同年10月には第1回佐賀県民体育大会が佐賀市で開催されること隣、郡体協では各競技種目別に予選会を行った。その後、この予選会は毎年行われ、郡体協の最大の事業となった。当時は施設が整っておらず、屋外競技は学校のグラウンドを借りたり、室内競技は講堂をにわか造りの体育館にして消化したという。
昭和26年(1951)に県教育委員会西松浦教育事務所が開設され、郡体協の事務局はそこに同居し、書記1名を配置した。昭和27年(1952)の第5回県民体育大会では、山代町「川南野球チーム」が郡代表として出場して見事優勝した。同チームは佐賀県代表となり全国大会に出場したという記録も残っている。このころになると、郡体協の下部組織である各町村の体協も公民館とタイアップして町村民体育大会を主催したり、球技大会や町村内の一周駅伝などを催して、社会体育の基礎づくりに寄与した。(続く)
昭和26年(1951)に県教育委員会西松浦教育事務所が開設され、郡体協の事務局はそこに同居し、書記1名を配置した。昭和27年(1952)の第5回県民体育大会では、山代町「川南野球チーム」が郡代表として出場して見事優勝した。同チームは佐賀県代表となり全国大会に出場したという記録も残っている。このころになると、郡体協の下部組織である各町村の体協も公民館とタイアップして町村民体育大会を主催したり、球技大会や町村内の一周駅伝などを催して、社会体育の基礎づくりに寄与した。(続く)
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