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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「私の人生のいろいろ(4)高校時代に習った漢文とドイツ語」

2024年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム
仙台第一高等学校に入ったのは昭和26年でした。新制度の高等学校でしたが先生方は旧制の仙台一中のままです。ですから教育は旧制の中学校のようでした。
印象深かったのは漢文とドイツ語の授業でした。新制の中学校には無い課目です。
特に漢文の初老の塩見先生は旧制の中学の教え方と同じで生徒にいろいろな漢詩を声高々と暗唱させるのです。自分でも声を張り上げて歌うように朗読します。
例えば、李白の山中問答は次のように朗読します。

余に問ふ 何の意ありて碧山に棲むと
笑ひて答へず 心 自づから閑(しづ)かなり
桃花流水 窅然(えうぜん)として去る
別に天地の人間(じんかん)にあらざる有り

問余何意棲碧山
笑而不答心自閑
桃花流水窅然去
別有天地非人間

君に問うが,なにゆえ青い山の中に住んでいるのか
笑って答えないが,心は自ずから静かだ
桃の花,流れる水,その奥深くに分け入れば
俗世とはまた別の天地があるさ

こうして私は今でも幾つかの漢詩を懐かしく思い出します。
漢文の他に印象深かったのは初めて習うドイツ語でした。複雑怪奇な外国語でした。なにせ定冠詞だけでも次のように変化するのです。


男性名詞
女性名詞 中性名詞 複数名詞
1格
(~が、は)
derdiedasdie
2格
(~の)
des-(e)sderdes-(e)sder
3格
(~に)
demderdemden-n
4格
(~を)
dendiedasdie
私はドイツに1969年から1年6ケ月住んでいました。多くのドイツ人は英語が出来るので大体英語で話していました。ドイツ語を使う場合は定冠詞はすべて、die だけにしました。それでも通じました。いい加減なドイツ語でした。かんたんな会話しかしませんでした。
一方、フランスでは往生しました。彼等は英語が出来てもフランス語しか使わないのです。私はフランス語は出来ません。往生しました。

添付の写真は唐の長安のあった現在の長安の街風景や大雅塔や慈恩寺の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
 







「私の人生のいろいろ(3)高校時代は松島湾で競技用ボートを漕ぐ」

2024年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム
高校時代の忘れられない思い出は松島湾で競技用ボートを漕いだことです。
競技用ボートは8人で漕ぐ細長い挺身です。椅子が固定されているフィックスと椅子が前後に滑るスライデイングという2種類を漕いだのです。
船尾に座ったコックスの号令に従って8人の漕ぎ手が心を合わせてオールで漕ぎます。
その他に少し大きいカッターというボートも漕ぎました。
仙台一高に入学したのは昭和26年でした。旧制の仙台一中の生徒が3年生にそのまま残っていました。入学してすぐ「木工部」に入りました。
驚いたことにその部は木工など一切しないで、もっぱら松島湾でボートを漕ぎ回る倶楽部でした。
大人のような3年生が東北大学の塩釜の艇庫から競技用ボートやカッターを借り出して来るのです。東北大学の艇庫の場所は3年生だけが知っている秘密なのです。
3年生がコックスになり舵を握り、掛け声をかけます。1年生と2年生は従順な漕ぎ手です。
漕ぎながら松島湾の景色を楽しめるのです。しかし牡蠣棚だけへはぶつけないようにします。
昼になれば適当な島の砂浜へボートを乗り上げて持参のオニギリを食べます。
午後も漕ぎますが、塩釜までの帰路はカッターの時は漕ぐのを止めて帆走なのです。3年生がカッターの先端に低いマストを立てます。そこへ薄汚れた三角形の布製の帆を上げるのです。すると帆が風をはらんでカッターが勢い良く快走するのです。後は風まかせで塩釜まで帰ります。
細長い競走用のボートにはマストが立てられません。帰路も漕いで塩釜まで帰ります。
さて松島ではボートを漕ぐ以外に、何度も遊びに行きました。四季折々いろいろな季節に行きました。松島では、まず五大堂の島へ歩いて渡ります。島の向こうには美しい松が生えた島々が広がっています。数多くの島が浮かんでいる美しい海です。それは幻想的に綺麗な海でした。
幻想的に綺麗な海なので現在の妻にも見て貰いたいと思いました。
妻と初めてデートした時に松島を海の上から案内しました。塩釜港でチャーターした小さな船で彼女を松島まで案内したのです。緑の島々が浮かんでいる海を周航したのです。彼女は初めて海の上から見た島々の美しさに感動の様子でした。茫々あれから60余年でです。

最後に美しい松島の風景写真をお送りします。
写真は、https://www.asoview.com/note/475/ などからお借りしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人) 

1番目の写真は松島湾の東側、宮戸島の大高森の山頂からの風景です。
松島湾の向こうには遠く奥羽山脈の山々も望めます。

2番目の写真は松島湾を一望出来る大仰寺の庭からの眺めです。大仰寺は標高116メートルの山頂にあります。

3番目の写真は松島湾に浮かぶ島の一つです。
写真の出典は、https://www.photolibrary.jp/img451/120359_4289348.html です。

4番目の写真は松島町から福浦島へ渡る長い橋です。橋の向かうに見えるのが松島町です。写真の出典は、3番目の写真と同じです。