世なおし倶楽部

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有識者の由々しき大問題

2009-04-27 09:24:34 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
哲学の春

ということにして哲学る今日この頃


札幌らしく、手稲山に春の大雪

寒々とする春ならば、浮かれてもいられない

で、哲学


人間と他生物の違いは

微妙な身体のつくりの違いはともかくとして

「哲学する」点だと考えます。

哲学の動機は

「世の存在を不思議と感じる余計なこころもち」でしょう


ところで、人間社会の諸々の問題を論議し結論を出そうとするときに必ずと云ってよいほどしゃしゃり出て来るのが「有識者」です。学識経験者とも云われますが。

人間社会の諸々と云うところが「みそ」です。


つまり、より広く深い宇宙について論議する場合には、有識者では間に合わないということです。

人間社会は「法律 その時々の常識」に則って機能していますので、人間の「目先の知識」が社会運営の基準になります。

がしかし、

宇宙は人間のエゴの都合だけで動いているわけではないと思いますので、人間の常識的知識、つまり目先の知識だけでは計り知れないと考えるのです。


さて、人間という言い方を繰り返しましたが、

人間にも二通りありまして、

エゴ知識に固まっている有識人間つまり由々しき人間と
不思議を楽しむ柔らか哲学人間です


人間と他生物との違いは

哲学をするかしないかと仮定しましたが、人間社会に

哲学をしない人間も紛れ込んでいるのが実態です

すべての人間が哲学をしていないとなると

哲学をしていない人間は、どう定義すればいいのか悩ましくなります

有識者の多くは、規定の常識に凝り固まっていて超安定精神状態の人間であるがゆえに、社会問題の解決役に抜擢されるわけなのですが、

宇宙、生命の根本問題の解決には

有識者はおよそ役に立ちそうではありません



常識的人間の集団が「人間社会」であるならば

哲学する生物が人間とする定義は誤りになってしまいます


はてさて、

哲学する生物をなんと定義すれば矛盾しないのでしょうか

有識者の優秀な人間様に考えて欲しいのですが、無理な欲求でした!
固定思考の有識者には「哲学」は出来ないという結論に達してしまいました


そんなことは無い!という声も聞こえるような気がして

ふっと、ため息ついて耳をすませると、聞こえて来ました

ヒロソフィ 披露聡秘


有識者の定義する哲学は真のヒロソフィではなかったのです

真のヒロソフィ 「智を愛する」は

披露聡秘なのでした・・・


披露聡秘に搗いては

のっちー

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