自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

うたたね

2009年04月14日 | Weblog
 明の高啓は僕の好きな詩人。徒然想で以前にも引いたことがあるかもしれないが、好きな詩なので再度引く。

  偶 睡
竹間門掩似僧居   竹間 門は掩(とざ)されて僧居に似たり
白荳花開片雨余   白荳(はくとう)花開き 片雨の余(よ)
一楊茶煙成偶睡   一楊(とう)の茶煙 偶睡を成し
覚来猶把読残書   覚め来たれば猶お把(と)る読残の書

(竹林の中に、ひっそりと門のとざされている家のたたずまいは、まるで僧の住いのようだ。
 通り雨のあと、白い豆の花が咲く。
 茶を煎る煙をみているうちに、長椅子でついうたたねをした。
 目がさめてみると、読みさしの本をまだ手に持っていた。)

 ごく普通の田舎家。穀雨の頃、竹林の豆の花を舞台にしている。悠々自適の生活の一コマ。こんな暮らしをしたいと思うのは、まだまだ早いのかもしれないが、いつかこんな生活ができるのであろうか。ただ、うたたねはお薦めです。
 (こんな悠長なことを言っておれない状況が今日もタイやイラクなどで続いている。)

活力素

2009年04月13日 | Weblog
 昨日、ホームページの画像掲示板に森林浴を楽しまれた様子が書き込まれた。森林浴が健康に良いのは何故だろう。
 山や森林を歩くと、予想していたより疲れない。昔の『科学朝日』に「森林が発散する未知の活力素」に関する記事があった。山や森林では馥郁たる香りに包まれる。その香りを吸うと、それだけで生き返ったような気持ちになる。この芳香は、樹木が発散する活力素のためではないか、と言われる。テルペン物質(芳香性炭化水素)のことを言うらしい。
 樹木が発散するテルペン物質が大気中にただようと、太陽の光を散乱させ、「青」が強調される。遠い山が青く見えるのはこのためだそうだ。
 ドイツには森林療法が昔からある。森の中のバンガローで暮らし、毎日、森の空気を吸って心を落ち着かせるというだけのことだが、これも活力素の効用だろう。
 テルペン物質の研究はまだまだだそうで、未知の部分が多いそうだ。しかし、この芳香が気道のはたらきに良い影響を与えるという実験結果があるそうだ。こういう研究はもっと進めてほしい。
 そして、山や森林が炭酸ガスを吸ってくれて温暖化をくいとめてくれることは周知のところである。加えて、活力素。山や森林には命の糧があふれているのだ。

桜餅

2009年04月12日 | Weblog
 僕は辛党でも甘党でもないのですが、どちらかと言うと甘党なんですが、柿の葉鮨とか柏餅とかイバラ饅頭とか桜餅とか、葉で包んだものが何故か好きだ。多分素姓が田舎者だからだろう。桜餅を久しぶりに食べた。桜餅を高級和菓子だとは思わない。独特の香りが野趣を醸した。
 桜餅の起こりは享保年間、向島の長命寺の寺男、山本新六が隅田川堤の桜並木の落ち葉の利用を思い立ってのことだという。
 現在の桜餅に用いられる桜葉は花の色が白いオオシマザクラの葉である。全国需要の七割を生産しているのが、伊豆半島の松崎町だそうだ。昭和38年頃から農家の副業となり、栽培面積は48ヘクタール。苗を植えて2年で葉の採取ができ、五月から八月が収穫期である。ものの本によると、農家ではオオシマザクラの葉50枚を1束として960万束を生産するそうだ。単純計算で4億8千万枚。加工業者の手で半年から一年、樽で塩漬けされる。その樽は人間一人がすっぽり入る大きさのものらしい。一樽で150万枚の葉が漬けられる。その後、全国に出荷された桜の葉が、桜餅となって消費者の口に入る。
 桜餅独特の香りは、桜の葉に含まれるクマリンという物質による。ただし、葉を生で嗅いでも桜餅の芳香はしない。葉の中でクマリンはブドウ糖に包まれており、揉んでも千切ってもブドウ糖は壊れない。塩漬けにして初めて、クマリンの香りが漂ってくるらしい。
 加工を経た上ではあるが、季節感を味わえる食べ物があることに感謝しなければならないと思う。

甘茶

2009年04月10日 | Weblog
 四月もはや十日。八日には僕んちの近所では花会式と称する、お寺さんの行事で賑わっていました。この花会式は盛大なもので、歩行にも困るぐらいの人出です。すぐ近所だから一度訪ねてみようと思うのですが、人の多いところが苦手なので、なかなか行く気になりません。
 この日だったと思うのですが、山里で暮らしていた頃、今から60年ぐらい前の事ですが、小さなお寺で甘茶を頂いた事を思い出しました。当時は砂糖が入手困難で、甘いものを口にする事が稀でした。この甘茶の甘味が忘れられません。ほろ苦い甘さです。
 甘茶とは何か。甘茶とは、甘茶の木(ユキノシタ科のアジサイに似た落葉低木)の葉を乾かして湯に浸した液体だそうです。薬効もあるらしい。
 お寺のおかみさんがいたずらっ子一人一人に柄杓で甘茶をついでくれました。おかわりをしました。再度おかわりをしました。
 今はもう昔の事とて懐かしさが込み上げてきます。顧みれば僕は恵まれた環境で育てられたのだと今更ながらに感謝します。
 戦場の子供たちや飢えで苦しんでいる子供たちに甘茶体験をしてもらいたいと思います。喉を潤す最良の飲み物ではないかと思うのですが。

(今日はちょっと遠出してきます。)

ミミズ

2009年04月09日 | Weblog
 これから暑くなるとミミズが道の上に出て来る。理由は定かではないが、雨水が巣穴に流れ込み、避難して路上に出て来るという説がある。
 どちらかというと、ミミズは嫌われ者の生き物かもしれない。だが、ミミズたちは農業の縁の下の力持ちである。土中を縦横無尽に動き回ることで土が柔らかくなり、酸素も行き渡る。土と有機物を体内に通し団粒をつくる。その糞はカルシウムに富み、弱アルカリ性の土壌を生む。肥えた土にはミミズがいるというのは、多くの人が知るところである。(要らぬことを言えば、ミミズのような役割をする人々が居てこそ、社会は維持される。そういう人々の役割意が十二分に認められる社会であって欲しい。)
 ものの本によると、かつて東京の某デパートでミミズが売り出され、長野県産の5万匹のミミズがあっという間に売り切れたという。買った人々は家庭菜園に放したに違いないが、ミミズたちは元気に活躍しただろうか。
 進化論のダーウィン(今年、生誕200年)の晩年の研究テーマは「ミミズと土壌の形成」(1881)だった。ミミズの棲む畑に産出される有機成分と量を算出し、その有用性を説いている。ダーウィンを持ち出すまでもなく、古くから世界各地でミミズの能力は知られていた。土や植物に関わる神話や伝承も多い。
 稀有壮大な神話の一つに、台湾の創世神話がある。大洪水の後ミミズが無数に現れ土を食らい、糞を出して肥沃な大地をつくったというものだ。おそるべきミミズの能力。
 さて、僕はと言えば、ミミズは嫌いではないが、好きだと言うほどでもない。だが、ミミズには感謝しなければならない気がする。菜種梅雨や本物の梅雨に入ったら、雨水に耐え切れず路上に出て来るミミズも多かろう。元の土中に戻れることを願う。

ホトトギス

2009年04月08日 | Weblog
 僕は早口言葉が本当に苦手である。「隣の客はよく柿くう客だ」ぐらいの言葉でもなかなか早口で繰り返すことが出来ない。「東京特許許可局」も同様である。
 四月中には鳴き始めるホトトギスの鳴き声は「特許許可局」とか「テッペンカケタカ」とかと聞こえるという。実は、僕はホトトギスの鳴き声をホトトギスの鳴き声として聞いたことがない。都市化の影響で近くに棲む処がないのだろう。
 季節としては、ホトトギスの初音は田植えを促すものとしてされてきた。あるいはまた、冥土へ通う鳥という一面ももっていたらしい。
 伝承俳句の牙城である「ホトトギス」の誌名は、実質的な創刊者である正岡子規の名に由来するとはいえ、日本の詩歌におけるホトトギスの重要性にも因るのであろう。
 ホトトギスの別名は多く、「不如帰」「時鳥」「郭公」「杜魂」「子規」などの漢字で表される他に、あやめ鳥、いもせ鳥、さなえ鳥、たちばな鳥などと呼ばれる場合がある。それだけ日本人と多面的で複雑な付き合いをしてきた鳥だということであろう。
 自然破壊や都市化の影響で、トキやコウノトリの二の舞にならないことを切に願う。いつか僕にもその声を聞かせてくれないものか。本当にトッキョキョカキョクと鳴くのなかなあ。

核廃絶へ

2009年04月07日 | Weblog
(朝刊より)
 「米国は、核保有国として、そして核兵器を使ったことのある唯一の核保有国として、行動する道義的責任がある」。昨日のオバマ米大統領のプラハでの演説の一節。
 広島、長崎への原爆投下から今年で64年。米国大統領が「道義的責任」を語り、核廃絶への決意を表明した。米国の指導者で「道義的責任」を云々したのは、おそらくオバマ氏が初めてであろう。来日の時には是非とも広島、長崎を訪問し、つぶさに惨状を見聞してもらいたい。
 オバマ氏は核兵器が存在する限り抑止力を維持できるとしながらも、「米国の安全保障戦略の中での核兵器の役割を減らす」と明言した。大量の核保有を正当化してきた軍事戦略を修正するということだ。他の核保有国も同じ検討に着手すべきだ。
 核兵器は存在そのもが危険だ。オバマ政権がそう考える背景には、核テロが差し迫った脅威になったとの認識がある。核テロを封じるための国際機関の創設、核物質を安全な管理下におくための体制づくり、核の安全管理に関する首脳会議、などを提案した。
 こうした手段を尽くしても、核廃絶への道は険しい。「私が生きている間は不可能だろう」とそのことを認めたオバマ氏だが、しかし、「あきらめることは簡単で、そして臆病なことだ」と、行動への決意を強調した。(「私が生きている間」に核廃絶を実現してもらいたいと願うのは時期尚早であろうか。)
 オバマ政権が打ち出した核廃絶構想に日本が協力できることは多いはずだ。

野沢一

2009年04月06日 | Weblog
 昭和の初め頃に、甲府盆地の南、標高1170メートルの山中の四尾連(しびれ)湖畔に掘っ立て小屋を建て、6年間程独居生活をした野沢一は、『木葉童子詩経』という一冊の詩集を残した。この詩人は余り知られていないと思う。徒然想で取り上げたことがあるが、もう一度彼の詩の一つを味読しておきたい。
 
 夜の小屋
 蟻よ
 よく参りたりな
 春の夜 ぼくの寝顔を見に来たのかな
 蟻よ よく参りたりな
 ぼく ゆかにねて
 夜の雨を聴いている
 蟻よ よく歩きまわるよ
 知るや
 汝(な)れの歩めるところは
 僕の顔にして
 あごを渡り
 頬をすぎ
 鼻のところにためらいて
 又、再び頬を下るを
 蟻よ 知るや
 春の夜に牀(ゆか)にねて
 なれに慰めらるる
 この貧しき貧しき人の子を

(真似の出来る生活ではないが、彼の気持ちは何となく分かる。今の世の中、効率を求めて急ぎすぎるのだ。)

アヤメ(菖蒲)

2009年04月05日 | Weblog
 一昨日、ホームページの画像掲示板に「イチハツ」という名前の美しいアヤメの写真を頂いた。アヤメ(菖蒲)については以前から他愛も無い疑問をもっている。
 アヤメ(菖蒲)にまつわる混乱は二つある。一つはショウブ(菖蒲)との関係。漢字で書けば変わらない。もう一つは「いずれがアヤメかカキツバタ(杜若)」の問題。
 ショウブはサトイモ科。五月の節句には厄除けのまじないとして、軒に差したり、風呂に入れたりする。昔は、この植物をアヤメと言ったそうだ。剣形の葉が美しく並びそろう様子を文目・綾目(あやめ)と呼んだかららしい。ところが、アヤメと同じように、剣形の葉で、しかも大輪の美しい花をつける植物があるではないか。これは花アヤメと命名された。
 やがて、中国の植物図録を見ながら和名と漢名を対応させる時に間違いが生じた。アヤメに菖蒲という漢名を当ててしまった。そして、花アヤメから「花」が取れて、アヤメと呼ばれるに至った。これが、アヤメ科アヤメ属のアヤメである。だから、昔の詩や書に書かれたアヤメはすべてショウブである。(ここまで書いている内に何が何だか分からなくなってきた。書いてから読み直そう。)
 次にアヤメ属内での混乱。まず生息地での区別が分かりやすい。アヤメは水辺を好まず、乾き気味の土地に生える。カキツバタはアヤメ属の中でも水を好み、池や湿地に生える。花や葉の違いで言えば、アヤメは外側の花びらに網目模様があり、カキツバタには中央に一本の白線がある。
 アヤメ属にはこの他に、各地の菖蒲園に改良品種のハナショウブがある。僕が出た高校に大輪の伊勢ショウブが植わっていた。

 僕んちの近くに「あやめ池遊園地」があったが、不景気で閉園になった。じゃじゃうまや雲隠れがチビの頃、よく遊びにいった所なのだが。「あやめ池」というからには、カキツバタが多く生えていたのだろうか。しかし花菖蒲のように見えたが。

「銃をバットに、弾丸をボールに」

2009年04月04日 | Weblog
(朝刊より)
 太平洋戦争に出征した日米の元軍人たちが集い、5日に広島市で開かれる日米元軍人友好ソフトボール大会に、同市内に住む被爆者ら8人が友情出場する。「銃をバットに、弾丸をボールに」という大会の趣意に共感した。
 大会は07年12月に日米開戦の地ハワイで初めて開かれ、被爆地の広島が2回目の舞台に選ばれた。ただ、日本側の参加者に広島市在住者がおらず、実行委が被爆後に高校球児として活躍した田村鋭治さん(77)に参加を打診。快諾した田村さんが当時の球児仲間らに声をかけた。
 45年8月6日、旧制県立広島一中(現・広島国泰寺高)2年だった田村さんは、爆心地から1.1キロで被爆。47年に中学に復活した野球部に入り、新制高校になった翌年秋にはエースとして中国大会へ出場し、準決勝まで進んだ。「被爆者と元軍人と、生身の人間同士が付き合うことで、お互いが平和のために力を出し合っていければいい。」
 誘いに応じた久保田さん(77)さんは、新制県立広島皆実高野球部の三塁手で、49年の夏に田村さんの学校と県代表の座を争った。爆心地から約3キロの自宅で被爆。右ひざには割れたガラスで切った傷が今も残る。久保田さんは「仲良く一日を過ごせれば十分」と言いつつ、付け加えた。「一緒にプレーしたことが、戦争のない世の中の実現に少しはつながれば。」

 いい話だ。大会の成功を祈らざるを得ない。

 野球関連で一つ追記。米大リーグ・マリナーズは3日、イチロー外野手を15日間の故障者リストに入れたと発表。開幕からの出場が不可能になった。球団ホームページによると、イチローは胃潰瘍と診断された。出血は止まったが、大事をとって休養させることにした。

伊藤まつを媼

2009年04月03日 | Weblog
(以下は徒然想に記したことがある。)
 颯爽とした本を読んだのでほんの一部紹介。

 「工場、工場と銭(ぜに)こ取ることばかり考えているから、米の味などわからね(ないべ)。花っこの本当の美しさもわかるはずね。心のないものを扱って、何が楽しいべ。」
 「おら、楽しがったなぁ。米作りは、子育てと同じ。農業者は楽しいよ。いまの人たちは、何を楽しいと思っているのかなぁ。」
 「この植物たちもみな、生命(いのち)と思想を持っているんじゃないか。」
                      (『まつお媼百歳を生きる力』草思社)
 98歳で逝かれた岩手県の伊藤まつを晩年の言葉。田舎での時代を先駆けた恋愛結婚。極度に辛かった農家の嫁つとめ、先に逝った夫の愛情を逝かれた後日記を通して知った感慨、ペスタロッチやルソーに教えられた生活改善運動。自叙伝『石ころのはるかな道』、詩集『白寿の青春』の著者でもあり、晩年になるほど輝いた媼(おばば)である。1993年没。
 真似のできる事ではない。真似のできる事ではない。

(今日はちょっと遠出してきます。)

柿の葉ずし

2009年04月01日 | Weblog
(以下は徒然想に記したことがある。)
 京都や奈良は海の幸に恵まれないから、古代から最寄の海から魚が運ばれた。若狭から京都に向かう道を鯖街道という。街道とまでは言われないが鯖の通った道が他にもある。熊野灘で獲れた鯖が険しい山道を二日がかりで吉野に運ばれた。その運搬の途中、防腐のために、まぶされた塩が道中に程よく鯖に染み込み、奥深い味が生まれた。吉野では、この鯖を薄く一口大の切り身にして、これまた二口大の握り飯の上にのせて柿の葉で包み、木箱に隙間無く入れ、石で重しをして、一昼夜寝かせた。こうして柿の葉ずしができた。柿の葉も防腐の役を果たすのだろう。
 僕は田舎育ちのせいか、パンなどより白米食が好きだ。それも、その白さが際立つ飯がいい。柿の葉ずしは、柿の青い葉を開けると薄い鯖の身と白い飯が現われる。その青と白の対比が何とも楚楚とした風情を醸す。こういう飯を食することに贅沢な幸せを感じる。遠き昔からの知恵も戴いているような気がする。
 各地に笹の葉で巻いた笹ずしがあることはよく知られている。ところが、福岡には、このしろと紅生姜をすし飯とともに柿の葉で包んだ柿の葉ずしがある。さて、福岡の柿の葉ずしと吉野の柿の葉ずしと、どちらが旨いのだろう。どちらも旨いと思う僕は我ながら欲深い動物だと思う。福岡の柿の葉ずしを食してみたいものだ。