人間はいつも矛盾を抱えて生きているものです。白黒はっきり出来ないのです。好きか嫌いかはっきりしていないのです。愛しているか憎んでいるのか分かりません。ましてや思想とかイデオロギーに関連したことは賛成か反対か明快に答えられないのです。その実例を3つ書いてみます。最近の私の悩み事です。うなぎの蒲焼、夫婦関係、靖国神社についてです。
@うなぎの蒲焼
今年はウナギの値段が急騰して手が届きません。家内と今年はウナギを食べないで夏を過ごそうと固く約束しました。
ところが先日銀座をぶらぶらしていたらウナギの老舗から良い匂いがして来ました。フラフラと近ずいて値段を見ました。あまり高くない値札がついています。持ち帰りのうな重を買って、家に帰り、家内と一緒に食べました。
あまりにもひどいうな重です。小さい蒲焼が一枚心細げに載っています。食べたらその味が不味いのです。パサパサしていてうなぎの味がしないのです。しかしご飯だけは滅法美味しいのです。すっかりガッカリして、うなぎが嫌いになってしまいました。
ところが車であちこちドライブしていると吉野家と「すき家」の前に、うなぎ丼と書いたノボリが沢山出ています。値段も驚くほど安いのです。
銀座の老舗の不味いうなぎを買って来て家内に面目をつぶしました。口ではありがとうとやさしく言っていますが、少し軽蔑している様子です。
そこでまず「すき家」のうな丼を買って来て家内と食べました。美味です。こうなると吉野家のも味を見たくなります。そうしたら、もっと美味でした。
皆様にも好き嫌いがあるでしょうから、両方食べて見て下さい。蒲焼が少し小さめなことを抜きにすれば美味しいうな丼です。
恰好よい言葉で言えば、どちらもそのコスト・パフォーマンスの良さで感激しました。吉野家偉い!すき家努力している!感動ものです。
そんなわけで今年の土用の丑の日はこの2軒のうなぎで過ごします。下に写真を示します。
上の2つは吉野家のうな丼です。左が650円、右が980円です。
左は「すき家」のうな丼です。780円です。
これにうなぎをもう一枚加えた特盛りは1180円です。
兎に角、本当にうなぎの味がします。ご飯も美味しい米を使っています。
2つの店の努力に敬意を感じました。
@夫婦関係
若くても年をとっても夫婦関係は微妙で、危険なものです。愛し合っているから余計問題が複雑になります。
その諸々の問題を書きだしたらキリがありません。そこで今日は老年期特有の問題を一つだけ書きます。
それは私の声がしゃがれてきて発音が明瞭でなくなったことです。その上に年を取るにしたがって幼少の頃の仙台弁が一層強くなってきたのです。
その事が夫婦喧嘩の原因になります。はっきり正しい発音でものをおっしゃってと家内が言います。なにせ東京育ちなのではっきりものをいうのです。
そこで東京言葉と地方の言葉には優劣が無いと私が比較文化論を堂々とくり広げるのです。相手は聞いていません。そして「せめてアクセントだけでも正しければ理解できます」と言います。喧嘩は私の負けです。口惜しいです。家内の耳も悪くなっているのです。
ところであなたの夫婦喧嘩の原因に「言葉の違い」は御座いませんか?無ければ幸せなご夫婦です。
@靖国神社問題
戦死した方々の霊を慰めているのが靖国神社です。その事を深く感謝している遺族からみると靖国神社は善い存在です。
しかし無理やり赤紙で召集され、食料の補給もなく南海の島で餓死し、遺骨も帰ってこなかった遺族にとっては靖国神社を素直に「善い存在」と思えるでしょうか?
靖国神社の善し悪しは、やはり直接的な関係のある遺族のお気持を大切にするべきではないでしょうか?
あまり関係の無い政治家や団体が自分のために利用するのは尊敬出来ません。
話は変わりますが、明治天皇を祀った明治神宮があります。東郷神社もありますし乃木神社もあります。国の為に戦って死んだ人々は皆等しく神様になるのです。
ですから靖国神社は戦死した日本人全てが等しく神様になって祀られているのです。
これは日本民族の宗教観です。やさしい考え方です。多くの遺族は慰められます。
ことしも英霊を呼びよせて、なぐさめる「みたままつり」が近づいて来ました。
しかし私は二つの疑問を持ちつづけています。
希望しない人は祀るのは止めた方が良いと信じています。それは欧米流の個人の尊重の考え方にもとづいた思想です。
もう一つは戦争で死んだ敵国の戦死者の霊も慰める慰霊碑もあった方が良いと思っています。現実にはすでに存在しているが私が見落としているのかも知れません。
この2つの問題はどうしても私の心に残ります。私は矛盾していますでしょうか?
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)