世なおし倶楽部

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「神を訴えてやる」より、「神々を裁く」

2007-09-23 04:05:55 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
当ブログで以前に、盗人ら騙す~の中で、「神を裁く」提案をしました。その後、某ブログで、ある議員が自然災害による人的被害を憂いてそれら災害を引き起こした「神を訴える旨」の記事紹介がありました。

世なおし倶楽部の提案は、訴えるぐらいでは、手ぬるいということで、「裁いて」しまいます。ところで、裁く神は、正確には「神々」でした。
「神」を裁くことはできませんでした。災害を起こしている、張本人は神様ではなく、神づらしている「人間」で「神々」と言われているものです。
その神々なら「裁く」必要がありそうです。
人間以外の自然の神々は自然のルールに則って、存在していますから、訴える要件がありません。

問題は、我利我利の強欲の人間です。
台風、地震、雷、温暖化などの自然現象を災害にしてしまうのは人間の傲慢な人口爆発であり、限度を超える環境汚染・破壊が原因です。
雨風に罪はありません。冤罪はいけません。
大雨による河川の氾濫は、周辺の土地を、肥沃にする肥やしになります。災害になるのは、そこに「たくさんの人が集まる」からです。
なぜ、河川敷きに人が群がるのか、それは「商売」が繁盛するからでした。
災害の真犯人は、災害によって利益をこうむる「人間」ということになります?

問題の特定を誤ると、解決はできないでしょう。方程式の立て方を間違えれば、答えは迷宮に入り込んでしまいます。

そもそも災害は、人間づらしている「神々」を神が裁いている現象と理解すべきでしょう。


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