〈「親権者の代諾」は有効か〉 日本移植者協議会の提案では、15歳未満は本人の意思ではなく、遺族つまり親権者の提供の意思で臓器摘出を認めるとしている。この点は問題を含む。日常の医療では親が子どもの代わりに判断して治療が行われているのだから、それに準じて良いという意見がある一方で、通常の医療の場合には本人の利益のために親が判断しているのであって、臓器提供は本人のためではないという意見がある。極端な場合かもしれないが、幼児虐待という現実があるからには、子どもが「脳死」に陥った場合、例えば階段から落ちて頭を打って「脳死」状態に陥ったのか、それとも虐待の結果なのか。虐待が「美談」に変わるおそれがないとも限らない。現場の小児科医たちは「昨今の児童虐待や養育放棄など、親の子どもへの対応の変化を肌で感じて」おり、「必ずしも親が児の最大の保護者や代弁者であり得ない場合が多々あること」を痛感している。子ども本人が臓器提供を望んでいたかどうかを親が代わって判断するというより、親が自分の子どもをどうしたいかということだけで決まってしまうこともあろう。それでよいのだろうか。
もう一つの問題。子どもの「脳死」に直面した場合に、主治医から「お子さんの臓器提供を考えますか? 移植コーディネーターを呼んでもいいですか? お子さんの身体の一部が生きていることになるのですよ」というような”説得”が行われないという保証はない。このような医療現場で、親が子どもの臓器提供について真摯に考え判断できるであろうか。(続く)
もう一つの問題。子どもの「脳死」に直面した場合に、主治医から「お子さんの臓器提供を考えますか? 移植コーディネーターを呼んでもいいですか? お子さんの身体の一部が生きていることになるのですよ」というような”説得”が行われないという保証はない。このような医療現場で、親が子どもの臓器提供について真摯に考え判断できるであろうか。(続く)
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