初夏の季節になりました。こんな季節には遥かな尾瀬の風景を思い出します。一時流行った尾瀬の歌を思い出します。『夏の思い出』という歌でした。1949年発表の日本の歌曲です。
NHKにて放送されるや否や、瞬く間に多くの日本人の心をとらえたものです。この歌のおかげで尾瀬(おぜ)の人気が高まり訪れる人が非常に多くなったのです。
私は1951年に高校に入学し、1954年に大学に入学したのでこの曲をNHKのラジオで何度も聞き、自分でもよく歌ったものです。当時は仙台に住んでいて、復興もまだまだで苦しい生活でした。はるかかなたの尾瀬などへ行くことは出来ません。
ですから尾瀬とか水芭蕉という言葉は憧れの夢だったのです。
写真雑誌で尾瀬の風景や水芭蕉の群落の光景を見てますます憧れが強くなったものでした。
『夏の思い出』の作曲は、『ちいさい秋みつけた』、『めだかの学校』などを手掛けた中田 喜直(1923-2000)で、父は『早春賦』を作曲した中田章です。
作詞は、新潟県上越市生まれの詩人・江間 章子(1913-2005)です。それでは歌詞を読んでみましょう。
「夏の思い出」
夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬(おぜ) 遠い空
霧のなかに うかびくる
やさしい影 野の小径(こみち)
水芭蕉(みずばしょう)の花が 咲いている
夢見て咲いている水のほとり
石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる
はるかな尾瀬 遠い空
夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬 野の旅よ
花のなかに そよそよと
ゆれゆれる 浮き島よ
水芭蕉の花が 匂っている
夢みて匂っている水のほとり
まなこつぶれば なつかしい
はるかな尾瀬 遠い空
大学時代には当時流行った「歌声喫茶店」などで、友人と一緒に何度も唄ったものです。
しかし尾瀬も水芭蕉も憧れのまま月日は流れ、あっという間に60歳を過ぎてしまいました。
その頃、少し人生に暇が出来たので国内の彼方此方を訪ねる旅に出るようになりました。
そうしたら北海道に行ったとき、はからずも水芭蕉の群落を見つけたのです。約50年近く強く憧れ続けていた水芭蕉の大群が眼前に忽然と現れたのです。
それは網走湖の出島という場所でした。レンタカーで網走湖の東岸を南下しながら、何の気もなく出島で右に折れ田舎道に入りました。そしたら網走湖に続く湿地帯に水芭蕉の一群が咲いていたのです。何十年と憧れていた水芭蕉に偶然会えたのですから感動しました。その風景を心に焼きつけました。
撮った写真を下に示します。

何年か後にこの場所を車で通りかかったのでまた田舎道に入って、車を停め、湿地帯に入って行きました。しかし季節が早すぎたので何もありません。雑木林の下に湿地が広がっているだけだったのです。しかし心に焼き付いていた風景を思い出しながらしばし散歩しました。
北海道の網走湖で偶然、水芭蕉の群落を見つけて以来、本州にもある筈となんとなく探していました。
そうしたら箱根の仙石原の湿性植物園にもあったのです。毎年、4月から5月にかけてかなりの数の水芭蕉が小川にそって咲いているのです。
そして水芭蕉の群落は尾瀬でも見つけました。
鳩待峠までバスで登り、登山道を下りて行くと尾瀬に1時間くらいで着きます。そこから木道を歩いていきました。確かに尾瀬は別天地でした。

2番目の写真は尾瀬の風景です。写真はインターンットからお借りしました。

3番目の写真は尾瀬の木道の周囲に咲ている花々です。キスゲとショウブです。インターンットからお借りしました。

4番目の写真はキスゲの拡大写真です。インターンットからお借りしました。
これで「夏の思い出」という歌の流行以来、50年以上も憧れていた尾瀬も水芭蕉も見てしまったのです。何故か人生も完成に近づいたような気分がなりました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)