この海岸は愛知県西浦ビーチであるが昔初夏に20センチ位のシロギスが釣れた場所でもある、最近自然環境が良すぎ、海水の透明度が良くなり昔鉄道唱歌で歌われた「海の綺麗な蒲郡」という文言通りになった様だが、筆者が思うにそもそも三河湾は水深が浅く自然の影響が受けやすいことがあるのであろうか、大手マスゴミが2〜30年前から叫んだ環境問題も影響が強い様である、この三河湾産の魚介類は江戸湾と比べ味が濃い様に思う例えが穴子は富津産と比べ絶品の味である、しかし最近余り海の水が綺麗になりすぎ名物の美味しい「アサリ」等が摂れなくなっている様です。
ガソリン車ディーゼル車に乗り多くのCO2を海に与えプランクトンを発生させなければ海水資源も無くなってしまう、大変美味しい三河湾名物の「シャコ」「ワタリガニ」も同様で全く水揚げできない状態と聞くがこれはCO2不足プランクトン不足である様に思う、勿論環境問題も大切ではあるが度がすぎて、程々の良いバランス維持はは肝心である。化石燃料は適度に使用が好ましい。
考えてみれば明らかであるが、現在マスゴミは支那が福島の汚染水問題を非難するが支那の台湾問題、米日韓の首脳会談を非難する抗議をマスゴミは放映するばかりで、本質は何も解説出来ない番組が現状である、早々国会の記者クラブは解散するべきだ全くの無駄なものである。又最近問題の木原誠二事件を警察は揉み消し始めたとも言われているが?事実なら警察の権威も落ちたものである。
夏から秋まさにこの時期何故か聴きたくなる音楽は懐かしいボサ・ノヴァ音楽かも知れない。
1950年代の末、ブラジル南部の大西洋に面した風光明媚な大都市、リオ・デ・ジャネイロの裕福な家庭のアマチュア・ミュージシャンたちによって生み出されたサンバとは違いお洒落感のあるボサ・ノヴァ曲です。
1960年代に、アメリカのサックスジャズ・ミュージシャンを経由して世界じゅうに広まりました。
ボサ・ノヴァの創始者、ジョアン・ジルベルト 来日公演の記憶(2003年〜2006年)〜「ジョアンのサンバ」は永遠に〜
白人ギタリスト、チャーリー・バードや白人テナー・サックス奏者スタン・ゲッツが、ブラジル発の“新音楽”ボサ・ノヴァに興味をもち、相次いでボサ・ノヴァを取り入れたアルバムを発表し大ヒットしたのです。
私たち日本のファンは、ゲッツ、ジョアン、アストラッドが共演した「イパネマの娘」や、アメリカ留学から帰国したアルト・サックス奏者、渡辺貞夫を通してボサ・ノヴァの存在を知ったのでしたが、その下地として、映画『黒いオルフェ』によって描かれたエキゾチックなブラジル音楽シーンの影響も大きかったと思います。
当時初めて聴く新しいリズムはジャズとも違い新鮮な音に酔いしれた事えお記憶する、後日深夜テレビ11PM等の番組バックでもハモンドオルガンでのボサ・ノヴァが流れお洒落感が感じる番組の様でした。
筆者がボサ・ノヴァ音楽を最初に聴いたのが略60年前の高校生時代に聴いたLPレコードのスタン・ゲッツ&ジョアン・ジルベルト『Getz/Gilberto』であろう。
当時1964年4月にLPについてこうレビューしている。「スタン・ゲッツの官能的なテノール・サックスと、ブラジルの有名人であるジョアン・ジルベルトの優しいエッジの利いたヴォーカルが組み合わさり、美しいブラジリアン・ミュージックを作り出している」もしかすると彼ら自身も、他の人たちも皆、『Getz/Gilberto』がそこまで成功するとは当時は思っていなかったのかも知れない。
ボサ・ノヴァの創始者」として大きく扱われました。中には「ブラジル音楽を改新して世界へ広めた功績者だから国葬にすべきだ」なんて書いた音楽評論家もありました。
ジョアン・ジルベルトは常識では考えられないほどの変人なのに神様扱いされています。マスコミに報道された彼の奇行だけでも分厚い本になるくらいだそうでです。
確かに日本でもジョアンのレコードを聴いてからボサ・ノヴァのファンになったという人が少なくありません。そしてソフトでおしゃれなBGM(バックグラウンド・ミュージック)として今でも愛好されている国は日本以外にないのかも知知れないでしょうい。でも本場ブラジルでは1960年代末には完全に消えてしまったのです。
確かに日本でもジョアンのレコードを聴いてからボサ・ノヴァのファンになったという人が少なくありません。そしてソフトでおしゃれなBGM(バックグラウンド・ミュージック)として今でも愛好されている国は日本以外にないのかも知知れないでしょうい。でも本場ブラジルでは1960年代末には完全に消えてしまったのです。
どこまでがサンバ、どこからがボサ・ノヴァであろうか1960年代にサンパウロへ移って以来、録音スタジオやレコード会社の経営で成功したワルテルが亡くなる直前に、私にもらした興味深い言葉があります。「ジュアゼイロ時代のジョアン・ジルベルトはギターの基本スリー・コードしか知らなくて、昔のボレロなどを声を張り上げて歌っていたんだよ」と。
筆者がボサ・ノヴァ音楽を聴き出した頃はGetz/Gilbertoが最高のボサ・ノヴァ曲と思っていたが、年齢が重なりジョアン・ジルベルトの弾き語りに哀愁を覚えると、少しボソボソした歌が過ぎゆく夏を偲び、実に良い塩梅に聴こえる。
確かに歳を重ねボサ・ノヴァ音楽を聴き込むとジョアン・ジルベルトが何故か懐かしさを感じる様に聴こえるは何故であろう、流石年の功であろう。
勿論この様な音楽には英國のSPENDOR SP3/1Pに繋ぎ聴いている何故か優しいアコースティックギターの音と合う感じに聴こえる。
ゆったり時が流れやがて秋の気配が近づく頃に聴くは哀愁があり実に寛げるのがジルベルトのボサ・ノヴァなのかも知れない。ギターとヴォーガルが心地良く聴けるSP3/1Pのスピーカーの音を聴くにはヴォリュームを若干抑え目にして聴くこともお勧めする。但し使用パワーアンプは真空管が好結果が得られる様である、今回はプッシュプルのLUXKIT A3500を繋ぎ聴いている。
大昔愛用のLUXMAN MQ60三極間も密度の良いパワーアンプでしたがA3500がより自然な雰囲気に鳴る様に思います。
ボサノヴァの生みの親ジョアン・ジルベルトが、トミー・リピューマのプロデュースのもとアメリカで録音して完成させた珠玉の名作。
プロデュースをTOMMY LIPUMAが担当し、アレンジにクラウス・オガーマン、録音にAl Schmittという米国ポップスの名匠たちを迎えて制作された1977年の作品。ジョアンならではの独自解釈で歌われるジャズスタンダードの"'S Wonderful"をはじめ、ライブでは頻繁に取り上げ本作で初録音となったイタリアのブルーノ・マルティーノが作曲した名曲"Estate"、ラテンのスタンダード"Besame Mucho"など名品が並ぶ。ボサノヴァの人気曲も取り上げる一方、それ以外の楽曲も彼ならではの繊細にしてメロウな歌世界に染め上げ、新たな命を吹き込んでいる。オガーマンによる流麗なアレンジも冴え、1970年代のジョアンを代表するアーバンな響きの名作に仕上がった。
ジョアン・ジルベルト/Amoroso(イマージュの部屋)
1’..S Wonderful / ス・ワンダフル
2.Estate / 夏のうた
3.Tin Tin Por Tin Tin / チン・チン・ポル・チン・チン
4.Besame Mucho / ベサメ・ムーチョ
5.Wave / 波
6.Caminhos Cruzados / 十字
7.Triste / トリスチ
8.Zingaro(Retrato Em Branco E Preto) / 白と黒のポートレート
Joao Gilberto(vo,g)
Jim Hughart(b)
Grady Tate, Joe Correro(ds)
Ralph Grierson(key)
Claus Ogerman(Arranged,Conductor)
Helen Keane, Tommy LiPuma(Producer)
Al Schmitt(Recorded,Mixed)
ボサノヴァの生みの親ジョアン・ジルベルトが、トミー・リピューマのプロデュースのもとアメリカで録音して完成させた珠玉の名作。ボサノヴァの名曲からガーシュインに至るまでヴァラエティに富んだ必聴作
ジョアン・ジルベルト奏でるギターと甘い囁き ―ジョアン・ジルベルトの数ある作品中では売れ線の部類に入るのであろうか。
アルバム・プロデュースがトミー・リピューマ、アレンジがクラウス・オガーマンという豪華版だが、私は気に入らない。ジョアン・ジルベルトの芸術は彼特有の歌唱とギター演奏によって基本的には完結するものであり、他の要素は必ずしも必要ではない。ましてオーケストラによる伴奏など・・・。
ジョアン・ジルベルトの本当の意味でのリスナーになれるかどうかの試金石はこの辺りにあると思うが、いかが。
ジョアン・ジルベルトの歌が本当の意味でのリスナーになれるかどうかの試金石はこの辺りにあると思うが、如何でしょうか。ブラボー!