「この世」
そもそも、科学的というのは、証明可能的という意味でもあります。
また、科学の科とは「部分的」というニュアンスのことばです。
つまり、証明できない宇宙の全体の詳細を、科学的に部分的に論じ、
証明しようとすることは
はじめから、論理的に破綻しているのです!
論理的に論じるのは哲学です。
哲学は、明快です。
解らないこととは解らないなりに、解らないと云うのです。
そして、かもしれないという、想像を楽しむのです。
科学者には、想像を楽しむセンスの欠如している人が多いようです。
宇宙は膨張しているという、非論理的な宇宙論に疑問を持たないのが
科学的に正しい態度なのですから、科学者に宇宙論を語らしても
無意味なのです。
命の現象も証明できない点があります。ということは、
命のことを科学的に論じることは、科学的ではないことになります。
この辺の論異性を理解することができれば哲学者の卵といえるでしょう。
天才科学者の多くは、証明不可能なことにも興味を持っていますが、
証明する事に囚われている人が多い。
あの世の事を、この世で証明する事は絶対できません。
だから、科学であの世を研究する事は、無駄な事です。
今の瞬間を、いつ証明できますか?
別の場所を同じ場所で再現現できますか?
哲学的思考をすれば、簡単に解決できる問題です。
「あの世」