世界に誇る美味しい黒毛和牛のルーツは萩市の沖にある見島の「見島牛」です。
今日はこの「見島牛」にまつわる物語をお送りいたします。
山口県萩市から北西約45kmの沖にひっそりと浮かぶ小さな島が見島です。ここに生息する牛が見島牛です。離島であるが故、西洋種との交配を免れたことから和種としての原型と純血を保っていました。昭和3年、国の天然記念物に指定されました。高価な松坂牛や神戸牛もこの見島牛の子孫なのです。

1番目の写真はいわゆる黒毛和牛を飼育している牧場の風景です。(写真の出典は「和牛写真集」です。)
最近は日本の黒毛和牛が美味なことが世界中で有名になりました。ですから黒毛和牛は世界中で飼育されています。
特にオーストラリア、カナダ、アメリカで飼育される一部は日本へ逆輸入されています。
日本の大商社が日本へ輸入するために和牛の飼育をオーストラリア、カナダ、アメリカの牧場へ奨励したのです。その後、現地の人々が好んで食べるようになって黒毛和牛が美味なことが世界中で有名になったのです。

2番目の写真は和牛がオーストラリアから世界各国へ輸出されている経路を示した写真です。

3番目の写真はその和牛の肉の写真です。
これら外国産の和牛には松坂牛や神戸牛のようなブランド名がついていません。
外国では日本種の牛肉とか和牛と呼びますが、ブランド名はないのです。そこが日本産と外国産の違いです。
ところで、和牛と言っても、純粋の和牛など現在の市場に出回っていなのです。
三大和牛といって松坂牛や神戸牛や近江牛などは明治維新以来何度も体の大きい西洋牛と交配しています。要するに血統が正しくないのです。古来の和牛と西洋牛の雑種なのです。
本当に純粋な和牛を、「西洋種の牛の血が混じっていない日本古来の牛」 と定義すると、現在は2種類の牛だけになってしまいます。
萩市の沖合の離れ島の見島に生存している天然記念物の見島牛(みしまうし)と鹿児島県の離れ島に居る口之島牛だけです。
口之島牛は日本で唯一の野生(化)牛です。西洋種の影響を受けていません。
鹿児島県鹿児島郡十島村、トカラ列島北端の口之島に棲息する野生の牛で、トカラ牛の俗称があります。
大正7 - 8年(1918年 - 1919年)に同列島の諏訪之瀬島から導入された数頭の牛の子孫です。急峻な島の地形のために放牧地へ管理が行きとどかず、その肉は商品になっていません。
一方、見島牛は7戸の「見島牛保存会」の農家が純粋種を守り続け、食肉用として市場へ出荷されています。出荷されるのは年間12頭から13頭と言います。これこそが現在賞味されている全ての「霜降り肉」の元祖なのです。

4番目の写真は昭和4年の見島牛のセリ売りの様子を示す写真です。
見島牛は現在、萩市の「みどりや」という肉屋がネット販売しています。
(http://www.mishimaushi.com/concept/index.html 〒758-0057 山口県萩市大字堀内89番地)

5番目の写真は萩市の「みどりや」という肉屋の見島牛です。
さて日本では縄文時代から弥生時代の頃に野牛は家畜化が始まったとされ、牛の骨が多く発掘されています。
また、弥生時代の貝塚から牛、猪、鹿、野ウサギなどの肉を食料としていたと思われる出土品もあり、この頃から日本人は牛肉を食べ始めたと推測されます。
日本書紀や続日本書記には、牛や馬などの肉を食べることを禁止する令が出ていたため、弥生時代から奈良時代の千年ほどの間で牛肉が食されていたとされています。
そしてずっと後の時代に黒毛和牛は中国から朝鮮へ伝わり、そして見島へ伝わったそうです。やがて見島から日本全国へ伝わったとされています。
すると、「見島牛(みしまうし)」は「朝鮮牛」と呼んでも間違いがありません。
しかしこれも変な話です。中国の福建州や中国の東北地方の沿岸から直接日本へ運ばれてきた牛もいた筈です。それらは「中国牛」と呼ぶべきではないでしょうか?。
しかしもっと判然としないのは国産和牛とか黒毛和牛という表示です。国産和牛とか黒毛和牛というものには、外国で飼育されてから成牛のまま日本へ輸入され、ちょっと日本で飼育され、それから食肉として加工された牛肉も含みます。ですからスーパーで売っている黒毛和牛は外国で成牛になり、そのまま輸入されて日本で食肉として加工されたものが大部分です。
詳しくは、「国産牛と和牛・輸入牛の違い」、http://www.yamashin-beef.com/kokusan.html をご覧下さい。
今日は美味しい黒毛和牛のルーツとしての見島牛の物語を書きました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
今日はこの「見島牛」にまつわる物語をお送りいたします。
山口県萩市から北西約45kmの沖にひっそりと浮かぶ小さな島が見島です。ここに生息する牛が見島牛です。離島であるが故、西洋種との交配を免れたことから和種としての原型と純血を保っていました。昭和3年、国の天然記念物に指定されました。高価な松坂牛や神戸牛もこの見島牛の子孫なのです。

1番目の写真はいわゆる黒毛和牛を飼育している牧場の風景です。(写真の出典は「和牛写真集」です。)
最近は日本の黒毛和牛が美味なことが世界中で有名になりました。ですから黒毛和牛は世界中で飼育されています。
特にオーストラリア、カナダ、アメリカで飼育される一部は日本へ逆輸入されています。
日本の大商社が日本へ輸入するために和牛の飼育をオーストラリア、カナダ、アメリカの牧場へ奨励したのです。その後、現地の人々が好んで食べるようになって黒毛和牛が美味なことが世界中で有名になったのです。

2番目の写真は和牛がオーストラリアから世界各国へ輸出されている経路を示した写真です。

3番目の写真はその和牛の肉の写真です。
これら外国産の和牛には松坂牛や神戸牛のようなブランド名がついていません。
外国では日本種の牛肉とか和牛と呼びますが、ブランド名はないのです。そこが日本産と外国産の違いです。
ところで、和牛と言っても、純粋の和牛など現在の市場に出回っていなのです。
三大和牛といって松坂牛や神戸牛や近江牛などは明治維新以来何度も体の大きい西洋牛と交配しています。要するに血統が正しくないのです。古来の和牛と西洋牛の雑種なのです。
本当に純粋な和牛を、「西洋種の牛の血が混じっていない日本古来の牛」 と定義すると、現在は2種類の牛だけになってしまいます。
萩市の沖合の離れ島の見島に生存している天然記念物の見島牛(みしまうし)と鹿児島県の離れ島に居る口之島牛だけです。
口之島牛は日本で唯一の野生(化)牛です。西洋種の影響を受けていません。
鹿児島県鹿児島郡十島村、トカラ列島北端の口之島に棲息する野生の牛で、トカラ牛の俗称があります。
大正7 - 8年(1918年 - 1919年)に同列島の諏訪之瀬島から導入された数頭の牛の子孫です。急峻な島の地形のために放牧地へ管理が行きとどかず、その肉は商品になっていません。
一方、見島牛は7戸の「見島牛保存会」の農家が純粋種を守り続け、食肉用として市場へ出荷されています。出荷されるのは年間12頭から13頭と言います。これこそが現在賞味されている全ての「霜降り肉」の元祖なのです。

4番目の写真は昭和4年の見島牛のセリ売りの様子を示す写真です。
見島牛は現在、萩市の「みどりや」という肉屋がネット販売しています。
(http://www.mishimaushi.com/concept/index.html 〒758-0057 山口県萩市大字堀内89番地)

5番目の写真は萩市の「みどりや」という肉屋の見島牛です。
さて日本では縄文時代から弥生時代の頃に野牛は家畜化が始まったとされ、牛の骨が多く発掘されています。
また、弥生時代の貝塚から牛、猪、鹿、野ウサギなどの肉を食料としていたと思われる出土品もあり、この頃から日本人は牛肉を食べ始めたと推測されます。
日本書紀や続日本書記には、牛や馬などの肉を食べることを禁止する令が出ていたため、弥生時代から奈良時代の千年ほどの間で牛肉が食されていたとされています。
そしてずっと後の時代に黒毛和牛は中国から朝鮮へ伝わり、そして見島へ伝わったそうです。やがて見島から日本全国へ伝わったとされています。
すると、「見島牛(みしまうし)」は「朝鮮牛」と呼んでも間違いがありません。
しかしこれも変な話です。中国の福建州や中国の東北地方の沿岸から直接日本へ運ばれてきた牛もいた筈です。それらは「中国牛」と呼ぶべきではないでしょうか?。
しかしもっと判然としないのは国産和牛とか黒毛和牛という表示です。国産和牛とか黒毛和牛というものには、外国で飼育されてから成牛のまま日本へ輸入され、ちょっと日本で飼育され、それから食肉として加工された牛肉も含みます。ですからスーパーで売っている黒毛和牛は外国で成牛になり、そのまま輸入されて日本で食肉として加工されたものが大部分です。
詳しくは、「国産牛と和牛・輸入牛の違い」、http://www.yamashin-beef.com/kokusan.html をご覧下さい。
今日は美味しい黒毛和牛のルーツとしての見島牛の物語を書きました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)