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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「写真で見る韓国人と宗教とのかかわり」

2025年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム
韓国人と宗教とのかかわりを写真で示します。
1番目の写真はフランシスコ法王を歓迎する韓国の大群集の写真です。写真は2014年8月14日からローマ法王が韓国を訪問した時のものです。写真の白い車にローマ法王が乗っています。韓国はキリスト教国だということが頷けます。

2番目の写真は韓国の数少ない孔子廟の一つです。聖廟の門と正殿「大成殿」(写真左奥)です。(https://webronza.asahi.com/photo/photo.html?photo=/S2010/upload/2021030600004_1.jpg )
  
3番目の写真は韓国済州島で秋に行われる儒教の儀式です。

4番目の写真は毎年ソウルで開催される 儒教の 孔子式です。

5番目の写真は儒教の釈奠大祭です。韓国の儒教の影響の深さを感じられる大祭です。孔子(紀元前551年~479年)の教えを学び、祭祀を行うのが釈奠大祭(ソッチョンテジェ) です。春と秋に全国で祭祀が行われます。ソウルの釈奠大祭は重要無形文化財に指定されています。香を焚いて祝文を読み、舞踊が披露され、飲福(ウムボッ)料理を食べたりします。
以上のように現在の韓国では儒教に関連した儀式や祭りが盛んに行われているのです。
それでは仏教の方はどうでしょうか?

6番目の写真は世界遺産の「仏国寺 」です。仏教芸術の最高傑作かつ国宝の寺院とされている仏国寺は理想的な彼岸の世界観が表現されております。
この仏国寺 は1982年に家内と訪問したことがあります。 

7番目の写真は韓国の世界遺産は「海印寺 」です。
写真の出典は、http://www.seoulnavi.com/special/5003998 です。1200年以上の歴史があり、韓国最大の宗派である曹渓宗の寺院です。
海印寺も1982年に家内と訪問したことがあります。瓦屋根の稜線が優美に反っているのが印象的でした。

8番目の写真は海印寺 の中庭です。海印寺は韓国の11の世界文化遺産の一つです。写真の出典は、http://www.seoulnavi.com/special/5003998 です。

韓国の佛教の90%は曹渓宗です。日本の曹洞宗のような禅宗ですが日本より戒律が厳しい宗派です。その曹渓宗に朝鮮古来の原始宗教が混淆したのが韓国の佛教です。
韓国人の24.2%は仏教徒です。韓国の仏教は中国の道教の北斗七星の妙見信仰や風水と習合しています。日本の神仏混淆と同じようですが内容が異なります。 韓国では佛教に複雑に原始宗教が混淆しています。
韓国の人口の29.2%がキリスト教徒で22.8%が仏教徒です。統計ではこのようになっていますが韓国はやはり儒教と仏教の国だと思います。儒教と仏教は千年以上の長い間韓国の社会に根づいて来たのです。

今日は韓国人と宗教とのかかわりを写真で示しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


「靖国神社とアメリカのアーリントン国立墓地の比較」

2025年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム

日米の間には大きな文化的断絶があります。軽々しく何でも同じだと理解するよりも、断絶があると思う方が日米親善の為に良いと思います。誤解の上に作った親善関係はキッカケがあると脆くも崩れるものです。「相手を深く理解する。そして尊敬する」。 それが出来れば相手も日本を深く理解し、尊敬してくれます。

今日は靖国神社とアーリントン国立墓地の比較を通して日米の文化の大きな相違を描いて見ようと思います。

まず、アーリントン国立墓地では毎日平均30の埋葬式がとり行われています。そこが靖国神社と決定的に違います。アメリカという国家へ大きな貢献をした軍人達、そして政治家や官僚が公平な規則に従って埋葬の権利が与えられるのです。

埋葬には遺体をそのまま土葬にする形式と火葬にしたあとの遺骨を埋める形式の2つが有ります。この墓地に埋葬されるための条件は南北戦争以来の戦死者と退役軍人です。陸軍、空軍、海軍、海兵隊の全てを含みます。あるいは大統領や最高裁判所長官、などの政府機関の幹部も埋葬される権利があります。

南北戦争以来、アメリカの戦死者や退役軍人の死者は膨大です。そこでアーリントン墓地を使用しても良い人間の資格を規則で厳密に決めています。Googleで英語でArlington Cemetoryを検索すると墓地使用の権利を有する人の資格が明解に書いてあります。興味深い点は土葬には厳しい条件があり、遺骨を埋める場合は緩やかな条件になっています。

アメリカ人の考え方では国立墓地を使用する権利を有する者は、軍務の義務を人一倍立派に果たした者に限るという条件があります。従って軍務の間に種々の勲章を貰ったものを優先します。長期間軍務に従事し、重要な作戦に参加し、アメリカ軍の勝利へ貢献した人々を優先します。

しかし、国立墓地を使用する権利を行使するか否かは個人の自由です。アーリントンには20万基以上の墓があると言われます。でも南北戦争以来の戦死者や退役軍人の死者は数百万人いると想像されます。したがってアーリントン墓地にはほんの十分の一くらいの人しか眠っていないようです。

一方、靖国神社では戦死した日本人の全てを祀っています。個人的に、祀られることを拒否することが出来ないのです。その上、大きな戦功を上げて、生きて帰国し、後に病死した軍人は祀られていません。日本という国家に大きな貢献をした政治家は一切祀られていません。

アーリントンでは、個人の自由意思で権利の行使や放棄を決めるのです。歴代大統領は当然権利を有するのですが、アーリントンに墓があるのはケネディ大統領と他に数人だけの少数です。国家よりも、「個人の自由の尊厳」を大切にしたいという心情が見えるようです。

靖国神社と比較するといろいろ違いがありますが、もう一つだけ記して、終りにします。それは、アーリントンではプロテスタント、カトリック、ユダヤ教、イスラム教、無宗教など何でも良いのです。管理している陸軍の管理役所がいろいろな様式の埋葬式を全て無料ですることになっています。すなわち宗教の自由を完全に認めているのです。

下の写真はアーリントン墓地の風景です。左のように墓石の前面に墓誌が彫ってあります。右の写真は墓の裏面だけが見えるように撮った写真です。日本では無名戦士の墓としてこの墓誌の見えない風景写真が良く使われるますが、無名戦士の墓ではありません。

朝から墓地などと縁起の悪い話題を選んで申し訳ありません。お詫び申し上げます。しかしいろいろと深くお考え頂けるキッカケになれば嬉しく思います。

私は日米の間には文化の優劣は絶対に無いと信じています。そこには違いがあるだけです。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人

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「何故、政治と宗教は分離したほうが良いのでしょうか?」

2025年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム
日曜日は宗教にまつわる短い話を書くことにしています。
今日は政治と宗教は分離したほうが良いという考え方を取り上げます。政教分離が良いという話です。
日本ではこの政教分離の原則をかなり厳密に実行しています。皆様ご存知のとうりです。
理由は簡単です。ある宗教の狭量な偏見によって日本の政治がその宗教に利用されないためです。特定の宗教の利益の為に日本の政権が利用されないためです。これは一般的に分かり易い説明です。
しかし政教分離の重要さはお釈迦さまもイエス様も教えているのです。宗教が政治権力を持とうとすると、その宗教の力が減殺されるからです。

お釈迦さまは俗世間(政治)から離れて出家して修行すればこの世の無常が理解出来、悟りの境地に入れると教えたのです。死んだら墓を作ってはいけないと教えたのです。この考えを推し進めれば、「人間は政治にかかわっていると悟りの境地に入れない」ということになるのです。
この理解に従って、私は弘法大師を尊敬していますが、日蓮さまをあまり尊敬していません。なぜなら鎌倉幕府に抗議して、政治に関与しようとしたからです。一方、弘法大師は全国を行脚して自分の力だけで人々を救うとしたのです。

同様にイエスさまも「汝の隣人を愛せ」と教えましたが、「政治を変えて貧民を助けろ!」とは教えませんでした。「ローマの支配からユダヤ王国を解放してユダヤを独立させよ」とは絶対に教えませんでした。
むしろローマ総督のピラトの裁判にしゅうようと従って十字架刑になったのです。「その判決は間違いだ!」とピラトに抗議しなかったのです。

私はカトリックなのでもう一つの理由を実感しています。カトリックが政治に関与するとカトリックが俗っぽくなって輝きを失うのです。わたしはそんな宗派を尊敬しません。そんな宗派は信じたくないのです。
これは宗教の信者の共通の感じ方です。
ですからカトリックの組織は自衛のために政教分離の原則を実行しているのです。

一般に人々は宗教団体が貧民層を救うと期待しています。
それに対して多くの宗教団体が努力しています。
しかし貧民層を救う方法に2つあります。
(1)信者から寄付を集めて慈善事業を実行して貧民層を救う方法
(2)神父たちが共産主義者と共に政権を握り貧民層を救う政策を実行する方法

結論を言えば。(1)は良いが(2)は絶対にいけないのです。

(2)の考えで実行されたのが1979年のニカラグア革命(サンディニスタ革命)でした。
サンディニスタ革命政府の中心は初代の大統領となったオルテガをはじめマルクス主義者でした。その閣僚の中には4人の解放の神学派の神父が含まれていたのです。
外務大臣、文部大臣、厚生大臣、文化大臣がローマ法王の任命した神父だったのです。
1979年11月には,ニカラグアのカトリック教会の司教団は声明を発表し、サンデニ革命を支持したのです。
しかしローマ法王は政教分離の原則に従ってこの4人の神父を破門したのです。
その上この革命によっても貧民層は救われなかったと言います。
南米には貧民街が沢山ありますが、神父たちが直接革命政権に参加したのはニカラグア革命だけになります。

それはそれとして、
 今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

今日の挿し絵代わりの写真は小金井の春の風景写真です。