シャドウピッチング

活字が好きじゃなかった私も、なぜか文章を書きたくなってきた。これも歳なのか。。。

ボクシングの世界チャンピオンはいつ頃から増えてきたのでしょうか? その2

2011年02月12日 00時02分47秒 | 出来事・思うこと
過去のチャンピオンの人数を年別に調べてみました。
こうしてみてみると、1992年以降は世界チャンピオンが複数人安定していますが、それ以前は山あり谷あり。具志堅用高選手が13回防衛を続けていた5年間のうち、具志堅選手を入れて2人以下の年が3年もありました。具志堅選手が強すぎたので、目立たなかったのか、、、。
(具志堅用高選手は1976年10月10日 - 1981年3月8日王座に君臨していました)
そして1988年11月。井岡弘樹選手がミニマム級のタイトルを失ってチャンピオンはゼロに。。。。
この頃は、チャンピオンの数が少ないと言うこともありますが、多くの選手が挑戦しことごとく負けていた。しかも、印象として『ここで行け』と言う場面でほとんど行けない、行かないシーンが多かった記憶があります。で、判定でも負け。


ところが、鬼塚、辰吉と言うスーパースターが誕生する90年代に入って、ノーガード、打たれてもその分相手をぶちのめす、みたいなスタイルも出てきて、徐々にチャンピオンも増えていった。
なぜ、そう言う人材が出てきたのか?それが以前から不思議でした。
そもそも、数あるスポーツで何でボクシングを選んだのか?とか。。そのボクシングで、ある時代からここぞと言う時に攻められなくなった日本選手。それがどうして変わったのか?


まあ具志堅選手の頃の攻め方はさすがに違いますけどね。相手がダウンして倒れてもその上からまだこれでもかと殴りつけるすごさ。
昨日の井岡選手の世界戦の後にも、カンムリワシ伝説として放送していましたが、レフリーも今よりも制止に入るのが遅いですね。フラフラになっていても倒れなければ止めに入らない。凄まじいシーンが多いです。
ちょっと長いですが。。。。



また、逆にパンチ力は今のほうが数段上のようにも感じます。
昨年の長谷川穂積選手の2階級制覇した試合。長谷川選手は凄かった。。全部のパンチを全力で打っている感じ。最終ラウンドまで全力でした。凄かった。今日本人チャンピオンではやっぱり長谷川穂積選手でしょ 
その長谷川選手も家庭では鬼嫁と呼ばれている素敵な奥様の尻にひかれていると行列ができる法律事務所では笑われています。でも、仕事であるボクシングでは物凄い集中力と覚悟の攻め。
そう言う人材が増えてきて、いつしかチャンピオンは歴史的にも一番多い時代になっています。


とは言え、一人だけではゴールデンを張れるほどの魅力がないのか、ダブルタイトルマッチ・トリプルマッチなど、昔では考えられない贅沢なマッチメイクがされています。しかも、テレビ放送は生放送ではなく編集されたものに。編集放送は緊張感がないんですよね。特にボクシングのような番組は。。ああ、もうすぐ終わるな。。ってわかっちゃう。
また、LIVEの場合は試合終了後はインタビューもなしで、はい放送終了。ひどすぎます、TBS。


とまあ、強いチャンピオンは出て来るようになって今後も期待はできるものの、テレビ放送は視聴率を追うだけの地デジ枠では満足な試合は見られそうもなし。
新人トーナメントや日本タイトル戦など、昔あったダイアモンドグローブのような番組で若い選手から育てるような環境ができると良いなと思いますね。


で、結局日本人選手の何が変わったのか?

見ていて感じるのは、衣食住が厳しく、生きるためにボクシングをしていた時代から、自分が自分として『活きる』ためにボクシングを選んで戦う時代になったのかな。そして、勝つ強い精神力を持った選手が増えてきた。西岡利晃選手は、まさにそう言う選手ですね。
じゃあ、なんでそう言う気持ちを持つ選手が増えてきたのか???単純じゃないな。

少なくとも、ボクシングに八百長はないです。
愛すべきスポーツです





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