昔、農村地帯の家々に行くと囲炉裏の上につるした藁束や室内の高いところに串に刺した川魚の干したものがありました。
都会から行った私にとってそれは何故か不思議でした。もしかしてその家の守り神かも知れません。あれは何ですかと聞くのもはばかれるような不思議なものでした。農村地帯ではそれがどの家にもあるのです。
現在は消えてしまいましたが懐かしい風景でした。あれから茫々70年、その正体が分かりました。横山美知彦さんが説明してくれたのです。
横山美知彦さんは家内が群馬県の下仁田町に疎開していた時の小学校の同級生です。
時々ご自分が書いた文集を送ってくれます。生まれは東京 板橋区ですが、6歳の時に下仁田町へ疎開しました。やがて富岡高校へ進学し、東京の会社で働いて定年後にまた故郷の下仁田にもどって悠々と暮らしています。
文章がゆったりとしていて読む人の心を鎮めてくれます。心地よい文章なのです。以前にもこのブログに以下のように3回、掲載してご紹介したことがあります。横山美知彦著「おきりこみ」・・・手打ち煮込みうどんの思い出、横山美知彦著「おきりこみ」・・・手打ち煮込みうどんの思い出(続き)、横山美知彦著、「若き日のある危険な山の思い出」
今日は「風吹かし(かざぶかし)」という小文を以下にご紹介いたします。
====横山美知彦著、「風吹かし(かざぶかし)」========
中学生の頃、近くの川で獲った魚(はや、かじか、鮎等)を手製の串に刺し炭火で焼く。
それを部屋内の間仕切りの梁と壁の僅かな隙間を利用して、串を突き刺し乾燥させる。
また麦わらを直径10cm程に束ねて、串のささる簡単な自然乾燥器を作り、天井からひもで吊り、そこへ串を差し込み乾燥させる。
いずれもあばら家ゆえに自然に入る外の風を利用してのこの方法を親父は「風吹かし」と言っていた。
10日ほどそのままにして置くと、魚は上州の風に当たり「カラカラ」になる。
その魚は「だし」に使ったり、天ぷらや茄子と煮付けて一品料理にする。貴重なタンパク源だった。
今は川も上流にダムが出来、水量が調節されてしまい少なくなり、生活排水や工場排水により水質が極端に悪くなり魚が減ってしまった。さらに汚水に強い外来魚が増え本来居るべき小魚をほとんど見ることが出来ない。
一方建物は、建築工法が全く変わってしまい、一般住宅では、従来使用されていた土と稲わらを使った土壁の家が見当たらなくなってしまった。
昔は家の新築現場には、土壁を作る為の左官屋さんの大きな鉄製の薄い箱が必ず置いてあった。残念だが時代と共に「風吹かし」は死語になった様だ。
文化の日に、古い文化を思い出した。 (平成24年11月 3日記)