(朝刊より)
マーガレット・オレチさん(52歳)
右足をひざ下から失ったのは、11年前のクリスマスの3日前だった。子供たちと祝うため、東アフリカ・ウガンダの首都カンパラへ、郊外の仕事先からミニバスで帰るところだった。突如、地雷が爆発、ゲリラが襲ってきた。目をかたく閉じて死んだふりをした。腕時計と血の付いたジーンズをはぎ取られた。
「何もかも失った。誰も助けてくれなかった。希望はなかった」。2カ月入院した後に松葉づえで帰ると、家賃の滞納で子供たちは家から追い出されていた。友人は「不運が伝染する」と言って離れていった。仕事もできない。義足というものの存在も知らなかった。7、8カ月はショック状態でふさぎ込むばかりだった。
英語を話せることから、被害者として国際会議で証言するよう頼まれ、支援団体と知り合った。病院を訪ね、孤立している被害者を支える側に回った。現在は、97年にノーベル平和賞を受賞した地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)の大使や、ウガンダで地雷被害者の団体の代表を務めている。「障害を持って生きることで、思いやりや忍耐、許しを覚えた。でも、地雷に対する怒りだけは決して収まりません」。
NPO「難民を助ける会」の招きで3月、対人地雷禁止条約の発効から10周年の記念行事に合わせて来日。京都や長野で経験を語った。「大勢の子供たちが真剣に聞いてくれて、希望が広がった」。
(科学技術には必ずプラス面とマイナス面がある。地雷は、そのマイナス面の最たるものの一つだろう。地雷を作らせている輩や武器商人が歪んだ笑いを浮かべている。)
マーガレット・オレチさん(52歳)
右足をひざ下から失ったのは、11年前のクリスマスの3日前だった。子供たちと祝うため、東アフリカ・ウガンダの首都カンパラへ、郊外の仕事先からミニバスで帰るところだった。突如、地雷が爆発、ゲリラが襲ってきた。目をかたく閉じて死んだふりをした。腕時計と血の付いたジーンズをはぎ取られた。
「何もかも失った。誰も助けてくれなかった。希望はなかった」。2カ月入院した後に松葉づえで帰ると、家賃の滞納で子供たちは家から追い出されていた。友人は「不運が伝染する」と言って離れていった。仕事もできない。義足というものの存在も知らなかった。7、8カ月はショック状態でふさぎ込むばかりだった。
英語を話せることから、被害者として国際会議で証言するよう頼まれ、支援団体と知り合った。病院を訪ね、孤立している被害者を支える側に回った。現在は、97年にノーベル平和賞を受賞した地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)の大使や、ウガンダで地雷被害者の団体の代表を務めている。「障害を持って生きることで、思いやりや忍耐、許しを覚えた。でも、地雷に対する怒りだけは決して収まりません」。
NPO「難民を助ける会」の招きで3月、対人地雷禁止条約の発効から10周年の記念行事に合わせて来日。京都や長野で経験を語った。「大勢の子供たちが真剣に聞いてくれて、希望が広がった」。
(科学技術には必ずプラス面とマイナス面がある。地雷は、そのマイナス面の最たるものの一つだろう。地雷を作らせている輩や武器商人が歪んだ笑いを浮かべている。)