Baradomo日誌

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たまげた

2008-07-16 | よしなしごと
たまげた。

清志郎の癌再発に驚いていたら、横浜ベイスターズ・バッティングピッチャーをやっていた石田文樹(いしだふみき)氏(41歳)が直腸がんで亡くなっていた。
1歳上だよ?怖いなぁ。

石田氏と言えば、今から24年前、桑田&清原擁するPL学園を逆転に次ぐ逆転でぶっ飛ばし、夏の甲子園で優勝した茨城・取手二高のエース。卒業後、早稲田にスポーツ特待で入学するも、水が合わなかったらしく速攻で退学。確か、早稲田大人間科学部だったかの最初の特待生だったんじゃなかったかな。
その後、日本石油を経て、1988年ドラフト5位で横浜大洋ホエールズ入団。
でも、プロでは1勝しかできず、4,5年で解雇されてからはずっとベイスターズのバッティングピッチャーを務めてきたそうだ。
聞くところによると、3月頃に微熱が続き、なんか腹イタイってんで医者に行ったら即入院、手術、となったらしいが、若いだけに進行が早かったのだろうか?

ベイのHPを見ると、石田氏について「当球団チームサポーター(バッティングピッチャー)」と書いている。
サポーターなんだ、バッティングピッチャーって。
知らなかったな。

茨城出身の俺にとって、あの時の「取手二高」は今でも「地元」のヒーローだ。
桑田&清原(同い年なんだよな)という「スポーツエリート」を「田舎のヤンキー」がぶっ飛ばしてしまった試合として、あの決勝戦はいまだに思い出すだけでアドレナリンが出る。
毎年のようにテレビ観戦している夏の甲子園だけれども、ハンカチ王子とまーくんが再試合したと言っても投手戦だし、松坂が三振の山を作ってもそりゃ個人記録にすぎない。
かろうじて昨年の佐賀北や、数年前の佐賀商あたりがとにかくチームワークで勝ち上がったチームだった、っていう程度。
投げるも打つも全力、は当然として、監督の用兵術含めて、「知力・体力・時の運」すべてぶちこんだ、心も体も頭も疲れる総力戦の決勝戦は、あれ以降見た覚えがない。
ちなみに、石田氏の代の取手二高チームの甲子園での戦績は下記のとおり。
1984春 ○8-4松山商 ○4-2徳島商 ●3-4岩倉
1984夏 ○5-3箕島 ○8-1福岡大大濠 ○7-5鹿児島商工 ○18-6鎮西 ○8-4PL学園(優勝)
夏は箕島ぶっ飛ばしたのみならず、九州勢とばかりやってたんだ。
この時の主力は近鉄に行った吉田氏、現住金鹿島監督の中島氏、地元下妻二高率いて甲子園まで行っちゃった小菅氏などなど。

そして、当時取手二高を率いていた木内監督は今年77歳。昨年秋から常総学院の現場に復帰している。
先日、茨城県予選1試合目に勝った後、こんな事を言っていた。
「マジックの仕込ができたな。弱い奴も使うことできたし。」
こんな台詞を吐ける監督、いないよ~。
そう言えば、取手二高で石田氏を指導したコーチは、今も木内監督と行動を共にし、常総のピッチングコーチを務めているそうな。
こちら御歳79歳だとか。
「甲子園には魔物がいる」とはよく言うけれど、常総の相手チームにとっては「あっちのベンチに妖怪がいる」って感じだろうな。
今年は常総が出てくるかな?それとも霞ヶ浦?いやいや、イタリアで文化財に落書きして監督が首になった某私立?

一方、石田氏のご長男(高二)が神奈川県予選に参加しているそうだが、石田氏ご自身は長男の投げる姿を見ることなく逝ってしまったそうだ。
ちょっと早すぎるよね。

とにかく、ご冥福を祈りいたします。

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