伝統ある英国の10吋ユニットで聴く、音楽の父のJ.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

TANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetで聴くうまく調律されたクラヴィーアのピアノ演奏の検証。

2024年07月21日 | J.S.バッハ制作音楽

筆者の知るバッハの鍵盤音楽では試聴回数を重ねれば重ねるほど塩梅が良くなる曲集でもある、強いて言えば不満は全曲通して聴くには長すぎるが、そこは自由時間が多い後期高齢者にとっては美味しい淹れたての珈琲を頂きながらの試聴は正に極楽の様でもある。昔は鍵盤楽器は圧倒的にチェンバロ演奏が多く選んだが最近はピアノ演奏が増えた様に思う。
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲全集とは一般的にピアニストにとってのバイブルであると言われ、西洋音楽の金字塔『平均律クラヴィーア曲集』は、JSバッハ作品の中でも最高傑作の一つであり、見事な対位法と想像力を高めて組み立てられた24の調すべてによる前奏曲とフーガで構成された大作です。
しかし筆者のように楽器演奏は出来ない物には分からない事も多く、専門的な楽譜の事など全く分からないのである。

J.S.バッハが命名した正式名は「うまく調律されたクラヴィーア(Das Wohltemperirte Clavier)、あるいは、長三度つまりドレミ、短三度つまりレミファにかかわるすべての全音と半音を用いたプレリュードとフーガ。音楽を学ぶ意欲のある若者たちの役に立つように、また、この勉強にすでに熟達した人たちには、格別の時のすさびになるように。元アンハルト=ケーテン宮廷楽長兼室内楽団監督、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが起草、完成。1722年。」と記されている、確かに鍵盤楽器の旧約聖書とも言えるのであろう。

指導を求めて止まぬ
音楽青年の利用と実用のため
また同様に既に今までこの研究を行なった人々に
特別な娯楽として役立つために・・・と記されている。

当時からJ.S.バッハが如何に教育に熱心であったかわ示す言葉であろう・・・
つまり教科書の様な演奏が良い演奏とおまっている。



文献には次の様に明記されていました、作曲は1720-22年、ケーテンに務めた時代、また長男フリーデマンに音楽の手ほどきを始めた時代にあたる。フリーデマンの音楽帖にはすでに11のプレリュードの原曲が見られる。1722年に浄書された。18世紀には筆写譜を通じ広く伝えられ、モーツァルトやベートーヴェンもよく研究した。出版譜は1801年、19世紀の始まりを告げる年に、ドイツ語圏の3つの出版社から同時に刊行された。ライプツィヒのホーフマイスター・ウント・キューネル社(のちのペータース社)ではフォルケル、ボンのジムロック社ではシュヴェンケ、チューリヒのネーゲリ社はネーゲリ自らが校訂している。この出版がバッハ・ルネサンスの嚆矢となった。
この問題は確かにミーントーンと言われる調律方法にも影響する簡単に言え「12平均律」の音律で正しく調整されたサウンドです。現在では当然の事に思う「ロ長調」「変ト長調」など、シャープや♭がたくさんつくような、どんな難しい調性で演奏したとしても音律破綻を生じません。鍵盤楽器の調律には大変難しい過程があった様です。
18世紀前半にはまだ、現代的な意味での十二等分平均律(1オクターヴ12音の各周波数比を2の12乗根とする調律法) を実践できなかったが、少なくともバッハは「24の調がすべて綺麗に弾けるように自分の楽器を調律することを学んだ」(フォルケル)と言われている。この曲集が《インヴェンション》と同じく教程として編まれたことは間違いない。しかし同時に、全調を用いて音楽の世界を踏破するという大きな理念が込められていた。「世界」の普遍的な秩序を捉えること。これは16-17世紀を通じて希求された究極の神学的課題である。《平均律クラヴィーア曲集》は、神の秩序をうつしとった、小さな完成された「世界」(ミクロコスモス)なのである。と記してあった。

このことは音楽的にどのように確かめられるだろうか?ひとつの調には自由な書法のプレリュードと厳格な書法のフーガが1曲ずつ配されるが、多くの場合、これらは調以外にはほとんど何らの関連もない。両者は「自由」/「厳格」という対立項ですらないし、プレリュードは文字通りフーガの「前奏」であるわけもない。プレリュードにはきわめて多様な新旧の書法、形式、様式のものが現れる。またフーガにせよ、簡明、あるいは比較的自由なものから、厳格対位法の極限を追究するものまで、さまざまである。それでも、各曲は24の調の世界で自らの位置を保ち、全体で秩序を成す。まさに「多様な中にも多様なものの統一」であり、これこそ「世界」の似姿なのだ。《平均律》は言うまでもなく、つねに全24調を通して弾くことを想定した曲集ではない。しかしどの1曲を取り出してもそこには「世界」の一角が宿っている。

平均律は1オクターブを12等分にした音律のことを言います。 隣り合う音の周波数は等しく100セントとなり、身近なところではピアノの調律に使われます。 一方の純正律は和音の響きの美しさを重視し、オーケストラや吹奏楽、合唱に使われる音律です。
今回はクラヴィーア楽器の指定ですが、クラヴィーア、鍵盤楽器 はチェンバロ、クラヴィコード、ピアノなど。 場合によってはオルガンも指すことがありますが、今回ピアノ演奏を取り上げました。



イリーナ・メジューエワ(Irina Mejoueva)は1975年、ロシアのゴーリキー(現ニジニー・ノヴゴロド)生まれのピアニスト。モスクワのグネーシン音楽院でヴラジーミル・トロップに師事。92年、ロッテルダムのE.フリプセ国際コンクールで優勝し、ヨーロッパでの活動を開始する。97年、日本でコンサート・デビューして以来、日本を本拠に活動を続けている。バロックから近・現代の作品までレパートリーは広いが、最近評価の高まってきたロシアの作曲家メトネルの作品紹介にも努めている。
1996年、コロムビアより日本デビュー盤がリリースされる。現在のCDリリースは、主に若林工房が行なっている。以前購入した若林工房販売のメジューエワ(Irina Mejoueva)のバッハ作品集。『平均律クラヴィーア曲集』より第1巻をリッピングすると上手くできない?良く見ると演奏者がAngela Hewittに変わっている、筆者の先に登録した音源に書き変わってしまう、直し方はAngela Hewittの平均律クラヴィーア曲全集を削除しIrina MejouevaをリッピングしコピーされたアイチューンのAngela Hewitt名前をIrina Mejoueva書き直し、再度Angela Hewittの平均律クラヴィーア曲全集をリッピングして整理した。現在若林工房は閉鎖されたようだ。



J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第1巻
(24の前奏曲とフーガ BWV846~869)
イリーナ・メジューエワ(ピアノ)
録音: 2014~2015年、新川文化ホール(富山県魚津市)

メジューエワは、気負うこともひるむこともなく、ひたすら謙虚に、バッハの書いた音符ひとつひとつを紡いでゆきます。その姿勢は、まるで修道僧の祈りを思わせるもの。厳しい精神性を徹底した先に生まれたのは、「自在の優しさと奥深さ」、そして「光と調和に満ちた世界の妙なる愉悦」。汲んでも尽きぬバッハ音楽の魅力をストレートに伝える、まさに「musizieren(ムジツィーレン=よい音楽をする)」という言葉に相応しい演奏です。古来、名演奏の多い「平均律」の録音史にまた新たな一頁が書き加えられた様です。


J.S.バッハが教育用に仕上げた鍵盤楽器のバイブルとも言える曲平均律を聴けば分かるが確かに癖の無い演奏が実に心に沁みる、一音一音がクリヤーな音が沁みピアノ演奏者は数多く演奏を聴くが、彼女の演奏は確かにうまく調律された楽器による的確な演奏の見事さなのでさのであろう。

同じ様なアルバムは平均律クラヴィーア曲集 第2巻であり、筆者が思うに実に癖のない演奏には何度聞くも飽きない良さに好感する。クラヴィーア曲集と指定されるが今回はピアノ演奏での比較をして見ました。メジューエワは下記の楽器を愛用している様です。



尚筆者が愛聴する機材はメインに10吋TANNOYのユニットを使うが、設置方法について色々試すが最終的には15mm厚の人工石(ダイニングに使う人工石)を敷きその上に箱を乗せ音質が安定したのでした。此のTANNOYタイプのスピーカーの音は原音(ゲンオン)の再生に目的があるのではなくて、多分コンサートホールの音楽の感動を再現する当に”イリュージョン オブリアルサウンド”なんだと思う、此れがTANNOYの音の原点と言えるのでしょうね、此れはジックリ音楽を聴けば解明される音ののです。誠に残念なことに10吋ユニットの箱はTANNOY IIILZ in Cabinetオンリーでそれ以外は自作に入れた物、アメリカタンノイしか無かった為か、TANNOYファンは15吋ユニットが主流になったのであろう。

思えば現在愛用の此のAXIOM80NO箱は2018年7月今から六年前に関西のY氏の好意により送って頂いた箱で、途中運送屋さんが傷をつけ修復に2ヶ月程でやっと再開し、その後色々好みに合わせ現在に至るが、現在は略満足する音になるまでの時間は費やした事になる。Y氏曰くコーネッタ(所謂アメリカンTANNOY)もお持ちになる造詣も深いTANNOY愛好家でもある。確かに筆者の好みの演奏はオーケストラ、オペラ等ではなく少人数のソナタ、トリオ、クインテットが断然多い事が特徴でもあるが我がTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetは誠に上手く鳴らすツボを心得ている様でもある。

確かにオーディオ機器も色々個性があり一般的には原音忠実を声高に言われる方もいますが、年齢も高齢になればむしろ味わい深い音を求める様に変化するのであるまいか?まるで静かに響き渡る小さなコンサートホールの特等席で聴く音楽を求めてしまう様である。そう様な音はむしろ古い機材を使うことで意外と簡単に入手できるのかも知れません。確かに据え置き型のエンクロージャーで小音で聴くも低尾は隣室にも響く、ブックシェルフ型では不可能な技でもある。
今筆者の耳元で囁く悪魔の声はドイツ音楽は古いドイツのユニットで聴く事が一番であると?・・・囁くのだ!



一般的に弦楽器の再生音が良いと言われるが、ある意味コンサートホールでのピアノ演奏も良く原音の良さと違い、確かにそれらをすべて捨ててもTANNOYにしかない美しさや響きの魅力がある様です。詳しく言えばコンサート等の特等席で聴く様な感じで聴こえる装置を目指しで製作したスピーカーなんです、TANNOYの音の原点はここなんでしょうね。TANNOYの音は生の音らしくはないのであろう筆者が現在使うIIILZ Monitor Goldをオリジナルより一回り大きなGOODMANS AXIOM 80の箱に入れTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetと言う姿になって聴くが家で聴く音楽はこの音で聴きたいと思っている。

尚お手入れは簡単で大体3ヶ月毎にブリテッシュビーズワックスを軽く塗布し後は乾拭きして終了する程度である。



しかし扱いは一手間入るがトランジスターアンプと真空管アンプの違い、どちらと言えばトランジスターアンプは音の広がりがあり、爽快感のある音ですが真空管アンプでは音の密度が高く、音色が濃く傾向がある様です。特に三極管使用の場合は音楽が心に染み込んでくる感じで特に今回のうまく調律されたクラヴィーアの演奏などは安定した演奏が体得できる様です。



次にカール=アンドレアス・コリー(Karl-Andreas Kolly)1965年5月26日生まれは、スイスのピアノ奏者。 クール出身。幼少期より教会オルガニストの父カールとカール・ゲルナッヒャーにピアノの手ほどきを受け、チューリッヒ音楽院でハンス・シカー、ベルンでカール・エンゲル、ルツェルンでミェチスワフ・ホルショフスキの各氏の薫陶を受けた。
J.S.バッハの演奏は大変多くアルバムもあるが、今回は父親が教会のオルガニストということもあるのか、コリーにとってバッハは“なくてはならぬもの”なのだろう。“対峙する”なんて大げさなところのまったくない、血の中に流れているかのような自然なバッハの平均律を楽しんだ。こんな風に何気なく弾けたら、さぞ楽しいだろう。



J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻 (カール アンドレアス・コリー)

J.S.バッハ:前奏曲とフーガ 第1番 - 第12番 BWV 846-857
        前奏曲とフーガ 第13番 - 第24番 BWV 858-869

カール=アンドレアス・コリー(ピアノ)

バッハの音楽を自己と一体化させたコリーの演奏は、他者が真似をすることのできない迫真性によって聴き手を魅了するのである。



カール=アンドレアス・コリーが『平均律』を全曲リリースします。教育者でもあるコリーによるレコーディングは、大変意義が深く、教育者は奏でる演奏は注目に値する内容である。
勿論筆者の好きなJ.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第2巻も聴いたが全てを聴くには4時間ほどは必要で、真空管の熱気でエアコンの温度は何時もより下げた、夏期の2日間による音楽鑑賞も意外と苦労する様である。

筆者の平均律クラヴィーア曲集のなかで演奏楽器をチェンバロ楽器演奏は以前も紹介はしているが、勿論有名なランドフスカも良いが少し録音条件が悪く、筆者は以下の二人の演奏を挙げる、一人は2001年4月19日に亡くなったバッハの演奏では厳格なエディット・ピヒト=アクセンフェルト(Edith Picht-Axenfeld)は、ドイツのチェンバロ奏者・ピアニストはJ.S.バッハの演奏が良く知られている勿論安定した演奏には定評がある。
後一人は昔から良く聴くオランダのチェンバロ奏者レオンハルトの弟子とも伺うが、ボブ・ファン・アスペレン(Bob van Asperen)の演奏はクセもなく教科書通りの演奏である、特に筆者がJ.S.バッハの演奏の好みは、厳格な教科書の様な演奏を好む、ブラボー!

老人達の楽しい遠足です、今回は盛岡集合にて、秋田から青森と・・・

2024年07月18日 | 旅行

今年も楽しい遠足の時がやって参りました。場所は日本海を見ながら温泉に浸かりに行こう、前々からの提案があり実現する。
早速港北新幹線にて上野=盛岡まで2.5時間の新幹線に乗車、関東は最近連夜30度以上の夏日である、便りによれば東北方面は雨模様との連絡がる。
アイスコーヒーを片手に乗車し途中暇つぶしに面白かったサピアンス全史を片手に盛岡の旅に出立である。


新幹線の乗車率は粗満席状態でしたが、仙台で下車する方も多く、仙台からは寄ったり気分を味わう、確かに新幹線は横揺れも少なく乗り心地は良い、停車する場合も前後に身体が動くでもなく世界的レベルも良いと改めて思った。

何時もの様に南口で待ち合わせ早速盛岡駅から車でいつものメンバーで出発である。途中話題は尽きない雨模様であったが、秋田に向かい徐々に曇りになってゆく。
下車して思うは東京は30℃以上の暑さであったが、東北は23℃で実に過ごしやすのだ、日本も広さを感じつ瞬間でもあった・・・。途中道の駅にてランチを頂き、秋田大学附属鉱業博物館に向かう。

秋田大学大学院国際資源学研究科の附属施設です。秋田県は鉱産資源に恵まれ,古くから鉱山開発が進められてきた地域です。県内各地には黒鉱鉱床や鉱脈鉱床などの金属鉱床が多数存在します。また,日本海沿岸部は国内有数の油田地帯として知られています。これらの地下資源は, 長年にわたり採掘され日本の近代化や高度成長を支えてきました。


秋田大学附属鉱業博物館の建物向かって左側にある重機は原油を採取する汲み取りの車両だそうです。早速館内に・・・


中央ホールは三階の天井まで吹き抜けになっていて2重の螺旋(らせん)階段がホールを取り巻くように配置されています。


標本類は実に数多く展示されている、現在日本最南帯の新しい島々に於いて報道される新しい資源も注目され太平洋の島々の海底からの採取が可能となれば日本も資源大国になれるのかも知れない、日本の領海・排他的経済水域の海底に金、銀、銅、亜鉛、鉛、石油、コバルト・リッチ・クラスト、メタンハイドレートなどの豊富なエネルギー資源や鉱物資源の存在が確認されている。

特に南鳥島周辺の海域ではレアメタルのコバルトやニッケルなどが豊富に含まれていルことが判明されているそうです。未だ未開発の尖閣を調査しましょう。









日本刀の玉鋼の作り方も明記されたコーナーもある、金属関係の特に冶金関係者には注目される特殊鋼については昔から日本は得意分野でもある。
戦国時代火縄銃を国産化した話は有名で、当時の日本で生産する銃器は精度が良く日本刀で鍛えられた玉鋼を使い戦争の中心武器となった話は有名でもあった。

秋田中心部から盛岡方面い向かう秋田市内の途中に見た原油を汲み出していた。


暫く走ると信号機も少なく対向車も少なく、気づけばコンビニさえ少ない、と云うよりコンビニも無い。暫く海岸線を走ると其れらしいサインがあった。


まだ早いのに直売店はクローズであった。


本日お世話になる「ハタハタ館」である、早速チェックインし4人部屋の3Fに案内される。


早速皆で1Fの風呂に行く。


本日は岩風呂だそうです、確かに前方は日本海が広がる。
天候されよければ爽快であろうが本日は曇り空である。
すると前の芝生にやせの狐が海鳥を捕獲して飛び掛かるのを見た。自然な光景に驚く、確かに秋田はクマを見た人が一番多いと聞く、途中道の駅にもクマにお肉が販売されたいた、またクマカレーは美味しいと話していた。


お風呂から出ると食事である。



地酒が実に美味しい、部屋に帰ってからは、盛岡組が持参した「一の蔵」醸造所でしか販売していないと言われる「一の蔵」を頂いたが流石ドッシリした重みのある「一の蔵」はうまいと思った。
最近確かに齢喜寿を迎えると、食事もお酒も量は少なくなり、生ビール(小)と冷酒は一合程で十分である、しかし美味しいと思われるものを好む様になり、美味しいお酒をチビチビ頂く何ぞは極楽でもある。


この他に写真以外にも揚げ物、焼き物、鍋物があり満腹状態である、部屋に引き上げ二次会の開催である、久しぶりの会話にも花が咲き酒蔵でしか購入出来ないと言われた「一の蔵」4合瓶を空にして本日はお開きである。

普通の一の蔵と違いコクが良く日本酒らしいドッシリした味があり、それで持ってスッキリした飲み心地は実に美味かった。


朝風呂は木の風呂である、若干塩分を含んだ鉱泉とも思われる温泉で実に気分爽快である、手前に見える日本海が実に雄大でもある。
本日は青森の千畳敷から津軽白神インフォメーションセンターを目指しあとは盛岡に向かう予定である。

早速朝食です、温泉入浴後は朝食が旨い!
昨日道の駅にて購入した「いぶりがっこ」大根のつけものと聞くが調理法も様々で朝食にも付いていた。今回初めての体験、意外と塩分は少なめに感じた。


筆者などは朝からお刺身付きの朝食などは大変珍しく、見た目にも大変豪華にも思う、この様に思うは如何に貧しい等思える、これぞ旅の楽しみであろうか。

普段朝食は温かい珈琲程度ですが、偶には朝から知ったりと頂く朝食は美味い!

千畳敷海岸 その昔、殿様が千畳の畳を敷き酒宴を催したといわれる岩棚が広大に続く「千畳敷海岸」。恵比寿岩、かぶと岩などと名づけられた奇岩が海岸線に続く様は圧巻です。他の星に降り立ったかのような不思議な気持ちにさせられる光景です。夕暮れ時には夕陽をバックにした独特な形の岩がシルエットに。夕陽の名所としても名高く、「日本の夕陽百選」にも選ばれています。





その後津軽白神インフォメーションセンターに向かうが生憎定休日で前の道の駅に立ち寄る。








道の駅の中に白神焙煎炭焼珈琲がある、実に美味しそうな匂いがする・・・
老舗の珈琲専門店による味づくりの技術が加わり、まろやかな白神山地の天然水で淹れたコーヒーは香り・味ともに一級品。すべてにこだわり抜いた、極上の一杯をどうぞ。これは飲まずにはいられない。
勿論本格的な焙煎資材も設置され工場内は使用する珈琲を焙煎する仕組みだそうです、珈琲の旨い淹れ方は焙煎挽きたての豆と美味しい水を使い、淹れたての旨い珈琲の条件でもある。


筆者は海外訪問は数少ないが訪問すれば珈琲は頂く、最悪は支那、韓国は断然不味かった!記憶に残るはキラエアー火山で有名なハワイコナ珈琲のワンビーンズは美味しい珈琲であったが、お土産で購入し日本に帰りコナコーヒーの美味さは現地の味より断然美味かった!その地方で頂く日本の珈琲は実に美味しい味がする、日本独自の軟水の天然の美味しい水の違いが珈琲の味の美味さをましているのであろうか?
東北に来ると不思議なことに新幹線を下車してドトールコーヒーショップに立ち寄りブレンドコーヒーを頂くが東京の味より旨さが違う、盛岡の水の旨さであろう旨さの秘訣はどうやら水の旨さの違いが味に反映しているのあろう。


今回は深煎りより普通のレギュラーを注文するが、お店は深煎りを売り出しているようで、レギュラーより少し深煎り調の味が心地良かった珈琲の味が良か塩梅である。


朝少し食べ過ぎのためか、腹が空かないので青森から盛岡に戻るコースを・・・
ここから青森の弘前周りで盛岡まで走るランチ後は高速に乗り盛岡まで直走る。

「道の駅 いかりがせき・津軽関の庄」に併設された日帰り入浴施設有名だそうです。




香木と呼ばれるほど香り豊かな「青森ヒバ」を贅沢に使った浴場で、源泉かけ流しの温泉が楽しめる。低張性弱アルカリ性温泉の単純温泉は、神経痛や筋肉痛、関節痛などの効能があるとされる。



時間があればぜひ立ち寄りたいのだが・・・津軽関の庄で遅めのランチを頂き次の宿泊地盛岡に・・・

この様な感じで東北を楽しむ爺さん達の遠足であった。
来年も皆元気で楽しい遠足を考えましょう、疲れた為今日は早めに就寝。ブラボー!

東北旅行から帰り音楽が堪らなく聴きたく合間を縫ってアンプに火を灯し、ピアノジャズピアノを楽しむ。

2024年07月13日 | JAZZ・ボサノヴァ

此の所大阪に居る娘が遊びにきたり、旧友との爺さん達の遠足に、帰宅すれば生憎仕事も重なり、時間の空いた隙間に音楽を耳にした。

昔から筆者の好きなピーターソン~ブラウン~シグペンからなる黄金トリオによる1962年のヴァーヴ盤。ハイライトは同年にリリースされたビル・エヴァンスの名曲「ワルツ・フォー・デビー」の演奏は、今回の聴きものです。スウィンギーで力強いタッチから繰り出されるワルツは圧巻だ、しかし此処で改めてエバンスnとの差を感じるキレキレの演奏の魅力はエバンスではあるが、スイングの楽しさを堪能するにはピーターソンが勝る。この様なJAZZは筆者の愛用する2代目1967年発売MonitorGOLD(ⅢLZmk2)ユニットでも十分満足するJAZZが聴ける。

又ジャズピアノの魅力が存分に詰まった、歴史に残る名盤ウィ・ゲット・リクエストは、ジャズ・ピアニストのオスカー・ピーターソンと彼のトリオによるアルバムで、その後1964年にリリースされ、10月19日、10月20日、11月19日または20日にニューヨーク市のRCAスタジオで録音された。このAFFINITYは2年前に発売された当時の流行り曲をまとめた今聴くも実に懐かしいアルバムでもある。
CD盤は上記のジャケットでレコードはシンプルなピーターソン・トリオではシンプルなデザインジャケットが好きなアルバムでもある。録音当時のピーターソンは37歳頃の作品で最も脂の乗り切った時期と想像する。



AFFINITY
 01WALTZ FOR DEBBY /ワルツ・フォー・デビー(ビル・エヴァンス)
 02TANGERINE /タンジェリン(ジョニー・マーサー=ヴィクター・シャーツィンガー)
 03GRAVY WALTZ /グレイビー・ワルツ(レイ・ブラウン、スティーブ・アレン)
 04THIS COULD BE THE START OF SOMETHING /これは何か大きなことの始まりになるかもしれない(スティーブ・アレン)
 05BAUBLES. BANGLES AND BEADS /飾り物、腕輪、ビーズ(アレクサンダー・ボロディン、ジョージ・フォレスト、ロバート・ライト)
 06SIX AND FOUR /6と4(オリバー・ネルソン)
 07I'M A FOOL TO WANT YOU /君を欲しがるなんてバカだ(ジョエル・ヘロン、フランク・シナトラ、ジャック・ウルフ)
 08YOURS IS MY HEART ALONE /私の心はあなただけ(ルートヴィヒ・ヘルツァー、フランツ・レハール、ベーダ・フリッツ・レーナー)
録音:1962.9
 
レコーディングに参加したのは、1958年からトリオを組んでいるレイ・ブラウン(Ray Brown)、エド・シグペン(Ed Thigpen)。このアルバムの最初の曲にエバンスのWALTZ FOR DEBBYが導入されるが同じピアニストの演奏でも違いが実に面白い、この曲はエバンスの得意の曲ではあるがピーターソンの独自なスイング感も面白い流石ぎんばんの貴公子と言われる意味合いが分かるのだ。

オスカーはこのトリオで『ナイト・トレイン』(Night Train)、『カナダ組曲』(Canadiana Suite)、『オスカー・ピーターソン+ 1』(Oscar Peterson + 1)など数々の名盤を生み出している。
その中でも、ヴァーヴ・レコード(Verve Records)からリリースした『プリーズ・リクエスト』(We Get Requests)は、「歴史に残る名盤」として現在も広く愛されている。
筆者はピーターソン独特の転がし演奏が好きで昔は視覚障害者でありながら超絶技巧を誇るアート・テイタムの奏法と良く似た演奏と言われたが今はピーターソン奏法(節)と言えるのであろう。この辺りのニュアンスはエバンスとの違いは明らかであろう。



Oscar Peterson (オスカー・ピーターソン)
1925年8月15日、カナダのモントリオール生まれ。45年から地元カナダでリーダー作を残し、49年に興行師のノーマン・グランツに才能を見出され米国デビュー。J.A.T.P.などオールスター・セッションに起用される一方、レイ・ブラウン、バーニー・ケッセル、エド・シグペンらと多くの名作を発表した。90年代に脳梗塞で倒れるも見事な復帰を果たし、その健在ぶりを強くアピールした。2007年12月23日、腎不全のためカナダ・トロントの自宅で死去。享年82。
アート・テイタムを彷彿とさせる高速のアドリブが特徴で決して音が乱れることはなく、もちろん、ただ技巧がすごいだけでなく、ピアノ奏法の独創性や、卓越した和声感覚で、オスカー・ピーターソン特有の音楽を作り上げています。オスカー・ピーターソンはその圧倒的な演奏力が特徴です。ミスタッチをほとんどすることがないと言われており、正確な指使いと同時に疾走感のある早いテンポを弾きこなすなど超絶テクニックを持ったピアニストで、「鍵盤の皇帝」との異名をとっていました。そのような超絶技巧の演奏を可能にしていたのは長年のキャリアに裏打ちされたテクニックに加え、オスカー・ピーターソンの大きな「手」も理由の一つかもしれません。1オクターブは余裕でつかめる大きな手でダイナミックな演奏をし、観客を沸かせていました。
オスカー・ピーターソンは1964年にも来日しており、長きにわたり日本での人気も高かったことがうかがい知れます。


Ray Brown (レイ・ブラウン)
1926年10月米国ペンシルヴァニア州ピッツバーグ生まれ。ジャズ・ベースの巨匠。オスカー・ピーターソン、ミルト・ジャクソンとの長年にわたる共演活動が有名だが、チャーリー・パーカー、バド・パウエルなど、ジャズ史に残る数々の傑作に参加している名盤請負人。自己のバンドは、モンティ・アレキサンダー、ジーン・ハリス、ジェフ・キーザーらのピアニストを迎えたトリオでの活動が中心。2002年7月2日インディアナポリスで死去。享年75歳。
レイ・ブラウン(Ray Brown)はエラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald)と結婚していたんですよね。今思うと、凄い夫婦ですね。
レイ・ブラウンはハイスクール時代からピッツバーグではちょっと知られたベーシストになっていましたが、20歳の時ニューヨークに出てディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie)のベーシストとなり、次第にアート・テイタム(Art Tatum)やチャーリー・パーカー(Charlie Parker)らとも演奏する機会を得るようになりました。



ディジー・ガレスピーのバンドには1946年から1951年までいました。その間、1949年にノーマン・グランツ(Norman Granz)が企画しているコンサートでオスカー・ピーターソン(Oscar Peterson)と初めて共演します。その後、ディジー・ガレスピーのバンドをやめてオスカー・ピーターソン・トリオに加入します。このトリオは1951年から1966年まで続く最強トリオとなり、数多くの名盤とライブを生み出すことになります。数多くのミュージシャンと共演、レコーディングを行い、オスカー・ピーターソンとの長期にわたる共演でも有名です。
私的にはプリーズ・リクエストでバースを弓で奏でるブーミー音は実に印象的な演奏でもあり一種の低音の魅力その物でもある。


Ed Thigpen (エド・シグペン)
欠かせない存在だったエド・シグペンは、「ミスター・テイスト」として知られていました。シグペンは、そのブラシテクニックと、脈拍とスイングの明瞭な感覚で最もよく知られていました。
ティグペンは 1930 年にシカゴで生まれ、ジャズ ドラマーのベン ティグペンの息子です。ベン ティグペンはバンドリーダー兼ベーシストのアンディ カークとの共演で高く評価されていました。両親が離婚した後、エドは母親とともにロサンゼルスに移り、ピアノを学び、教会の聖歌隊で歌い、ダンスのレッスンを受け、学校のバンドでドラムを演奏しました。ティグペンの最初のプロとしての演奏は、エドが 18 歳のときにバディ コレットと共演したことでした。その後、すぐにジャクソン ブラザーズのショー バンドに参加しました。その後、ニューヨークのサヴォイ ボールルームでクーティー ウィリアムスと共演し、その後 2 年間陸軍バンドのドラマーを務めました。
1959 年、シグペンはベーシストのレイ・ブラウンを含むオスカー・ピーターソン・トリオに加入しました。「トリオで活動することで、自分の演奏の特定の要素を発展させる機会を得ました」とエドは1982 年にMD 誌に語っています。「シンバルのテクニックとビッグバンドの状況をシミュレートするフレージングの手法を習得することができました。メロディーの聴き方や、即興のラインに合わせてフレージングして、他のことが起こっているような感覚を与える方法を学びました。それは補完的なものでしたが、それでもオスカーが最初に望んでいた時間でした。



ピーターソン・トリオのジャズの聴き所はウッドベースのごく普通の低音、ドラムのキレ音に巧みに転がす様なタッチのピアノ曲、普通に演奏してるのであろうが、魅力一杯のピアノ・トリオならではのジャズの魅力を味わうには筆者自慢のTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetに突然の出会いで見つけ遭遇した三極管「Zaika5300」を装着した、パワーアンプSV-501SEジャズ音楽を聴くには若干パワー不足な所もあるが、筆者のリビング10畳程では十分満足できます。
確かにサブのパワーにLUXKIT A3500も種有するがパワーは十分だがじっくり聴くのはZaika5300の三極管を好んでしまう事が現実である。

兎角昔から好きな言葉に「得手に帆を挙げて」の如く此の様なピーターソン・トリオのゴールデンコンビの演奏は鳴り出した音に思うは、手足しっかりした音が響く装置で聴く事が一番の至上の喜びでもあろう。



特に欧州でのエンクロージャーを用い確かにジャズ音楽鑑賞には不向きであるがスイングジャズ、欧州録音のジャズ他数少ないジャズも欧州のスピーカーユニットで聴く事で感銘を受けるアルバムも数多くある様に思う、その様なアルバムを探す楽しみもマニアもいる様に思う。

この様に昔から良く聴く馴染みやすいジャズにオスカー・ピーターソン(p)レイ・ブラウン(b)エド・シグペン(ds)ヴァーブ時代のピーターソン・トリオの曲が多い、カナダで最初のピアノ・トリオを結成して以来、半世紀を越える活動で、スィングとバップを融合させた独自のスタイルを確立、ジャズって変に哲学的になったり、原曲が全然見えなくなっちゃったりということがあるけれど、ピーターソン・トリオの曲はオーソドックスで聴きやすく魅力的で個人的にも好きなトリオでもある。
久々に聴くキレの良いピアノ曲に、ブラボー!

毎年恒例の高齢老人達の楽しい「遠足」の最終日の模様から・・・盛岡市内にて過ごす。

2024年07月10日 | 旅行


老人四人組の毎年恒例になっている行事、東北地方の旅行である。今回は行き先は秋田の八森いさりび温泉、日本海を眺めながら、どっぷりと露天の湯に浸かれる若干塩分を含んだお湯でユックリ出来ましたが此の公開は後ほど・・・

実は写真が多く整理に時間が必要であり、この時期室内温度も高く旅行終了後の仕事も予定され忙しくしていたのが理由になります。
言い訳はフォトショットの簡単な変換作業も余りの写真の多さに面倒であり、歳なんだと思う。カメラも手軽に持ち運べる物しか持たなく、最近はスマホをカメラ代わりに使う事が多い。巷はフイルムカメラも使われる様になったときく。



旅行の最終日で此れは予定に無い、10代からの旧友と共に彼の発案で盛岡の県立美術館でギャラリートーク「川端龍子展」が開催されているので、ユックリ見学をしようと盛岡に来る前から予定されたコースである。

流石旧友は筆者の好みを知り尽くし、デザイン要素も強い日本画の巨匠である川端龍子展に誘って頂いたのであった、実に嬉しいお誘いでもあり感謝!



ポスターも当時の作家と比べ奇抜なレイアウトに特徴がある、特に孫悟空の作品は正に迫力満点で孫悟空の毛から小さな猿どものまとわりつくくように現れる、まさに龍子マジックに浮き立つ気分はよく、胸躍らされた。

特に間近に見る如意棒を持つ手は如何にも本物のようである、まさに直ぐに動きだそうに感じるのは実物を見ないと分からないのかもしれない。

今回は展示場は全室撮影禁止なので掲載写真はカタログからの複写の写真を使用しているが、現物は大迫力の力作が掲示されている、是非現物を見れば日本画家川端龍子の全てが理解できる。



規格外のスケール、斬新な画面などで画壇に旋風を巻き起こした日本画家、川端龍子(かわばた・りゅうし)の50年以上に渡る画業を紹介していました。

特に皆様ご承知の「草の実」の現物は黒色の下地に金色の草が見事に浮き上がって見えデザインの領域のように思えた。まるで秋風に揺れる見事な趣向である。
此のように静から動を感じさせる技法と繊細なススキのタッチはナイスアイデアは流石であろう、周りのススキが今にも秋風に揺れる様でもある。この感覚は原画を観なければ櫓櫂できない雰囲気でもありバランスの良いモノトーンに極みの様な作品は息を呑む美しさである。



もちろん館内は撮影禁止で作品は紹介できな事が残念である。写真は雑誌から複写であるが、此のような作品を見ると実に時間の過ぎるのが早い。

この様に日本画の美しさは洋画では味わえない筆のタッチ色具合等兎に角作品の前で時が止まった様に感じた、感動は特別な感じになる。




一般的には盛岡の繁華街は駅前周辺では無く繁華街、歓楽街は駅前ではなく歩いて15分ほどの北上川を渡ります。これは日本の風景とも言える事だはあるが、古い都市は繁華街と駅は離れた所にある都市が多いのは、交通網の歴史が分かるのです、昔列車等の新しい交通網は年の栄えた所の近くに列車の配線をしたからなのである。少し歩くと橋の名前は開運橋を渡り。大通りという繁華街がある。大通りはアーケードになって雨の日も濡れずに通行加工である。

そして以前盛岡に行った時に偶々定休日で立ち寄れなかった、今回は光原社 可否((こーひー))館に寄り美味しい珈琲をいただく。此処岩手には落ち着いた伝統ある落ち着いた珈琲店は数はあるが、深煎りコーヒーは此の店を紹介する、盛岡駅からは離れているのが残念だが機会があれば是非訪れたい店舗の一つであるが、今回は開店5分前に到着したのである。

此処で渋さ一杯の英国調のオーディオ機器が似合う雰囲気ではあるが、BGM音楽が無いの誠にが残念である。場所は盛岡駅から循環バス3分、材木町南口下車徒歩2分で到着する。



店舗近くに宮沢賢治の銅像があるのが印象的で、冬場の雪の降った時などは、銅像にマスク、帽子等が施されていた記憶がある。

宮沢賢治の童話集『注文の多い料理店』を刊行。



宮沢賢治が名付けた、盛岡を象徴する店出版社として出発し、大正後期の1924年、創業者の及川四郎は盛岡高等農林学校時代の先輩だった宮沢賢治の童話集『注文の多い料理店』を刊行。 光原社(こうげんしゃ)という名は賢治が命名したものだそうです。



開店はAM10:00からでその前は鉄格子の扉で塞がれている。

注文の多い料理店を読むと・・・

ミルクの香りのボディークリームを塗って♪ 「どなたもどうかお入りください」宮沢賢治著『注文の多い料理店』に登場する牛乳クリームをモチーフにした、うるおい成分配合のボディークリーム。とあるが本文では、お皿も洗つてありますし、菜つ葉ももうよく塩でもんで置きました。あとはあなたがたと、菜つ葉をうまくとりあはせて、まつ白なお皿にのせる丈けです。はやくいらつしやい。(中略)それともサラドはお嫌ひですか。そんならこれから火を起してフライにしてあげませうか。解答は山猫たちが男たちをどんな料理にしようとしているのかが明らかになりましたね。サラダです。山猫たちが男たちをどんな料理にしようとしているのかが明らかになりましたね。サラダです。

この短編は童話の世界と言われるが大人も楽しめる本でもある様です。


素敵なマグカップも置いてあり実は欲しい作品ではあるが、まるで手が出なかった事は事実である。



お店の全景で、後の建物は工芸品等を販売している、佇まいも何処か懐かしい趣がある・・・・陶芸好きには良い目の保養でもある。



お店の前で・・・写真左が可否(こーひー)館





左の明かりの付いた処が光原社 「可否館」である。

この辺りの雰囲気の良さは古き街の良さを存分に味わえる「杜と水の都」盛岡の良さでもあろう、盛岡の別名「不来方」の地名の起こりになりました。 鬼の退散を喜んだ里人たちは大いに喜び祝い、三ツ石のまわりを「さんさ、さんさ」と感謝のまごころを捧げて踊ったのが、さんさ踊りの始まりだといわれています。


店内でコーヒーは深煎りと普通があるが、普通の珈琲も深煎り風で味わい深いコーヒーであった。
今回は東北地方は曇りで25〜6度と実に過ごしやすい天気であった、最後の盛岡では雨に見舞われた。


実に落ち着いた雰囲気で漆喰の城影に刻んだ宮沢賢治の歌が印象的でもあった。
思うは盛岡は昔からジャズ喫茶が有名で今もジャズを聴かせるお店があるが、筆者が思うは此の店舗に見合った小洒落た音楽装置は必要にも思えた、勿論鳴る音楽は品の良いバロック音楽等はいかがであろう・・・?


本日は雨模様のため打ち水は無いが、敷地内はすみずみまで掃き清められ、朝は打ち水の跡が清々しいと言う。一点の“手抜き”もない空間に、〈光原社〉という場所を支える人々の暮らしぶりや心意気を見る思いだ。「第2次民藝ブーム以降、若いお客様が増えてそうです。
此の雰囲気を維持することも大変であろうが、今回の少し深煎り調の美味しい珈琲の味わいは好きな人には病み付きになってしまうであろう、定休は毎月15日だそうである。



一番奥にあるトイレのカラスもステンドグラスの細工を施しお洒落な雰囲気も良い。
左に見えるは北上川である、盛岡も盆地状態で今後の夏場は相当暑いのであろう。



トイレに行くにはリンゴの木が植えられ雰囲気を壊さないようにしている。今丁度実がついた状態でその内に赤く染まるのであろう・・・

お隣には北上川が流れている、雨のために水は濁っているが普段は透明度のある美しい水が流れている。



『雨ニモマケズ』は、宮沢賢治の没後に発見された遺作のメモである。一般には詩として受容されている。広く知られており、賢治の代表作のひとつともされるものである。 
「雨ニモマケズ/風ニモマケズ」より始まり、「サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」で終わる漢字交じりのカタカナ書きである。


帰りの新幹線の中で宮沢賢治の詩を見ながら、筆者の下手な文字で愛用するボールペン.7mmを使い感想を記してみた、確かに日本での新幹線の車内での落書き程度は十分可能であった。

年になり文字を書かなくなると、実に下手になる。特にPCでほとんど対応する世の中になって益々文字を書くのは年賀ハガキ程度である。



筆者の妹は細字で日展入選しているが、私は全く下手である。川端龍子の書も良い字を書いていた、思えば筆者の文字はデザイン文字的でもある。

ランチはこのところ日本食と蕎麦、うどんが多く、盛岡発祥のハンバーグでもと提案し、びっくりドンキーでランチを頂く。


店内は落ち着いた雰囲気で関東のお店と比べ雰囲気も若干違うように感じる。此の様な内装には相当の予算がかかるのであろう・・・?


岩手県盛岡市に誕生したハンバーガーとサラダの店「べる」。13坪の、そのこぢんまりとしたお店にが始まりと聞く。

久しぶりのお肉は美味しく感じた、そして16時頃の新幹線にて千葉に帰った。来年また 爺さん達の「大人の遠足」を開催まで元気で・・・ブラボー!

入梅時の雨の隙間を掻い潜り茨城大洗方面の散策、美味しいお寿司を頂き、大洗を観光する。

2024年07月05日 | 旅行

今の時期は筆者の庭には数多くの「ゆり」の花が咲く、色も様々に咲く、香りも良く家の中もユリの切り花が飾られている。
大阪にに住む娘が帰郷したので、那珂湊港の魚市場の新鮮なお寿司でもと、梅雨の合間に観光も兼ね、出掛ける。

最近のお出掛けには必ず携行しているのが水筒であり出掛ける前に氷を入れ麦茶をにれる場合が多い、途中水筒の中身が無くなった場合も自販機等で手軽に補給加工で特に夏場の熱中症対策には実に重宝しています。



高速にて水戸大洗IC下車して那珂湊港にある魚市場の中の回転寿司である、昔釣りに来た時に寄った事が気っけかけで今もたまに訪れる。
早速寿司屋に入る、熱めの粉茶をいただきながら、家族も皆新鮮なお魚と小さめなシャリとの調和が良い塩梅で好きな物を注文して頂く。
取り敢えずは生マグロ3種から始まり、家族全員マグロを口にして「美味い」を云うマグロ極徳の甘みの刺身が実に美味である、続いて金目鯛、生ホッキ、大エビ・・・。

特に今の旬の鱸(スズキ)は実に良い具合に油が乗り実に美味かった!さすが旬のものは美味さが違う、旬と言えば初鰹(カツオ)も美味い!



金目鯛


生ほっき貝、今まで何度も訪れたがセット物はお初である、新鮮なかみごたえ十分な味わい、流石鮮度の魅力に尽きる一皿でもあった。


生大エビ

満足するまで頂く、到着は11時少し回った頃で、昼時になると混み合うが少し早めに入店がお勧めで、以前お邪魔した時は遅くなるとネタがなくなる事もあったため11時頃には入店している。

食事後は市場の一番隅に果物市場もあり除くと5Lのスイカがある、山梨産の桃も青しそうで早速購入した。残念ながら茨城産のメロンは有名であるが、並んでいる物は小振りで今回は見合わせた。

そして本日は何度も来る大洗には有名な、少彦名命(すくなひこなのみこと)をお祭りされたと言う、大洗磯前神社を訪ねる。有名なことは海岸の岩に建立された鳥居は有名で元旦には初日の出の撮影でも人気の場所でもある。

御祭神が降臨されたと伝わる磯を「神磯(かみいそ)」と称し、神磯の鳥居を神聖な場所として禁足地(足を踏み入れてはいけない場所)としました。



民を難儀から救うために降臨された神、御祭神とは天照皇大神・豊受大神を主祭神とする。天之御中主神・高御産巣日神・神御産巣日神・倭比売命を相殿に祀る。ここ大洗磯前神社には大己貴命(おおなむちのみこと) 「日本書紀」が設定した国の神の首魁(しゅかい)。 「古事記」では大国主神(おおくにぬしのかみ)の一名とされる。 
少彦名命(すくなひこなのみこと)大国主命(おおくにぬしのみこと)とともに国造りをされたと言われている神様です常世の神 医薬・まじない・温泉・酒造の神など多彩であるそうです。少彦名命も神話によく出てきますが、多くの場合に大己貴命と一緒に行動し、温泉(湯治場)を開発、医療の方法を定めた神様として語られています。



二神は力を合わせ心を一つにして天下を経営し、まじない、医薬などの道を教え、日本の国の礎を作った神様です。大己貴命は、だいこく様とも言われ、慈悲深く福徳を授ける神として崇敬されています。また、神話で大変親しまれている神様でもあり、「因幡の白兎」の昔話は特に有名です。



平安時代の歴史書である『日本文徳天皇実録にほんもんとくてんのうじつろく』によると、文徳天皇の斉衡3年(856)12月29日、現在の神磯に御祭神の大己貴命・少彦名命が御降臨になり、「我は大奈母知、少比古奈命なり。昔此の国を造りおへて、去りて東海に往きけり。今民を済すくわんが為、亦帰またかえり来たれり」と仰ったことから、当社が創建されたと伝わっています。その後、国からお供え物をいただける数少ない神社の一社となり、更には「大洗磯前薬師菩薩明神」の神号を賜りました。延喜式神名帳(平安時代の神社名鑑)では霊験あらたかな神社を表す「大社」とされ、明治時代には国幣中社という社格を賜りました。



御祭神が縁結びの神様大己貴命(別名大国主命)な事から、恋愛成就、縁結び、家内安全、厄除け、開運招福にご利益があると言われています。 水戸藩2代目藩主水戸光圀公によって再興された後は、漁師の海難事故が無くなったことから、海上運行の守り神としても信仰を集めています。



境内から海を望む。



本殿


入り口より本殿を望む


神域の守り神である随神様


随神様前に恵比寿様と大黒様、なるほど神社等訪れると何故か古事記でも再度読み直そうかと思ってしまう、古代の世界は誠に不思議な境でもある。

そして本日の見学の最後地「筑波実験植物園」と向かう高速は大洗ICより土浦北ICまで乗車する、途中渋滞もなくスムースに到着、ここつくばは昔から公団等の再発も行われ、実に綺麗な宅地造成、つくば大学等の施設があり、ショッピング街も多く今だに開発中である。
ここらで小休止、テレビでもお馴染みの美味しいエクレアのお店に立ち寄る店の名は「ガトー・プーリア」と言うお店です。早速ナビで探索する・・・



お洒落な佇まいの大人気のエクレアの毎月限定のお得なエクレアや午後2時から限定販売のツインエクレアが有名で、ガトープーリアのお店に立ち寄り何故かお客様は少なく直ぐに購入できた。



テラスで頂こうと思いましたが、何分にも暑く、車内に移動しました。

午後二時より数量限定の販売になります。毎月変わる限定エクレアと、つくばエクレアの二種類の味が同時に楽しめるハーフハーフのエクレアです。



このエクレアは写真部分の塩キャラメルが塗してあり塩気が中のクリームと塩梅よく混じり実に美味しい、車に乗車しアイスコーギー片手にいただく、出来立てのエクレアの生地もサクサクで評判通り実に美味しいエクレアでした。



このプレミアムも美味しく、「筑波実験植物園」までの道中に堪能する。
筑波実験植物園(つくば植物園) Tsukuba Botanical Garden
はここからは近く、到着し屋根付きの駐車場があり夏は屋根付きの射射場は大変ありがたい。

入り口は少しチープであるは国立「筑波実験植物園」の建物のせいであろうか???入館し館内の温室は立派で随分手の込んだ作りである。



入場し休憩をする。



館内案内図意外と広い敷地で終焉は16時30分ですので全ては見る事はできなくなるようです。



とりあえず温室部分から見学しました。







中央になっている実はバナナです!








あまりの暑さで途中断念する。中断し休憩所にてポカリスエットのぺっとぼとるを一気に飲み休息する、秋口過ぎてから再度挑戦しましょう・・。
駆け足で家族共に楽しみました。日曜日(7日)からは盛岡の友人達と秋田地方から盛岡の大人の遠足を楽しむ予定です、ブラボー!