goo blog サービス終了のお知らせ 

伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

おいしい水(Água de Beber/アグア・ジュベベ)アントニオ・カルロス・ジョビンで聴く、やはりジョビンが最高。

2019年12月27日 | JAZZ・ボサノヴァ


最近ニューヨークで開かれた「温暖化対策サミット」ここでスピーチした一人の少女に、いま世界の注目が集まっている。
スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさん(16)である、気候変動が緊急事態にあると訴えるグレタさんは、毎週金曜日に学校を休んでストライキを続け、大人たちに本気の対策を要求、実に馬鹿げた行いである。先日米国人が来日し米国大統領選挙の名前の書き直しを行われた不正選挙は悪い事なのか未だ解らない米国人が多く、2000年以上続く日本の見解は如何にと尋ねたが、日本での見解は悪い事と即座に対応したが、それは歴史の違いが物語る民度の違いと米国は答え、書き換えることは悪い事の意識が無い事が実情だと行っている。この様に思えば先の大東亜戦争の日本が先に戦争を仕掛けを米国大統領に組まれた戦争なのです。悪の意識を全く持ってない大統領はじめ米国民が一番の問題である、実に未だ成長過程中の民度しか持ってない国である。

冷静になって思うは此の少女はヤクザ屋さんと変わりなく、強い国には公言は吐かなく弱みを見せた国には徹底的に攻撃する三文ヤクザの手口であり、お笑いネタのようで全く芸人以下である。これはバックに蔓延る影が見える様で、実にさもしいやり口でもある、顔は子どもらししいあどけなさ、可愛らしさは微塵も見えない実に不幸な顔を見るのも大変不機嫌になる。

でも世界1,2位の大国が一番CO2を撒き散らしている矛盾に怒りを感じないのか?地球は不思議な星である。未来を考えるなら今対応したい、昔この星は恐竜が一時代を過ごしてようだが、当時は相当温暖だと聞くが、確かに今年は暖冬で何時もの年より薄着で過ごせるが、筆者には温暖は決して悪いことでも無いようだが、今後の地球には未来はあるのか?
でも年齢が重なると寒さは堪え、恐竜時代は温暖だと聞くが真相は不明だ。それでも地球は未だ生きている。


先日ジョアン・ジルベルトのことを紹介したが、ボサノヴァと言えば是非あと一人紹介したい。

正式名は長いが、アントニオ・カルロス・ブラジレイロ・ヂ・アウメイダ・ジョビン(Antônio Carlos Brasileiro de Almeida Jobim)1927-1994
私見だが、このボサノバ音楽はオーディオ装置のバランスが悪いと、ブツブツとお経を聴くような感じに聴こえる場合がある、これは高額な装置で聴きなさいとは言わず、よく調整されバランスの良い装置と、ケーブル等も良く清掃された装置のことである。

但し装置を調整してバランスを保ち、良い条件で聴くと実におしゃれで、抜群のリズムに乗れると思う。筆者の場合は音響チェックで聴く場合もあるが、油断するとお経を聴くような感じに悩まされる場合がある、音とは正直で恐ろしい。



リオデジャネイロのチジュッカ地区生まれ。14歳の頃からピアノを始め、また作曲を学びはじめる。音楽家として生きていきたいと願っていたが、家族を養うことを考えて建築学校に入学する。
しかし、音楽への夢を捨てきれず、ラジオやナイトクラブでのピアノ奏者として働いていたが、ハダメス・ジナタリに見いだされ、コンチネンタル・レコードに入社し、曲の譜面起こしや編曲などの仕事をこなす。

1953年にはブラジルのオデオン・レコード(EMT・ブラジル)のアーティスト兼レコーディング・ディレクターとして採用される。
また、この頃は特に、幼なじみでもあったニュウトン・メンドンサと共に作曲活動を行っていた。


ジョビンが脚光を浴びるようになったのは、作詞家で詩人の(外交官であり、ジャーナリストでもある)ヴィニシウス・ヂ・モライスが制作した舞台『オルフェウ・ダ・コンセイサォン』(1956年)、後に映画『黒いオルフェ』として世界的にヒットする)のために制作した音楽によってであった。この頃からヂ・モライスと共に曲作りを行うようになる。彼らの共作の中には、今でも歌い継がれる曲が数多くある。

1959年には、最初のボサノヴァ・ソングとされる「想いあふれて (Chega de Saudade)」をジョアン・ジルベルトがリリースする。




この曲は、サンバ・カンサォンの女王とも呼ばれる歌手エリゼッチ・カルドーゾ(Elizeth Cardoso)のためにつくられた曲であった。
ジョアンの画期的なギター奏法(ギターだけでサンバのリズム<バチーダ>を刻む)と、ささやくような歌い方の斬新さに惚れ込んだジョビンが、以前にヂ・モライスと共作した「想いあふれて」をジョアンに提供し、苦労の末レコードのリリースまでこぎ着けた作品であった。

次第にこの新しいサウンドは、従来のサンバ・カンサォンの重苦しさに否定的になっていたブラジルの若者たちの心をとらえ、ボサノヴァ・ムーブメントを形成していった。


アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim )
ボサノヴァの創始者と呼ばれるアントニオ・カルロス・ジョビンのセカンド・アルバム。ネルソン・リドルのストリングス・アレンジが映えるムーディでゴージャスな傑作。代表曲「おいしい水」収録。(1965年作品)


「おいしい水」という邦題がついていますが、直訳だと単に「飲み水」というタイトルです。歌詞では「生きていくためには水が必要、そして水と同じくらい愛が必要」といった情熱的?な内容が歌われています。

『おいしい水(Água de Beber/アグア・ジュベベ)』は、ブラジルの音楽家アントニオ・カルロス・ジョビンによる1965年の(ボサノヴァ)。
原曲はポルトガル語だが、アメリカの作詞家ノーマン・ギンベル(Norman Gimbel)により英語の訳詞がつけられている。
なお、ノーマン・ギンベルは、1965年のグラミー賞受賞作品『イパネマの娘(Garota de Ipanema)』の訳詞も手がけている。


ブラジルの音楽家の中でも、最も世界的に知られた人物。ボサ・ノヴァの創始者として、また「イパネマの娘」や「ジザフィナード」といった名曲の作者として、その名前は「ブラジル音楽」という枠を超えて親しまれている。

1927年ブラジルのイパネマ地方に生まれたジョビンは、早くから音楽に親しみ20才の時には既にナイト・クラブでピアノを弾き金を稼ぐようになっていた。1952年アレンジャーとして音楽業界に足を踏み入れる。

そしてジョアン・ジルベルトとの運命的な出会いにより1958年、ボサ・ノヴァ第一号レコード「思いあふれて」("Chega De Saudade" アントニオ・カルロス・ジョビン作曲、ヴィニシウス・デ・モラレス作詞、ジョアン・ジルベルト歌・ギター)の歴史的作品に到達する。

1964年ジャズ・テナー・サクソフォン奏者、スタン・ゲッツがアストラッド・ジルベルト(ヴォーカリスト、ジョアンの夫人)と組み「イパネマの娘」を空前のヒットにさせるに至り、新しい魅力的な音楽「ボサ・ノヴァ」、そしてその創始者としてのジョビンはアメリカを初めとして世界に知られるところとなった。

20世紀最高の作曲家 A.C.ジョビンの有名な曲の紹介がある。
  1 第10位 「Garota de Ipanema(イパネマの娘)」
  2 第9位   「Wave(波)」
  3 第8位   「A Felicidade(フェリシダージ)
  4 第7位    「Sabiá(サビア)」
  5 第6位    「Água de Beber(おいしい水)」
  6 第5位    「Retrato Em Branco E Preto(白と黒のポートレート)」
  7 第4位    「Desafinado(ジサフィナード)」
  8 第3位    「Águas de Março(三月の雨)
  9 第2位  「Samba do Avião(飛行機のサンバ)」
  10 第1位   「Chega de Saudade(想いあふれて)」


すべてお馴染みのの曲で、タイトルコールだけでボサノヴァのリズムが聴こえて来そうである、アントニオ・カルロス・ジョビンは1994年12月8日、ニュー・ヨークにて死去、享年67才。
アップテンポながら、ブラジル生まれの日本人ギタリスト/歌手の小野リサによる「Água de Beber」も人気がある



次に私にとってはフランスの名音楽家ピエール・バルーがギターで弾き語るこの曲を聴いて強く感動した、Pierre Barouh / Ce n'est que de l'eau (おいしい水)最後の一枚に何を取り上げるべきか、少しだけ迷ったけれど、これしかありません。


ピエ-ル・バルー(PIERRE BAROUH)1934.2.19~2016.12.26歌手、俳優、詩人、作曲家、映像作家、レコ-ド・プロデュ-サー。 


1934年2月19日、パリ郊外のルヴァロワ生まれ。両親はイスタンブ-ルから自由の地を求め移住してきたユダヤ系移民。少年期、戦争により預けられていたヴァンデの農家の生活からその後の作品に影響する多くのインスピレイションを受ける。14歳の時にはギタ-を抱えて世界を放浪する。

音楽とスポーツは言語も国境も越えるコミュニケーション・ツール、と語るピエール・バルーはその2つの才能を駆使し(バレーボールでナショナルチームに選抜されるほどだった) 、30才になるまでその放浪生活は続いた。


映画『男と女』(クロード・ルルーシュ監督)に出演。フランシス・レイと共に音楽を担当。


ブラジルで録音した「サンバ・サラヴァ」をサウンドトラックに入れる1959年にポルトガルで初めてブラジル音楽を、シブーカから聴きました。
当時、ジョアン・ジルベルトが最初のレコードを出したばかりでした。



ですから、そのときはまだボサノバという言葉もありませんでしたし、ヨーロッパでもだれもその音楽を聴いたこともなかったのです。
ジョアン・ジルベルトとヴェニシウス・ド・モラエス、アントニオ・カルロス・ジョビン。この3人のなす音楽のメロディーライン、ハーモニーの美しさ、そして深みのある詩。今も新鮮でキラキラして輝く南国も香り豊かなボサ・ノヴァのリズムは大好きである。

すべてが想像もできないくらいゆたかで新しいものでした、ブラボー!

最新の画像もっと見る