まえがき、
この欄ではいろいろな方々に原稿をお願いして記事を書いて頂いています。
今回はフランスやドイツに長く住んで子育てを経験したEsu Keiさんに寄稿を頼みました。ご主人の仕事のため1974年から1984年の間滞在しました。
日常の生活で感じたことを飾らず素直な、そして読みやすい文章で綴ったものです。
連載の第6回目は、「緊急事態 SOS」です。日本の病院の緊急体制を考えさせられます。
お楽しみ頂けたら嬉しく思います。
====「パリの寸描、その哀歓(6)緊急事態 SOS」、Esu Kei著=======
私の歯はひどく弱い。20代の始め頃に病気をして、入院手術して数か月後に、それまでは質の良い歯だと折り紙つきだった歯が一挙にボロボロになってしまった。親戚の外科医によれば手術の影響ではないかと言われている。歯ばかりでなく、いろいろな症状も出ていたからありうることらしい。元々は歯は丈夫で、子供のころから虫歯になど一度もなったことがなかったから、磨き方もそれほど念入りであったわけではないし、それが祟ったということもあろう。丁寧な歯医者さんの治療のおかげでよくなったもの、「歯で苦労しそうな人だな」という医師の予想通り、結婚して子供ができた頃からまた急激に歯が悪くなった。引っ越す先々で、いろいろな国のいろいろな歯医者さんのお世話になることになった。上手な人ばかりではない。
フランスにいた頃のこと、歯科に通っているにもかかわらずどうにも具合が悪い。歯が良くならず、ひどくなっているような気さえして、医師を変えるべきかどうか迷っていた。治療が痛い上、治療後の痛みで食事が取れないことが多く、医師に言うと、虫歯が進んでいるので我慢してもらうしかないという。ある日、別の患者さんが居合わせたことがあって、その人が、「こんな治療受けられない、帰ります。」と怒っているのを見て、やはりと思った。
夫の会社のマダム・ムリエに話すと、優秀な歯科医を紹介するといってくれた。歯科医としてはもちろん、口腔外科医でもあるので信頼してよいという。少し遠いが、ちょうど9月からは次男も幼稚園に通うことになっていたので、思い切って変わることにした。
今回の医師は冗談好きな年配の人で、口髭を蓄え、余裕たっぷりに見える。
「確かにあなたの歯はとても弱いので少し苦しめることになるかもしれない。痛かったら天井まで飛び上がってよろしい」などと言いながら、治療は丁寧で、麻酔も殆ど使わないのである。もちろん治療中も一度も飛び上がることはなかったし、治療後もご飯が食べられないなんてことはなかった。
そんな医師の治療でも、痛くなるときはあった。ある日治療を受けた後、夕方までなんでもなかったのに、夜になって恐ろしく痛くなってきた。9時半過ぎのことで、もちろん診療時間はとうに終わっている。どくんどくんと顎の深部で何事か起きて、顎が壊れてしまいそうな痛みである。尋常の痛みではない。朝まで待てるというような痛みではないのである。大急ぎで電話帳を繰って、歯科のSOSドクターを探す。子ども達はもう寝ている時間だったが、夫はすっかりご機嫌に酔っ払っているので、タクシーを呼んでSOS医に飛んでいく。「これは、充填したところにガスがたまってしまったんだ。すぐ詰め物をはがしましょう。」と言って、したたかに麻酔を打って処置してくれた。少し休むように言われて、ソファで横になっているうちにすっかり眠ってしまった。医師が「眠れるくらいになったなら大丈夫だから、お帰りなさい。」と起こしてくれなかったら、朝まで眠ってしまったかもしれない。タクシーを呼んでもらって痛み止めと、かかりつけの歯科医あてのメモをもらって帰宅したのは深夜に近かった。
翌日、かかりつけ医に電話をすると、予約はなかったがすぐ来るようにといわれた。
SOS医のメモをもって、前夜の騒動を話すと、「それはかわいそうに。恐ろしい痛みだったでしょう。気をつけていても、稀にそういうことが起きてしまう。」熱を測って、「少し熱もあるようだ。」と抗生物質を処方され、歯はその日は殆どいじらず、「家に帰って、すぐ抗生剤を飲んで、今日はベッドで寝ているように。子ども達の面倒はご主人に見てもらいなさいよ。」カードに自宅の電話番号を書いて、「痛くなったら時間外でも、夜中でも遠慮せずに電話していいですよ。」と言ってくれた。もちろんそんなことは2度は起きなかったし、翌週のアポイントの時はすっかり元気になっていて、ご自宅の電話番号はお返しするのである。この歯医者さんにはフランスを離れるまでずっとお世話になった。
それにしてもありがたいのは各科のSOSドクターの存在だ。日本で夜中に我慢できないほど歯が痛くなったらどうすればよいのだろうか?救急車?それとも朝まで頬をおさえて唸りつつ待つのか?我が家では息子が脳膜炎をおこしたときにも、夜中にSOS小児科医のお世話になった。(続く)
今日の挿し絵の写真は記事の内容とは関係ありません。私の好きなマネーの油彩画3点です。
1番目の写真は「笛吹く少年」 1866年、161×97cm 、 オルセー美術館(パリ)です。
2番目の写真の作品は友人の女流画家ベルト・モリゾを描いた肖像画「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」(1876年)。
3番目の写真の絵画は「フォリー・ベルジェールのバー」です。
50歳を迎えた1882年、マネが晩年に残した最後の作品です。翌1883年、左足の手術が原因で同年4月30日にこの世を去ります。享年51歳。
エドゥアール・マネの人物像;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%8D
ギュスターヴ・クールベと並び、西洋近代絵画史の冒頭を飾る画家の一人である。マネは1860年代後半、パリ、バティニョール街の「カフェ・ゲルボワ」に集まって芸術論を戦わせ、後に「印象派」となる画家グループの中心的存在であった。しかし、マネ自身が印象派展には一度も参加していないことからも分かるように、近年の研究ではマネと印象派は各々の創作活動を行っていたと考えられている。
この欄ではいろいろな方々に原稿をお願いして記事を書いて頂いています。
今回はフランスやドイツに長く住んで子育てを経験したEsu Keiさんに寄稿を頼みました。ご主人の仕事のため1974年から1984年の間滞在しました。
日常の生活で感じたことを飾らず素直な、そして読みやすい文章で綴ったものです。
連載の第6回目は、「緊急事態 SOS」です。日本の病院の緊急体制を考えさせられます。
お楽しみ頂けたら嬉しく思います。
====「パリの寸描、その哀歓(6)緊急事態 SOS」、Esu Kei著=======
私の歯はひどく弱い。20代の始め頃に病気をして、入院手術して数か月後に、それまでは質の良い歯だと折り紙つきだった歯が一挙にボロボロになってしまった。親戚の外科医によれば手術の影響ではないかと言われている。歯ばかりでなく、いろいろな症状も出ていたからありうることらしい。元々は歯は丈夫で、子供のころから虫歯になど一度もなったことがなかったから、磨き方もそれほど念入りであったわけではないし、それが祟ったということもあろう。丁寧な歯医者さんの治療のおかげでよくなったもの、「歯で苦労しそうな人だな」という医師の予想通り、結婚して子供ができた頃からまた急激に歯が悪くなった。引っ越す先々で、いろいろな国のいろいろな歯医者さんのお世話になることになった。上手な人ばかりではない。
フランスにいた頃のこと、歯科に通っているにもかかわらずどうにも具合が悪い。歯が良くならず、ひどくなっているような気さえして、医師を変えるべきかどうか迷っていた。治療が痛い上、治療後の痛みで食事が取れないことが多く、医師に言うと、虫歯が進んでいるので我慢してもらうしかないという。ある日、別の患者さんが居合わせたことがあって、その人が、「こんな治療受けられない、帰ります。」と怒っているのを見て、やはりと思った。
夫の会社のマダム・ムリエに話すと、優秀な歯科医を紹介するといってくれた。歯科医としてはもちろん、口腔外科医でもあるので信頼してよいという。少し遠いが、ちょうど9月からは次男も幼稚園に通うことになっていたので、思い切って変わることにした。
今回の医師は冗談好きな年配の人で、口髭を蓄え、余裕たっぷりに見える。
「確かにあなたの歯はとても弱いので少し苦しめることになるかもしれない。痛かったら天井まで飛び上がってよろしい」などと言いながら、治療は丁寧で、麻酔も殆ど使わないのである。もちろん治療中も一度も飛び上がることはなかったし、治療後もご飯が食べられないなんてことはなかった。
そんな医師の治療でも、痛くなるときはあった。ある日治療を受けた後、夕方までなんでもなかったのに、夜になって恐ろしく痛くなってきた。9時半過ぎのことで、もちろん診療時間はとうに終わっている。どくんどくんと顎の深部で何事か起きて、顎が壊れてしまいそうな痛みである。尋常の痛みではない。朝まで待てるというような痛みではないのである。大急ぎで電話帳を繰って、歯科のSOSドクターを探す。子ども達はもう寝ている時間だったが、夫はすっかりご機嫌に酔っ払っているので、タクシーを呼んでSOS医に飛んでいく。「これは、充填したところにガスがたまってしまったんだ。すぐ詰め物をはがしましょう。」と言って、したたかに麻酔を打って処置してくれた。少し休むように言われて、ソファで横になっているうちにすっかり眠ってしまった。医師が「眠れるくらいになったなら大丈夫だから、お帰りなさい。」と起こしてくれなかったら、朝まで眠ってしまったかもしれない。タクシーを呼んでもらって痛み止めと、かかりつけの歯科医あてのメモをもらって帰宅したのは深夜に近かった。
翌日、かかりつけ医に電話をすると、予約はなかったがすぐ来るようにといわれた。
SOS医のメモをもって、前夜の騒動を話すと、「それはかわいそうに。恐ろしい痛みだったでしょう。気をつけていても、稀にそういうことが起きてしまう。」熱を測って、「少し熱もあるようだ。」と抗生物質を処方され、歯はその日は殆どいじらず、「家に帰って、すぐ抗生剤を飲んで、今日はベッドで寝ているように。子ども達の面倒はご主人に見てもらいなさいよ。」カードに自宅の電話番号を書いて、「痛くなったら時間外でも、夜中でも遠慮せずに電話していいですよ。」と言ってくれた。もちろんそんなことは2度は起きなかったし、翌週のアポイントの時はすっかり元気になっていて、ご自宅の電話番号はお返しするのである。この歯医者さんにはフランスを離れるまでずっとお世話になった。
それにしてもありがたいのは各科のSOSドクターの存在だ。日本で夜中に我慢できないほど歯が痛くなったらどうすればよいのだろうか?救急車?それとも朝まで頬をおさえて唸りつつ待つのか?我が家では息子が脳膜炎をおこしたときにも、夜中にSOS小児科医のお世話になった。(続く)
今日の挿し絵の写真は記事の内容とは関係ありません。私の好きなマネーの油彩画3点です。
1番目の写真は「笛吹く少年」 1866年、161×97cm 、 オルセー美術館(パリ)です。
2番目の写真の作品は友人の女流画家ベルト・モリゾを描いた肖像画「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」(1876年)。
3番目の写真の絵画は「フォリー・ベルジェールのバー」です。
50歳を迎えた1882年、マネが晩年に残した最後の作品です。翌1883年、左足の手術が原因で同年4月30日にこの世を去ります。享年51歳。
エドゥアール・マネの人物像;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%8D
ギュスターヴ・クールベと並び、西洋近代絵画史の冒頭を飾る画家の一人である。マネは1860年代後半、パリ、バティニョール街の「カフェ・ゲルボワ」に集まって芸術論を戦わせ、後に「印象派」となる画家グループの中心的存在であった。しかし、マネ自身が印象派展には一度も参加していないことからも分かるように、近年の研究ではマネと印象派は各々の創作活動を行っていたと考えられている。