自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

ホトトギス

2011年04月15日 | Weblog

 僕は早口言葉が本当に苦手である。「隣の客はよく柿くう客だ」ぐらいの言葉でもなかなか早口で繰り返すことが出来ない。「東京特許許可局」も同様である。
 ホトトギスの鳴き声は「特許許可局」とか「テッペンカケタカ」とかと聞こえるという。実は、僕はホトトギスの鳴き声をホトトギスの鳴き声として聞いたことがない(子供の頃のことは忘れた)。都市化の影響で近くに棲む処がないのだろう。
 季節としては、ホトトギスの初音は田植えを促すものとしてされてきた。
 伝承俳句の牙城である「ホトトギス」の誌名は、実質的な創刊者である正岡子規の名に由来するとはいえ、日本の詩歌におけるホトトギスの重要性にも因るのであろう。
 ホトトギスの別名は多く、「不如帰」「時鳥」「郭公」「杜魂」「子規」などの漢字で表される他に、あやめ鳥、いもせ鳥、さなえ鳥、たちばな鳥などと呼ばれる場合がある。それだけ日本人と多面的で、複雑な付き合いをしてきた鳥だということであろう。
 自然破壊や都市化の影響で、トキやコウノトリの二の舞にならないことを切に願う。いつか僕にもその声を聞かせてくれないものか。本当にトッキョキョカキョクと鳴くのなかなあ。
 被災された方々の地域でのホトトギスの初音は、僕が棲息している地域より幾分か遅いだろう。が、必ず啼いて自然の優しさを聞かせてよ、ホトトギスよ。

子供の臓器移植ーーその問題点

2011年04月14日 | Weblog

 僕は50代でドナーカードを持ったが(これでも当時としては早い方だった)、歳をとるにつれて僕の臓器は使いものにならなくなるだろう。
 昨年7月の改正臓器移植法に基づいて初めて、脳死と判定された15歳未満の子どもから臓器提供を受けた移植手術が行われた。
 臓器提供者になったのは10代前半の男の子で、事故で重いけがをした。心臓が10代の男性に移植されたのをはじめ、肺や肝臓、腎臓なども各地の患者に移植される。
 臓器提供する家族は常に厳しい決断を迫られるが、子供の突然の死に直面した両親にとってはとりわけ、つらい決断だったに違いない。その重い決断を尊重し、臓器移植を定着させていくためには、課題はなお多い。
 大切なことは、臓器提供までの経過をわかりやすく説明する透明性だ。子供の場合はとくに、虐待ではないことの確認もいる。かつて高知大学付属病院で行われた移植医療では(ドナーが大人であったが)、その過程で無呼吸テストと脳波の判定の順序を間違えるという重大な問題が生じ、報道され、その報道結果がその後の移植医療に活かされた。
 改正臓器移植法は、本人が拒絶していない限り、提供の意思が不明でも家族が同意すれば、脳死判定後に臓器の提供ができるようになった。旧法では15歳未満の子どもからの提供はできなかった。それだけに、本人が拒絶していないことの確認や、家族が臓器提供について十分な情報を与えられた上で、自由な意思で判断したことの保証が重要だ。こうした過程を可能な限り明らかにする必要がある。
 今回、家族もできるだけの公開を考えたという。だが日本臓器移植ネットワークは、家族のプライバシーを理由に、少年の脳死判定をした病院がどこにあるか、また、同意を得るまでの時間的な経過や病院内の倫理委員会の審議など、詳しい過程を明らかにしなかった。
 プライバシーの遵守に配慮しつつ、臓器提供に至るまでの経過を明らかにすることはできるはずだ。家族の葛藤もふくめて伝えてこそ、移植への理解が広まるのではないか。
 もう一つの問題点。脳死からの臓器提供は、子供の場合は大人より難しい。脳死判定もそうだし、臓器提供に対応できる医療機関も限られる。技術的な態勢の整備はもちろん、信頼されるシステム作りが欠かせない。

「レベル7」の重み

2011年04月13日 | Weblog

(原発にはどうしても関心があるので、朝刊より)
 あってはならぬことで、世界トップになってしまった。
 福島第一原発事故の評価が、1986年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故と並ぶ最悪の「レベル7」(深刻な事故)に引き上げられた。
 大気に出た放射性物質の総量を見積もった結果だ。事故の巨大さを深く心に刻まなくてはならない。
 「レベル7」を、原発周辺に住む人々の避難、長期の健康管理や地域の復興計画、国のエネルギー政策など、さまざまな施策を考える出発点としなければならない。
 半減期の長い放射性物質も多く出たのだから、住民の健康診断を長く続ける必要がある。農林水産業の再生には、残留放射能を把握したうえでの対策が求められる。そして、原発依存社会を見直す動きも強まるはずだ。
 放出量はチェルノブイリ事故の1割前後だという。だがそれよりも深刻な一面もある。複数の炉が一斉に機能不全となり、1ヶ月たっても安定しない。いつどのように事態が収まるかの出口も見えない。私たちの前には、巨大な敵がまだ居座っている。いま最も力を注ぐべきは、事故をこれ以上、大きくしないことだ。
 11日夕の余震では、福島第一1~3号機の炉への注水が約50分間、外部電源が絶たれたことで止まった。電源が復旧してことなきを得たそうだが、事故炉を冷やす必須の作業が、綱渡りの状態にあることがわかる。
 注水は、最悪の事態を防ぐ生命線だ。いかに余震があったとはいえ「電源喪失」を二度と繰り返してはならない。一つの電源がだめになっても、作業員を危険にさらさず、自動的に別の電源に切り替える仕組みを工夫してほしい。
 「レベル7」を重く受け止める。
 大切なことは、放射性物質の放出の規模が最大の「7」級だということを踏まえて、観測態勢を強め、それに沿って機敏な対策をとることだ。政府は円形状に避難域を定めていたのを改めた。だが新しい地域設定も、不変のものととらえるべきではない。
 「レベル7」で、原発周辺の人々が負わされる重荷の大きさがはっきりした。それを、どれだけ国民全体で分かち合うことができるかが、いま問われている。なぜなら日本は世界に向けて一つだから。

原発事故、最悪のレベル7へ

2011年04月12日 | Weblog

(NHKニュースより)
 東京電力の福島第一原子力発電所で相次いで起きている事故について、経済産業省の原子力安全・保安院は、広い範囲で人の健康や環境に影響を及ぼす大量の放射性物質が放出されているとして、国際的な基準に基づく事故の評価を、最悪の「レベル7」に引き上げることを決めました。「レベル7」は、旧ソビエトで起きたチェルノブイリ原発事故と同じ評価になります。原子力安全・保安院は、12日(今日)、原子力安全委員会とともに記者会見し、評価の内容を公表することにしています。
 原子力施設で起きた事故は、原子力安全・保安院が、国際的な評価基準のINES=国際原子力事象評価尺度に基づいて、その深刻さを、レベル0から7までの8段階で評価することになっています。
 原子力安全・保安院は、福島第一原発で相次いで起きている事故について、広い範囲で人の健康や環境に影響を及ぼす大量の放射性物質が放出されているとして、INESに基づく評価を、最悪のレベル7に引き上げることを決めました。
 原子力安全・保安院は、福島第一原発の1号機から3号機について、先月18日、32年前にアメリカで起きたスリーマイル島原発での事故と同じレベル5になると暫定的に評価していました。
 レベル7は、25年前の1986年に旧ソビエトで起きたチェルノブイリ原発事故と同じ評価になります。
 レベルが引き上げられる背景には、福島第一原発でこれまでに放出された放射性物質の量が、レベル7の基準に至ったためとみられますが、放射性のヨウ素131を、数十から数百京(けい)ベクレル放出したというチェルノブイリ原発事故に比べ、福島第一原発の放出量は少ないとされています。
 原子力安全・保安院は、12日(今日)、原子力安全委員会とともに記者会見し、評価の内容を公表することにしています。

(重大事である! 以上のこととは一応無関係だが、東電社長の現地での昨日の記者会見はいただけない。彼の言葉からも表情からも責任感をよみとることは出来ない。「想定していなかった」に終始していた。
今日はちょっと遠出してきます。)

2011年04月11日 | Weblog

 僕ら庶民にとっての庶民の味の一つが鯵である。鯵は春から秋が旬。身の両側に「ぜいご」と呼ばれる固いウロコがあるので、これを取り除けば、如何様にも料理できる。
 鯵は普通は「真アジ」を指すが、その種類は多く、ムロアジ、シマアジなど、日本近海に約50種類が棲息しているそうだ。
 良質のタンパク質が豊富に含まれており、ビタミンB群やミネラルも富んでいる。脂肪にはDHA(ドコサヘキサエン酸)、FPA(エイコサペンタエン酸)などの不飽和酸が多く、血液をサラサラにして血中の中性脂肪やコレステロールを下げてくれる。加えて、動脈硬化や心臓病、高血圧など生活習慣病の予防も期待できる。
 僕が一番好きなのは、一夜干しの「ヒラキ」なのだが、これは僕んちの土地柄なかなか入手できない。鯵の「タタキ」も旨いが、これも同様なかなか手が届かない。小鯵の南蛮漬けは骨ごと食べられカルシュームも摂れるので便利な食品だが、これは僕はあまり好きではない。仕方がないので、何夜干しか分からない、もしかしたら人為的に干した「ヒラキ」を食することが多い。
 回転寿司で出てくる寿司ネタの鯵は外国産だろう。それでも、僕は鮪などより鯵をすばやく取る。庶民の味、鯵ではあるが、新鮮な近海の鯵は庶民にとっては高嶺の花になってしまった。極めて残念なことではある。

 今年の春は三陸の漁港に鰺も他の魚もあがらないかもしれない。地元の漁師の方々の悔しさが察せられる。一日も早い出漁を願う。

伊藤まつを媼 (再掲)

2011年04月10日 | Weblog

 颯爽とした本を読んだのでほんの一部紹介。

 「工場、工場と銭(ぜに)こ取ることばかり考えているから、米の味などわからね(ないべ)。花っこの本当の美しさもわかるはずね。心のないものを扱って、何が楽しいべ。」
 「おら、楽しがったなぁ。米作りは、子育てと同じ。農業者は楽しいよ。いまの人たちは、何を楽しいと思っているのかなぁ。」
 「この植物たちもみな、生命(いのち)と思想を持っているんじゃないか。」
                      (『まつを媼百歳を生きる力』草思社)
 98歳で逝かれた岩手県の伊藤まつを晩年の言葉。田舎での時代を先駆けた恋愛結婚。極度に辛かった農家の嫁つとめ、先に逝った夫の愛情を逝かれた後日記を通して知った感慨、ペスタロッチやルソーに教えられた生活改善運動。自叙伝『石ころのはるかな道』、詩集『白寿の青春』の著者でもあり、晩年になるほど輝いた媼(おばば)である。1993年没。
 真似のできる事ではない。真似のできる事ではない。

 僕は真似ができないが、東北地方の人々には伊藤まつを媼や「雨にも負けず」の宮沢賢治の心意気がしみこんでいるのではないだろうか。復興に向けて折れない心の持ち主、長いスパンの時間を耐え抜く精神力の持ち主、それが東北人だと思う。

出来るところから環境保全

2011年04月09日 | Weblog

 「市民だより」に地球温暖化への個々人で出来る対策が載っていた。
 1、テレビなどの待機電力を90%削減すると、年間で約87㎏の二酸化炭素を削減(約6千円節約)できます。
 2、冷房の温度を1度高く、暖房の温度を1度低く設定すると、年間で約31㎏の二酸化炭素を削減(約2千円節約)できます。
 3、家族が同じ部屋で団欒し、暖房と照明の利用を2割減らすと、年間で約240㎏の二酸化炭素を削減(約1万1千円節約)できます。
 4、風呂の残り湯を洗濯に使うと、年間で約17㎏の二酸化炭素を削減(約5千円節約)できます。

 このようなことは、しようと思ったら出来ることではある。ところが、なかなか出来ない。僕を含めた多くの個々人の意志の弱さを示すところである。しかし、意志の弱さ云々と言っておられない程に温暖化が進んでいる。温暖化を少しでもくい止める為に出来るところから出来ることをしなければならない。

 温暖化への対処とは別に、原発の大事故による電力供給が危ぶまれるという理由で節電が推賞されている。こんな理由が生じると一ヶ月前に想像した人がいるであろうか。

(今日はちょっと遠出してきます。)

グリーンコンシューマー10原則

2011年04月08日 | Weblog

 英国で始まった、地球環境を憂慮した「緑の消費者」運動が日本でも広がっているようで、未だ不十分のように思われる。その10原則を改めて掲げる。
①必要なものを必要な量だけ買う
②使い捨て商品ではなく、長く使えるものを選ぶ
③包装はないものを最優先し、次に最小限のもの、容器は再使用できるものを選ぶ
④作るとき、使うとき、捨てるとき、資源とエネルギー消費の少ないものを選ぶ
⑤化学物質による環境汚染と健康への影響の少ないものを選ぶ
⑥自然と生物多様性を損なわないものを選ぶ
⑦近くで生産・製造されたものを選ぶ
⑧作る人に公正な分配が保証されるものを選ぶ
⑨リサイクルされたもの、リサイクルシステムのあるものを選ぶ
⑩環境問題に熱心に取り組み、環境情報を公開しているメーカーや店を選ぶ

 東日本大震災に触発されて、被災地の人でない人がミネラルウォーターなどを買い占めているらしい。その心理は分らないでもないが、買い占めは①に反する。買い占められた商品は殆どすべての人や家庭に必要なものである。
 福島第1原発の大事故が⑤で言われている環境汚染に深く大きく参入していることは明らかである。

 思うに、今回の大災害に鑑み、今年度を上の10原則に沿った生活を営むと同時に、被災された方々とそうでない方々との間での、また貧者と富者との間での相互補完社会を構築する初年度にするべきだ。被災された方々からは、被災されたその思いを頂き、生活の糧にできる機会である。

自然は飛躍せず

2011年04月07日 | Weblog

 「自然は飛躍せず(Natura non facti saltum.)」とはスウェーデンの植物学者リンネKarl von Linne(1707-1782)の「植物哲学(Philosophia Botanika)」に出てくる言葉。彼は穏やかな人物であったらしく、植物を相手に仕事をしていたからか、自然の急激な変化を好まなかった。
 彼のこの言葉は、当時のカントのような哲学者にも受け入れられ、以後、自然学の公理のような位置にある。確かに植物の成長には飛躍がない。植物だけではなく、動物の成長にも飛躍はない。人間も動物として自然の中にある。
 ところが、人間の営みには飛躍があるみたいだ。人間の議論には飛躍があるみたいだ。僕も気をつけなければ。
 議論における飛躍のみならず、極めて危険な建造物を造り、それをメンテする過程でも飛躍というか、するべきことをしないで先に進む場合がある。
 福島第一原子力発電所で深刻なトラブルを招いた、非常用を含めた電源喪失事故。電源が常備されていてこそ、炉などを冷却できる。
 原子力安全・保安院の寺坂信昭院長は昨年5月、電源喪失は「あり得ないだろうというぐらいまでの安全設計はしている」と発言していたが、昨日は「当時の認識について甘さがあったことは深く反省をしている」と述べた。
 これまでの法廷証言などで電源喪失の可能性を否定してきた班目春樹・原子力安全委員長は「事故を深く反省し、二度とこのようなことが起こらないようにしたい」と述べた。今さらこんなことを言われても・・・。
 電源喪失の事態に備えてこなかったことは痛恨の極みである。

原発依存からの脱却

2011年04月06日 | Weblog

 電力需要は戦後、ほぼうなぎ登りで増え続けてきた。
 一世帯当たりの月間電力消費量も1970年の3倍近くに。エアコンにパソコンにインターネット、トイレの便座・・・。電力は暮らしを支えた。オール電化なる言葉もある。
 その電力供給が滞るなど、ほとんどの人が想定しなかった。
 原発は優等生に見えた。「国際情勢の影響を受けず安定供給できる」「石油と違い炭酸ガス(CO2)を出さない」として電力全体の3割を担い、さらに増やす計画もある。
 慢心が生じた。チェルノブイリやスリーマイル島のような深刻な事故は、日本では起きないという不倒神話だ。しかし、自然災害の前に原発は余りにも脆弱だった。
 私たちは大きな岐路にいると思われる。原発に大きく依存するままの電力文明にしがみついて生きていくか。それとも、別の文明のかたちを追求していくか。
 原発がこれほどのもろさを露呈した今、依存しない、あるいは依存度を極力小さくした社会を構想すべきでないのか。
 CO2を出す化石燃料依存へと単純な先祖返りはできない。ならば太陽光、風力、地熱など再生可能な自然エネルギーを総動員する必要がある。
 従来型の電力供給システムの弱点もはっきりした。地方に巨大な発電所を集中させ、離れた大都市の需要を賄わせる仕組みでは、事故があったときの影響の拡大が甚だしい。分散して電力を生み出し、それを出来るだけ近くで消費してロスを少なくする「地産地消」の取り組みに努めるべきだ。
 その意味では、ビルや家屋の屋根にソーラーパネルを設置した自家発電が地産地消の典型であり、ソーラーパネル設置のコストダウンが急務である。
 福島第1原発の大事故処理(廃炉)に20年以上かかる。その間に電力の地産地消に転換できるはずだ。

春の海

2011年04月05日 | Weblog

   春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな

 言うまでもなく蕪村の句。
 おだやかな春の海。作者は海に来て一日遊んでいる。風らしい風も吹かず、沖は霞んでいて、その霞は渚に立つ作者の畔まで来ている。大きな波は立たず、海全体が、ものうく、しずかに、渚に寄せて来ては、返す。「のたりのたり」は「のたる」を重ねた語で、のたるは、はいまわるの意。春の海を表現するのに最も適した言葉だと言えよう。「ひねもす」という言葉にも春の日永の感じがよく出ている。
 何年前の春だったか、熊野灘を見下ろす高台から見た海は、蕪村の「春の海」そのものだった。
 巨大津波に襲われた三陸海岸も今は春の海だが、例年の春の海とは趣を異にしていることだろう。瓦礫が溜まっている海、行方不明の人が、もしかしたら溺れ亡くなっている海。福島第1原発からは放射能が海に漏れ出している。高度に発達した科学技術をもってしても修復し難い状況。水田は塩害で2、3年は稲を植えることは出来ないだろう。
 被災された方々は、とても蕪村の気持ちになれないのではないか。しかし、しかし、来年も春は来ます。

水俣病問題の最終解決に向けて

2011年04月04日 | Weblog

 巨大地震、巨大津波、原発大事故、被災に関するニュースに押されて注目されるのが少ないニュースがあった。
 先月28日、水俣病不知火患者会の2993人が国と熊本県、原因企業のチッソに損害賠償を求めた訴訟は熊本、大阪、東京の3地裁で和解が成立した。水俣病と認定されていない被害者でつくる団体であり、大きな前進といえる。
 これから最終的な解決に向け、二つの課題がある。
 まず、水俣病の実相を究明しないまま問題を終わらせようとしてきた政府の従来の姿勢と決別する必要がある。今後なすべきは、不知火海沿岸のすべての住民の健康調査だ。
 もう一つが「期限付き」の問題だ。和解内容は09年につくられた水俣病被害者救済法に基づく政府の新救済策に沿っている。救済法は「救済措置の開始後3年以内をめどに救済対象者を確定する」としている。
 だが、今回の和解にも応じず、判決による司法救済を求め続ける被害者がいる。さらに09年秋に有志の医師らで実施した熊本県天草地域などの住民健康調査では、1千人近い潜在被害者が新たに見つかった。訴訟に加わらず、新救済策にも申請していない被害者が数多くいるのだ。
 新救済策の受け付けは昨年5月に始まった。潜在被害者の存在を考え、3年で区切りをつけずに、その後も申請できる恒久的な制度にするべきだ。
 和解は、地域や出生年月の線引きで救済対象外にされてきた人たちの一部も救済対象に判定した。現実を幅広くみた結果であり、評価できる。
 和解と救済法の両輪の動きが、高齢化した被害者を早く救済するためにも役立つ。政府は「最終的かつ全面的な解決」を実現するため、残された課題にぜひ着手してほしい。

 水俣病という公害に僕が関心を持ち始めたのは大学卒業前だから、現在に至るまでにほぼ半世紀が経った。もうそろそろ僕が関心を寄せなくてもいい時期だ。

米国からの救援隊は被災地で何を感じたか。

2011年04月03日 | Weblog

(朝刊より抜粋)
 大震災直後、米政府は、特殊訓練を受けた消防・救急隊員ら144人を派遣した。デービット・ストーン(51)は5人の隊長のうちの1人。米軍三沢基地(青森県)から、まず岩手県大船渡市に入り、その後釜石市に回った。
 釜石市の隣、住田町の世田米小学校。校門を入ると、米国隊員たちがいた。ストーンが無線機を手にトラックから出てきた。「いま、現場から戻ったところだよ」。身長175cm。隊の中では小柄に見える。静かな話しぶりが印象的だ。
 体育館の中は、「コット」という折りたたみ式ベッドがいっぱいに並んでいた。隊員はこの上で寝袋に入って寝る。ストーンは「ふだんは野営だから恵まれている」という。
 別の隊員が来て、「原発事故はその後どうなってる?」と不安そうに私に聞く。
 体育館の用具室には「本部」が作られていた。約10人がパソコンを並べ、衛星通信でワシントンなどと連絡を取っている。その中に大柄な男性がいた。デューイ・パークス。災害の全体像を把握し、部隊の人員や機材を担当する責任者だ。36年間消防署に勤めた後、1996年から救援隊専従になり、世界各地の建物の構造や材質の研究もしている。ハイチ大地震や米同時多発テロの現場も踏んだという。ニュージーランドの救援から帰国したロスの空港で地震を知り、そのまま日本に入った。「1カ月以上、家に帰っていない。でもこれほどやりがいのある仕事はない」と白髪交じりの無精ヒゲをさすった。
 隊員たちはコットに座って食事をしながら話をしたり、本を読んだりしている。凄惨な現場を見ることが多く、仲間としゃべったり、自分の時間を持ったりすることは大切なのだという。
 隊は毎日午前7時に宿営地を出発。午後5時ごろまで、倒壊した家々の中に入り、約10平方kmのがれきを掘り返した。けがをして足に包帯を巻いている救助犬も何匹かいる。
 皆が寝静まった体育館の隅に座ると、ストーンは静かに話し始めた。
 「入った家で遺体を見つけないとホッとするんだ。ここにいなければ、どこかで生きているかもしれない。家族ならきっとそう思う。マスコミは発見した遺体の数を成果のように言うけれど、見つからない日は気持ちが安らぐよ」。
 前の晩には、宿営地の近所に住む年配の男性が食べ物を届けてくれたという。
 「我々は被災地では一切、ものはもらわないのが原則だ。でも、気持ちがうれしくて、ありがたく頂いた。あとからそれが『おにぎり』というものだと知った」。
 午前2時、私も寝袋に入る。しんしんと冷える。うとうとしていると明け方、余震で目が覚めた。
 この日はちょうど、宿営地の小学校の卒業式だった。卒業生は32人。米国隊の代表が語りかけた。
 「学校を使わせてくれてありがとう。おかげでスムーズな救助活動ができました。そして、卒業おめでとう。これからも勉強をがんばってください」。卒業生の水野将仁は「英語がしゃべれたら、ありがとうって伝えたかった」。
 三沢基地に戻るバスの中で、隊員たちと救助犬は、深い眠りに落ちた。

(僕もありがとうと思わず言った。)

 原発事故の処理はどうなるのか? 世界が注目している。
 半径20キロ以内で発見された遺体から高濃度の放射能が計測され、その遺体を安置することを諦めたそうだ。

穀雨

2011年04月02日 | Weblog

 穀雨。百穀を生ずる雨の意。
 四月になると、農作業は忙しくなる。良い雨が田畑を潤おし、花を濡らす。
 この時期の雨は茶の生育にも大切である。江南の茶どころでは、清明の頃に早くも一番茶を摘む。穀雨までの茶を「雨前茶」と言って珍重する。摘んだ茶の葉を臼で轢くと真っ青な粉末(抹茶)ができる。
 雨は山の薬草を肥えさせる。明へ渡った僧絶海は、洪武帝の命を受け、徐福の伝説を詠った。徐福は秦の始皇帝の圧制を避けて、日本の熊野へ来たのだと。
 「熊野峰前 徐福の祠 満山の薬草 雨余に肥ゆ」(絶海)

 穀雨とはよく言ったもので、山の幸、畑の幸を食すると、体内が清らかになるような気がする。

 適度な穀雨で被災地が潤うことを願う。

草花

2011年04月01日 | Weblog

 さて、卯月。
 昨日までも殆ど仕事をしていなかったのだが、一応は名目上でも束縛されていた。今日からは幸か不幸か束縛されることがなくなった。
 
 道端の草が一斉に萌え、花を咲かせている。律儀に去年と同じところにナズナが咲き、ハコベが咲いている。
 山の花、野の花の多くは、人の目にふれることなく咲き、そして散る。
  「それもよからう草が咲いている」
という山頭火の、定型を破った句がある。名誉利己を望まず、雑草のように野辺に散る、それもよかろう、と自分に言い聞かせているようだ。
 山頭火の句をもう二つ。

  雑草よこだわりなく私もいきている
  生きられるだけは生きよう草萌ゆる

 山頭火のように、生涯、漂泊の旅を続けることは出来ないが、気持ちは彼の様でありたいと思う。

 それにしても、被災された方々の礼儀正しさには感嘆する毎日です。

(今日はちょっと遠出してきます。)