後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

満開の小金井公園の櫻花の下で弁当を食べる

2018年03月28日 | 写真
今日は本当に満開でした。家内が作った散らし寿司の弁当を娘もまじえてゆっくり食べて来ました。
平日なのでベンチも空いていて桜を見ながら弁当を食べるのは格別でした。
目を細めて見ると桜花が横に広がり春霞のようです。
写真をお楽しみ頂ければ幸せです。









満開の枝垂れ桜の写真をお送りします

2018年03月28日 | 写真
広い多摩墓地には桜の木が沢山植えてあります。満開の桜のトンネルが何本も縦横に走っています。
春の陽に輝くソメイヨシノの並木は圧巻です。
その桜並木の中に一筋だけ枝垂れ桜だけを植えた道があります。
満開の枝垂れ桜を撮ったばかりの写真をお送りします。お楽しみ頂けたら嬉しく思います。









石山 望著、「老いの効用」、そして私の読後感

2018年03月28日 | 日記・エッセイ・コラム
思い切って、電話の番号を丁寧に押した。でも、内心は心配であった。
何しろ、最後に話してから30年くらいは経っている。どういう対応をされるであろうか。電話番号が変わっているかもしれない。または、状況がコロリと違っているかもしれない。全く、知らない人が出てこられるかもしれない。
お目当の人が出てこられても、会話を拒否されるかもしれない。いいところ、会話はできても、非常に冷たい反応が返ってくるかもしれない。
私、日本を出てから42年。
しかし、その前の京都での数年間は、口にするのも憚られるほど、実に荒んだ生活をしていた。
その時は、阪急沿線の東向日に住んでいた。別に勤めていた訳でもないのに、四条河原町までの定期を買い、夜な夜な、繁華街に繰り出し、飲み歩いた。そして、終電車に乗り遅れると、4時間くらいかかって、歩いて帰った。
まあ、タクシー代など持っていないし、また、そんな生活をしていた自分を懲らしめるという意味もあったであろう。
その様な泥沼の生活に身を任せるということには、勿論それなりに理由があった。一生に一度の大恋愛があったのもこの頃のことである。酒は昼からでも飲んでいたし。
当然のことながら、そういう生活を送っていれば、いろんなところで、帳尻が合わなくなるものである。
人様に、そしてこの自分に嘘をつき、自分をまっすぐに見つめるということをしないで、いつも酒で、頭をボヤ〜ンという状態にしていた。
それやこれやで、失敗に失敗を重ね、人様に多大のご迷惑をおかけした。挙句、自ずと「あの人は、訳のわからない人」という風評がたってしまい、多くの方が私の許を去って行かれた。事情はわかるけれど、とても寂しかった。
「四面楚歌」とは、正にこのことである。
その時、私の悩みを打ち明けられる人など、どなたもおられなかったので、無期限のヨーロッパ放浪の旅に出ることにした。人生を一からやり直すために、、。
今日お電話したのは、私がその頃に知っていた女性である。
女性といっても、彼女その時まだ中学生。可愛らしく、またしっかりした子であった。
私の不埒な私生活とは裏腹に、私、この子の家庭教師をしていた。
彼女のみならず、彼女の兄弟二人の面倒も見ていたので、彼女のご家族とは縁が深いということになる。
このご家族の皆様には、いろいろお世話になった。また、ご迷惑をおかけもした。
今、手をついて謝りたいくらいであるが、ご両親は遠におられない。
しかも、私、その後、突然、日本を離れ、帰って来なかったのであるから、皆様、さぞ、訳のわからない思いをされたことであろう。
嬉しいことに、今日、彼女と喋る前に抱いていた「懸念」は「杞憂」に終った。彼女、とても喜んでくれた。
彼女、目下60歳。結婚歴があり、ご主人はだいぶ前に亡くなったのだという。また、私も知っている彼女の兄は、若年性の認知症で、施設に入っておられるのだそうである。
もちろん、私、これらのことは何も知らなかった。驚いた。
時は流れ、人生は流転する。
人は必ず老い、機能は劣化する。しかし、その代り、いろんなことが鮮明にわかってくるというのも事実である。これが、「年を取る」ということかも知れないと、私は密かに思っている。
今年もまた、日本に帰る。実に久しぶりに、枚方に行き、彼女に会うのを楽しみにしている。お兄さんを連れ出し、食事に行く。
私、毎年日本に行くのは、いろんな方々にお会いするためである。このように「旧交を温め」、「懺悔」そして「近況報告」をするためである。
近年、非常に永い空白の年月を経て「旧交を温めた」方が他にも何人かおられる。何れも京都でのこと。私の懸念に反し、どなたも、私との再会を殊の外喜んで頂いた。今年もまたお会いする。どなたも、何がしかの問題を抱えておられるけれど、一所懸命に生きておられる。
「年を取る」ということには、悪いことばかりあるのではない様である。(終り)
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私の読後感;
石山 望さんはインターネットで知り合った方です。何度も私の記事に好意的なコメントを下った方です。親しくなりました。
礼儀正しく知性にあふれた紳士です。長らくイギリスに住んでいます。人間的に信頼し、東京でも何度かお会いしました。
上の石山さんの文章を読むと、嗚呼、生まれ育った京都を離れイギリスに行って良かった。本当に良かったと思います。
彼はイギリスに行ったおかげで幸せになれたのです。京都を離れなかったら彼の人生は不幸だったでしょう。イギリスの文化が彼を救ったのです。
彼の書く文章は日本の文化を鏡のように映し出します。イギリスの文化を写しだします。
私の趣味は比較文化人類学です。それで石黒さんへは何度かこの欄にご寄稿を頼んで来ました。
以下もそのようなものの一例です。抜粋だけをお送りします。
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石山 望著「ノーベル賞のカズオ イシグロ、 石黒一雄さんのイギリスでの評価」
2017年11月29日 掲載

先日、ニューズで知ったのですが、カズオイシグロ(Kazuo Ishiguro, 石黒一雄)さんが、文学部門で、今年のノーベル賞をもらわれたとのこと。
まずは、おめでとうございます。
この方、日本人ですが、5歳の時、家族と一緒に渡英。それからずーっと、62歳の今まで、英国住まいですから、国籍は英国ですし、思考様式も気質も、ほぼ英国人のそれです。奥様も英国人です。
でも、ご本人は、日本人の部分が少しあると仰っています。まあ、さしづめ感性がそうでしょうね。
代表作そして出世作「日の名残り(The Remains of the day)」で、ブッカー賞(日本の芥川賞にあたるもの)も貰っておられますし、当地では、よく知られた作家ですので、今度の受賞は、驚くに当らないというところでしょうか。
従って、彼の受賞に対する国民の反応も、淡々としたものでした。
その日のTVニューズでも、イシグロさんの受賞のことに関しては、最後の方に、アナウンサーが少し述べただけという、。
一体、この国では、ノーベル賞受賞者が出たからといって、あまりとやかくは言いませんね。ましてや、ノーベル賞受賞者を、神様扱いにするということは決してありません。
私、英国のこういうところは、とても好きです。・・・以下省略
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さて今日の挿し絵代わりの写真は文章の内容とは関係ない「江ノ電」にまつわる風景写真です。先日、鎌倉生まれの家内が懐かしがって撮った写真です。
石山さんの文章を読んでいると昔の日本人の善さが滲み出ているような感じがします。それで私は古風な江ノ電の風景写真を思い付いたのかも知れません。江ノ電は昔の電車で鎌倉から江の島へ行く電車です。終点は東海道線の藤沢駅です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)