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スピリチュアルの“ジャッジしない”は言葉足らず。

2022年07月19日 | シリアス
【自分をゆるす、が「自分は悪くないーっ!」になってないか?】

前回記事(→・自分をゆるす狂、感謝狂なんてのもある。)と関わりのある話。

スピリチュアルでは鉄板フレーズとして

「全ての執着や苦しみはジャッジするから存在する。

 自分にも他人にも一切のジャッジをやめれば執着も苦しみも存在しえない」

…みたいなのがある。

カタカナ言葉が出てくるのは、海外スピリチュアリストの意見が初期だったからなのかな。

ジャッジ=jadgeとは審判員・審査員・判断・審判・審査、という意味ですがカタカナ語としては

・批判する

・糾弾する

・正か誤か(or善悪or白黒)決める

こんな意味で解釈されるでしょう。

今(2022年)はっきり思うけれど、ジャッジを手放せば幸せになれる~なんて言葉足らずすぎますわ

「ジャッジを手放すにはどうすればいいんですか?!」

という質問にきちんと答えたり解説してくれているスピリチュアル本を私は読んだことがない。

「ただ手放せばいい」

でごり押しスルーされるか

「ほら、それがもうジャッジですよ!」

とよくわからんお前が間違ってる論になってるものばかり。

「ジャッジしない」

の派生に、近年日本で大受けした

「自分で自分をゆるすのが大事。

 自分が自分をゆるせば、他人なんて関係ないんです」

論がある気がする。

相手がある問題の時は自分だけじゃダメでしょ。

「自分をゆるします」

なんてキラキラスピリチュアル実践してるようで、現実には謝りもせず説明もせず

「自分は悪くないーっ!!!!」

と威嚇してる例のなんと多いことか…。

私は、

「自分をゆるします」

って、自分で自分の中にわいてくる様々な感情や思考をしっかりと受け止めるってことだと思う。

口先だけじゃない、練習しないとできない作業です。

そして

「ジャッジしない」

とは、この世の二元論(善悪・正誤・白黒など)で抑えきれない複雑だったり単純だったりする人の心があるのだと

「まずは自分で自分の感情・思考を受け止めた先に」

受け入れること。

その先に

「自分だけじゃなくて他人にも心があるんだ。

 心は誰かに強制できるものじゃないんだ」

と理解して生きていくことかな…と現時点では考えています。


心というめんどくさいけれど愛おしいものを大切に扱わないかぎり、

「自分をゆるす」



「ジャッジしない」

も幼稚な自己弁護と他者への誹謗中傷にしか使えないんじゃないかなー。

大人になってしみじみ思うんだけど、青年どころか中年~高齢者になってもいつまでも小学生みたいな幼稚ないじめが存在する。

これって、各々が

「まず自分の心と向き合ってみる」

という発想がない、練習したことがないから出来ない、ゆえに起こってる悲劇かもなと思うのです。

実際、烈火のごとく怒って、あるいは恨んで残虐なことやらかす人に

「自分の感情・思考をちゃんと受け止めてできれば言語化する手伝い」

をやってみると、スーン…と落ち着くこと多数なんだもの(笑)。

何年も何年もしつこくしつこく苦しめてた何かがちゃんと“過去”になったりしてさ。

スピリチュアル用語使って書けば、インナーチャイルド大暴れ状態だったけどちゃーんとインナーチャイルドと向き合って話し合ったら暴れなくなって本人に平静な精神が宿った…ってとこかな。

心・感情・思考を無視して一足飛びに悟りにはいけませんわ。

人生に飛び級はなかなか存在しない…のかな?







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