鉄パパの鉄道写真ページ 令和2年7月から不定期でアップします。

昭和の写真を鉄パパの鉄道写真として公開していました。
古い写真残します。
全国昭和の鉄道写真不定期で見て下さい

鉄パパの鉄道写真 京阪電車(3)2020.5.20.(水)

2020年05月20日 08時00分00秒 | 京阪

おはようございます。

新型コロナウィルス39県では一応終息してほしいですねぇ!

ちょっと大津線の写真をアップしたところ忙しくなってしまいました。

今回は800形・旧流線形1000系・1300系を見てもらいます。

古いものなので忘れていることが多く、こんな電車走っていたんだなぁ

と再確認しました。

次回は25日に大津線の写真をまた見て下さい。

 

800形

(1) 守口車庫 ピット左から1・2・3・4・5・6番線 洗浄線 

守口車庫の大阪方の写真ですが、守口駅につながっています。京都方

にも同じような線路が引いてあり電気通信高校の横で本線につながって

いました。

この頃特急は4~6連でした。 夕方のラッシュが過ぎるとまず特急編成の

京都方の単車(1815・1816)の両運転台車が、帰ってきて 

1・2番線のピットで点検して止めておきます。

次に21時過ぎには、また特急を分割して2両が帰ってきます。

その車両をピット3番線に入れて点検の終わった単車を、2連の京都方に

併合して3連にして、そして最終近くに3連が帰ってきてピット5・6番線に

入れ点検そして先に帰っていた3連を併合して翌日の6連として留置き

しました。

今の説明は1列車のことについてしましたが、翌日の検査の都合で帰って

きた順番が、逆だったりすると京都方のポイントを使って編成を作りました。

大阪方のポイントは運輸部信号係が扱っていましたが、京都方のポイントは

車両部の係員がしていました。

その当時の特急は京都方から1+2+3や2+4の6連がありました。

 

(2)803  守口車庫

800形は大津線から転属してきました。
801~812までの12両でしたが、1943年天満橋駅構内で脱線事故で
807が廃車になったようで最後まで11両所属していました、
京阪線で廃車になり大津線へ車体更新で350形351~361になりました。
この800形車両も京阪線の時は私も運転しましたが、運転台が狭く足が マスコンカバーにすれて冬場は冷たかったです。
また京阪線ではこの車両だけマスコンハンドルがレバースハンドルじゃなく鍵でマスコン解除して運転するのですが、力行中手を離すとOFF位置に   バネで戻ります。
その時拍子で鍵が飛んで行ってマスコンの間に入り難儀したことが、
思い出にあります。
京阪線の車両は全部デットマンスがついていてもし運転士が気を失った
ときなどマスコンハンドルを離すと非常ブレーキが入り
このような安全装置がついていました。

(3)804 守口車庫

(4)805 村野ー郡津間

(5)806 守口工場

(6)806 守口工場

(7)808  村野ー郡津間

(8)810 636 守口車庫

(9)808 村野上手 

(10)810 村野上手

(11)811  村野上手

1000系(1000・1100・1200・1500形)

1000形はクロスシート車・1100形はロングシート車

(12)1000系 の5連  ここの向こう側が国鉄山崎駅付近です。

1010は私の一番の思い出の電車です。

なぜというと運転士の見習生の時初めての運転台でした。

3か月学科の教習が終わり試験が済み、師匠について運転台に行った時の

緊張は今でも忘れません。

私は信号係から直接運転士の試験に合格して京阪で初めて車掌をせずに

運転士になりました。

その後もう一人方も運転士になりました。

 

(13)1001 守口工場 

正面の窓の上に小さい窓がありますが、雨が降ると隙間から雨が入って

きます。そしてクリーナーがありますが、手動でした。

そのために古新聞で正面窓を拭いたりしました。(新聞の印刷油であめを

はじいた。

私は煙草をすいませんが、たばこの吸い殻で正面サッシをこすっておくと

ガラスに水滴が溜まらず良かったです。

(14)1001  守口車庫構内での編成替えの時は1001の単車・

その後ろには1700系2連・またその後ろには1000形が編成替えに

入換え中です。

(15)1004 (車番はこの形でしたが、この後切り抜き文字になり

ました。 樟葉ー橋本間 左横は国道1号線(現府道)

(16)1006.502.

(17)1106 樟葉ー橋本間

(18)1201 守口車庫

(19)1204 守口車庫

(20)1500系 守口車庫

(21)1502(付随車)でも京都側に運転台もついています。

(22)1509 この車は両運転台のように見えます。

1300系(1300・1600形)

(23)1304 

横は旧国道1号線(現在は府道) この頃は夜間にトラックは居眠り運転で

線路に落ちて初発列車が見つけて不通になりました。

その後ガードレールの内側(線路側に)転落防止装置を設置もし居眠りをして

線路に落ちたら障害物検知装置が動作して事故防止になりました。

(24)1304 守口車庫

(25)1304  寝屋川ー香里園間

(26)1306  北田井踏切(寝屋川ー香里園間)

(27)1306  宇治線観月橋―桃山南口間

(28)1310  守口工場

(29)1307  樟葉ー橋本間

(30)1311  観月橋―桃山南口間

(31)1312  北田井踏切 

(32)1600系  樟葉ー橋本間

(33)1602  守口車庫

(34)1602  守口車庫

(35)1606  樟葉ー橋本間

 

次回は(5月25日)は大津線です。

次々回(5月30日)は1700・1800・1900系を予定しています。



最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
旧型車 (京葉帝都)
2020-06-03 16:26:46
800系は、乗車したことがあるかもしれませんが、記憶が乏しいです。側面の窓が小さく旧600系よりも古さを感じました。正月の急行でも運用されていたような気がします。1000系は急行でも乗車しました。淀屋橋地下線を初めて体験したのも1000系でした。1200系は機能的なイメージ。準急深草行で何度か乗車しました。1500系は普通や支線で乗車しました。戦前派とは車内の造りが多少違う趣がありました。
返信する
いつもありがとうございます。 (鉄パパ)
2020-06-03 20:36:50
京葉帝都 様

800形1000系1300系今思うと懐かしく思いますが、冬が寒かった電車でした。
運転席には暖房がなく隙間風が入り寒かったです。
あるとき車庫に入庫に行ったとき検車の係長にヒーター入れてほしいといったところ、君らはお金もらって乗っているけどお客様はお金を払って乗っていただいているので、なくって当然だと言われました。
でも寒かった思い出が残っています。
ありがとうございました。
返信する
形式訂正 (京葉帝都)
2020-06-04 09:12:52
寒い中での運転は大変だったと思います。私のコメントの1500系は1300系(戦後製運輸省規格型)のことでした。訂正します。
返信する
1000系 (鉄パパ)
2020-06-05 08:37:51
京葉帝都 様

コメントありがとうございます。
1500系は1000.1100.1200.1500形を含め1000系というます。
先頭車は1000.1100系で1200・1500形は1000系や500系の中間車に入っていました。
1200系も両運転台車でしたが、私が見た中には先頭車には運用されていませんでした。
1300系は12両と1600系(京都側運転台付きは)いろいろな使われ方をしていて1301~1310形は両運転台付きでしたが、1311.1312形は奇数車は京都方偶数車は大阪方が運転台で特急色を塗色して特急に使っていました。
また1303+1304も特急塗色にして片運転台車に改造特急に使っていました。
ではまたコメントお願いします。
返信する

コメントを投稿