後藤和弘のブログ

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中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「ジャンヌダルクは魔女ではなくイギリス側の異端裁判で処刑された」

2023年04月26日 | 日記・エッセイ・コラム
1337~1453年の、フランスが戦場になったイギリスとフランスの百年戦争の末期,フランスの危機を救った少女がジャンヌダルクでした。 この少女は 生来敬虔な性格でした。1412年い生まれ、 1431年に処刑されます。享年19歳でした。 フランス人の彼女は直接に神の命を受けたと確信し,フランスのシャルル7世の軍に参加しました。1429年にフランス軍を鼓舞してイギリス軍包囲下のオルレアンの解放に成功しました 。
この事件は百年戦争で劣勢に立っていたフランス側の態勢立直しの転機となったのです,このためジャンヌの名はフランスの歴史に長く国民的英雄として伝えられることになりました。しかしジャンヌダルクはイギリス側に捕えられ1431年の教会法廷で異端と宣告され,ルーアン市の広場で火刑に処せられた のです。享年19歳でした。
その後、再審が行われ,1431年の有罪判決は破棄 され,名誉が回復されましたた。さら時代は下り、 1920年ローマ法王によって列聖され,5月 30日がその祝日と定められます。
ジャンヌダルクはフランスでは救国の英雄ですがイギリスでは悪人です。イギリス軍の手に落ちて異端の魔力という宗教的な罪によって裁かれたのです。 
これもヨーロッパの中世の暗黒の事件でした。ジャンヌダルクの写真を2枚と枢機卿の尋問を受けるジャンヌ・ダルク の写真を示します。

1番目の写真はジャンヌダルクの写真です。

2番目の写真も少し印象が違うジャンヌダルクの写真です。

3番目の写真はポール・ドラローシュが1824年に描いた『ウィンチェスター枢機卿の尋問を受ける独房のジャンヌ・ダルク』です。(ルーアン美術館、ルーアン)

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