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昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

足は生涯現役!

2011-09-28 21:03:02 | ウォーキング

(大阪駅天空農園)

足はうそをつかない!
ゆうべ星空の下を歩きながら
そう足から教えられた!

2000年10月1日にウオーキングを始めて
もうすぐまる11年、そして12年目に入るが
最初はナイトウォーキングから始めた

最近は12年前の最初の頃に歩いていた短い距離
しか歩かないが20分でどこまで歩けるか・・・
それでも十分だと思っている

その距離がウオーキングを始めた60歳のころより
いまのほうが少しだけだが長く歩けるのだ
71歳の記録のほうが伸びている!

体力だけならかなり落ちているはずだが
足はここまで歩いてきて衰えていない
まさに足はうそをつかない

ただし、61歳から65歳くらいまでの足とは
かなりスピードが落ちているのは実感している
それでも歩いていない人から見れば歩力はある


(大阪駅天空農園)

12年前は、ウォーキングという言葉が今ほど
一般的ではなかった
どちらかといえば「ハイキング」が主流だった

あれから12年がたった今
ウォーキングはブームを過ぎて
だれでも、どこででも始められる
手軽なスポーツとして定着している

そのウオーキングをはじめたいという人が
お世話をしているW倶楽部に参加の申し込みや
問い合わせが急に増えてきた

多くは女性だが
運動不足を解消したい
これは女性に多い

医師からすすめられた
メタボを改善したい
これは男性に多い

ウォーキングを始めたいという初心者から
大きなW協会にいるが少人数のところで歩きたい
という人までさまざま

検索で当方のHPを見て問い合わせてくるが
60歳まで、仕事を持つ人、男性中心という
3条件があるので対象者は限定されてくる

しかも、しばらくは「お試し」で仮り会員扱い
何度か参加してこれをパスしてやっと
晴れて会員として倶楽部のバッヂを渡す

これは、だれでも、かれでも入れていくと
メンバー同士の人間関係がすっきりしなくて
雰囲気に影響することを過去経験してきた教訓

http://www.human-dy.com/walking.club
(倶楽部のHP)

先日の日曜日の例会の後
倶楽部の女性メンバーからメールが来た
「女子会」をつくるので・・・と

うちでは男性会員は「金の卵」・・・歓迎!
といってもかなり古い卵だから油断できないけど

今日も女性の入会希望者があった
男性は、女性と聞けば「歓迎」と言うのだけれど
うちでは「あまり歓迎」されないから変わってる

女に弱いからでしょ!?
と、どこかから聞こえてくるが
いや、男に強いから!ということにしている

ウォーキングをスポーツとするなら
極端な男女差がないスポーツだと思う
だから夫婦で楽しむカップルも多い

とても太刀打ちできないおばさんウォーカーも
大勢いて抜かれて悔しい思いをしたこともある
男女歩幅の差があるからその程度差くらいかな

それと年齢差がそんなに大きくないこと
高齢者でも健脚派はたくさんいる
足年齢は実年齢とは違うもの

高年者にはいつも言っている
少しずつでもいいから歩こう
お金もかからず道具もいらないから。

秋空の下を歩く!

2011-09-25 22:34:03 | ウォーキング

お世話をしているウォーキング倶楽部の9月例会日
今日は自分が担当、先週の日曜日に下見したばかり
の淀川を下って舞洲まで歩く

朝からウォーキング日和
9時30分に阪急十三駅に集合した
参加者は11名
淀川にかかる十三大橋と淀川大橋を渡り歩きながら
淀川の左右を歩き続けて最先端の舞洲へ行く

ススキが風に揺れる、河川敷は秋の気配!


今回のコースは、淀川の地震災害 による、特に津波
水害対策がどうなっているのか、その現場を訪ねて
学習しながら歩くこと

国交省・近畿地方整備局・淀川河川事務所発行の資料
を用意して、何よりも驚いたのは、大阪市や周辺都市
の多くが淀川の水面より低い位置にあること、万一洪
水が発生し大量の水が低い街に流れ出ると大変な被害
を発生することになるという


JR大阪駅前では、バスの天井の高さまでも水没する
シュミレーションが描かれていてほんとうにびっくり
その対策としてできたのがスーパー堤防、今日はその
スーパー堤防をメンバーに歩いて感じてもらうのも狙
いのひとつ、とくに東日本の大津波被害のことを思う
と、水害だけでなく想定されている東南海地震の津波
に対してどうなのか、そんな不安のある現場を目で確
かめることにした

途中の淀川大橋や伝法大橋、そして阪神電鉄などは、
対策として堤防と同じ高さの開閉ゲートが、橋の両側
に設置してありそれも確認しながら歩いた

ご自慢のスーパー堤防もあの高さでいいのか?
東北の津波を思うとこれも?がつく


マンション脇の小さな木陰をオアシスにして休憩

ここから北港ヨットハーバーまでは自由歩行!の指令
を出したら、みんな思い思いの歩きで、うれしそうに
のびのびと歩いていた
そこまでは橋や道路の片隅をずっと一列で歩いてきた
のでまるで放たれた鳥のよう・・・

自分はアンカー、それぞれの歩く後ろ姿を見ていて
歩くことがどんなに楽しい!ことなのか再認識した!
それにしてもよく歩く、後ろ姿に年齢が出るお年頃

大手企業に勤める京都のMさんが、ウオーキングを
始めて体調がよくなったとしみじみ語っていたが、
こういうことで役に立ったうれしい
毎日1万歩近くを日課にしていて出張先でも歩く!

昼食場所の北港ヨットハーバーへ12時過ぎに着いた
ほぼ予定通り、心配していた初参加者もしっかりと
歩いてくれてほっとした

みんなで、まーるくなって昼食、うちはバラバラに
なって食事をしない、みんなの顔が見えるように!

昼食後12時50分に午後のスタート、常吉大橋を
渡って舞洲へ上陸、洲の東岸の緑道を歩いて最先端
まで行った

ここで障害・・・発生!
最先端から新夕陽が丘へ行く途中の駐車場のゲートに
鍵がかけられていて通れない、もとに戻るには時間が
かかる、えーい!障害・・・物競走や!くぐれ!


新夕陽が丘からの眺めは最高、見慣れた六甲の山並み
も場所を変えると新鮮に見える

阪神間から神戸までよく見える、お気を行く巨大な
タンカーも箱庭を見るようで楽しい

洲の野外活動センターをウオーキングして東側にある
お楽しみスポットのシーサイドプロムナードへ

わー虹! 



隣の夢洲とを結ぶ夢洲大橋、その奥へ行くと大阪港


ここからゴールのJR桜島駅をめざす
途中、みんなの関心を集めた奇抜なデザインの舞洲
清掃工場へ寄った・・・何度見ても不思議な建物だ
オーストリア人のデザインした建物が反響で見学者
が絶えないという


午後3時半に桜島駅へゴールと決めていたので休憩は
極力控えてスピードアップ、長くて高い此花大橋へ


橋の上からの景色は広い、WTCも見える


長くて高い此花大橋をわたり、恐怖の螺旋階段を降りて
無事に地上に着地した!
橋の上から螺旋階段降りまでの先頭は、わが倶楽部の
元お嬢様4名、この人たちは、まったく怖がることも
なく、どんどん先頭を歩いた

以前、吊り橋を渡った時もそう思った、女性は「恐怖」
という神経が、男より一本少ないんだろうと思う
尻込みするのは男どもだからだらしない

でも、元お嬢様、可愛げがないぞ!と言っても
現おば様には無理な注文か?・・・な

最後のUSJの南側の道を歩き続けて予定していたより10分
早い午後 3時20分にJR夢咲線桜島駅へゴールした

よく歩いた、とくに女性軍がしっかり歩いてくれてほっとした
先頭を歩き続けた自分も久しぶりに心地よい疲れを感じた

ゴールした感想、早くて必死だった! と聞いてすまなかったが
決めた時間は守る!ということを優先したのできつかったかも
しれない
そのため少ない休憩時間で全員が完歩したのだからすごい

歩数約31,000歩、距離にすると21キロ、いい一日だった

夜、さっそくメンバー全員から倶楽部の掲示板に楽しかった一日
のことが書き込まれていた
みんなが喜んでくれる、年の開きのある人たちを相手にどこまで
できるかわからないが、精いっぱい頑張って続けていきたい
年を重ねていくと実感する
歩けることは自信! 
歩けることで年齢を超越する!
としみじみと思う。

淀川下りウォーク。

2011-09-18 23:29:46 | ウォーキング
三連休の中日 、朝から快晴、見上げると秋の空は高く、
広く、青くて、やっぱりその下を歩きたくなった

お世話をしているウオーキング倶楽部の今月を担当する
ので、下見・確認もかねてひと歩きしてくることにした。

今日の「淀川下り、舞州からベイエリアウォーク」は
8年前に歩いたコースなので下見の必要もないのだが
スーパー堤防を歩いて、六甲山に沈む夕陽を見たい、
とくに大阪市の最先端にある舞洲からの夕陽ポイントは
大阪一だと思っているので快晴に賭けて、その時間に
合わせて逆算し午後2時阪急電車十三駅をスタートした。

行き先の大阪湾の先端にある舞洲まで、淀川にかかる橋
を交互に渡りスーパー堤防を歩いて行くのは高い空の下
秋がよく似合う。

阪急十三から大阪市内へ向かって歩くとすぐ淀川にかかる
十三大橋が待っている、その先に見える大阪市内のビル群
を目指して大橋を歩く。



鉄道ファンには十三大橋は楽しみの一つ、隣の阪急神戸線
宝塚線、京都線の電車が階段式の高さになっている鉄橋を
3列になって走る姿は眺めているだけで楽しくて、つい
立ち止り、撮り鉄、これではなかなか足がすすまない!



淀川の河川敷は川の両側ともにスポーツ施設になっていて
少年野球、大人の野球、サッカー、ソフトボールの試合を
やっていて、これにも足を止められにわか観客に早変わり・・・



おや?長髪ばかりのチームが試合をしてる?それにしても
太めで緩慢やなあ・・・?
近づいてよく見ると女子野球だ!長髪のはず!
まいった、まいった!
立ち止ると”お姉さんたち、ええぞ!がんばれ!”と掛け
声をかけてしまうので、ここは、口にチャックをしてパス!

堤防の上から眺める景色は眺望が広がりて最高、夏の名残り
か入道雲も力強い雄姿?で子供たちの熱戦を盛り上げている
とにかく厳しい残暑、日陰のない堤防歩きはじりじりと照り
つける太陽との闘い、一番暑い時間帯をそれでも元気よく
おじ(い抜き)さんは行く。



阪神電車の鉄橋が見えてきた、ここも撮り鉄!ここは鉄橋と
並行する長い淀川大橋を渡る、橋から上流の眺めはあきない
琵琶湖から流れてきた水はここを通って大阪湾へ行く。



淀川大橋には、緊急用の開閉ゲートが設置してある
これは以前のまま、いま、大阪市も大阪府も東北の大震災を
教訓に堤防の高さの見直しをしているが現状の堤防の高さ、
開閉ゲートではひとたまりもないかもしれない。



このあたりは堤防より住居(町)が下にあり、大津波でも
くれぱ、すべてが水没してしまう、堤防は マンションの4階
に相当する、こんなところ恐ろしくて住めないな!



道路脇に大塚切れ洪水碑がたっているが、これは大正時代に
淀川が水害にあい溢れた水を速やかに流すためにわざと堤防
を切り開いたことをことを記した碑



河口からの向かい風がきつくなり帽子が飛ばされそうになる
午後からは川下の大阪湾から吹き上げる風が猛烈な向かい風
になってきて、以後、ずっと続いた、これにはまいった!



しばらくすすみ阪神電車の阪神なんば線を渡ると伝法大橋
この橋にも開閉ゲートが設置してある。伝法大橋を西から東側
へ歩いてわたる、ちょうど10分かかった。






伝法大橋からは毎年のように歩いているおなじみのコースで
ここから大型のスーパー 堤防が始まる、蓮舫さんの仕訳でも
論議されたスーパー堤防だ。


(川下から)

この地域は阪神大震災で大きな被害を受けたところ、そして
スーパー堤防として姿を変えて復活したところだ。

この巨大なスーパー堤防ならまさか壊れることはないだろうと
歩くたびに思ってきたが東北の大津波を知ってしまうと、この
スーパー堤防が、まず高さに耐えられるか、心配になる?

町は堤防のはるか下、一般の住宅や商店、町も見下ろすように
下にある、いざという時にどこに避難するのやら・・・



お天気が悪くなってきて暑さは免れたが、向かい風は強くなる
それでも歩いている人、ランニングしている人がいる、自分の
足に問題ないので元気よく風に向かって歩き続ける。



堤防の下にある恒吉庄左衛門の墓と安政元年(1854)年の津波
の犠牲者を祀った記念碑が建っているのでお参りした。
恒吉はこの地区、此花新田を開発した人で次に渡る恒吉大橋の
名前はその功績によるものと思う。



例会で昼食場所に予定している北港ヨットハーバーについた
ここには公園があり木陰もあるので休憩、日没には時間が早過
ぎたのでここで時間調整のためのんびり過ごした、西の空は雲
が多くて夕陽は無理かな?



午後5時、舞洲をめざしてスタート、常吉大橋の手前に行くと
女性が顔にタオルをあててうずくまっている、?タオルが血で
真っ赤になっている。そばに男性がひとり覗き込んでいたので
仲間かと思ったが声をかけた。

手の隙間から血がでている、足元に血が落ちている、かなり傷
を負っているに違いない。その男性も通りかがりの人だった。

自転車で転んだらしい、競技用のようなシャツを着ているが
タオルで顔が見えないので 年齢はわからない。

タオルをあげようかといったら、いまのままがいいと言って
両手で顔を抑えたまま、救急をと言うとだれかが電話をして
くれたと言ったので救急の到着まで様子を見て待つことにした
5分もするとパトカー、続いて救急車2台がきた、日本の救急
は さすがに早い!



サイレンを聞いて集まってきた自転車の人たちの話を聞くと、
どうやら舞州で自転車の競技会があったらしく、その参加者の
ユニフォームだと言っていたが、あの血の量、左顔面をかなり
傷つけたのではないか、女性だから気の毒に思った。

どうしたのかと警察官の質問にわからないと答えていたので
とっさのことだったのだろう、タイヤのスリップ跡から道路脇の
フェンスに激突したのだと思う、急車で運ばれたが大丈夫かな?

恒吉大橋から、休憩したヨットハーバーも黄昏時になった



気をとりなおして常吉大橋を渡った舞洲へ上陸した!日は傾き
雲間に隠れ、うす暗くなったきた。
緑道にそってどんどん洲の先端をめざす。



結局、日没前に雲間からわずかに顔出した夕陽しかとれなかった
それでもいいか!




午後6時、舞洲最南端の新夕陽が丘に上ってしばらく夕涼み
潮風が心地いい、神戸の灯りが見えはじめ夕陽見物の人も帰り始めた。



例会は、ここから後半コースへ続く、今日はここまでで終わり。
バスで帰ることにした。

約26,000歩 いい汗をかいた。

雨の草津宿を訪ねて。

2011-09-04 21:49:05 | ウォーキング
青春18きっぷを利用して奥琵琶湖へ行く予定だったが
台風12号の影響でとても歩ける状態ではないだろう
と断念して距離の短い三重県の関を訪ねることにした

JR東海道線もダイヤが乱れていたが草津へ、ここから
草津線に乗り換えなのだが台風の影響で列車がこない

今日はどこへ行っても電車は乱れるだろうと関行きも
あきらめて、草津へ止まったのも何かの縁と草津散策
をすることにした


(駅二階、正面に草津宿のモニュメント)

草津は仕事でよく来ていたので知らない町ではないが
4年前の5月に東海道五十三次ひとり歩きで来て以来
特別な町になっていた

あの日、時間の関係で草津宿本陣をゆっくり見ていな
かったので、そのうちに来たいと思いつつ来ていない
のでいい機会になった

商店街を歩き見覚えのある天井川下のトンネルを過ぎ
るとすぐ左手の高いところに追分道標がある
「右 東海道いせみち」、「左 中山道美のぢ」



ここは東海道と中山道の合流・分岐点で多くの旅人が
行き交ったところ、高札場跡もある




そしてすぐ右手に草津宿本陣がある
この草津宿本陣は、現存する本陣では最大級の規模で
東海道を歩いてこれほど大きな本陣に出会わなかった





敷地が1305坪、建物が468坪、部屋数が30余、
268畳半の広大な規模で、建物や敷地全体が当時の
面影を残しており国の史跡指定を受けている

今日はゆっくり見せてもらった

宿帳にあたる大福帳には、新選組や皇女和宮、吉良上野介
や浅野内匠頭などの名前も確認できる



次に、やはり4年前に前を素通りした草津宿街道交流館
へ行ってみた
ここは草津宿だけではなく、東海道や中山道に関する
資料や展示物等が豊富にそろっていて、歩く前にここに
来て勉強しておけば歩き方も違ったはずと残念だった



ここでは草津市長名で「草津宿出立・通過証」を発行して
おり4年後にやっと証明書をもらった



あの日、休憩した木立神社や天井川を散策して昼食



時間もあるので安土か彦根に降りて散策をしようと行った
が強い雨でとても歩ける状態ではなかったので戻ってきた

青春18きっぷとしては勿体ない使い方になったが草津宿
へ行けたのだからまあよしとしよう。

続・高野山を歩く!

2011-08-29 19:49:06 | ウォーキング
昨日の高野山ウォークをオフィシャルブロガーをしている㈱ムーンスターのウォーキングSNSに投稿して原稿のままをこちらに
コピーした・・・

厳しい残暑が続くこの夏最終の日曜日、下界からすこし離れたところで、心静かに歴史の流れを感じながら歩こう!とお世話をしているウォーキング倶楽部の月例会で聖地高野山へでかけた。

南海電鉄・難波駅から高野線の急行に乗車、新今宮駅でJR組と合流し和歌山県の橋本駅で乗り換え、極楽橋駅へ向かった。
電車が紀ノ川を渡ると電車は上り始める、九度山駅、ここから3年前の秋、2回にわけて世界遺産の高野山・町石道24キロを歩いた最寄駅でなつかしい。(ここブログにも書いている)


ここで大変なことをしてしまった、単線のため特急待ちで停車していた電車からホームに降りて特急を撮影していたところ乗車電車が発車した、あわてて手をドアーにいれたらそのまま閉まった、幸い先頭車の運転手に一番近いドアーだったので事なきをえたがびっくりした、ごめんなさい!


さらに電車は急こう配を時速30キロ程度か?縫うように山中を上り続けて約90分、やっと終点の極楽橋駅へついた。さらにここからケーブルカーに乗り換えて山上の高野山駅へ、何度来ても遠い、降りるとここは聖地・高野山。下界の残暑もなく気持ちのよい空気が心の中まで染み入るようで大きく深呼吸。やっぱり高野山はいい・・・。



今日は高野山の主だったところを巡るウォーキング10キロコース。バスで最初の女人堂へ向かった。明治5年、女人禁制が解かれるまで女性は女人堂まで、ここで祈りをささげていたという。そこから山内へは入ることができなかった。女人堂は何箇所かあったが、現在残っているのがここの1か所だけ。の女人堂には何度も来ているが、ここでみかけるのは女性ばかりで男性の姿は少ない。今日もそうだった。


女人堂から高野山ウオークが始まる。今日の担当は倶楽部のリーダーをしてくれているSNS会員のちゅうさん、(現在四国八十八か所めぐり中、ブログにもアップ)コースを詳細にまとめた手作資料で概要説明、高野山の聖域をめざしていざ、スタート、4年前の7月にひとりで訪れた時とコースがまったく同じなので余計になつかしい。

一列になってどんどん山内に入って行く、みんなの足も高野山を歩くことがうれしいように快歩!
しばらく歩いて高野山はやっぱりここから!大門へ到着、九度山駅から少し上った慈尊院から始まる町石道を上りつめるてくるとこの大門に到達する、高野山の入口ともいうべきところ、東大寺の南大門に匹敵する威風堂々とした朱色の楼門のたたずまいは何度来ても圧倒される。


ここで思わぬ人?に出逢った、こどもたちがいっせいに寄って行く!
平安時代の弘仁7年(816)、弘法大師空海が真言密教の根本道場にするため時の嵯峨天皇の許可を得て高野山を開創して平成25年(2015)で1200年になるが、その年に記念法会が開かれるそうで、そのイメージキャラクターのゆるきゃらが「こうやくん」、そのこうやくんを見つけて大門に来ていた人たちが一斉に集まってきた。


こちらもお願いをしてこうやくんと記念撮影!去年は奈良の平城京1300年の「せんとくん」とやはり倶楽部の例会で記念撮影をしているのでラッキー、これはいい思い出、いいことがあるぞ!この大門の内側に九度山の慈孫院(180町)から続いてきた町石道の表示、6町石の道標があるが、その町石を5、4、3、2・・・と探しながら町石ウォーク!
あった1町石、高野山の中心、大伽藍を囲む石塀の樹木の中に、よく見ないとわからないところに1町石を発見してみんな大喜び。3年前に自分が来た時はあたりの木が茂っていて発見するのに何度もあたりを歩きまわって、やっと見つけたが、その時のことをなつかしく思い出した。

聖地の中心、壇上伽藍の高野山総本山金堂から順にすすむ


すぐ隣に朱の鮮やかな根本大塔、ここには本尊の曼荼羅大日如来が祀られているが、今日は、残念だけど時間の関係でパス!高野山へ行ってここに入らずして、行ってきたと満足させるのは、お世話役として申し訳ないのだが、今度は自分できてください!としか言えなくて、ここがグループウォークの辛いところ


続いて国宝の不動堂、最後に金剛峯寺へ、ここはすべての宗務を行うところで、お遍路さんの姿も見受けられた。



ひととおりぐるりと巡って次へ・・・宿坊やお土産物店が続く通りをお行儀よく一列で歩いて時間は12時前、お昼はお店で食べることになっていたのでメンバー全員が固まって食べられる店さがし。運よく発見、男女6:4名ずつで向い合せになった!
自分の向かいは優しいYちゃん、よかった!俺だって好みがあるからな!これ内緒!
Yちゃんだって好みがあるよ!と、どこかから聞こえてきたみたいだけど・・・。

高野山で目につく特徴に、宿坊が多いこと、53もあるそうだが、それだけ修行僧が多いということ、町と修行者が一体になっている宗教都市の所以はここにある。
いまは、宿坊での勤行、写経、瞑想、精進料理の修行体験が人気らしい、自分も一度、宿泊して修行体験をしておきたいと思いながら、まだ実現していない、思うだけならだれでもできること、やるかやらないかだけだ。

やがてもう一つの聖地、奥の院への入口の一の橋へ着いた。
ここから弘法大師のご廟がある2キロほどの石畳の参道を入って行く、一歩踏み入れるとそこは他ではまったく見ることも感ずることもできない特別な感覚の世界に吸い込まれていくのが不思議で、若い時から思えば10数回は訪れているはずなのにその感覚は変わらない。


樹齢数百年もの巨大な杉が参道に覆いかぶさるように林立する両側に20万基以上ともいわれる武将や諸大名、名士、実業家、名優の墓石が建立されている。
その苔むした大小の墓碑を見ていると1200年の時代を凝縮した霊気が漂っているような気がして思わず足が止まってしまう、行き交う人で混雑した参道を人をわけるようにしてすすむ。

墓石の多くが「五輪塔」の形をしているのも特徴だが、密教の教えでは、宇宙は「空・風・火・水・地」の五つの要素から成り立ち、五輪塔の形は、それから形作られているという、団体客に説明していたガイドさんの話を耳にした。


すべてを丁寧にみていたら1日はかかるだろう、メンバーにはパンフレットから訪ねたい人の墓石があればと聞いたら、武田家、上杉家、伊達家、お江、豊臣家、織田家・・・今年の特徴は、大河ドラマの影響だろうが「お江」の墓石に多くの人が訪れていた。高さ6.6メートル、台石は八畳敷きで大きい。


豊臣家が広い敷地にあるのに織田家が小さいのは、なんで?と、みんなの疑問。



中の橋にくると、ここからご廟まで撮影は一切できない。弘法大師は、いまでも永遠に生き続けて、ここで仏法修行を続けているといわれ、そのそばに行きたい!と人々は訪れるのだろう、その数が、年間250万から300万人と聞いて驚く。宗派を超えて一人の宗教者のためにこれだけの人が訪れるのは珍しいことだと思う、改めて弘法大師の存在が多くの日本人の心の中にあるのだろう。ふと、いま、弘法大師は、なにを伝え続けているのか?と思った。

メンバーのHさんが、“若い人が多いのにびっくりした!”と言っていた。
高齢者が多いのはいつの時代も同じことだが、確かに若者が目立つ、聞いてみないと「その心」はわからないが、モノ離れしている次世代を担う若者たちが、ここに何を求めて来ているのか、形ある物を創り出し享受することに生きてきた我々世代が残したモノに若者たちは、未来の夢を描くことができなくて、何を頼りに生きて行ったらいいのか、根源的なものを見つけるために来ているのではないのだろうか?と勝手な想像をした。

帰り道は、一の橋まで別の道を一列になってウォーキング、そして女性軍に約束していた焼きお菓子とお茶で休憩、会計さんに会費から105円の小遣いをもらって焼きお菓子1個ずつ、おじさん達も子供にもどって、おいしい、おいしい!奥さんからお土産の「ごま豆腐」を厳命されてきたBちゃん、お目当ての店ですでに売り切れ!みんなでごま豆腐探し、なんとか代替品?のごま豆腐を確保してほっとしていたが、奥さんにどういわれたことやら。
ちゃんとお土産を買う人、買わない人、どうやら男どもの買い物の後ろに奥さんとの力関係を垣間見た。お土産など買ったことも、買うつもりもない自分は悪亭主だな!でも、これ、まずいのかなあ?

それぞれの思いを残して聖地からケーブルカーで下界へ降り、南海電車で大阪まで戻り新今宮でJR組と別れて戻ってきた。夜には、さっそく倶楽部のHPの掲示板に書き込みが入っていた。「高野山」はとてもいい1日だったらしい、よかった、よかった!

過去に高野山を歩いたブログの紹介
http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/e/f21164284cd578c6d0a4245dcc1b4d54
http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/e/8a020fdd01654f9f08535ca584f2c634
http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/e/3d2c6a301bee3432daa0dc65524b843c

(今月末の測定値 体重61.9 体脂肪14.8 体内脂肪11.5 体内脂肪が目標値にいかない

高野山を歩く!

2011-08-28 23:36:14 | ウォーキング

このところウォーキングの話題ばかりが続くが
今日はお世話をしているウォーキング倶楽部の
8月例会で高野山へ行った

南海難波から高野線で極楽橋へ
ケーブルに乗り換え高野山駅を降りると下界の
厳しい残暑と打って変わって標高約850mの
山上はさわやかで心地よい空気が流れていた



バスで女人堂へ向かう
ここは明治五年の女性禁制が解かれるまでは
ここより山内にははいれなかったところ



ここからウォーキングで大門へ
威風堂々ということばが適切かどうか、わから
ないが大門を訪れるたびにこの言葉が浮かぶ



人気の高野山ゆるきゃらのこうやくんに会った
のでみんなと記念撮影



高野山の中心、壇上伽藍に向かう
金堂、御影堂、朱のあざやかな根本大塔、国宝
の不動堂、そして金剛峰寺へまわった




昼食をすませて奥の院へむかった
仮萱堂によって一の橋口をわたるとそこは奥の
院への入口



一の橋から弘法大師のご廟のある奥の院までの
約2キロの参道は樹齢数百年もの杉巨木が林立
し、20万基以上といわれる武将や諸大名など
の墓碑が建てられていてそのたたずまいに圧倒
される


(お江の墓碑)

奥の院のご廟へお参りしてもと来たみちを戻り
バス、ケーブルカー、南海電車を乗り継いで戻
ってきた。


なつかしいウォーキング仲間と歩こう!

2011-08-26 21:32:11 | ウォーキング

8月から復活したナイトウォークのおかげで寝苦しい
夜を過ごすことなくここまで夏を乗り越えてきた

ナイトウォークと言うと飲み歩きと錯覚している人も
いるかもしれないがこちらは至極健全なウォークで
せいぜいコンビニで好物の一口羊羹を食べる程度・・

もう夜空は雲がすっかり秋仕立てに変わってきて
虫の伴奏に励まされて足取りはまずまず軽快である

でもナイトウォークはいいことばかりではない
ゆうべは雷のあと突然の夕立に遭って水浴び状態
三日か四日前も公園のベンチに座った途端に夕立
(夜中でも夕立?)
売店の軒下に逃げ込んで雨が止むのを待っていたら
今度は蚊の来襲を受けて痛いのかゆいの・・・

なかなか止まない雨の道を仕方なく引返していたら
深夜の0時半を過ぎていたのに携帯にメールが届いた

こんな時間に夜更かししているやつはだれだ!
とつぶやいたら
”それはあんたのことやろ!”と言われたようで・・

ここから真剣、真剣!

ブログのウォーキング10年史を見たといって初期
からW倶楽部で一緒に歩いたメンバーからだった

倶楽部は10年半になったが3年半前に名称を替え
メンバーも名称もそのまますべてを引き継いでくれ
る友人に託し自分は新しく現在の倶楽部をつくった

ところが古いメンバーにそのことを知らせずやって
しまったので後から知った古いメンバーから
”自分たちの帰るところがなくなった!”
と言われて辛い思いをしたことがあった

その時のメンバーからのメールだったが、あれから
ウォーキングは一切することなく仕事の責任も身体
もすっかり重くなったと書いてあった

そうか・・・

いまあることは、自分1人でやってきたわけではない
初期の頃から盛り上げてくれていた人のことを忘れて
はいけない・・・

それなら、一度、当時のメンバーに呼び掛けて歩いて
みようか・・・・と今日、チェックしてみたら

転勤、引退、高齢、メールアドレス不明、転居先不明
等で難しい、なにかいい方法はないか、思案中

そんなことで過去のことを少し調べていたら昨日作成
した「ウォーキング10年史」に少し肉付できるもの
があったので追加した

ご関心あれば、とくにウォーキング仲間には懐かしい
自分に会えるかもしれない。

http://www.human-dy.com/walking.life


ウォーキング10年史。

2011-08-25 21:19:25 | ウォーキング
あと1ケ月でウォーキングを始めてから10年になる

第一歩を踏み出したのは2000年10月1日だった
自宅から服部緑地を通り抜け履正社高校前を折り返し
必死で歩いたことをいまでもはっきりと覚えている

夜の公園や道路は危ないから朝のウォーキングにした
ほうがいいと誰にも言われたがナイトにこだわった

当時、仕事場を開放して様々な夜の勉強会を開催して
いたが飲食を伴うために人間ドックの数値が年々悪化
するばかり、これを改善するためには夜の過ごし方を
替える以外ないと「酒」を「ウォーキング」にした

当然、勉強仲間は離れていくし、勉強の機会は減るし
マイナス面もあったが、逆に医者通いの回数も減って
体調面では改善がすすみ歩くことに引きずり込まれた

そのうち歩く範囲が近隣から大阪市内へ、そして奈良
京都へとだんだんと広がり、撮った写真でHPを作成
しているうちにネットから歩きたいという申し込みが
出てきて現在のウォーキング倶楽部の原型ができた

ひとりで始めたウォーキングだったが
集まってきた人を受け入れるために倶楽部をつくり
大勢の人と歩きたくてウォーキング協会へ入会した

60代の前半はウォーキング(歩くこと)が楽しくて
年間の目標をたて、月々の歩くキロ数、年間のキロ数
を設定して頑張ったが膝を痛めて気がついた

面白くなると歩くことがそのまま目標になり歩く数字を
追って無理な歩きをしてしまう

歩く目的はそれぞれ違う・・
目的が違えば歩き方も違ってくる
それに合った目標が必要だから
わが倶楽部では「健康」をキーワードにした

とにかく楽しくあるくことが大前提
少々、不格好でもいい
のろくてもいい
歩くことを好きになればいい
歩くことでリフレッシュできればいい

人の歩きは気になるが
自分の歩く姿は自分には見えない
決してそんなにいい歩き方はしていないと思う
だからあまりこだわらないこと

いろいろ歩いて行くうちに何かにチャレンジしたくなる
それがひとりイベント、シリーズ式のチャレンジウォーク
と名付けて始めた次のウォーク・プログラムだった

63歳の時、琵琶湖から大阪湾まで三日間で歩いた
これが自信になったがここで再びひざを痛めてしまった

64歳で琵琶湖一周


65歳でしまなみ海道


66歳で熊野古道


67歳から70歳の誕生日まで東海道五十三次上りを


そして71歳のいま、伊勢街道歩き・・休止中


自分なりの順番でここまで単独ひとり歩きをしてきた

正直なところこれでもう終わるような気がするが・・
それはもっと年齢に合った、そして関西と言うエリア
を活かした自分独自のライフウォーキングをしたいと
思っている
人のやらないことにチャレンジすることは面白い

ウォーキングを始めてから作成してきたHPは膨大な
記録になっていまはCDに保存してあるが再現はできる
ただし、それをすべて公開すると相当な容量のになり月々
の使用料が相当額になるので残念ながらできない

ウォーキングを始めて3年目に作成したウォーキングロゴ


・・ウォーキング10年史は下記からリンクできます・・・
   http://www.human-dy.com/walking.life

10年史(上記URLのHP)にはチャレンジウォーク
と名付けて歩いた次に紹介するコースの記録を一か所に
まとめてみた

また主宰して10年になったウォーキング倶楽部の記録
の一部も公開している


さらにシューズメーカーの㈱ムーンスターが主宰して
いるウォーキングSNSサイトで2008年から依頼
されてオフィシャルブロガーをしているので紹介をして
おきたい


このオフィシャルブロガーになったことから東海道五十三次
を歩いていた自分の勝手応援隊が結制されてお江戸日本橋に
ゴールした70歳の日には大勢の応援隊が感激の出迎えを
してくれた
これは生涯忘れられない出来事になるだろう

歩くことは楽しい
歩けることはすばらしい
生きている限り足は現役

いつでも、どこでも、だれとでも
明るく、楽しく、元気よく
さわやかに、軽やかに歩こう!


あの日から60代はウォーキングに明け暮れた
よく飽きもせず、ここまで続けてきたものだ

もし、ウォーキングと出会っていなかったら
もし、ウォーキングを始めていなかったら

いま頃はどうなっていただろうと思うと
ぞっ!とする


今年の10月1日の11周年目の記念日はお祝い事で
関東に行っているのでウォーキングブログは書けない

その前にこれまでの10年を振り返ってみた
「ウォーキング10年史」
ほんとうなら記録誌として編集してみたいのだが
それは最優先事項ではないので実現できないだろう

63歳から71歳の今日までの顔写真も公開したが
決して指名手配写真ではない

”よう顔写真を載せるなあ!”と言われるだろうが
顔写真が載せられなくなったらウォーキングなんか
してもしょうがないと思っている

一日一日、時は過ぎる
写真の自分も過去の自分になっていく

しかし、あの時、たしかに写真の自分がいた

そのイメージだけは大事に持ち続けて
いつでも、どこでも、だれとでも、
明るく、楽しく<元気よく
さわやかに、軽やかに、歩き続けたい!

そんな楽しく歩いている「ウォーキング顔」だけは
どんなことがあろうとも忘れないようにという思い
で写真に公開している

どこまで歩けるかどうかわからないが足は生涯現役
生きている限り歩き続けたい。


ナイトウォーキング。

2011-08-14 23:54:51 | ウォーキング

午後11時48分、ナイトウォーキングから
あせいっぱいになって帰ってきた

あれあれもう12時や
ブログの発行ぎりぎり時間

でも汗が噴き出てブログどころではない
まずは風呂に入って汗を流してきたい

夏場の日中ウォーキングは71歳には
さすがにきついし無理をすることはない

それでも夏のいい汗をいっぱいかきたいので
8月からナイトウォーキングを復活している

暑い家にいるより公園で虫の音を聞きながら
歩くほうが涼しいし暗くて集中できるのがいい

コースの服部緑地は2000年10月1日から
ウォーキング人生をはじめたところ

いまは当時の距離を歩くことはやらないが
歩き方は昔のまま、速歩と普通歩の繰り返し
決してのんびりだらだら歩きはしない・・

そしてベンチ休憩、寝そべって天体観測?
簡単なストレッチ、腹筋は必ずやる
不思議に足がよく歩いてくれるのでありがたい

今夜もまん丸いお月さんが見守ってくれて
とても気持ちのいい歩きができた。


なら燈花会。(11日)

2011-08-12 17:58:55 | ウォーキング

猛暑が続く、同じ暑いのなら・・・外で汗をかいたほうが
健康的!とばかり奈良の夜をろうそくの灯りだけで彩る夏の
風物詩「なら燈花会」へ出かけてきた。
しかし、近鉄奈良駅へついたら暑さは大阪とかわらん!
35度はあったのでは・・・と思うくらい暑かった!
近鉄奈良駅から東大寺をめざして、しばらく歩くともう汗が
噴き出る、17時近くにになるというのにすごい暑さ!




それでも鹿さんたちを冷やかしながら、ほんとは遊ばれ
ながら遊ばれながら東大寺へついた。


参道は相変わらずの人出、ここだけは年中かわらないね。フンをよけながら歩くのだから歩きにくい。道の真ん中に寝ている奴がいる、熱中症?


燈花会は13回目、なぜか、毎年毎年、引き寄せられるよう
に行く「燈花会」の不思議な魅力にとりつかれている。

広い奈良公園一帯を2万を超えるローソクの灯りで彩られる
「燈花会」は、神秘的で温かくて、まほろばのほのぼのとした
情景を映し出して、心にやさしさと安らぎを与えてくれる
すばらしい祭典だと思っている。
カメラマンの多いのには辟易するがそれも灯りにつられてだろう。



自分のために、たった一つの灯りの花を咲かせてみませんかと
「一客一燈」をうたい文句にしている燈花会だが、生かされて
71年、いただいている命がある限り、誰かのために、何かの
ために、小さくてもいい、自分の灯りを灯して生きていきたい!
大震災のあった今年だからこそ、その思いを深く心に刻んで
、鎮魂の気持ちも込めてひとときを「灯りウォーク」にしたいと
特別な思いで訪れた。

毎年、19時に燈火される前、奈良公園周辺のショートウォーク
をしてきたが、今年は初めての試みで若草山へ登ることにした。
若草山から生駒山へ没する夕陽と灯火される眼下の燈花会の灯り
を山頂から眺めてみたいという願望もあった。





日没時間は18時40分頃、それに合わせて東大寺周辺をぶら
ぶらウォークして、時間に余裕をもって若草山下に行ったら、
お土産物屋の「とうふアイスクリーム」?のノボリにつられる
ようにふらふらと店に入ってしまった。せっかくだからと
「とうふアイスクリーム」を食べた、これおいしかった、客の
いなくなったお店で甲子園の九州国際大付属高校と関西高校戦
をテレビ観戦して時間オーバー、あわてて若草山登頂をめざす、
うまく夕陽が見えたらいいが・・・。

いつもの下から眺めている若草山、頂上までは560メートル、
登り始めて想像以上に急な坂道が続くのにびっくり、中腹まで
の芝がきれいに手入れさているところは、立っていることすら
怖い急斜面、転ぶと間違いなく下まで転げ落ちてしまう・・・
その急な斜面を何十頭もの鹿さん集団が草を食べていた、芝が
きれいなのも多分、鹿さんが食べてくれているからだろう。




中腹から山の側面の林の中を右へ左へ縫うように上がるがきつくて
、それでも一気に頂上へついた。奈良市内から生駒、葛城の連山、
はるか大和三山の山影まで見えるすばらしい夕景、ただし夕陽は
雲間にかくれてみることができなくて残念だった。
それでも、東大寺の巨大な大仏殿が右手、正面には興福寺の五重塔、
手前には燈花会の会場がきれいにみえて満足した。



さっきの鹿さん達だろうか、集団になって奥のほうをめざして
いたが、ねぐらは春日の原生林なのか・・人さえみれば寄って
きてエサをねだる街中のシティー派の鹿さん達にくらべると、
こちらはカントリー派の鹿さん達、さすがにお行儀がいい、
よちよちのバンビちゃんはかわいいね。

560メートルの山頂は下界?とちがって涼しい、涼しい風が
気持ちよかった。夕暮れになって町に灯りがつき始めてきれいな
夜景が始まった。燈花会場の灯りもくっきりと見えてきた。
いつまでも眺めていたかったが、入山口(若草山は有料)の
係員さんに暗くなる前に下りてくるように言われていたので、
着替えをしてあわてて下り始めたが、林の中の道がみえにくく
肝を冷やした、それでも転がり降りるように無事下山した。

そのまま三月堂からいつもは夕陽を眺める二月堂へ、ここで
しばし夜景を眺めて、もう一度、東大寺へ行った。



ここからは大変な人、人、そして、鹿、鹿・・・
“おじ(い抜き)ちゃん、せんべいおくれ”
(注・せんべいをください)”と寄ってくるので
“夜更かししたらあかん!早ようお帰り!”
不良になるな!
とちびちゃん鹿に言ってやったが、わかるかなあ・・・
わかれへんやろなあ。

それから広い奈良公園内の燈花会会場の灯りを訪ねて
「灯りウォーク」




多くの人達の尊い命が奪われた東北の人達への鎮魂の
灯火なのか、頑張っている人達への励ましの灯りなのか、
すべての日本人へのメッセージなのか、鹿さんが背負った
「命」、「絆」の灯りもあった。

浮見堂


お腹がすいた!奈良の名物といえば「柿の葉寿司」、
公園内で食べられる店を知っていたので夕食代わり
寄っておいしくいただいた。
コースの最後は興福寺から猿沢の池のほとりを歩いて
JR奈良駅までウォーキング。快速が出たばかりで
22時3分発の大和路線各停に乗ったので時間がかか
ったがJRで天王寺駅まで戻り、地下鉄に乗り換えて
帰宅したら23時半になっていた>
、さすがに疲れたので本日のすべては終業とした。


猛暑のウォーキング例会。

2011-07-24 21:43:49 | ウォーキング


ウォーキング倶楽部の7月例会の日、朝から猛烈な暑さにメンバー全員が無事に完歩できるようにとお守りを二つリュックの中にそっと忍ばせて家を出た!
東海道の三島神社のお守り、熊野古道の熊野本宮大社のお守り、リュックの中で仲良くしてもらえるかなあ・・・。

今日のコースは高槻市の北に広がる摂津峡、集合場所のJR高槻駅に9時半、13名の元気な顔がそろった。
先月の山の辺に続いて今回も担当は女性で看護師のYちゃん、きちんと下見をして準備は万端、一番暑い時期なので熱中症がこわい、事故がないように気温の上がらない昼過ぎまで、距離も12キロと短く、看護師Yちゃんの心配りに任せていざスタート、駅前の芥川商店街をさっそうとすすむ。


今回は初参加者(お試し参加)がいるので自分はアンカーでサポートにまわることにした。
駅前の賑やかな芥川商店街を行くと西国街道へ続く、西国街道は江戸時代に京都と西宮を結ぶ脇道で通称山崎街道と呼ばれ、参勤交代の大名や旅人が行き通った旧街道、このあたりは徳川時代に宿場町「芥川宿」として栄えたところ、いまもわずかに格子窓の家が昔の面影を残している、その街道の途中に旅の道しるべとなった芥川一里塚がいまも残されていて大きな榎が立っている、ここで記念撮影をした。



しばらく行くと市の中心を流れている芥川にかかる芥川橋へ、橋をわたり川に沿って北へ方向を変える、初参加者にはウォーキング歴や日ごろの歩きについて事前にメールで確認はしていたが実際は目で確かめないと歩力はわからないのでアンカーを務めてとくにその人の足元に気を配りながら桜並木のゆめ桜通りを一気にすすんだ。




久しぶりに集まるとついつい話に夢中になって狭い歩道を三列になって自転車の邪魔をしてしまう、後方から何度も道の片側を空けるように声掛けしたがとうとう堪忍袋の緒が切れてどなりまくった。やめさせるぞ!これ最高の脅しの一発!自転車も車道を走れ!暑いとこちらも暴走じいさんになっしまう。

うす雲りでかんかん照りではないが暑いことに変わりはない、せせらぎでは大人から子供まで網をもって魚を追っていたり水遊びを楽しんでいる・・・ああ親子の夏休みなのかなあ。


大型観光施設のあくあピアで休憩、みんなそれぞれの暑さ対策をしていて面白い!
自分は凍った保冷剤を適当にタオルにまいて後ろ首を冷やすようにしたが効果があったのか暑さ負けだけはしなかった・・・
ちょうど3年前の7月後半に一泊二日で東海道五十三次ひとり歩きをした静岡県新居町→浜名湖→浜松→天竜川→磐田間で経験した猛烈な酷暑歩きに比べればこれくらいのことへっちゃら!といい聞かせながら歩いた。でもあの時は60代で若かった?な・・・。油断は禁物。




緑道も川上に行くに従って広がりやがて芥川緑地へ、ここから風景は一変、木々のトンネルを右に左に行く、眼下の川原ではせせらぎを水遊びやバーベキューを楽しんでいる人たちを木々の間から見ながら緩やかな坂を上りつづけると白滝茶屋へ着く。




ここからいよいよ摂津峡の渓谷歩きが始まるが、目的地の白滝まではさほど距離はなくてすんなりと11時20分に到着、ほぼ、時間通り。ここは4年ぶり、全員集合写真を撮ってしばらく滝の涼をもらって元来た道を高槻駅を目指す、ゴール目標時間は12時50分、後半は下り道だし見学個所もないので間に合うだろう。




川原のせせらぎに真夏の太陽がまぶしく反射して気を引き締める、前を行くメンバーの足取りは大丈夫、初参加のメンバーとできるだけ一緒に歩くようにして時間通り無事にJR高槻駅に戻ってきた。



ウォーキングはこれで終わったが、7月は恒例の暑気払い、ゴールで飲みたいビールもみんな我慢をして、次の暑気払い会場の大阪駅前に向かった。

会場は阪神百貨店のレストラン、ここは男性のYさんが担当、始まる前にみな着替えをして、あれ?Kちゃんおしゃれしてる!やっぱり女性や!みんな変身をして予約していた席へついた。
倶楽部の名幹事Yさん、神戸人が大阪で仕切る、趣向を凝らして大阪検定問題の答当てにはみな本気、商品まで用意して楽しませてくれた。
(大阪検定 やってみなはれ!30問 正解1位 Hさん)


最後はみんな想定外のイベント!
要ダイエットおじさん三人組のお腹周り公開サイズ検査、腹出してここは看護師のYちゃんの見事な仕切りで測定完了、三人のお腹はほんのり赤かった、初めて知った、お腹も酔っぱらうのだ!
次回まで数字を下げていない人は倶楽部を辞めてもらいます!とここも脅しの一発!
このイベントに過去、遭遇していないメンバーは、はらはら・・・
こんなのセクハラ? ハラハラ?
男ばかりではないぞ、笑っていたお姉さんたち、油断するな。

1月からお試し会員を続けてきた兵庫県の遠方から参加のKさんの「お試し」をとって正会員に昇格の許可を発表した、7ケ月間もよく辛抱した!会員の印、倶楽部のバッチを贈呈したらさっそく胸につけていた、うれしかったのやろな・・・それにしても7ケ月、成績?下積みが長すぎた。
今日、初参加のNさん、すぐ会員になれないんですか?あったり前や、下働きもしないで!
(リーダーCさんより配布資料)


暑気払いは終わり、5月に大変貌を遂げたJR大阪駅の商業施設見物をすることになり女性軍についておじさん軍はあっちへうろうろ、こっちへうろうろ・・・三越がやっと念願の大阪駅に進出、それも三越伊勢丹で(阪神大震災で傷んだ三越大阪店は閉館していた)登場。
老舗の阪急に大丸、阪神と三越伊勢丹で大阪駅は4つのデパート戦争が始まった、デパートに行くことのないおじさんにはまったく関係ないことだが、うわさの駅の屋上に行って驚いた。


庭園、菜園が広がりスイカやピーマンやきゅうりや白なすまで実っている、もっとおろろいた?のは小さいながらも水田までまであって稲が見事に成長している!植えたのは園児らしい。




こうして7月の月例会&暑気払いは無事に終わった、来月は標高1000メートルの高野山の山上を歩く、これもはみんなが楽しみにしているコース。

ほんとうにいいメンバーに恵まれてありがたいと思っている。
この人たちのためにも年長の自分が何かで頑張っている姿を見せないと老害をまき散らすだけに終わってしまう、見捨てられないようにがんばろう!

黄昏淀川ウォーキング。

2011-07-16 23:04:11 | ウォーキング

昼間の暑さをのがれるように夕方が来るのを待って
久しぶりに淀川ウォーキングに出かけた

新大阪の仕事場を17時ちょうどスタート
阪急京都線をわたって大阪水道記念館まえを行く

長柄大橋に行くと淀川河川敷に降りて草原に腰を下ろした
ここから鉄橋を渡る阪急と上空を大阪空港へ降りて行く
飛行機を眺めるのが昔から好きでおなじみの場所だ



淀川大堰を超えて河川敷を上流へどんどん歩く



途中でコスモスに水やりをしているおじさんに話しかけた
種まきしたコスモスに毎日淀川の水を運んでいるというり



さらに行くとおなじみの赤川鉄橋へ行く
18時前、鉄橋を渡るのはほんとうに久しぶり



渡り切って淀川の右岸堤防を上流をめざして歩く
大勢の人が歩いたり走ったりしているいつもの光景
めざすは城北大橋、斜長橋のこの橋は美しい



橋のふもと近くの公園でしばらく休憩
夕日が六甲に沈みかけている



なんともいいようのない美しい夕暮れ



その夕日を右正面に見ながら来た道を戻っていく
赤川鉄橋の上で夕日がとうとう沈んだ

鉄橋を渡り終え左岸を降りていく
さっきのコスモスおじさん達三人がまだ水やりをしていた
大阪市内のビルに少しずつ灯りがともってきた



夕闇せまる道を新大阪へ戻ったら19時半だった
缶ビールで乾いたのどを慰労して黄昏ウォークは終了した。


たそがれ花菖蒲を訪ねて。

2011-06-12 16:47:24 | ウォーキング


昨日の夕刻、書店めぐりに出かけた先で大阪市公館が
花菖蒲の見ごろに合わせて公館を一般公開をしている
ことを知った

よしウォーキングがてら行ってみよう!

地下鉄とJRを乗り継げばすぐ近くまで簡単に行かれる
のだが大阪駅から往復をウォーキングシューズを履いて
いたので歩くことにした



場所は天満橋から京橋よりの大川に面する太閤園の隣で
大阪駅から歩くと結構な距離になるが夕暮れ時で暑くも
なく一気に歩いた

大阪市の迎賓館として公館の存在は知っていたが入るの
は始めて、三日間限りの公開らしく11日土曜日だけが
夜の公開ということで大勢の人が訪れていた



花菖蒲はまさに見頃で江戸系、肥後系、伊勢系の菖蒲が
目を楽しませてくれた



まだ夕暮れの明かりがわずかに残りライトアップ前との
はざまで薄暗く感じだが花菖蒲の見事さには変わりなく
のんびりと楽しませてもらった




菖蒲、アヤメ、カキツバタの区分がいまだにわからない




帰り道は違った道を歩くことにして、大川にそって天満
橋へ、振り返るとライトアップされた桜宮橋がきれいに
見えた



川崎橋で大川を渡り対岸へ、左前方にライトアップされ
た大阪城の天守閣が見えた

天満橋で大川を京阪側へ渡り、かった熊野古道の出発点
だった↓八軒家浜船着き場へ



北浜通りを天神橋へ↑、東横堀川の今橋を渡り大阪証券取引
所前を通過、ライオンさんの渡辺橋を渡り東洋陶磁美術館、
中央公会堂前を通り堂島川にかかる鉾流橋を渡って暗くなった
老松町、兎我野町を歩いてお初天神へお参りに寄った



お初天神通りは土曜日の夜なのに大変な人通り、誘われる
ように・・・勝手に自分が誘った・・・ニューミュンヘン
に入って黒ビールでひとり乾杯!
たまにはいいか!

梅田から仕事場に戻ってきたら22時を過ぎていた、往復
久しぶりのナイトウォーク、それなりの距離だった。

昨日の山の辺ウォーキングの詳細。

2011-06-06 21:47:46 | ウォーキング
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●昨日の山の辺ウォーキングを㈱ムーンスター(元月星化成)のオフィシャルブロガーをしているのでその投稿をした原稿をこちらに転載した・・・写真は昨日掲載したものを省いた

ウォーキング倶楽部の月例会で奈良・山の辺へ向かった。
9時30分、近鉄天理駅へ集合、ストレッチをしていざスタート!
今回の担当は女性メンバーのKさんとMさん、二人が希望し下見をして設定した山の辺をどんなふうに歩かせてくれるのやら、今日はのんびりと楽しませてもらおう。



天理の商店街を通り抜けると天理教協会本部前を通る、壮大な建物が周囲を圧倒する、通過するのはもったいないのでここは自分の出番!係りの人にお願いして正面の建物の中に入れていただいた、お寺でいうと本堂のような建物、大勢の信者さんが畳の間で同じ作法で礼拝?をしていた。しばらく座って雰囲気に浸った。
宗教都市の天理は美しくて独特の関連施設がみどりの町並みの中にしっくりとたたずんでいて個人的に大好きな町だ。




緩やかな坂道を縫うようにすすむと最初のポイント、神武天皇ゆかりの石上神宮へ、鎌倉時代のものという国宝で檜造りの拝殿は現存日本最古のものらしい。境内には神の鶏というニワトリがいたるところにいて見ているだけでも楽しく遊ばれてしまった。




道は右に左に、上ったり下ったり・・道のあちこちにある万葉の歌碑を見逃さないように資料と照らし合わせながらすすむ。
芭蕉の句碑「うち山やとざましらずの花ざかり」、このうち山とはこの地にあった内山永久寺のことらしい、今は跡地に碑が建っている。
まがりくねった柿と梅の木がやたらと多い道をすすむ、乙木町でトイレ休憩した。心配した雨にはならないらしいが曇天だからか蒸し暑い!



田んぼ道から古い建物の集落にはいった、建物をぐるりとつつむような濠、ここは竹之内町環濠集落、外敵にそなえて集落を濠で囲んだ名残り。



このあたりからコースを逆に歩く人とひんぱんに出会う、やっぱり山の辺はのんびりと散策が似合う道だと思う。せかせかと歩く道ではない。挨拶しながらすすむ
柿本人麻呂の万葉歌碑「あしひきの山川の瀬の響るなべに弓月が嶽に雲立ち渡る」を過ぎると昼食休憩地のトレイル青垣についた、12時20分。ここは山の辺の案内所兼休憩所、広くてきれいでお茶のサービスもありくつろいで食事ができた。



13時、午後のスタート、すぐ目の前を遮るような大きな古墳が迫ってきた。
第10代崇神天皇陵だ、濠に続く道を上っていく。1月に伊勢街道歩きで正面から見たこの天皇陵を今日は横から見る。このあたりの山の辺の道と伊勢街道が並行するように続いているところ。濠に囲まれた全長240メートルで古墳時代前期の前方後円墳はうつくしい。崇神天皇は各地の勢力を平定して大和朝廷を確立したといわれている。



少しすすむと日本武尊の父といわれている12代の景行天皇陵の濠の横に着いた。ここも伊勢街道歩きで正面から見たが今日は後方の濠から見る、大和古墳群では最大規模で全長約300メートル、左隣は櫛山古墳、このあたりは古墳群が点在しているところ、突然、先頭を歩いていたリーダーのKさん、Mさんが悲鳴を上げて引き下がってきた!
なんや、どうした! 
どうやら蛇に出会ったらしい、もちろん姿はもう見当たらない、あの悲鳴では蛇のほうが怖がっただろう・・・とは男性軍の話。それにしても大蛇のように大きかったらしいぞ!
逃げた蛇は大きい、ちなみに蛇はまったく怖くない。追っかけるほうだから。



このあたりから「巻向遺跡・古墳群」、中心が卑弥呼の墓という箸墓古墳。なぜ、このような大きな古墳を作ったのやら・・・そんなことを思いながら歩く・・・
道端にはいたるところに無人ショップが開店中で覗きながら歩くのも楽しい、のれんまでかかったショップもある、代金入れもいろいろ、その一店?でビニール袋にたっぷり入った豆を買った、100円。女性メンバーはさすがに楽しいようで・・・。




巻向川を越えてしばらく行くと山の辺の歴史ポイント「桧原神社」へ着いた。
この桧原神社は、本殿・神殿がなく木立の中に三ツ鳥居が建つ珍しい神社、崇神天皇が天照大神を祭ったとされる神社で背景の三輪山をご神体としている。のちに天照大神が伊勢神宮に移されたためにここは元伊勢ともよばれている。ここからは正面に箸墓古墳、ずっと向う正面に二上山がある絶景の地。東の三輪山に朝日がのぼり、二上山に夕日が落ちていく、コースの中でもっとも景色のいいところだがあいにくの曇天で前方は見えなかった。

ほんとうはここで休憩をして独特の雰囲気にみんなを浸らせ、説明をしようと思ったが、お世話役は止まることなく通り過ぎた、なにしに来た!と心で叫んだが関心の度合い。
このあたりは神が降臨する聖地として古から崇められてきた三輪山の聖域内、じっくりと神の懐を歩きたいのに・・・山の辺が初めてのメンバーにはすまないと思った。




次のポイントの玄賓庵にきた、ここは謡曲でも知られているので通り過ぎて行った先頭さんを引き戻して資料の読み合わせをした。ここは逆方向からくると景色がすばらしい。



万病に効くという霊泉の湧く狭井神社でペットボトルに霊泉を汲み、最後の休憩をした。



次が今日のメインポイントと思ってきた三輪大明神といわれている「大神神社」へ、
背後の三輪山がご神体で神殿はない。出雲大社、伊勢神宮等とならぶ古社のひとつ。ここは祈祷殿前で記念撮影。




平等寺前を通過して二対のある金谷の石仏ヘ寄り伊勢街道と合流。



このあたりがかって日本最古の市場があった海石榴市があったところ。海石榴市観音にも寄ってみた。また、交通の要衝として人も物も集まり大陸から仏教が伝来した地としても知られている。そこからJR・近鉄桜井駅へ最後のウォーキング、16時過ぎにゴールしたあと駅前のカフェでしばしミーティング、近鉄大阪線で戻ってきた。約3万歩。

山の辺を歩いてきた。

2011-06-05 23:08:23 | ウォーキング
お世話をしているウォーキング倶楽部の6月例会で
山の辺に行った

9時半、近鉄天理駅に集合、桜井駅までの山の辺
18キロを歩く



心配していた雨にはあわなかったが猛烈な蒸し暑さ
に後半は悩まされながら全員、無事に完歩できた



これまで何度も山の辺を歩いたが、最初は昭和の時代
息子が小学校の低学年のとき、道端の無人店で買った
いちごをリュックに入れて近鉄天理駅にゴール
リュックを外した息子の背中がつぶれたいちごで真っ赤
になっていたことを思い出す

高学年のときには歌碑を一生懸命にノートに書き写して
いた息子の姿を思い出す



奈良にはあちこちに息子との思い出がつまっていて
なつかしい

山の辺にいろいろと見どころがあるが何と言っても
興味深いことは、日本のかたちができる前の古墳時代
を象徴するあの数々の古墳群、そこに隠された神秘と
ロマン、ヤマトのなりたち、卑弥呼伝説、神話の漂う
万葉の道は独特の雰囲気があって楽しい



今日は天気が悪くて桧原神社から二上山や大和三山は
臨めなったが沈む夕日の先、二上山にも息子と二度も
登っているので山の辺は親子にとっても思い出の道に
なっている



天理教教会本部に寄ってお願いをし参拝をさせてもらった
これも貴重な経験、きっと参加したメンバーにとっても
めったに経験できないことでよかったと思う。

★2007.9.9 倶楽部の例会で桜井から長柄まで
歩いた記録のブログ

http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/d/20070912