今より75年前の12月8日に日本軍は真珠湾を奇襲攻撃し、アメリカの誇る太平洋艦隊を攻撃しました。それが太平洋戦争の始まりです。
今年はオバマ大統領が広島の原爆慰霊碑に献花しました。そして安倍総理とオバマ大統領が揃って真珠湾攻撃の犠牲者のハワイでの慰霊式に参列する予定です。
これで日本とアメリカの真の和解が出来るとマスコミが報道しています。
「真珠湾」「真珠湾」と何度もマスコミに出ているので、それを見た多くの人は、開戦と同時に、英国領だった香港、シンガポール、マレーシア、ビルマなどを日本軍が武力占領したことを忘れてしまっています。
その上、オランダ領のインドネシア、ボルネオも占領し、アメリカ領のフィリピンでは激戦をしてマッカーサーをオーストラリアに敗走させたのです。
日本はアメリカを怒らせただけでなく、イギリス、オランダを怒らせ、大規模な太平洋戦争になったのです。
一方、フランス領だったベトナム、ラオス、カンボジアは真珠湾攻撃の前年に占領してしまっていたのです。
当時の日本の経済力や工業力を考えればこれほど無謀なことはありません。
当然、アメリカは日本中の都市を焼け野原にして1945年9月2日に太平洋戦争は正式に終了したのです。
終戦間際にアメリカの要請でソ連が満州、樺太、千島列島へ侵入し悲劇をさらに大きくしたのです。
太平洋戦争の開戦は真珠湾攻撃だけでは無かったのです。同時にアジア諸国に戦争を拡大したのです。
あまりにも無計画、戦略性の欠如、国際外交の大失敗などの多くの反省すべきことを残し大日本帝国は壊滅してしまったのです。
最近のマスコミは「日米の真の和解」とお祝いムードですが、何か軽薄な感じがします。
そこでこの大きな悲劇がどうして起き、戦争がどのように進んで行ったかをもう一度、簡略に示しておきます。
(1)開戦に至るまで(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8 より抜粋しました)
1937年(昭和12年)7月7日に始まった日中戦争(支那事変)によって、日本は満州事変以来の日本の中国占領を急速に進めていました。
これを警戒する英米仏と日本の関係は急速に悪化したのです。
そしてアメリカ合衆国は航空機用燃料・鉄鋼資源の対日輸出を制限し、日本の締め上げたのです。
それでも日本は中国から撤退しません。
それどころか日本は、ヨーロッパにおいて第二次世界大戦を始めたドイツ・イタリアと1940年に日独伊三国軍事同盟を締結します。
そしてドイツに協力的なフランスの政権と合意し、仏領インドシナへ進駐したのです。
怒ったアメリカは石油輸出全面禁止などの経済封鎖でこれに答えます。
その後数度にわたる日米交渉も難航し、アメリカは1941年(昭和16年)11月26日、ハル・ノートを日本側に提出します。
これを最後通牒と理解した日本は、12月1日の御前会議で日米交渉の打ち切りと日米開戦を決定したのです。
12月8日、択捉島からハワイ真珠湾へ向けて出撃していた大日本帝国海軍連合艦隊は真珠湾攻撃をしました。
(2)開戦後の東南アジアの武力占領の経緯
12月8日;
日本、英米に宣戦布告(太平洋戦争(大東亜戦争)開戦)。 開戦の詔書(米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書)が発せらます。
真珠湾攻撃と同時に、日本軍は、英領マレー半島のコタバル、タイ南部のパタニとシンゴラ(ソンクラ)に上陸(マレー作戦の開始)。広東省から英領香港攻撃開始(香港の戦い)。
同じ日に中華民国国民政府、日独伊に宣戦布告。
米領フィリピン上空で航空戦(フィリピンの戦いの開始)。
12月10日 マレー沖海戦。グアムの戦い。日本軍、ルソン島北部(アパリ、ビガン)上陸。グアム、タラワ、マキン占領。
オランダ、日本に宣戦布告。
12月11日 日本軍、ウェーク島攻略失敗(ウェーク島の戦い)。
12月12日 日本軍、香港九龍市を制圧、英軍は香港島へ逃走。
12月15日 日本軍、ペナン島占領。
12月16日 日本軍、マレー半島アロールスター占領。
12月16日 日本軍、北ボルネオ(コタキナバル)に上陸。
12月16日 戦艦「大和」が竣工。
12月20日 日本軍、フィリピンミンダナオ島ダバオに上陸。
12月21日 日本政府、タイと攻守同盟を締結(日泰同盟)。
12月23日 日本軍、ウェーク島占領。
12月25日 日本軍、香港島を制圧、香港のイギリス軍降伏。
1942年(昭和17年)[編集]
1月2日 日本軍、ルソン島マニラを無血占領。
1月8日 連合軍、タイ攻撃開始。
1月11日 日本軍、マレー半島クアラルンプール占領。
日本、オランダに宣戦布告。
1月15日 日本軍、英領ビルマ(現ミャンマー)攻撃部隊がタイに集結。
1月23日 日本軍、ニューブリテン島ラバウル占領。
1月24日 バリクパパン沖海戦。
1月25日 タイ、英米に宣戦布告。日本軍、バリクパパン占領。
1月27日 エンドウ沖海戦。
1月31日 日本軍、タイからビルマ侵攻開始。マレー半島ジョホールバル占領。
2月 アメリカ人スティルウィルが中国国民党軍参謀となる。
2月1日 日本軍、シンガポールの石油施設を砲撃。米機動部隊、マーシャル諸島来襲。
2月4日 ジャワ沖海戦。
2月7日 日本軍、シンガポール北東のウビン島に牽制上陸。
2月8日 日本軍、シンガポール北西海岸より上陸(シンガポールの戦い)。
2月14日 日本軍、蘭領東インド(現インドネシア)スマトラ島パレンバンを落下傘部隊で占領。
2月15日 シンガポールの英豪軍が降伏。
以下省略します。
毎年12月8日がめぐって来ると私は真珠湾攻撃と同時にアジアの諸国での米・英・オランダとの戦いを想うようにしています。
アジアの国々を戦争に巻き込んで多数の犠牲者が出たのです。
そして玉砕していった日本軍の将兵や戦没者に想いを馳せます。
中国大陸では何百万人から何千万人の犠牲者が出たのです。何という大きな悲劇だったのでしょう。
12月8日は真珠湾だけの日ではないのです。アジア全域での戦争拡大の日なのです。
頭を垂れてこの大きな悲劇を想う日です。
昨日はそんなことを想いながら東久留米市の石塚園芸の温室の中でシクラメンの花々の写真を撮っていました。
平和の大切さを願う写真としてお送りいたします。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)