goo blog サービス終了のお知らせ 

後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「ある陸軍士官学校卒業生の思い出」

2020年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム
昭和11年に生まれた私はGHQ指導の戦後教育を受けました。日本の軍国主義は悪いということを徹底的に教わりました。
その日本の軍国主義を作りあげたのが陸軍士官学校の卒業生たちだとも教わりました。ですから私は陸軍士官学校は悪い学校だったと信じていました。長い間そう信じていました。
ところが4年ほど前に陸軍士官学校の卒業生の方と直接知り合いました。非常に紳士的な方でしたのでお互いの家に招待して親しくなりました。陸軍士官学校の卒業生にこんな穏やかな紳士がいることに衝撃を受けたのです。
陸軍士官学校は悪い学校だったと長い間信じて私は動揺し、自分の浅薄な考えが恥ずかしくなったのです。

今日はその陸軍士官学校の卒業生の思い出を書いてみたいと思います。
その方は田中和彦氏と言います。現在97歳、陸軍士官学校第57期生です。
終戦の頃は陸軍中尉として戦闘機、隼(はやぶさ)に乗っていたそうです。陸軍士官学校入学は昭和16年以前でした。
彼は旧制の中学校を5年で卒業し、競争率24倍の陸軍士官学校に入学し、第57期生として卒業後、航空士官学校に転校しました。
航空士官学校では陸軍97式高等練習機で操縦訓練を受け、続いて隼(はやぶさ)という戦闘機で訓練を受けました。実戦には出撃しませんでしたが陸軍の戦闘機編隊を満州まで運ぶための渡洋遠距離飛行に参加しました。帰りは満州から朝鮮半島を縦断する長い汽車の旅だったそうです。隼の早さを実感したのです。
終戦の時は陸軍中尉でした。戦後は大学に入り、実業界で外資系会社の日本支社の代表取締役を歴任し、その後は自分で会社をつくり社長を18年間務めました。このような経歴を書くとぎらぎらした欲深い人間のように見えますが、田中和彦氏はあくまでも清廉で、実に温厚な紳士です。
ここで田中氏が乗っていた飛行機の写真を示します。

1番目の写真は操縦訓練を受けた陸軍97式高等練習機です。写真の出典は、
https://twitter.com/rikugun_kokuki/status/653429793506000896 です。
この飛行機の生産数は3710機で、陸軍練習機では最も多く、沖縄戦では多くの機体が特攻機として出撃している戦闘機でした。

2番目の写真は一式戦闘機、隼(はやぶさ)です。

3番目の写真も一式戦闘機、隼(はやぶさ)です。写真の出典は、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%BC%8F%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F です。
隼は陸軍の主力機として使用されます。総生産機数は5,700機以上で、旧日本軍の戦闘機としては海軍の零式艦上戦闘機に次いで2番目に多く、陸軍機としては第1位でした。

さて陸軍士官学校でどのような教育受けたのでしょうか?
田中和彦氏の話によると真珠湾攻撃後は急に修了年限が短縮され、教科の名前も戦術学、戦史、軍制学、兵器学などから「学」の字が削除され実戦向きの内容に変更されたそうです。教科内容も半分くらいに簡略化されたそうです。
しかし英語・フランス語・ドイツ語・ロシア語・中国語は最後まで教科の中にあり田中氏はロシア語を最後まで勉強していたそうです。
田中氏から私は陸軍士官学校の教育の内容を詳しく聞きました。教育の内容は悪いものではありません。
問題は明治維新以来の日本民族の富国強兵思想にあったのです。
日本人が武力こそが重要だと信じていたことに問題があったのです。日本民族の思考力の問題だったのです。
田中和彦氏の父上は陸軍少将で日中戦争で戦死しました。実兄は陸士53期で大佐でした。終戦直前に満州に雪崩れ込んだロシア軍を迎え撃って戦死しました。
陸軍少将だった父を毎朝当番兵が馬を連れて迎えに来ます。和彦氏は乗馬姿で出て行く父の姿を毎日見て育ったそうです。何も考えずに自然に陸軍士官学校に進むような家庭環境だったのです。

一昨日私は高齢者向けのホームに入っている田中和彦氏を久しぶりに訪問しました。コロナ問題でホームの建物には一歩も入れませんでした。顔見知りの親切な受付の女性が田中和彦さんは元気ですよと言います。安心して帰って来ました。
そうしたら昨日、田中和彦さんから鄭重な文面の葉書が来たのです。文字が分かり易く戦前の美しい日本語です。
私は田中和彦さんはやっぱり本物の紳士だと感じ入りました。そして和彦さんをそのように育てた母親が偉かったのだろうと思いました。
今日はある陸軍士官学校の卒業生の思い出を書いてみました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
初めまして。 (sachinotomo)
2020-04-16 22:39:50
陸軍士官学校という文字が目に入り、初めてブログを見せていただきました。私の父は陸軍士官学校出身でした。すでに亡くなり、今生きていれば103歳です。父は戦争で苦労をしたようですが、至らぬ娘の私はその事を話そうとする父を無視し、聞く耳を持ちませんでした。それを今、後悔しております。ですので、少しでも父に繋がる話があれば、今は興味を持ちます。そのような訳で、ブログを興味深く拝見いたしました。
返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。