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昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

大坂海軍塾(勝塾)跡たずねて!

2010-05-16 21:48:39 | ウォーキング
天気がよかったので午後からぶらり

御堂筋散策ウォークにでかけた

この時期、大阪のメインストリートは

銀杏並木の新緑が美しい季節



ついでに今夜の龍馬伝に出てくるかもしれない

勝海舟の寓居のあった船場・専称寺に大坂海軍塾があった

ということでその跡を訪ねてみようと思った


地下鉄本町駅から瓦町と三休橋通りの交差する角が

跡地だと聞いていたので訪ねてみたがいくら探しても

そこには白いビルが建っているだけで記念碑もなにもない


そのまま引返すのはシャクだから跡地と思われる

ところの向かいあるカフェをお茶休憩を兼ねて入って

オーナーに訪ねてみるとそこに間違い無いらしい


やっぱり向かいの白いビルのところだった

ここは元治元年(1864)9月11日に

勝海舟と西郷隆盛が初めて会見した場所だという


その後、文久3年(1863)9月24日、勝海舟は

神戸海軍操練所の開所準備のため神戸に移ったそうだ


つい先だって団体がそこに来て講師らしい人が説明して

いたと言っていた


あきらめて御堂筋に戻りなじみの書店に入ってしばらくは

そこで本を相手に時間を過ごした

書店めぐりは大好きだからいくらいても退屈しないで楽しい



中之島をぐるりまわって大阪駅までウオーキング

御堂筋をリュック姿で歩いている人が結構いたが

往復すれば御堂筋も8キロの散策ウォークで楽しい

たいした距離ではなかったがくつろげてよかつた。

あれ?不思議な光景!(仕事場から)


仲良しお月さんと金星さん(仕事場から)





渡船めぐりウォークを楽しんだ!

2010-05-08 23:00:53 | ウォーキング
五月晴れに誘われるようにお世話をしているW倶楽部の例会下見を兼ね「ぐるり大阪渡船めぐりウォーク」に出かけた大阪市内にある8ケ所の渡船を渡りながら歩こうというもの

これまで4回も歩いたコース、いずれも7年以上も前のことで果たして道を覚えているか、変わっていないか道と時間を確認してさらに楽しめる独自なコースに設定したいと思った

大阪駅からユニバーサルスタジオ方面に行くJRゆめ咲線の終点桜島駅へ
9時30分、最初の「天保山渡船」に乗船して400メートルの安治川を海遊館のある天保山へ渡った


地下鉄大阪港駅前から古いレンガの建物が続く海岸通りを過ぎると高所恐怖症には難敵のなみはや大橋がそびえるように迫ってきた
下を見ないように、車道側を歩くようにして約22分で渡り終えた

それでも、一番高いところから恐る恐る眺める眼下を行きかう船、大阪市内はもとより遠く西は阪神間、南は泉州方面までも見通せて7年ぶりの変化もあり絶景を楽しむことができた


なみはや大橋を渡ると2番目に行く渡船場は二ケ所あるが「船町渡船場」を選択して、10時40分の乗船時間に急ぐ、時間がない・・といっても時間表は7年前のもの

各渡船の乗船時間は限られているのでその時間に遅れると待ち時間が発生して思わぬ長いウォーキングになることを経験から知っているので間に合わせるために最後はかけあし、かけあし!


ここの渡船は岸壁間がわずか75メートル、向こう岸の船着き場がすぐそこに見えている、初めての経験だが、乗船客は自分一人だけ!
借り切り状態であっという間に、乗船時間は1分もなかったか?

次の3番目は木津川を渡る「木津川渡船」の乗船時間は11時15分、これに遅れると次は12時なのでここも必死、最後はかけ足になった、木津川下流のため岸壁間は371メートルと広く大きな船が停泊していた


ここではサッカーチームらしい中学生の自転車の一団に遭遇した、詰め込んだがとうとう一般客、中学生の数人が乗れなかった!
多分、すぐ戻ってきて運ぶのだろう・・・と思ったがどうだったか?

大正区から木津川渡船で渡ったところは住之江区、ここからコースは小さな工場や配送センターが続くまったく日陰のない道を歩き続ける、昼食場所に想定していた公園に着いたので11時45分、昼食にした

昼食、休憩をして4番目の「千本松渡船」へ、12時30分の乗船時間に余裕をもって着いた、すでに10人くらいの人が待合所で船を待っていた、乗る人の大半は自転車客で自分のような渡船めぐりを楽しむ人も結構いる


千本松渡船を渡ると再び大正区、古い下町風の通りをしばらく進むと次は5番目の「落合下渡船」、乗船時間は13時00分だから余裕がない、ここも必死で歩いてなんとか間に合った、冷や汗もプラスして暑い

ここでも自転車の中学生一団と一緒になり船内はぎゅうぎゅう状態、しかし船員さんも生徒たちもなれたもの、まるで自転車置き場のようにきれいに並んで30人くらいの自転車隊がおさまったのは見事!


さらに木津川にそって上流の6番目「落合上渡船」へ、時間は13時15分、ここの渡船もせまくて100メートルほど、待合室の地図をデジカメで撮っていたら船長?さんがその地図をあげましょうと事務所へ案内してくれた


ここの渡船の職員(市職員)さんは、実に礼儀正しくて気持ちがよかった、そういえば、どこの渡船の人達もひとりひとりの乗客に乗り降りの際にはあいさつをしてくれて意識の変化を好意的に感じた

もちろん、こちらも
乗るときは“こんにちは”
降りるときは“ありがとうございます”

西成区側から落合上渡船を渡ると再び大正区へ、ここまで予定通り、むしろ予想以上にうまく進んできたので渡船場に近い千島公園に回り道をして14時まで休憩をした


公園を横切り7番目の「千歳渡船」に着いたのが14時23分、乗船目標時間を3分ほど遅れたので14時40分の乗船になった、ここは2番目に来てもいい位置にあり距離も371メートルと長い


渡ってもそこから次の渡船場に進めない(島になっていて)ので来た道へ再び引返さざるを得ないので船員さんにお断りして渡っても降りずにそのまま船内に残って再び元の渡船場へ戻った


いよいよ最後の8番目の「甚兵衛渡船」へ向かう、15時15分の乗船には無理なく間に合ってほっとした、ここも94メートルと川幅がせまく乗船する人で満員状態だった


とうとう無事に8渡船に乗ることができてほっとした、5度目の完歩、そこから夕凪交差点を経由して地下鉄朝潮橋までを最後のウォーク、15時36分に朝潮橋駅についた、約27,500歩、気持ちよかった。


http://hyamasaki.blog102.fc2.com/
もう一つの東海道五十三次・言葉の旅

明石海峡・潮の香ウォーク。

2010-04-25 22:42:52 | ウォーキング
ようやく春らしい天気にめぐまれた日曜日
お世話をしているウォーキング倶楽部の月例会で
神戸・垂水海岸から大蔵海岸を歩いた

JR垂水駅(神戸市垂水区)に9時半集合
今日の担当はめったさん、地元生まれでおなじみの場所
資料の準備は万全、こちらは付いていくだけの安心コース

珍しく女性群が全員欠席でおじさんたちだけのウォークになった
(あー、静かでいいとは誰も言わなかったが・・・?)
ほんとうはケンカ相手がいなくてさびしい

スタートしてすぐ播磨三大社の一つ、海神社へ
いつものように安全祈願のお参りをして
すぐ近くの商業施設マリンピア神戸の外周を海岸にそって歩く


目の前に淡路島がゆったりと見える
世界最長吊り橋の明石海峡大橋(3911メートル)が
そびえるように迫ってくる


海岸では釣りをする人、ウォーキングしてる人
親子連れで家族している人、写生大会の子供たち
キャンバスに大橋を描いている人


のんびりと久しぶりの春の陽を浴びて
海峡の日曜日を楽むように大勢が来ていた
公園の一角ではフリーマーケットも開かれていた

大橋の手前に1915年築で現存する日本最古コンクリートブロック
造建造物で国の重要文化財に指定されている孫文記念館があり
最新の大橋と最古の記念館とのコントラストが妙にマッチしていた


橋の下を大型船から小型の釣り船まで、大小さまざまな船が
ひっきりなしに海峡を行き来する
ここは瀬戸内海の交通の要衝、ながめているだけでも楽しい


瀬戸内で育った自分にとって海といえばこの景色が最高
淡路島と和歌山の間を流れる紀淡海峡もみえる
はるか関西空港のゲートタワーも見える


大蔵海岸を目指して2号線を歩いていると
明石藩舞子砲台場跡の碑が目に付いた
勝燐太郎(海舟)指導のもと明石藩が築造したものだ


文久3年(1863)外国船侵攻にそなえ幕府の命だった
数年前まで長く開催をされていた明石海峡ウォークラリーの
おなじみのスタート地点・明石市大蔵海岸にやってきた

海岸の公園には堀江健一さんのマーメイド号が展示してあり
実にのどかな海岸風景だが
ここの歩道橋には悲しい事故があった


2001年7月21日の明石市民夏まつりの花火会場へ向かう人が
群衆なだれにより命を失った11人を偲ぶ「想」という像が
安置されている、そっと手を合わせて冥福を祈った


今日は福知山線列車事故5周年の日でもある
それを悼むウォークも開催されているが
例会と重なって参加できなかった

コースはJRの歩道橋を渡って山側へ移っていき
しばらくアップダウンの続く住宅街のコースをすすみ
昼食地点の大蔵山遺跡公園についた。

ここからの海峡の眺めもすばらしい、明石海峡大橋を本土側の
こんなに高い位置から眺めるのは初めて
この遺跡から2万年前の石器や弥生時代の竪穴式住居の焼け跡が発見されている


昼食、多忙で久しぶりに参加したよっしーさんの近況報告から話題は
よっしーさんはわが倶楽部でメタボ解消の指定強化選手のひとりだが、
すいぶんスリムになって参加してくれたその苦労談も披露

午後のコースも住宅街を右に左にアップダウンしながらすすむ
自分以外は53歳のリーダー、あとは40代の男働き盛り
自分とは体力に格段の差がある彼らと歩けることはうれしい

引き締まった後ろ姿、きれいに伸びる一歩一歩
やっぱり若い人(彼らも組織内では若くはない)と行動を
共にすることは多くの刺激と自分の見直しに大事な時間

さらにアップダウンの続く市街地を小刻みに左右にすすみ
五色塚古墳へ着いたのが14時17分
淡路島が右前方に望める台地に築かれたこの古墳


前方後円墳で全長194メートル、兵庫県で一番大きな古墳で
三段に築かれた墳丘は珍しくて、向かい側にもきれいに整備された
小壺古墳があり、何組かのウォーキンググループも訪れていた



山の手の住宅街からJR、山陽電鉄を越え東垂水展望公園へ
このあたりはかって砂地の海岸で担当のめったさんやリーダーのちゅうさんは
子供のころの遊び場、泳いでいたなつかしいところだった


コースは国道2号線にそってスタートしたJR垂水駅へ15時45分
約18キロ、日陰がほしい陽気の中でコース設定もすばらしく
大空のもとに潮の香の漂う垂水と明石の海岸ウォークは楽しかった

ゴールして倶楽部のリーダーをしてくれているちゅうさんの激励会
自分に続いて先月、熊野古道を完歩した彼が次の29日に
いよいよ四国霊場88ケ所めぐりにスタートすることになったので

急遽、激励会をすることにして駅下のみんみんでビールと餃子で激励
大手企業のビジネスマン、10年連続六甲縦走達成、53歳の男盛り
早ければ2年、5年をめどに歩くと力強く言ってくれた

帰り際、駅で久しぶり参加のよっしーさんがささやいてくれた
萎えたとき、自分のブログで元気づけられているという
一人だけダントツ年長の自分の役割はそれだけだから

そこからしぼりとれるものがあるなら取ってほしい
その分、自分の仕入業務を怠ってはならない
お役にたてる限りまだまだ引っこんではならないと思った。

70歳のシリーズ・ウォーク。

2010-04-22 23:39:08 | ウォーキング
日経新聞の夕刊一面のコラムで
元防衛次官、現世界平和研究所の理事長
佐藤謙氏が「旧中山道を歩く」というタイトルで

東京日本橋から三条大橋まで530キロ余を
運動のために始めたウォーキングの延長で
退官後、中山道を歩くことを思い立ったという

道中の旧道の確認、迷い、引き返すつらさ・・・
苦労も楽しい思い出となり春夏秋冬を味わう
五年かかった京都までの徒歩の旅が書かれていた

自分の東海道歩きと同じように区間を徒歩で
つないで歩き続ける歩きは車では味わえない
自然や文化や人との出会いは得難い経験になる


東海道を日本橋まで歩けたら中山道で戻って
きたいという思いをどこかに持っていたが
諸条件を考えると永遠の夢にすることにした
うらやましい気で読んだ


今日、70歳のシリーズ・ウォークは
伊勢街道を「お伊勢さん参り」することにしたと
所属しているうぉへキング関連の仲間に公表した

昨秋にこのブログでもほのめかしたことはあるが
東海道を完歩することが先決なので伏せていた
一部の人には年賀状にはっきりと書いている

ただし、もう、のんびりと歩きたい
ブログやHPに書くことを期待されると
ついつい応えようとするがこれはもうきっぱりやめる

感じながら
味わいながら
70の歩きをしよう。

長浜城の桜を見てきた。

2010-04-08 18:54:58 | ウォーキング
(6日のひこにゃんの彦根城と桜ウォーク!の続き)
彦根城の桜めぐりをして再びJR彦根駅へ、ここから北陸線の長浜駅へ移動した。


長浜も2年振り、行くと必ず立ち寄るのが駅前にある豊臣秀吉と石田三成の出逢いの像、整備された駅前の一角に出会いの像はいつものように立っていた。

説明板には
長浜城主の羽柴秀吉公は、鷹狩の途中に観音寺(米原市朝日町)へ立ち寄りました。汗をかいた様子の秀吉公を見た寺小姓の佐吉少年は、大きな茶碗にぬるいお茶をなみなみと持ってきました。秀吉公がもう一杯頼むと、少年は先ほどよりも少し熱いお茶を、茶碗に半分ほど差し出しました。そこで秀吉公は、さらに一杯所望したところ、今度は小さな茶碗に熱いお茶を入れて出しました。
秀吉公は、茶の入れ方ひとつにも気を配る佐吉少年を気に入り、召抱えました。この少年が後の石田三成公で、この話は「三献の茶」として、今も語り継がれています。


三成公は、ここから五キロメートル東の長浜市石田町の土豪の子として生まれ、今も出生地あたりには官名にちなんだ治部という小字が残っています。また、観音寺には、茶の水を汲んだと伝わる井戸が残されています。(秀吉公と石田三成公 出逢いの像・・案内板より)

駅の琵琶湖口へまわって豊公園にある長浜城へ向かう。ここの豊公園も桜の名所で公園についたら15時45分になっていた。傾きかけた花曇りの陽光を浴びた長浜城の天守閣が満開の桜に包まれるように咲きそろっていた。




長浜城は、織田信長と浅井長政が戦った姉川合戦の後、その功によって湖北三郡を与えられた羽柴秀吉が、天正2年(1574)頃、小谷(湖北町)から当地に城下を移し、地名を今浜から長浜と改め、ここに城を築いて数年間居城とした。

天正11年(1583)、織田勢力を二分する激しい戦いとなった秀吉と柴田勝家との賤ケ岳の戦いでは、ここを根拠地として大勝し、織田信長の後継者としての立場を確立した。秀吉の家臣である山内一豊も天正13年(1585)から五年間在城したことがある。江戸時代になって、慶長11年(1606)には、徳川家康の家臣である内藤信成が入城し、その子信正が摂津高槻(大坂)に移るに至って元和元年(1615)に廃城となった。・・・
建物及び石垣の大半は、彦根城の築城に際して移された。城跡の遺構はあちこちに残されている。


ということで、先に見てきた彦根城とここ長浜城は、深い関係があることがわかる。
公園内の桜の木の下は、夜桜見物、宴会の用意なのだろう、すでに多くの場所がブルーシートで覆われて写真を撮れる状態ではなかった。せっかくの桜もあれではかわいそう、彦根城ほどではないが大勢の観光客も訪れていたのにがっかりしただろう。
この城が一番きれいに見えるのは、琵琶湖岸からだと思っているので湖岸へ足を延ばした。ここも琵琶湖一周で歩いたコースだし、何度も訪れてよくしっているのでしばらく周辺をウォーキング、暖かくて湖面から吹いてくる風がとても気持ちよく感じられた。


戻りのJRは長浜駅でいっぱい、座れずに立ったまま、米原駅で列車を増結してやっと座れた。
彦根駅手前左手の小高い丘に石田三成の佐和山城跡の看板が見えた。安土では信長の安土城跡の丘が夕陽に包まれていた。彦根城、長浜城ともに駅から近い立地にあったおかげで、離れた場所にある二つの城の桜を見ながら軽いウォーキングを楽しむことができて快適な一日、いやしの一日になった。

ひこにゃんの彦根城は桜満開!

2010-04-06 22:56:05 | ウォーキング
先週末の合宿から今週末も合宿が続き来週は東海道五十三次の最終コースでお江戸に行くので今日は「いやしの日」にすることにして滋賀県の彦根を訪ねた。


彦根は桜田門外の変に倒れた大老井伊直弼の城下町として知られている歴史の古い町で、これまでも数多く訪れている個人的にもお気に入りの町だ。
JR彦根駅についたのが12時半、駅前には彦根藩初代藩主の井伊直政の像が立っている。


そこからまっすぐに延びるお城通りの向こうに天守閣がやや左手に見える、10分足らずで突き当りの護国神社を左に行き、すぐ右折する彦根城中濠と満開の桜が目の前に飛び込んでくる。
ここから濠の向こうに天守閣が眺められる最高のスポットで大勢の人が写真を撮っていた。2年前に来た時は冷たい雨で寒々と桜見物をしたが、今日は花曇りながらほぼ満開で濠に映る桜の風情も見事だった。

城の中堀には満開に近い桜が咲きそろって、その向こうに天守閣が眺められて最高のスポット、写真を撮っている人が大勢いた。
二年前に来た時は冷たい雨で寒々と桜見物をしたが、今日は花曇りながらほぼ満開で歓迎してくれるように咲いていた。

何枚撮ったやら・・・デジカメのシャッターを押し続けた。




城への入口、佐和口多聞櫓まで中濠にそって続く松並木は、植樹当時47本あったそうでいろは松並木と呼ばれている。


そのまますすむと松並木の右手に井伊大老(井伊直弼)の歌碑が立っている。
 
「あふみ(近江)の海 磯うつ浪のいく度か 御世にこころを くだきぬるかな」
 
安政7年(1867)の正月、この和歌を井伊家菩提寺の清涼寺に納めたという。
この歌は、琵琶湖の波が磯に打ち寄せるように、世のために幾度となく心を砕いてきたと、幕府大老として国政に力を尽くしてきた心境をあらわしている。直弼は、この2カ月後の3月3日、江戸城桜田門外で凶刃に倒れた。(説明板の一部)



中堀にかかる橋を渡り佐和口多聞櫓から城内に入って天守閣をめざしてすすむ。







天守閣前の広場へ行くと桜を求めて観光客が大勢押し掛けていた。天守閣に登るのに30分もかかった。天守閣には登ると何年も前に琵琶湖一周をしたときのコースが眼下に見えるので懐かしい。


彦根城といえば、元祖ゆるキャラの「ひこにゃん」がすっかり有名になっているが、なんと、天守閣下の広場で14時からひこにゃん登場のイベントに遭遇した。大勢の人に囲まれ首に鈴をつけたひこにゃんがいろいろなかわゆいポーズをとるたびに思わず歓声がわいてスターそのもの。大勢の人の後ろからデジカメを持つ手を精一杯延ばして撮った一枚がこの写真。このひこにゃん、バレンタインデーに全国から何千個もチョコレートが届いたというから、オスにゃんこかな?
井伊家の武士は、鎧や旗など赤一色に染め、常に徳川軍の先峰を務め、混戦の戦いの中でも目立つようにしてきた。ひこにゃんの兜も赤!

後ろからデジカメを持つ手を精一杯延ばして撮った一枚がこの写真。


国宝彦根城が、2年前に築城400年祭「井伊直弼と開国150年」を開催したが、その際にマスコットキャラクターとして誕生したひこにゃん、いまではすっかり有名なにゃんこになり、町中にひこにゃんの絵があふれていた。

城内をぐるりめぐって桜を楽しみ、帰りがけに「埋木舎」へ寄った。



埋木舎は、直弼が17歳から32歳まで過ごしたところで

「世の中をよそに見つつも埋もれ木の 埋もれておらむ心なき身は」

と和歌を詠み、武道、茶、能などを学び、この屋敷を埋木舎(うもれぎのや)と呼んだ。


第11代藩主直中の14男として生まれた直弼に家督を相続する見込みはなかったので埋木舎で生活していたが、直弼が32歳の時、藩主だった兄が亡くなり彦根35万石の藩主となり、しかも安政5年(1858)には、幕府の大老に就き、開国と攘夷に分かれた中を、孝明天皇の勅書も得ずに開国に決め、日米修好通商条約に調印、反対派を弾圧した。2年後の3月3日、江戸城桜田門外で攘夷派の水戸浪士らの襲撃に遭い殺された事件はあまりに有名だ。

城の見えるホテルのラウンジでお菓子コーヒーを飲んでくつろいだが、まだ15時だったので長浜城へ行ってみることにした。


彦根から北陸線の長浜へ移動、ここも2年振り、駅前の豊臣秀吉と石田三成の出逢いの像を訪ねて長浜城へ向かった。以下は明日に・・・

世界遺産「姫路城」を訪ねて!

2010-03-30 22:34:00 | ウォーキング
たまたま約束していた午後の打ち合わせがなくなったので、まもなく大天守の保存修理工事が始まる姫路城へ行くことにして、11時39分新大阪からJRで姫路駅へ向かった。
姫路城は、わが国で世界遺産に登録された第一号、日本を代表する城であることはよく知られているが、来月11日から始まる工事で長らくあの白鷺にたとえられた美しい姿を見ることはできなくなる。工事期間中は平成22年4月12日から平成27年3月末まで、自分の年齢を考えると果たして修理後を見ることができる保障はないので急に行きたくなった。

姫路駅には入場まで40分待ちの案内が張り出してあった。混雑していることは覚悟して行ったので天守閣に登ることは諦め、ほどほど見学をしたあとは周辺のウォーキングをすることに切り替えて、姫路駅前の大手門通りをまっすぐにすすみ城への入り口、桜門橋に行った、すでに長蛇の列、入場門までちょうど40分かかった。



さらに、天守閣へ登るには2時間半か3時間かかると城内放送が繰り返されていた。とにかく人、人、人、すでに13時50分になっていた。二の丸まで行って引き返し、千姫ゆかりの西の丸へ移動、ここも40分待ちという。何度も来ているので中に入ることはやめた。


千姫について少し・・・七歳で豊臣秀頼と政略結婚をした徳川家康の孫姫(徳川秀忠の長女)は、大坂夏の陣で秀頼の死後、江戸へ戻る途中、桑名城主の本多忠政の子・忠刻と恋に落ち結ばれた。後に忠刻とともに姫路城へ移った。このとき、本多忠政が千姫のために西の丸を築き、そこから千姫は自分が築いた男山千姫天満宮を遥拝したという。
幸せな日々を過ごした千姫も結婚して11年目に忠刻が亡くなり、江戸城へ帰る千姫を藩士や城下の人々は泣いて送ったと伝えられている。
サクラは三分咲き位だったが西の丸の広場からの天守閣の眺めは見事だった。来週あたりは大変な人出になることだろう。


ここからは9年前にウォーキング倶楽部の例会で歩いたコースを逆に行くことにした。
桜門橋を出て城見台公園を北へ向かう。もう工事の準備が始まっている。



美術館前を左折して外堀にそってそびえる天守閣を左に見ながら人の姿もほとんどない道を清水橋へ。


ここから川沿いに北へすすむと男山へ登る急な階段が続く、登りつめると男山排水池公園へ、ここは姫路市内が一望できる眺望スポット。左手向こうに高くそびえる姫路城の大きさが実感できる。距離にして2キロほどか。


少し下って千姫天満宮へ行く。ここが千姫が建立し、城内の西へ丸から遥拝したと伝えられている天満宮だが、ここにも人の姿はなかった。


再び、清水橋へ戻り、中堀にそって続く千姫の小径をすすむ、堀の左上に千姫の西の丸がそびえて見える。


千姫の小径の途中に千姫、忠刻のふたりの歌碑があった。

 「初秋の風を 簾(すだれ)にまきとりて」(忠刻)

 「軒はにおほふ 竹の葉の露」     (お千)

裏に説明が彫られていた。
この歌は、千姫(1597-1666)が徳川第二将軍家忠から大安宅船(おおあたかぶね)を預けられたことを記念し、一家一族の繁栄を祝福するため、八月十四日の待宵を期して月見かたが「船」の題で歌の会を催した時の連歌の一部で、千姫が姫路で残した唯一の歌と言われています。


市之橋へ出て左折すると日本庭園が素晴らしい好古園へ、入園はパスして大手前通りを歩いて姫路駅へ、JRで戻ってきた。



サクラには少し早かったが、お天気がよくて姫路城天守閣を眺めることができて満足した。まもなく大工事が始まる、五年後の改修された姿を見られるのを楽しみに待ちたい。

金魚の故郷・城下町大和郡山」お花見ウオーク。

2010-03-29 16:46:53 | ウォーキング
お世話をしているウォーキング倶楽部の月例会で奈良・大和郡山へ行った。(28日)
大和郡山は、筒井順慶、豊臣秀長、柳沢吉里らが城主を務めたきた奈良を代表する城下町で、とくに秀吉の弟・秀長ゆかりの寺院や史跡、屋敷などが多くあり、街並みにもかっての面影が残されているなど、自然にも恵まれた落ち着いた町で歴史好きには格好の散策コース、また、日本一の金魚の養殖をしている町としても知られている。
法隆寺の斑鳩と薬師寺・唐招提寺の西の京との真ん中に位置して、JRと近鉄も走っており大阪から簡単に行くことができる。

個人的には三度目の郡山ウォークになるが、かなり以前に訪れままでなので久しぶりの郡山を歩くのを楽しみに、9時20分、JR大和路線大和郡山駅へ集合した。


今回の担当者より手作りの資料が手渡され、コースの紹介、新人さんの自己紹介、ストレッチをしてスタート、郡山は近鉄郡山駅が中心なのでJR駅前の一角を過ぎるとすぐに静かな住宅街に入った、しばらくすると田園風景が広がる、最初に東西南北260メートルほどの環濠に囲まれた集落が残っている稗田環濠集落を訪れた、環濠とは、村の周囲に濠をめぐらして外敵を防いだ中世の遺構で、ほぼ完全な形で残されているのには驚いた。環濠の外は田園、中は密集した古い家々が建てこんでいる。


環濠の中にある売太神社は「古事記」の伝承者として知られる稗田阿礼(ひえだのあれ)を祀っており、皇室の方々も訪れたという碑が立てられ由緒ある神社であることを知った。
環濠集落からしばらく田園の中を歩き続け、佐保川を渡りそのままそって上って行くと道の両側の田んぼが水をはったプールのような形に変わったきた、ここが金魚の養殖日本一の養殖場なのだ。


金魚資料館に寄って珍しい金魚をたくさん見せてもらった。通りに沿って流れている小川にも金魚が泳いでいるのには、さすがに金魚の町だと感心した。金魚すくい全国大会が毎年開かれているようだが、どこでもイベントには「金魚すくい」が定番、ここで育った金魚たちが全国で祭りやイベントの盛り上げに一役をかっているのだろう。

そもそも郡山の金魚の養殖は、下級武士の内職であったものが、水利の便利さから農家の副業になり、いまに続いているらしい。


古い街並みを曲がりくねりながら歩いて豊臣秀長の墓所、大納言塚に寄った。大きな五輪塔が立てられた立派な塚がきちんと管理されていたのには、秀長の郡山での存在が大きいことがわかった。


そこから秀長の何代か後の郡山城主だった柳沢家菩提寺の永慶寺へ、ここは黄檗宗の善寺、見事に手入れされた広い庭園にはさくら、椿、など数々の花が咲いて目を楽しませてくれた。
郡山高校前をすすむとさくら祭りが始まって大勢の人で賑わっている郡山城跡へ着いた。
ここのお城もさくらで有名だが、ちょうど五分咲きくらいか、その下で弁当を広げている人たちでいっぱいだった。


郡山城は、天正8年(1580)に筒井順慶が築城し、5年後に豊臣秀長が入って大増築、後に柳沢家が城主となった。現在は建物はなく、石垣と外堀と天守台と復元された追手門があるのみ、しかし、城郭は残っているので雰囲気を味わうことはできる。堀に映ったさくらがひときわきれいに見えた。


天守台近くの広場で、メンバー持参のシートに全員の顔が見えるように座って楽しいお食事、ここで近況報告やさまざまな話をしながら交流タイム。出店で「いちご大福」を買って午後への元気づけをした。



近鉄郡山駅を過ぎて再び古い城下町の名残のある街並みをすすむ、担当者が下見をして地図にコースを示し、見学場所の解説もすべてにわたって資料に作成してくれているので、とてもわかりやすく、それを現地で交代で読み上げるのだから学習効果は抜群、知らない人たちは、何事かとこちらを注目するが、これがわが倶楽部の伝統?だからおかまいなし。みんな現役で勤めている者ばかりだから、そこまで資料づくりをしなくていいと言うのだが、ますます資料づくりに熱が入っている。本人が一番勉強になるので楽しいのだろう。

古い通りを入り秀長の菩提寺の春岳院を訪ねた。


秀長は郡山の町づくりに「箱本制度」を導入した、町の治安や消火活動や伝馬の内容などがみられる歴史資料館によって詳細を知ることもできた。


その名残がうかがえる古い通りを歩いていると桜祭りのメインの行列に遭遇した。さまざまな工夫がされた華やかな行列が続き、しばし足を止めて見学をした、順慶、秀長等、お殿様にふんした人も馬に乗り行列に華を添えていた。


最後に昔の城全体を取り巻く外堀の一部が復元された公園式の遊歩道を歩いてスタートのJR郡山駅にゴール、15時、約15キロだった。


駅前の喫茶店でしばらくミーティングをして戻ったきた。午後から雨予想だったがむしろ天気は回復し、さして寒くもなくいいウォーキングができた。

京都・東山-花灯路。

2010-03-21 19:19:26 | ウォーキング
先週末に東海道五十三次を歩き、あわただしく過ごしたので、きのうはリフレッシュ日にして、開催中の京都・東山の花灯路(はなとうろ)へ出かけた。

午後5時、JR京都駅から花灯路のスタート、清水寺の茶わん坂をめざしてウォーキング、鴨川を渡り国立京都博物館、三十三間堂前を通り清水寺入口の茶わん坂まで行くとせまい上り道はいっぱいの人でのろのろ歩き、まだ明るかったので時間待ちに、かねてから一度入ってみたいと思っていた京銘菓の店に入ってお茶にお菓子でしばらくくつろいだ。


茶わん坂を上り切り仁王門が見えるあたりに行くとすでにサクラが開花、その下に写真撮影の人が集まっていた。


18時からライトアップ、清水寺仁王門前はすでに大変な人出、清水の舞台、奥の院も大変な人だった、それでも京都の夜景がきれいに見えた。



ここから京都・東山の散策定番コース、お土産物屋の続く清水道から三年坂へ行く、ここも雑踏、右側にある坂本竜馬なじみの明保野亭の桜はすでに満開、三年坂を上り下りする観光客を歓迎するように見事な咲きっぷりで目を楽しませていた。


雑踏状態の三年坂を人の流れにのんびりと歩く気にはなれず、二年坂はさけて法観寺(八坂の塔)へまわってみた、ここには写真ファンが集結?していてライトアップされた聖徳太子建立の五重塔を撮る人が大勢きていた、お茶のサービスをいただいた。



維新の道を上がり高台寺下のねねの道に向かったが、こちらも雑踏に近い人ごみ、三連休の初日ということでライトアップの花灯路に人々が集まったのだろうが、それにしても高い気温に汗をふきふき歩いた。
そのねねの道で思わぬ行列に遭遇した。狐のお面をかぶった白無垢姿の人(狐)が人力車に乗って・・・「狐の嫁入り」と書かれていた、どうやらこの狐の行列も花灯路のイベントのひとつらしい。

この行列は、秀吉とねね由来の高台寺から出て知恩院へ行って戻ってくるそうだ。昔から、この高台寺あたりには、無縁仏が多くて毎夜のように狐火が見られたことが、どうやら狐の嫁入り行列の由来らしいが、ほんとうにびっくりした。
偶然とは言え、その瞬間に出会えて、これはラッキーなことがあるかもしれないぞ。


ねねの道から石塀小路を歩いたが残念ながら小路も人が多くて、とても灯りが撮れる状況ではなくて歩くだけだった。


祇園八坂神社からは花灯路をしばらく離れて祇園花見小路へ、ご出勤中の舞妓さんの姿も見られたがこちらは二月に訪れた時のような人はいなくて静かな花街の夜を見せてくれた。
もしかして桜が開花しているかもしれないと桜並木が続く白川まで足を延ばしてみたら開花しているサクラもあったが大半はまだ開花前だった。
白川通りはサクラ開花を待つようにライトアップがまもなく始まる。



そのまま知恩院、青蓮院へ向かいひと歩き、こちらも大勢の人が来ておりとくに青蓮院では受付前が長蛇の列で庭園のライトアップを楽しみにしていたが諦めて再びや八坂神社まで戻り、知り合いから聞いていた四条大橋近くのロシア料理店に入った。

(知恩院山門)

ここは加藤登紀子さんおなじみの店らしく(亡くなったご主人が京都の人だった)店内には加藤さんの曲も流れ、書籍やCDも売られ、加藤さんのイベントも紹介されていた。
夜の鴨川が眼下に見えるテーブルでおいしいビールにロシア料理をいただいたあと、いつの間にか降ってきた雨の中を映るネオンの高瀬川をカサさして散策しながら五条通りまで歩き、そこからバスで京都駅へ出て戻ってきた。


早春の京都東山の有名寺院を結ぶ行燈の灯りをたどったリフレッシュウォーキングはそれなりに楽しむことができた。
この日は、パソコンは一切さわらないことにしてみたが、これからもNO、PCデーは取り入れていこうと思う。

マイ・ウォーキングコース。

2010-02-28 23:26:33 | ウォーキング
法隆寺の特別展にあわせて奈良・斑鳩へウォーキングに行く
予定にしていたが、朝からお天気がおもわしくなく
あきらめてご近所ウオーキングにでかけた。

わが家の近くにある服部緑地が、身近なマイウォーキングコースで
自分の庭のようなもの、年中、季節の花々が楽しませてくれ
今は菜の花と梅林の梅が満開でまもなく桜の名所としてもにぎわう。




今年でウォーキングを初めて10年になるが
還暦から始めたウォーキングは、この公園を歩くことから始めたので
愛着があるし歩きやすい、その公園内をひと歩き。
今にも降りそうで、冷たい風の吹くあいにくの天気にもかかわらず
大勢の人が訪れていた。




園内の売店で買った焼きおにぎりをベンチで食べ、トリムコースをひと歩
きして仕事場へ出てきた。

歩けることは楽しい、歩けることはうれしい
歩けることが当たり前と思ったら大間違い
いつか歩けなくなる日がくるかもしれない

歩ける間はしっかり歩こう。

お天気に誘われて大阪城の梅林へ。

2010-02-23 19:41:36 | ウォーキング
お天気もいいしぽかぽかと暖かかったので

先週の万博公園梅まつりウオーキングに続いて

大阪城公園の梅林に梅見ウォーキングに行った

一年に何度も歩きに行く大阪城公園だが

今日はJR大阪城公園駅からスタートした


JR大阪城公園駅前から城内までかわいい汽車が定時運行



森林公園になっている市民の森をしばらくウォーキング

ここは戦時中、日本陸軍の砲兵工廠があったところで

終戦寸前の昭和20年8月14日の大阪大空襲で

米軍の集中爆撃を受けたところだ

城内には今でも至るところに戦争の跡が残っており

大阪城天守閣の石垣にも砲弾跡がたくさん見られる



内堀にそってすすみ



市民の森から大阪城玉造門へ向かい急な階段を上って行くと

眼下に市内が広がり天守閣が見えてくる

梅林に行く前に豊臣秀吉、秀頼父子と秀吉の弟の秀長を

祭っている豊国神社へ参拝した

玉造口から左に大きな石垣の続く内堀にそって坂道を下りて行く

この急な坂道が大阪国際女子マラソンのコースになっており最大の難所

公園内がマラソンコースになるのだから広さが想像できる



先道の右側に92種類あるという色とりどりの梅林が広がってくる

やわらかな日差しと気持ちよい風に甘い梅の香が漂ってきて

なんとも贅沢なウォーキングというもの

平日というのに梅林は大勢の人でにぎわっていて

やたらと外国語が耳に入ってくるほど外人観光客が多い



広い梅林を歩きまわるのは避けてさらりと見て歩いた

多くは満開で見ごろだが、これから咲き始める種類も多い





植木市の鉢植えの梅がほしかったが

まさか持ってウォーキングはできないのであきらめて

梅林を出て天守閣を左に仰ぎ見ながら内堀にそってすすむ

青屋門前を通り天守閣に一番近い極楽橋前を通過



ここは観光バスで来る人が使う橋だが渡らないで内堀にそってすすむ



この辺りは観光客がまったくこないところだが

ここから眺める大阪城の景色はおすすめスポットで

とくに夕陽を浴びて輝く天守閣はすばらしい



ここも砲兵工廠跡の建物が一部残っているところで

もう少しすると桃の花が楽しめる桃林がある

京橋口を出て一般道路へすすんで行くが

左側には外堀が続きここの景色も素晴らしい



大阪城に現存する一番古い重文の乾櫓を左に見ながらすすむと右に大阪府庁、さらにすすむと千貫櫓、そして大手門の前へ



公園内のお店で「そばとおにぎり」でおそい昼食をして

南外堀から大阪城公園を出て市内法円坂方面へ向かった




大阪歴史博物館とNHK大阪放送局を見ながら谷町4丁目交差点へ



左に広がる広大な緑地はかって二度も都が置かれた難波の宮跡だ

地下鉄中央線にそって本町まで歩いたが二月とは思えない暑さだった

本町から地下鉄に乗って仕事場へ戻ってきた。

万博公園の梅まつり。

2010-02-18 17:42:20 | ウォーキング
お天気がよかったので

万博公園の梅まつりに行ってきた



広い公園内は冷たい風が吹いていたが

早い梅は満開、遅いので五分咲きくらい

それでも大勢の人が梅見を楽しんでいた




園内ではつばきも満開で

普段みかけない珍しい種類のつばきを

たくさん見ることができた





けやき丘でひとり冬の日をあびながら

買ってきた弁当を食べたあと



万博当時の各国のパビリオン跡の記念碑をめぐりながら

広大な園内をしっかりウオーキングして仕事場へ戻ってきた






東のほうは雪と報じていたが

大阪はまったく雪知らず

この冬、二度ほどちらちら程度の雪を見ただけ

来週から暖かくなるそうだから

もう少しの辛抱。


公園にはもう春が・・・

2010-02-07 19:06:05 | ウォーキング
ブルッ!寒い!
一歩外に出たら思わず口に出た

天気は悪くないので
近所のマイウォーキングコースを
一歩きすることにした

噴水のまわりにはチューリップが満開



人だかりができていたので寄ってみると
大阪府市町村対抗駅伝(大阪市を除く)
をやっていた

次々にやってくるランナーに
がんばれ、がんばれ!
このおっさん、すぐ、その気になってしまう


実は駅伝にはあこがれがある
ランニングなどやったことはないが
それだけにやってみたい

梅林の紅梅が咲き始め


菜の花畑も満開だった


風は冷たいけれど

もう公園には春がきていた

仕事場に来て外を眺めていたら
新幹線も春色で走っていた。

大寒の日の「菜の花と電車ウォーク」。

2010-01-20 22:12:26 | ウォーキング

大寒の入りというのに朝から暖かかったので
残っていた青春18きっぷを使うことにして
月末に予定していた琵琶湖へ行くことにした

10時19分、新大阪から京都山科駅を経由して
琵琶湖の西を走る湖西線へ

1300年前に飛鳥から遷都され5年間大津京のあった
大津京駅をすぎると目的地の堅田駅へ約1時間で着く

堅田駅から琵琶湖大橋を渡り湖畔のなぎさ公園までが
冬の時期に毎年歩くお気に入りのマイコース

堅田駅から30分ほど大観覧車を目印に歩いて行くと
1400メートルの琵琶湖大橋の西詰に行く


琵琶湖大橋は最も高いところが大阪城と同じ海抜48メートル
この橋を上り下りするのは格好のウォーキングコースだが
高所恐怖症の自分には毎回のことながらひやひやして景色を
楽しむ余裕はない、下を見ないようにして遠くを眺めて一気に歩く



東岸に渡り湖畔のなぎさ海道からながめる対岸の比良山
の雪景色が楽しみだったがあいにくのうす曇りで残念だが
うっすらとしかみることができなかった


さらにすすんでもう一つの楽しみ湖畔の菜の花畑は
すっかり満開で休日でもないのに大勢の人が訪れていた




湖畔の水辺に出てきれいな白砂に静かに寄せるさざ波を
ながめながら絵にはならないおじさんのひとり弁当
ふるさと瀬戸内の光景と重なる琵琶湖は大好きだ


湖畔のなぎさ海道をしばらくウオーキングして
再び堅田駅に戻り、ここまでで約2万歩になった

このままでは面白くないので18きっぷを有効活用して
そこから電車で琵琶湖一周の旅をすることにした

15時3分の電車で琵琶湖最湖北の駅、近江塩津駅へ向う
琵琶湖周航の歌発祥の近江今津を通過、竹生島がみえる
スキー場で知られているマキノから沿線は一面の雪景色になった


永原、大浦・・・なつかしい駅を通過、ほとんどの駅は
琵琶湖一周ひとりウォークで乗り降りした駅だ

歩いた沿線も深い雪に寒々とうずもれるように佇んでいる
あの菜の花畑の春の景色と一変してきびしい湖北の風情
琵琶湖はそれほど広い、約1時間16時過ぎに近江塩津に到着
そこは北陸線との合流駅、そのまま進むと福井県に入る

近江塩津はかって水上交通の要所として栄えたところ
北前船や北陸から運ばれてきた物資を丸木船で琵琶湖を
二日間かけ大津宿に陸揚げし、京や大坂へ運んだ

ここで湖西線から接続の北陸線に乗換え米原方面に向かう
あたりはかなりの積雪、ラッセル車が停車していた

余呉湖前の余呉駅周辺は完全に雪に埋没していた


豊臣秀吉と柴田勝家が戦った古戦場の賤ケ岳も雪に包まれていた
その北国街道の要所木ノ本駅を通過、ここも何度もきたところ

観音の里として知られている高月駅を通過
信長に破れた浅井長政とお市の方の秘話の残る小谷城跡のある
最寄駅河毛、駅前に二人の像があるがそれも車窓から見えた

このあたりは姉川の戦いなど戦国の合戦場が続く



秀吉が開いた長浜駅で停車、長浜城が見える
ここの駅前には秀吉と石田三成の出会いの像がある
長浜はこれからしばらく盆梅展でにぎわう

米原の手前、坂田は大河ドラマ・千代と一豊で有名になった
千代の生誕地、坂田駅前には二人の大きな像がある

米原から東海道線へ、新快速の車内は混んでくる

築城400年でゆるキャラのひこにゃんですっかり有名になった
彦根城が右に見えてくる
駅の手前、左手には三成の日和佐城跡の看板が目につくところ

彦根からしばらく、左手に信長の築いた安土城跡のある
小高い山が見えると安土駅、駅前には立派な信長像がたつ

みんなみんな訪れて歩いたおなじみの場所ばかりだから
車窓から目がはなせなくて頭の中でひとり物語をしてしまう

草津宿のあった草津駅、大津宿のあった大津駅、京都駅・・
新大阪駅に着いたら18時7分になっていた

使い残したたった一枚の青春18きっぷが大寒の日を
菜の花ウォークと電車の旅で楽しませてくれた。


続・初歩き、七福神めぐりウォーク。

2010-01-02 02:37:51 | ウォーキング
あけましておめでとうございます。

元旦恒例の大阪市七福神めぐりにでかけた
ニユースでは各地で雪のために交通に影響が出ていると報じられていたが幸いに大阪は気温は低いものの晴れてウオーキングには支障がなかったので正午に自宅を出て
JR環状線玉造駅へ向かった。

駅から5分ほどの「寿老神」の「三光神社」へ行った、ここが七福神のスタートだ。


この神社は真田幸村に由緒のある神社で境内には「真田の抜け穴」と呼ばれる穴がある、大坂冬の陣で、出城を築き大坂城へつながる地下道の出入り口にしたといわれている。

(抜け穴は写真左そとにある)

上町通りから谷町通りをしばらくウォーキングして二つ目の「福寿録」の「長久寺」へ行ったらここもご朱印を待つ人がならんでいた。


松屋町筋を越えて堺筋を南へすすみ日本橋の手前の筋を左へ入ると三つめのに「弁財天」のある「法案寺」へここにも朱印を求める人が並んでいた。


堺筋を南下して大阪の台所黒門町市場前を通り、電器屋街を西へ入ると四っめの「毘沙門天王」の「大乗坊」へ、ここには団体さんで狭い境内はあふれていた。


南海電車に沿い、元の大阪球場後に開発された大型商業施設のなんパークスの中を通り抜けして行く、気温が低くなったのか寒さを感じて手袋をした。

交差点角で三人の男性が地図を囲んで困っている様子声をかけたら日本語がわからない、台湾から来たらしく地下鉄の大国町駅を探していることがわかったので途中まで送ってあげることにした。

五つ目の「大黒天」の「大国主神社」へ入ろうとしたらついてきた、どうやら自分の行くところに関心があったようで一緒に参拝して行先を地図で示してわかれた。
行ってくれるかどうか気になったが寒さがこたえたようだった。


JR内でお年寄りに席を譲ったので今日は二ついいことをした
こちらも69歳だからまわりの人はどうみたことやら。

六つ目はえべっさんで親しまれている「えびす大神」の「今宮神社」へ行くとここは大変混雑していたここはまもなく十日夷で大変にぎわう難波ではおなじみの夷神社。



通天閣を右に見ながら四天王寺に通ずるゆるやかな逢坂をどんどんすすむと真田幸村がなくなった安居神社の前を通ったがここは冬の陣で幸村が陣をしいていたところ。



七つ目の「布袋尊」のある「四天王寺」へ着いたら午後3時45分になっていた、布袋尊の安置されている入口には陶器製かおなじみの小さな布袋さんに触るために行列ができていた、もちろんお腹と背中とひょうたんにさわって福をいただきたいので並んだ。



四天王寺も大阪ではおなじみのところで、聖徳太子が593年に建立した日本仏法最初の官寺で飛鳥時代の建築様式の伽藍が配置された大変規模の大きなお寺だ。


陽が傾き寒くなったので暖房のある休憩所でしばらく休ませてもらった。
そこからJR天王寺駅へ、大阪駅を経由して仕事場により楽しみにしていた年賀状をうけとった。

距離にすれば10キロ程度、でも初歩きにはほどよい七福神めぐりだった。