じていただろう。

心経の心根は「循環 むすび はじめと終わりが繋がってぐうるぐうる」であった。旧年が過ぎ新年が来て正月もさっさと終わってしまうが、そんなことの堂々巡りの生活のなかに、如何に感動のひだを感じ取るかの大切をしみじみ思い起こさせてくれるのも心経の御利益であろうか。
同じ事の繰り返しのように見えて、そうではないことに気づいたら、さあどうしましょう・・・

今から4200年ほど前に地球規模で環境が大異変を起こしていたことがほぼ確実になってきた。ピラミッド建設が継続できなかった理由の一つでもあるらしいが、ピラミッドどころか、普段の平穏な生活自体が継続出来なかったであろう。当時なら人工的な地球規模の環境破壊は考えにくいが、原因が何であるかはともかく、自然の驚異に逆らうことなく、自然を深く広く感じ取ることによってヒトはわがままな欲望の暴走をコントロールしないと、ヒトとして完成できないであろう。

ヨガの真義も心経の真義も、堂々巡りこそが自然存在の原理、原動であることを云っている。堂々巡りの同じことの繰り返しの対局に「感動」を直感できるかどうか・・・
そういうセンスを磨くことが、これからの時代を生きるヒトの共通の人生テーマになる。

毎日、むすびの原理探求とその応用についての悶々が頭から離れない。むすび、ホトケ、循環、バランス、酸化還元、老化若返り、鮮度保持、マンネリ打破・・・出入り、呼吸、・・・

循環の究極は「時間と空間の変換循環」であろう。一般に時間と空間は別ものと考えている。確かに違う面もあるが、違いを比較するためには同じ面がなければならない道理がある。結局、自然のすべての存在は「存在」という共通点の上で「違い」浮き立たせているのであった。すべての存在物は「同じもの同士」の別々の時間空間の在り方の違いで「別物に見える。」

むすび講座(一般)

2009-01-02 23:30:16 | 自然・環境・生活
むすぶという言葉に限らず、言葉はどれも不思議です。

MUSUBUは母音がすべてUです。

Uはうです。ゆうでもいいですが、結局はうに収束します。

うはうなり 動くのう

母音の原音が 「U」でした。

母音は、同じ音が連続して聞こえます。

イツまでも、あはア~であり、いはイ~です。

おおもとは「ウ~」です。イツまでも「ウ~」と続きます。

古来より連続性を「母性 女性」といわれています。

「むすぶ」は言葉通り「すべての創造の根源的意味」を体を張って表現しています。」

むすび講座は、こころと身体と食を総合的に「むすんで」学習する講座です。

なんの為に・・・

人生充実のためにです。

講座の内容は

①心と体と食の基本原則
②日常のすこやか生活への応用
・・・・
③哲学入門 人間探求 
④時事問題
⑤Q&A・・・等

毎月1回 開催の予定です。
①以外の内容は都度、違います。前月に予告する予定です。




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2009年賀

2009-01-02 02:34:08 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済


また、年を重ねた

無限の意味の一つが「堂々巡り」であることは別に新しいことではない

無限とは繰り返しという言い方に、釈然としない引っかかるものがあり、

堂々巡りということにしようと思った、初夢

夜の妄想  朝の常識、明想

夜明けの瞑想 迷走と裏腹

ところで、毎年の繰り返しになるのだが、

大晦日と元日の狭間の時間の瞬間の「長さ」は「どんだけ」かという疑問

瞬間の連続

瞬間が「0」ならば いくら瞬間が重なっても「永遠に0」であり、幅や時間の厚みは存在しえない

しかしながら、大晦日と元日の間にいくらかの隙間がある

二四時間はあるのだ

しかし、新年が明けるときは、あっさりと時間は瞬間に移動する

・・・

時間の感覚は原因や条件では無く

「結果」だ

結果は「一つ」に凝縮している

陽の極であった

「極」に「間」はいらないから極には「時間」はない

披露聡秘の直感で

時間、空間のどちらの場合でも、「境目」があるとして

その境目は、あるようで無い

その矛盾を矛盾とさせない「ありさま」は

「ギザギザ リアス式 いれこ マトリョウシカ」である


今の瞬間には「過去と未来が入り組んでいる」ということである

そもそも「入り組んで、ゆらめいて振動している変化状態」を宇宙とか、命とか存在というのであろう・・・

お休みなさいZZZZZ




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