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東海道五十三次ウォーキング⑤(関-亀山-庄野)

2007-09-03 21:43:44 | 東海道五十三次
旧東海道五十三次ウォークのシリーズ第5回、三重県亀山市
関宿から鈴鹿市庄野宿までひとり歩きをしてきた。

三重県の降水確率が70%であることは承知の上で行ったが
さすがに終日の霧雨、小雨には疲れた。

かさもカッパもリュックの中にちゃんと用意していたが
ウォーキングに似つかわしくないと、かさは強い雨のときだけ
あとは、濡れながら終日歩き通した。

出発は午前7時21分にJR新大阪駅、2度の乗継で三重県
の関へ。途中、鈴鹿の山々が雨雲にかすんでみえるのを車
窓から見ながらせっかく来たのだから中止することなく少しで
も歩こうとスタートの関の駅頭に立った。午前9時14分。


関は霧雨、夏休み最後の日曜日、多くの人が訪れると思っ
ていたが、駅前に人はまったく人がいないのに驚いた。
歩き始めるとうろうろとあたりを見渡している二人連れが目
に入った。東京から東海道を関まで歩いてきたという中年の
カップル、夫婦だろう。

”私もこれから行きますのでそこまで一緒に行きましょう”と案
内した。
こちらは、西の追分へ、その人たちは東から西へだから東の
追分へ。


西の追分に至る新所の通りも誰も通っていない。早朝だった
からかもしれないが、映画のセットを見ているようだった。


西の追分からスタート、新所の通り、メインの中町の通りを
ゆっくりと歩き、東の追分へ木崎の通りへすすむ。

地蔵院(国重要文化財)天平13年-741-行基菩薩の開創。
本堂・鐘楼・愛染堂が重要文化財に指定されている。


旅館会津屋 関宿を代表する旅籠のひとつ、二階に洋風の
窓がついた洋風屋は珍しい建物だ。


橋爪家 江戸時代の初めから両替商を営んだ豪商、道に面
して三角形の屋根があるユニークな建物。


伊藤本陣跡 関宿には伊藤、川北の二本陣があった。現在
残っているこの建物は、本陣の店部分、川北本陣は、石碑
が残るのみ、本陣の門は、近くの延命寺の山門に移築され
ている。


鶴屋 会津屋、玉屋とともに関を代表する旅籠で江戸時代は
脇本陣もつとめた。


玉屋 関を代表する大旅籠のひとつ、江戸時代に建てられた
貴重な旅籠建築に当時の道具類や資料を展示、江戸時代の
旅籠を再現している。かごも展示してある。


東の追分へ。実は、前回、ここまで来ていた。

東の追分から次の亀山宿をめざしてちょうど10時30に歩き
始める。関で時間をとりすぎたが、12時半に亀山の中心に
行っていたい。これから2時間後だ。
雨もほとんど上がった。これならねむしろ道は歩きやすい。

しばらく歩くと大岡畷跡の桜並木、雨あがりの緑の道は気持
ちがいい。


さらに進むと向こうからおばさん達の一団がきたので黙って
通り過ぎることができない性分がここでも出てしまう。

”こんにちは!今日はどちらまで?” と声をかけると

愛想のいい反応が返ってきて、そこで一気に盛り上がる。

東京のおばちゃんたち、月2回、1年で完歩するというグル
ープだ。日本橋からここまで来たというのだからおそれ入る。

証拠写真を撮ってもらおうとお願いしたら一緒の記念撮影に
なった。このグループ、あとから続いて20名くらいいた。


やっぱり江戸弁は、歯切れがよくてあってええなあ・・

その後も、途中で男性グルーブにも会ったし、男女カップル
二組にもあった。東海道を歩いている人は多いんだ。

しばらく歩くと大きな木が前方に見えてきた。野村一里塚
だ。これまで見てきた一里塚では際立って大きい。


亀山に近づいてくるとまた雨が落ちてきた。
宿場の雰囲気が目の前に現れてきた。道が色分けされてい
るのが珍しい。


坂道を竜川にかかる京口坂橋をわたると左に亀山宿の西端
にある京口門跡。


古い町並みの一戸一戸に木の札がかけられ、そこに元の屋
号の名前が書き込まれている。


町並み保存分科会というプロジェクトができて宿場の賑わい
を復活させたいということだ。

この木札は、進んでいく道路沿いにずっとかけられていた。

雨がかなり降ってきたが、コースから離れた亀山城跡へ行く。
時間は予定通り。


ただし、ベンチは雨でぬれ、弁当を食べる場所がない。
ここだけ少し雨宿りしながら仕方なくカサも使って歩いた。


亀山の雰囲気が気に入った、先を急ぐので今回は、さらりと
歩くが、再度、訪れてみたい。

小ぶりだが雨に濡れながらどんどんすすむ。
ローソクでおなじみの亀山ローソクの前を通り和田の一里塚
を過ぎる頃から、すっかり郊外の雰囲気になった。

JR井田川駅前を14時43分に通過、雨もふり続く。
ここから歩道のない曲がり道が続き、往来する車に緊張の連
続。安楽川にかかる和泉橋を渡りきったところにある川俣神
社で雨宿りしやっと昼食の弁当を食べた。
時間は3時を過ぎた。ここで、今日は、石薬師まで行かないで
次の庄野宿で切り上げることにする。

亀山市から鈴鹿市の庄野へ。

庄野は、古い街並みに往時の面影はあるものの本陣跡の石
碑がある程度で、他の説明板もほとんど字が読み取れない
ほどに放置され意外な感じがした。


そう言えば、一週間前に庄野宿、石薬師宿への地図または
資料がほしくて鈴鹿市のホームページをたどると観光協会
へリンクされていたので電話したがつながらず、問い合わせ
先と記載されていたメールに依頼記事を送信しておいたが、
今日までなんの連絡もない。

鈴鹿市の姿勢がここに見えた。

熊野古道でも琵琶湖一周でも所属する自治体によって力の
入れ方が違うことはわかっているが、鈴鹿市にはがっかりし
た。次の石薬師はどうなんだろうか。

ただ、一か所、庄野宿資料館の女性担当の方は、訪問した
のが4時を過ぎたばかり、閉館だったらしいが、丁寧に応対
してくれた。




ここからは、帰りの最寄駅のJR関西線加佐登駅に急ぐだけ。
調べていた時間表を確認しょうとしたらその用紙がない。
忘れてきたことに気がついた。さあ大変!

かすかな記憶をたどって4時18分がうまく接続する時刻だろ
うと思って急いで加佐登駅に14分到着。

ところがなんと11分だった。

あー、出たばっかりや、また、置き去りにされた!

と大きな声で言うたら改札の外にいたいた人たちの視線が
????

そや、ここは、名古屋圏や、関西と違う。

「名古屋」行き電車、ここはJR東海。


次の電車は、5時3分。

ご褒美の缶ビールでもと思っても、駅前見渡してもどこにも
見当たらない。
ホームに出て、階段の陰で持ってきた着替えをした。
やっと、生き返った心境だった。 びっしょり濡れていた。

やっと5時3分の亀山行きに乗る。しかし、亀山駅で乗り継
ぎ時間が、なんと30分もある。
暗くなった駅の売店で缶ビールを買ってひとりでご褒美した。

やっときた電車は1両。そのすしずめ電車で柘植駅へ。
草津線に乗り換え、ダッシュしてやっと座席を確保した。
草津で新快速に乗り新大阪着が7時54分。

いったい、どれだけかかったのやら ・・・

ああー、ちかれたの1日になった。
万歩計は35000、たいして歩いてはいなかった。

前回も大雨にあった。
やっぱり、あの鈴鹿あたりは多雨なところなんだろう。

次回は、今回ゴールの加佐登駅がスタート、四日市宿まで
歩く予定。