おはようございます。今朝はちょっとゆっくり寝てしまいました。昨夜友人のSさんから電話があり長くしゃべってしまい21時ごろから23時ごろまでお話しました。鉄道の昔話をしていて写真提供をいただくことが出来ましたので近く掲載しますので楽しみにお待ちください。私より古い写真を所蔵されていますので皆さんにも珍しいものです。
さて今朝は京阪の2000系です。
2000系は1650形(1651+1652)で各種試験を行った結果をもとに高性能の75Kw補償巻線付複巻電動機を採用、HSC-Rブレーキ(応荷重付)とともに高加速・高減速性能(加速4.0Km/H/S 減速4.5Km/H/s) を有していた。予備ブレーキを取り付けたために手ブレーキが廃止された。通勤車に始めて空気バネ台車を使用した。車体は卵形断面軽量のもので窓配置は1次車は900mm幅のd1D3D3D1 2次車は800mm幅で d1D3D3D2 および 2D3D3D2 である。外見からは連結部のドアと車端の間の窓が1次車は1つ 2次車は2つで見分けていました。
2000系は当初Mc-Mcを1単位として増結する予定であったが、増備の途中で地下線乗り入れによる乗客増などのために編成長大化にさしかかったので後半は多くの中間車の増備となり、運転台撤去と改番も盛んに行われた。
昭和34年8月から41年9月まで増備が続きました。2001~2068・2101~2132の100両が製造されました。
1次車は2001~2024 2次車は2025~2068 2101~2132
であったが、2101~2105はM化準備工事されていたが、Tのまま改番された。(2151~2155) また2200系のTcであったが、2251~2253の3両がT化され2000系に編入(2156~2158)になった。
また2000系の2059~2068は運転台撤去して中間車化2133~2142になった。
最終的に2000系は2001~2058 58両 2106~2142 37両 2151~2158 8両 合計103両になった。
昭和58年に1500V化が行われることになり2600系に改造(新造)されていった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/38/465e18853da0421590266196236061d6.jpg)
〈1〉 2006
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/e4/21726f42d1ca1d81eeef38480532b12e.jpg)
(2) 2008
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/99/b3e7d2906b34edd6d621c550b77e6162.jpg)
(3) 2020
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/b3/bddfbcb2b240f82b63e9cd72771447b1.jpg)
(4) 2026
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/c8/13570d722b4a37a7d3866257ac376aa7.jpg)
〈5〉 2044
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/9e/db55f51874e1e3eca036b4eee908e984.jpg)
(6) 2056
明日は3000系の写真を掲載します。
さて今朝は京阪の2000系です。
2000系は1650形(1651+1652)で各種試験を行った結果をもとに高性能の75Kw補償巻線付複巻電動機を採用、HSC-Rブレーキ(応荷重付)とともに高加速・高減速性能(加速4.0Km/H/S 減速4.5Km/H/s) を有していた。予備ブレーキを取り付けたために手ブレーキが廃止された。通勤車に始めて空気バネ台車を使用した。車体は卵形断面軽量のもので窓配置は1次車は900mm幅のd1D3D3D1 2次車は800mm幅で d1D3D3D2 および 2D3D3D2 である。外見からは連結部のドアと車端の間の窓が1次車は1つ 2次車は2つで見分けていました。
2000系は当初Mc-Mcを1単位として増結する予定であったが、増備の途中で地下線乗り入れによる乗客増などのために編成長大化にさしかかったので後半は多くの中間車の増備となり、運転台撤去と改番も盛んに行われた。
昭和34年8月から41年9月まで増備が続きました。2001~2068・2101~2132の100両が製造されました。
1次車は2001~2024 2次車は2025~2068 2101~2132
であったが、2101~2105はM化準備工事されていたが、Tのまま改番された。(2151~2155) また2200系のTcであったが、2251~2253の3両がT化され2000系に編入(2156~2158)になった。
また2000系の2059~2068は運転台撤去して中間車化2133~2142になった。
最終的に2000系は2001~2058 58両 2106~2142 37両 2151~2158 8両 合計103両になった。
昭和58年に1500V化が行われることになり2600系に改造(新造)されていった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/38/465e18853da0421590266196236061d6.jpg)
〈1〉 2006
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/e4/21726f42d1ca1d81eeef38480532b12e.jpg)
(2) 2008
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/99/b3e7d2906b34edd6d621c550b77e6162.jpg)
(3) 2020
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/b3/bddfbcb2b240f82b63e9cd72771447b1.jpg)
(4) 2026
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/c8/13570d722b4a37a7d3866257ac376aa7.jpg)
〈5〉 2044
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/9e/db55f51874e1e3eca036b4eee908e984.jpg)
(6) 2056
明日は3000系の写真を掲載します。
>運転台撤去
今でも車体流用の2600系にその痕跡を
見ることができますね。
4両固定なのに中間T車だけ運転台付とか・・・。
ところで、2000系と言えば
「とれいん」の京阪特急50年特集号とかに
2000系の代走特急(ハトマ-ク付!)の
写真がありますが
高加減速車を特急スジで走らせる場合
注意点はあったのですか?
なんせ高加減速車ですから・・・・。
次回の3000系期待してます。
ではでは。
こんにちわ
コメントありがとうございます。
2000系が特急に入ることは事故や故障などでダイヤ乱れがあったときにありました。でもそんな注意はありませんでしたが、2000系の最高速度は90Km/Hに決められていたように思います。
高加速・高減速は途中からだいぶ下げられました。初期にはラッシュ時にブレーキハンドルを90度にすると満員だったら運転台後ろのガラスが割れました。そのために緩められたと思います。
それと2000系はノッチで定速で走れるのでノッチOFFにすることなく運転することが出来ました。3ノッチで45Km/H 4ノッチ~9ノッチときざんで速度が高いとノッチを逆に戻すと回生ブレーキがききました。長くなりますのでブログの中で説明したいと思います。
明日の3000系楽しみにしてください。
いつもコメントありがとうございます。
私は80形についてはあまり分かりませんが、そのようだったと聞いています。でも運転士には京阪のマスコンはデットマンスが付いているのでマスコンから手を離せず(離すと非常ブレーキがかかる)肩がこりましたが、運転途中で失神など起こったときにマスコンから手を離すと非常ブレーキがかかるので安全面では確実な装置です。他社では運転中にOFF位置で手を離している運転士さんを見たことがありますが、京阪では絶対無いことです。