ヨガに限らず流行はいろいろな分野で、繰り返し現れては消えるものでしょう。目だって気になるような社会現象となって一応「流行」といわれるものと思います。
その昔奈良時代に弘法大師が大陸から伝えたのが有史後の日本のヨガの最初でしょうか。密教の行法、教えはヨガとよく似ています。似ているどころか、ヨガ~ゆが~ユジ~ユイの言葉は日本語の「結い」と同じなのでした。ということは、弘法空海が大陸から伝える以前に日本に「結い」の概念があったことになります。つまり、必ずしもヨガはインド原産とは云えないのです。
弘法大師本人がいないので確かめようがありませんが、インドの仏教、密教つながりの宗教的「ヨガ」の意味が「結び」であり、ヨガの訛りのユガ、ユジ(インドでの訛り)の意味が日本語と同じ結びであることを知ったら、日本人としての弘法大師はどのように反応するでしょう。ヨガ=結い=むすびを知ったら、どちらがルーツ、本家・元祖かが気になったことでしょう。
今、インドでもヨガブームだそうです。一瞬笑ってしまいました。アクロバット的、体操的ポーズ中心のヨガと冥想中心のヨガの2大派があるようですが、いずれもある特殊な「行」的なものです。
しかし、「結い」という概念は特殊な部分的な行の分野のみに使われるものではないでしょう。部分的とその正反対の「全体的」との総合調和概念こそ「ヨガ=結い」と考えるほうが正しいと思います。
特殊な行も含め、人間生活のすべて、さらには森羅万象の営みすべてがつながっていることの自覚が「結い」だと思います。そういう意味からブームを考察すると、最近のヨガブームは、健康、美容、ファッションという狭い分野でのブームであって、ヨガの本質論からみると物足りないものがあります。
でも、その延長線上にはより普遍的なヨガの意味が浮き出てくるものと思われますので、期待をしてよいでしょう。
なぜなら、健康、美容、ファッションを追求し続けるなら、行き着くところは「人間の理想」であるからです。
人間はなまじっか「個人」の意識が強くなりすぎ、宇宙全体、宇宙の本質=生命から遊離してしまいました。それで「本質=神」への回帰を求めつづけ「矛盾」の呪縛から解放されたいともがき悩み「行」をするようになりました。
幸せの真ん中にいる時は、余計な詮索、思議はしないものです。しかし、世情が怪しくなったり、心身の具合が悪くなったりすると、人は原点回帰にこころ惹かれるようになり、よりどころとしての宗教などが勃興、流行ります。その中でもヨガは、抽象的(瞑想的)でありながらも、総合的具体的(ポーズ的)であり科学的であり、宗教的、哲学的ですから、今後もますます人のこころが不安定になればなるほど、ヨガは普及、発展するものと思います。
部分的ヨガはあだ花的ではありながらも、ヨガの普及の宣伝におおいに貢献しています。願わくは、刺激的で部分的でファッショナブルなままにとどまらずに、進化発展していって欲しいものです。
近々、今秋にはNPO国際総合ヨガ協会が立ち上がります。総合ヨガを提唱し、後世に継承していこうとする有志が日本の全国にいます。時代の申し子的存在の「団塊世代」が中心になって有志を集い活動を開始したところです。おおいに期待できます。期待してください。
時代は、大きな転換期にさしかかっています。自然は着実に機能しています。
日本の団塊世代が中心となって、結いの哲学を、偏りなく普及することが、新しい地球時代を開くことになる、という直感、ヴィジョンを観ることが、瞑想行のひとつの悟りでもありましょう。
蛇足ながら、総合ヨガとは「基本と枝葉の応用」のバランスだと考えます。個性の尊重・開発・進展と、全体・社会・環境保全との「矛盾克服」が総合ヨガと心得ます。
<むすびヨガCLUBブログ>から転載
以下は、星人コーナーです。毒気に免疫のない方は近寄らぬほうが無難です。
ヨガの定義は、簡単です。簡単であればこそ「普遍的」なのです。
個であり全体である仕組み、自動無限存在システムこそ、ヨガでありそれは
「結い」であり「循環」であり「矛盾活用」であり
「サターンを生んでしまった神の懺悔」であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/cf/d3ebe527881882648664c4383abbc864.png)
その昔奈良時代に弘法大師が大陸から伝えたのが有史後の日本のヨガの最初でしょうか。密教の行法、教えはヨガとよく似ています。似ているどころか、ヨガ~ゆが~ユジ~ユイの言葉は日本語の「結い」と同じなのでした。ということは、弘法空海が大陸から伝える以前に日本に「結い」の概念があったことになります。つまり、必ずしもヨガはインド原産とは云えないのです。
弘法大師本人がいないので確かめようがありませんが、インドの仏教、密教つながりの宗教的「ヨガ」の意味が「結び」であり、ヨガの訛りのユガ、ユジ(インドでの訛り)の意味が日本語と同じ結びであることを知ったら、日本人としての弘法大師はどのように反応するでしょう。ヨガ=結い=むすびを知ったら、どちらがルーツ、本家・元祖かが気になったことでしょう。
今、インドでもヨガブームだそうです。一瞬笑ってしまいました。アクロバット的、体操的ポーズ中心のヨガと冥想中心のヨガの2大派があるようですが、いずれもある特殊な「行」的なものです。
しかし、「結い」という概念は特殊な部分的な行の分野のみに使われるものではないでしょう。部分的とその正反対の「全体的」との総合調和概念こそ「ヨガ=結い」と考えるほうが正しいと思います。
特殊な行も含め、人間生活のすべて、さらには森羅万象の営みすべてがつながっていることの自覚が「結い」だと思います。そういう意味からブームを考察すると、最近のヨガブームは、健康、美容、ファッションという狭い分野でのブームであって、ヨガの本質論からみると物足りないものがあります。
でも、その延長線上にはより普遍的なヨガの意味が浮き出てくるものと思われますので、期待をしてよいでしょう。
なぜなら、健康、美容、ファッションを追求し続けるなら、行き着くところは「人間の理想」であるからです。
人間はなまじっか「個人」の意識が強くなりすぎ、宇宙全体、宇宙の本質=生命から遊離してしまいました。それで「本質=神」への回帰を求めつづけ「矛盾」の呪縛から解放されたいともがき悩み「行」をするようになりました。
幸せの真ん中にいる時は、余計な詮索、思議はしないものです。しかし、世情が怪しくなったり、心身の具合が悪くなったりすると、人は原点回帰にこころ惹かれるようになり、よりどころとしての宗教などが勃興、流行ります。その中でもヨガは、抽象的(瞑想的)でありながらも、総合的具体的(ポーズ的)であり科学的であり、宗教的、哲学的ですから、今後もますます人のこころが不安定になればなるほど、ヨガは普及、発展するものと思います。
部分的ヨガはあだ花的ではありながらも、ヨガの普及の宣伝におおいに貢献しています。願わくは、刺激的で部分的でファッショナブルなままにとどまらずに、進化発展していって欲しいものです。
近々、今秋にはNPO国際総合ヨガ協会が立ち上がります。総合ヨガを提唱し、後世に継承していこうとする有志が日本の全国にいます。時代の申し子的存在の「団塊世代」が中心になって有志を集い活動を開始したところです。おおいに期待できます。期待してください。
時代は、大きな転換期にさしかかっています。自然は着実に機能しています。
日本の団塊世代が中心となって、結いの哲学を、偏りなく普及することが、新しい地球時代を開くことになる、という直感、ヴィジョンを観ることが、瞑想行のひとつの悟りでもありましょう。
蛇足ながら、総合ヨガとは「基本と枝葉の応用」のバランスだと考えます。個性の尊重・開発・進展と、全体・社会・環境保全との「矛盾克服」が総合ヨガと心得ます。
<むすびヨガCLUBブログ>から転載
以下は、星人コーナーです。毒気に免疫のない方は近寄らぬほうが無難です。
ヨガの定義は、簡単です。簡単であればこそ「普遍的」なのです。
個であり全体である仕組み、自動無限存在システムこそ、ヨガでありそれは
「結い」であり「循環」であり「矛盾活用」であり
「サターンを生んでしまった神の懺悔」であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/cf/d3ebe527881882648664c4383abbc864.png)