Baradomo日誌

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独り言。

2008-07-23 | 子どもの視線・親の気持ち

思うに。

自分の子どもに向かって、「あれをやれ」「これをやれ」「勉強しろ」「運動しろ」と言うのは簡単なことだ。

言い続けることで子どもが変るなら、言い続けることで根性のある子どもに育つなら、言い続けることで親の期待通りに子どもの成績が伸びるなら、これほど楽なことはない。

しかし、毎日毎晩くどくど話をしたとしても、何故、そんなことを毎度毎度言うか、その「親の思い」も一緒に子どもの心に届けることができなければ、親子にとって望ましい未来が訪れるはずもなく、単なる徒労を繰り返すのみとなる。

これは自明だ。
少なくとも、過去の自分がその証拠。

にもかかわらず、自分の子どもにあれやこれやと言ってしまう。
俺はそんな親だ。

何故事あるたびに子どもを叱るか?

子どもが何事かを行った結果、失敗に終わったから?
否。そんな単純なことではない。
子どもが行った結果が失敗ならば、次回は成功するよう、何故失敗したのか、その過程を検証させる必要があるのだ。
学んで欲しいのはここだ。
検証すること。
なんのために?
同じ過ちを繰り返さないために?
否。
子ども自身が、自ら自分の人生を歩くためだ。
自分のやりたい事を自ら選択して、自らそれに向かって努力する、その方法は、日々の生活の中にあるから。

勉強すること、体を鍛えること、努力すること。
それらはすべて手段に過ぎない。
目的、いや、目標はその先にある。
目標に到達するための手段が日々の努力だ。

このことを子どもが自ら知るためには、子どもが自らこの単純な事実に気付くためには、自ら挑戦しなくてはいけない。
そういう心を持てるよう、仕向けるのが親の務めだ。

しかし、くどくどと毎日いろんな話をしても、子どもの中に「自発的に挑戦する心」の兆しが一向に見えてこない、ってことは、俺の対応が間違ってるんだろうなぁ。

せめて、こうやって思い悩んでいることだけでも、あいつらの心に届いてくれていれば、せめてもの救いになるんだが。

目先の「楽」に道草を食いたがる「怠惰な自分」と、その後ろに見え隠れしている「好奇心の塊みたいな自分」。

君達の正体はどっちだ?
いい加減、見せてくれないか?

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