そして、晩は「うたわれるもの」鑑賞ですよ。
毎度のことながらベナウィ男前。
なんでこんな人がインカラに仕えてんのとか思いますが、
本人的には人ではなくて国に仕えているつもりなんでしょうね。
女性サイドですが、チキナロがセクハラっぽいことをエルルゥにやってくれて、
そのときのエルルゥのリアクションに萌え。
とはいえ、一応ギャルゲー原作なんで、
ぼちぼち他の女性キャラ登場に期待です。
大原さやかウルトリィは「あらあら、うふふ」って言ってくれるのかしら(笑)。
で、前の記事に関連してのこと。
「ARIA」はいわゆる癒し系作品として評価されている部分が大きいわけですが、
中にはARIAのどのへんが癒しなのかさっぱりわからない人もいるようです。
私も、具体的に説明しろといわれると難しいと思っていたんですが、
今回の女子高生を見てちょっとひらめいたことがありまして。
キーワードは「表裏」。
「ARIA」に登場する人たちは、
揃いも揃って裏表のない方々ばっかりです。
灯里やアリシアさんの言ってることは疑う必要なんかありませんし、
彼女たちが他人に見せる親切に打算を見出すこともありません。
そのおかげで、視聴者は心をまったくの無防備にした状態で
素敵な時間を30分ほど過ごすことができる。それがARIAの癒しです。
ところが、世の中には「人間には必ず裏側がある」と考えている人だっているわけです。
たとえば、アリシアさんのあらあらうふふスマイルも、
「しょせんお金もらってるからでしょ?」
と思わずにはいられなかったり。
そういう人は、誰かが笑顔と優しさを無条件にふりまけばふりまくほど、
その人に恐怖するようになります。
「こいつ、腹の底でいったい何を企んでいるんだ?」と。
それを実際にやったのが「天使のいない12月」の明日菜シナリオで、
彼女の優しさの奥にあった黒い部分が露わになって、
ようやく明日菜の人間像が完全につかめて安心できた人もいるはず。
つまり、建前と本音は完全に別物と思っている人には、
建前と本音の境目が存在しないARIAの世界がきっと気持ち悪く思えるんです。
まるで、みんな建前だけでつきあっているような、そんな世界。
「いや、あの世界の人はみんな本音でつきあっているよ」と言っても、
「本音=欲望・憎しみ・ねたみ……」という観念を持っている人には
ピンとこないでしょう。
「彼女たちは、昏い本音を一切見せてくれない。
だから、私はいつまでたっても彼女たちの本質をつかめないし、
彼女たちを心から信じることができないんだよ」
といったところですかね。
しかし、私からすればそれはこの世にいない怪物を
勝手に自分で作り上げて、ひとりでおびえているようなものです。
心の黒い部分なんて、見つからないのなら
はじめっからないと思えばいいんです。
それを「見つからないように巧妙に隠している」と疑うからややこしくなるのであって(笑)。
まあ、現実世界において心をさらせる相手がそうそういないからこそ、
「ARIA」のような「他人を決して傷つけない優しい世界」が
フィクションにおいて必要なのだともいえます。
ならば、現実と空想をあえてごちゃまぜにせずに、
空想の中でくらい他人を心底信じるのもいいではありませんか。
毎度のことながらベナウィ男前。
なんでこんな人がインカラに仕えてんのとか思いますが、
本人的には人ではなくて国に仕えているつもりなんでしょうね。
女性サイドですが、チキナロがセクハラっぽいことをエルルゥにやってくれて、
そのときのエルルゥのリアクションに萌え。
とはいえ、一応ギャルゲー原作なんで、
ぼちぼち他の女性キャラ登場に期待です。
大原さやかウルトリィは「あらあら、うふふ」って言ってくれるのかしら(笑)。
で、前の記事に関連してのこと。
「ARIA」はいわゆる癒し系作品として評価されている部分が大きいわけですが、
中にはARIAのどのへんが癒しなのかさっぱりわからない人もいるようです。
私も、具体的に説明しろといわれると難しいと思っていたんですが、
今回の女子高生を見てちょっとひらめいたことがありまして。
キーワードは「表裏」。
「ARIA」に登場する人たちは、
揃いも揃って裏表のない方々ばっかりです。
灯里やアリシアさんの言ってることは疑う必要なんかありませんし、
彼女たちが他人に見せる親切に打算を見出すこともありません。
そのおかげで、視聴者は心をまったくの無防備にした状態で
素敵な時間を30分ほど過ごすことができる。それがARIAの癒しです。
ところが、世の中には「人間には必ず裏側がある」と考えている人だっているわけです。
たとえば、アリシアさんのあらあらうふふスマイルも、
「しょせんお金もらってるからでしょ?」
と思わずにはいられなかったり。
そういう人は、誰かが笑顔と優しさを無条件にふりまけばふりまくほど、
その人に恐怖するようになります。
「こいつ、腹の底でいったい何を企んでいるんだ?」と。
それを実際にやったのが「天使のいない12月」の明日菜シナリオで、
彼女の優しさの奥にあった黒い部分が露わになって、
ようやく明日菜の人間像が完全につかめて安心できた人もいるはず。
つまり、建前と本音は完全に別物と思っている人には、
建前と本音の境目が存在しないARIAの世界がきっと気持ち悪く思えるんです。
まるで、みんな建前だけでつきあっているような、そんな世界。
「いや、あの世界の人はみんな本音でつきあっているよ」と言っても、
「本音=欲望・憎しみ・ねたみ……」という観念を持っている人には
ピンとこないでしょう。
「彼女たちは、昏い本音を一切見せてくれない。
だから、私はいつまでたっても彼女たちの本質をつかめないし、
彼女たちを心から信じることができないんだよ」
といったところですかね。
しかし、私からすればそれはこの世にいない怪物を
勝手に自分で作り上げて、ひとりでおびえているようなものです。
心の黒い部分なんて、見つからないのなら
はじめっからないと思えばいいんです。
それを「見つからないように巧妙に隠している」と疑うからややこしくなるのであって(笑)。
まあ、現実世界において心をさらせる相手がそうそういないからこそ、
「ARIA」のような「他人を決して傷つけない優しい世界」が
フィクションにおいて必要なのだともいえます。
ならば、現実と空想をあえてごちゃまぜにせずに、
空想の中でくらい他人を心底信じるのもいいではありませんか。