伝統ある英国の10吋ユニットで、いい音で音楽を聴きたい・・・・・

音楽好きの、古いオーディオ機器10吋TANNOYを改良して聴くダメオヤジの金ちゃんです。

外出、旅行で音楽が聴きたく合間を縫ってアンプに火を灯し。ジャズピアノを楽しむ。

2024年07月13日 | JAZZ・ボサノヴァ

此の所大阪に居る娘が遊びにきたり、旧友との爺さん達の遠足に、帰宅すれば生憎仕事も重なり、時間の空いた隙間に音楽を耳にした。

昔から筆者の好きなピーターソン~ブラウン~シグペンからなるトリオによる1962年のヴァーヴ盤。ハイライトは同年にリリースされたビル・エヴァンスの名曲「ワルツ・フォー・デビー」の演奏は、聴きものです。スウィンギーで力強いタッチから繰り出されるワルツは圧巻だ。ジャズピアノの魅力が存分に詰まった、歴史に残る名盤ウィ・ゲット・リクエストは、ジャズ・ピアニストのオスカー・ピーターソンと彼のトリオによるアルバムで、その後1964年にリリースされ、10月19日、10月20日、11月19日または20日にニューヨーク市のRCAスタジオで録音された。このAFFINITYは2年前に発売された当時の流行り曲をまとめた今聴くも実に懐かしいアルバムでもある。
CD盤は上記のジャケットでレコードはシンプルなピーターソン・トリオではシンプルなデザインジャケットが好きなアルバクでもある。



AFFINITY
 01WALTZ FOR DEBBY /ワルツ・フォー・デビー(ビル・エヴァンス)
 02TANGERINE /タンジェリン(ジョニー・マーサー=ヴィクター・シャーツィンガー)
 03GRAVY WALTZ /グレイビー・ワルツ(レイ・ブラウン、スティーブ・アレン)
 04THIS COULD BE THE START OF SOMETHING /これは何か大きなことの始まりになるかもしれない(スティーブ・アレン)
 05BAUBLES. BANGLES AND BEADS /飾り物、腕輪、ビーズ(アレクサンダー・ボロディン、ジョージ・フォレスト、ロバート・ライト)
 06SIX AND FOUR /6と4(オリバー・ネルソン)
 07I'M A FOOL TO WANT YOU /君を欲しがるなんてバカだ(ジョエル・ヘロン、フランク・シナトラ、ジャック・ウルフ)
 08YOURS IS MY HEART ALONE /私の心はあなただけ(ルートヴィヒ・ヘルツァー、フランツ・レハール、ベーダ・フリッツ・レーナー)
録音:1962.9
 
レコーディングに参加したのは、1958年からトリオを組んでいるレイ・ブラウン(Ray Brown)、エド・シグペン(Ed Thigpen)。
オスカーはこのトリオで『ナイト・トレイン』(Night Train)、『カナダ組曲』(Canadiana Suite)、『オスカー・ピーターソン+ 1』(Oscar Peterson + 1)など数々の名盤を生み出している。
その中でも、ヴァーヴ・レコード(Verve Records)からリリースした『プリーズ・リクエスト』(We Get Requests)は、「歴史に残る名盤」として現在も広く愛されている。



Oscar Peterson (オスカー・ピーターソン)
1925年8月15日、カナダのモントリオール生まれ。45年から地元カナダでリーダー作を残し、49年に興行師のノーマン・グランツに才能を見出され米国デビュー。J.A.T.P.などオールスター・セッションに起用される一方、レイ・ブラウン、バーニー・ケッセル、エド・シグペンらと多くの名作を発表した。90年代に脳梗塞で倒れるも見事な復帰を果たし、その健在ぶりを強くアピールした。2007年12月23日、腎不全のためカナダ・トロントの自宅で死去。享年82。
アート・テイタムを彷彿とさせる高速のアドリブが特徴で決して音が乱れることはなく、もちろん、ただ技巧がすごいだけでなく、ピアノ奏法の独創性や、卓越した和声感覚で、オスカー・ピーターソン特有の音楽を作り上げています。オスカー・ピーターソンはその圧倒的な演奏力が特徴です。ミスタッチをほとんどすることがないと言われており、正確な指使いと同時に疾走感のある早いテンポを弾きこなすなど超絶テクニックを持ったピアニストで、「鍵盤の皇帝」との異名をとっていました。そのような超絶技巧の演奏を可能にしていたのは長年のキャリアに裏打ちされたテクニックに加え、オスカー・ピーターソンの大きな「手」も理由の一つかもしれません。1オクターブは余裕でつかめる大きな手でダイナミックな演奏をし、観客を沸かせていました。
オスカー・ピーターソンは1964年にも来日しており、長きにわたり日本での人気も高かったことがうかがい知れます。


Ray Brown (レイ・ブラウン)
1926年10月米国ペンシルヴァニア州ピッツバーグ生まれ。ジャズ・ベースの巨匠。オスカー・ピーターソン、ミルト・ジャクソンとの長年にわたる共演活動が有名だが、チャーリー・パーカー、バド・パウエルなど、ジャズ史に残る数々の傑作に参加している名盤請負人。自己のバンドは、モンティ・アレキサンダー、ジーン・ハリス、ジェフ・キーザーらのピアニストを迎えたトリオでの活動が中心。2002年7月2日インディアナポリスで死去。享年75歳。
レイ・ブラウン(Ray Brown)はエラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald)と結婚していたんですよね。今思うと、凄い夫婦ですね。
レイ・ブラウンはハイスクール時代からピッツバーグではちょっと知られたベーシストになっていましたが、20歳の時ニューヨークに出てディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie)のベーシストとなり、次第にアート・テイタム(Art Tatum)やチャーリー・パーカー(Charlie Parker)らとも演奏する機会を得るようになりました。



ディジー・ガレスピーのバンドには1946年から1951年までいました。その間、1949年にノーマン・グランツ(Norman Granz)が企画しているコンサートでオスカー・ピーターソン(Oscar Peterson)と初めて共演します。その後、ディジー・ガレスピーのバンドをやめてオスカー・ピーターソン・トリオに加入します。このトリオは1951年から1966年まで続く最強トリオとなり、数多くの名盤とライブを生み出すことになります。数多くのミュージシャンと共演、レコーディングを行い、オスカー・ピーターソンとの長期にわたる共演でも有名です。


Ed Thigpen (エド・シグペン)
欠かせない存在だったエド・シグペンは、「ミスター・テイスト」として知られていました。シグペンは、そのブラシテクニックと、脈拍とスイングの明瞭な感覚で最もよく知られていました。
ティグペンは 1930 年にシカゴで生まれ、ジャズ ドラマーのベン ティグペンの息子です。ベン ティグペンはバンドリーダー兼ベーシストのアンディ カークとの共演で高く評価されていました。両親が離婚した後、エドは母親とともにロサンゼルスに移り、ピアノを学び、教会の聖歌隊で歌い、ダンスのレッスンを受け、学校のバンドでドラムを演奏しました。ティグペンの最初のプロとしての演奏は、エドが 18 歳のときにバディ コレットと共演したことでした。その後、すぐにジャクソン ブラザーズのショー バンドに参加しました。その後、ニューヨークのサヴォイ ボールルームでクーティー ウィリアムスと共演し、その後 2 年間陸軍バンドのドラマーを務めました。
1959 年、シグペンはベーシストのレイ・ブラウンを含むオスカー・ピーターソン・トリオに加入しました。「トリオで活動することで、自分の演奏の特定の要素を発展させる機会を得ました」とエドは1982 年にMD 誌に語っています。「シンバルのテクニックとビッグバンドの状況をシミュレートするフレージングの手法を習得することができました。メロディーの聴き方や、即興のラインに合わせてフレージングして、他のことが起こっているような感覚を与える方法を学びました。それは補完的なものでしたが、それでもオスカーが最初に望んでいた時間でした。



ピーターソン・トリオのジャズの聴き所はウッドベースのグク普通の低音、ドラムのキレ音に巧みに転がす様なタッチのピアノ曲、普通に演奏してるのであろうが、魅力一杯のピアノ・トリオならではのジャズの魅力を味わうには筆者自慢のTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetにシングルの三極管Zaika5300装着のパワーアンプSV-501SE、ジャズ音楽を聴くには若干パワー不足な所もあるが、筆者のリビング10畳程では十分満足できます。



昔から良く聴くジャズにオスカー・ピーターソン(p)レイ・ブラウン(b)エド・シグペン(ds)ヴァーブ時代のピーターソン・トリオの曲が多い、カナダで最初のピアノ・トリオを結成して以来、半世紀を越える活動で、スィングとバップを融合させた独自のスタイルを確立、ジャズって変に哲学的になったり、原曲が全然見えなくなっちゃったりということがあるけれど、ピーターソン・トリオの曲はオーソドックスで聴きやすく魅力的で個人的にも好きなトリオでもある。

久々に聴くキレの良いピアノ曲に、ブラボー!

最新の画像もっと見る

コメントを投稿