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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「旅の思い出(3)フィンランドへの独り旅」

2025年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム
1972年にストックホルム工科大学のエケトルプ教授に招待されて4ケ月滞在していた折に北欧への旅もしました。 ヘルシンキ工科大学のハイキンハイモ先生を訪問しました。
寂しい北国への独り旅でした。 冷えた私を温かく迎えてくれたのがハイキンハイモ先生でした。先生は私を自宅での夕食にも招待してくれました。 
フィンランドが辺境の地にあり外国と隔絶した国であることを体験的に理解出来ました。思えば遠くに来たものです。
ハイキンハイモ先生は自宅に招待してくれただけでなく大学のサウナへも案内してくれたのです。 

さてここでフィンランドはどういう国なのかご紹介したいと思います。
フィンランドは北欧のスカンジナビア半島の北端にある国です。国土の約80%が森林や湖沼、河川に覆われています。 「湖沼の国」という意味が転じてフィンランドという国名になったといわれています。
人口は554万人ほどの小さな国です。 しかし国連が毎年発表する「世界幸福度ランキング」では、2023年で6年連続となる1位になっています。 豊かな自然に恵まれ、社会保障や教育システムが充実している暮らしやすい国です。
ここで寫眞をお送り致します。

 1番目の写真は夏の晴天の日のヘルシンキです。こんな日はめったに無いそうです。いつもはどんより曇っており暗く寒いそうです。 写真の出典は、https://www.skyscanner.jp/news/finland2023 です。 

2番目の写真はフィンランドの農村の風景です。湖が多いので農地は湖の間ににあります。 写真の出典は、 https://www.skyscanner.jp/news/finland2023 です。 

3番目の写真は雪に覆われたフィンランドのサウナの小屋です。後に母屋が建っています。 写真は「フィンランドのサウナの写真」を検索して、インターネットの写真から選びました。 

4番目の写真はサウナ小屋の内部です。 写真は「フィンランドのサウナの写真」を検索して、インターネットの写真から選びました。 

北欧のサウナは白木だけで内装された素朴なサウナです。北欧で私が入ったサウナは隣に白木の脱衣所を兼ねた談笑室がありました。
そこで野の果物でつくった 蒸留酒をハイキンハイモ先生と一緒に飲みました。楽しい懐かしい思い出です。茫々、50年余の前のことです。

今日は北欧のフィンランドへの独り旅とサウナの話を書きました。フィンランドははるかに遠くなりました。

 それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人

「旅の思い出(1)美しい伊根の舟屋の旅館」

2025年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム
今日から心に残る旅の思い出を連載でお送りいたいと思います。第一回の今日は美しい伊根の舟屋の風景の写真をお送りいたします。
伊根の舟屋は1991年頃、神戸に居たとき何度も訪ねた美しいところです。
なお日本三景の天の橋立はこの伊根のすぐそばです。
伊根の舟屋は京都府の日本海側の与謝郡、伊根町の海沿い立ち並ぶ家です。
1階にある舟の収納場所の上の2階に人が住んでいます。これは独特な伝統的建造物です。
舟屋は江戸時代中期頃から作られ ました。現在、240軒ほどあります。この地区は「伊根町伊根浦伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区になっています。
この舟屋の多くは民宿をしています。民宿では舟屋の2階がお客の寝室になっているのです。私が泊った時には夕食に生け簀に泳いでいた地魚の塩焼きが出ました。ゆっくり地元の辛口の酒を楽しみました。もう35年余も前の旅の思い出です。
その風景写真をお送りします。出典は、https://reki4.com/00201.html です。
1番目の写真は伊根湾の東側から見た伊根の舟屋の遠景です。
2番目の写真は舟屋の近景で1階が舟の収納庫になっています。2階は宿泊客の部屋です。そこで海を眺めながら食事をし寝ます。
3番目の写真は漁船が大型化して1階の収納庫に入らなくなった様子を示します。大きな漁船が舟屋の前に舫ってあります。あまり良い光景ではありませんが私は仕方がないと諦めました。これも時代の変化です。
4番目の写真は伊根湾の夕日です。日本海にゆっくり沈んで行きます。

ここ伊根という地名は建久2年(1191年)に「長講堂所領注文」という史料に初めて出てきます。鎌倉時代末期には集落が形成されていたようです。
はじめは湾内だけの漁業だったようですが江戸時代以降は湾外へと舟が出て行きました。
江戸時代末期には短冊型の地割りが見られ現在の舟屋群の基礎が確立しています。

曾遊の地、伊根の舟屋の写真をお送りいたしました。
それにしても何故か旧懐の情をかき立てる風景です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)